星の器 | ナノ


▽ 04

壁画のなかで幼子は大勢の人を従えていた。
ギルガメシュの父ルガルバンダ王は、父・兄弟と共に都市国家アラッタを征服し、ウルクを繁栄に導いた伝説の王。また、母は夢解きと知恵の神ニンスンである。
半神半人の王は生まれながらに最高神エンリルから王権を与えられ、都市国家ウルクの栄華は約束されている……。

神殿の見事な壁画をみつめながら、学者は待っていた。
王が異国の女を寝所に招き入れて1ヶ月。女を直接見たものは少ないが、噂が広まり、やがて神殿の知るところとなった。さらに学者を呼び、娘に言葉を学ばせ始めたという。
……その学者が神殿に呼び出されるまで、そう長くはかからなかった。

「女に言葉を教えているというのはお前か」
「はい、祭祀長様」
「どのような女なのだ。説明せよ」

イシュタル神の加護をうけるウルクにおいて、神殿は王に並ぶ権力を持っていた。神殿奥に入ることを許されているのは巫女と王だけであり、祭祀長ほどの人物はめったに人前に現れない。
その人物に直接問いかけられ、初老の学者にも緊張がはしった。

「…年の頃はまだ若く、見た目もか弱い少女です。娘の言葉ですが、周辺の民族で類似する言語はありません。習慣や考え方も我々と違い、初めのころは何に対しても戸惑っていました。
 ですが真面目で知識欲が高く、今では子どもと同じぐらい話せるようになりました。王様は娘を大事に扱われ、私にどんなことを教えたか、必ず報告させます…。」

祭祀長はベールで仕切られた向こうの部屋で学者の言葉を聞いていた。
「まことに、王は娘を大事に愛しむだけなのか?」
「はい。大切にされております」
初老の学者もその娘を気に入っているような話ぶりだ。しかし、それを聞いた祭祀長は真反対だった。
「よいか。王の側に女を置くのは子孫を繁栄させるためだ。」
学者を叱るような声だった。
「ギルガメッシュ王は神と人の間に生まれた稀有な存在。われわれ神殿は女神ニンスンから王の育成を任された。しかし王はまだ幼く人の心と弱さを持っている。
 ゆえに、王を人の側に近づけてはならぬ。王に弱さを残してはならぬ。愛しむだけの存在は、王に甘さや弱さを与えてしまうであろう…。」
「つまり、娘の存在は成長の妨げになるということですか?」
学者は反論しようとした。
「私は、王にとって慈悲は必要かと…」
「それは下賤な人間の王だろう!」祭祀長はさえぎった。
「娘の軟弱な心を王に植え付けられては困るゆえ、そなたは今後一切の言葉を教えてはならぬ。
 ――用件は以上だ。」

学者は諦めずに言おうとした。しかし巫女たちが、彼を外に追い立てていく。
祭祀長はベール越しに遠ざかる学者の人影を侮蔑の目でおくった。

「は、学者風情が思い上がったことを。
 ……われわれが神に望むのは、人を愛しむことではない。神はそのように優しくない。神を崇拝し、神に尽くす人間に“気まぐれな情け”を与えるのが神なのだ」



…ここに来てから、2度目の満月をみた。
2ヶ月ほど経ったということだろうか。
気候はすこしずつ暖かくなり、夜にベットから抜け出して地平線に輝く金星を見つめるようになった。ほのかな花の匂いが風にのって漂う。
少し前に学者さんは体調を崩してしまったようで、私はつたない字で手紙を書いた。

【私は王様と会話が少しできるようになりました。
 学者さんが休んでから、彼が言葉を教えてくれています…】

「名前が行きたがってた街の泉。明日、行こうか」
ある夜、ギルから初めて外出の許可が出た。仕事の合間に少しだけ暇な時間ができたようだ。
「外にでてもいいの?」
「うん、僕も一緒ならね。」


昼間の外は夏の眩しさだった。乾燥した空気に埃が舞う。街の喧騒に甘いスパイスの香りが混じり、灰色のレンガでできた風景は私の憂愁をかきたてた。
私は髪や顔を隠すためにかぶり物をまとい、彼も質素な服装に着替えて街へ出た。護衛はあとから付いてくるが、にぎわいのあるウルクの街に一体化し、不思議なほど誰も王が闊歩していることを気に止めなかった。

真っ先に向かったのは私が現れた泉だった。
水を汲みにきていた人々に混じり、近寄って調べたが、途中で見た他の泉とほとんど違いがない。わずかに…魔術の痕跡を感じたが、元の場所へ戻る手がかりは見つかりそうになかった。
肩を落としため息をついた私を見て、ギルは言った。

「名前、僕も行きたい場所があるんだ。少しだけ付き合って」
「うん……」
街に何があるか知らない私は、どこへ行くか思いつかない。
人が増えていって、喧騒の中心に近づいていった。
「…市場?」
「うん。しばらく大きな戦争がないから、交易路を通って来る商人が増えたんだ。あれは東からラピスラズリを売りにきた商人。それに、ペルシア湾を渡ってディルムン(現在のバーレーン)の商人が遠方からの商品を売りにくるんだ」
褐色や黒色など多様な肌が混ざり合い、喜怒哀楽にあふれた、生きるための営みが広がっていた。子どもたちも遊びながら街を駆け回る。この街で人々は、どこの誰かではなく、共に生活する相手を仲間として扱っていた。

「……名前、もし君が帰れなくなったとしても」
ギルははぐれないように私の手を握った。「ここに居たら良い。僕がそばにいる。」

子ども達のにぎやかな声が響いている。
広場の中心に、子ども達がむらがる飴細工の店があった。犬や鳥、牛、さまざまな動物を生み出す技に子供たちが歓声を上げる。指をくわえて夢中になって見つめていた。
「…欲しいの?」
「ううん、どこの国でもあるんだなって。牛は初めて見た」

すると店主が私たちに気付いて、私を手招きをする。
私に?と窺いながらも、まだ手招きしてくるので行った。

「これを、あなたと彼に」店主は笑顔で飴を差し出した。
「お代はいりません。お礼を伝えたくて。」

半信半疑で受け取り、ギルのところへ戻る。
店主はギルの視線に気付いて、頭を垂れた。そして何事もなかったように子供たちの歓声の相手へ戻っていった。


腰を下ろしやすい場所をみつけて、ならんで二人で座る。ギルは私から飴を受け取り、それをじっと見た。

「どうしたの?」
「……食べるのは初めてだから」

大ぶりなナツメヤシを半分に切って飴にからめ、串に刺したお菓子をギルは口に含んだ。数回噛んで甘かったのか目尻が下がる。感想を言う代わりにもうひとつ食べた。
「街の人はこんなのを食べるんだ」
私も母国ではあまり食べたことのない果物を食べた。故郷で食べた ようかん みたいな、まったりした甘さが口に広がる。飴と、まぶしてあるクルミの苦さがもう一口を急かした。

「街に行くときに誰かに呼び止められたりしないの?」
いくつか視線に気付いた。だが、街の人々は幼い王の歩みを阻もうとはしなかった。
「…うん、こんなふうに貰ったりするのは名前がいたからだ。
平民の姿で街を視察することはあっても、皆は気付かないか、遠巻きに見ているだけだから」

大きな広間で大人たちに囲まれていたギルを思い出した。
大勢が彼を見つめる。でも、声をかけたり触れたりはしない。彼は王様であって、神の子だから。

「…それ、美味しかった?」
ギルは1つを残して甘いお菓子を食べてしまっていた。食べる速さから、食べ切れずに残しているのではないと思った。
「また、食べにこようよ。私もギルと一緒に来るから。」


ギルが頷いて、最後の1つをかじる。

口の中のお菓子は異国の甘さだった。
彼も知らなかった、街の人間の甘さだった。




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ウルクの人々は子ギルに気づいています。
気づかないフリをしているのは恐れと敬意です。

シュメールで飴のお菓子があったか分かりませんが、よく海外の街中で売られているのを見ます。
どんな動物を作るかな〜と考えて、シュメール神話……さそり、ムシュフシュ……いちばん無難な牛にしましたが、私も「う、牛…?」と思いました。


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