星の器 | ナノ


▽ 5

神はわらう

 まだ神と人の世が繋がっていたころ、神は人間を支配しようとした。
 一度目は大洪水を起こして神を敬わない人間を滅ぼした。二度目は人間の側でありながら、神の味方となって人間を支配する統治者を欲しがった。そうして生まれたのが2/3が神であり、残りは人間であるギルガメッシュだった。
 その判断は正しかった。しかし問題は、その統治者が神の思い通りに成長しなかったことである。

 幼年期のギルガメッシュは神の望みどおりの統治者だった。人間の望みを見通し、神にとって都合の良いように統治した。だが成長するにつれ、彼は人間のように喜怒哀楽をそなえ、人間にとって都合がいいか考えて統治するようになった。
 神々は考えた。ギルガメッシュを廃し、新たに作られた道具を地上に送るべきか? だが、まず彼を神の側に引き戻すことを試みるべきだという意見に賛同が集まった。
 しかし神であっても人間世界に降りることは負担が大きい。方法を探していた矢先、人間たちが女神を召喚したのである。


 ウルクは恐々としていた。いつもなら人々の活気に満ちている街の通りも、流れてきた噂のせいで緊迫感が漂っている。
 噂によると女神が人間に憑依したらしい。そんなことがあるのかという声より、何のために、と神罰を恐れる声のほうが大きかった。人々は神の出現を喜びより恐怖≠ニして受け止めていた。
「名前」
 昼前にもかかわらず、ギルガメッシュが名前の元を訪れた。緊迫した表情で目つきは険しい。
「一緒に来てくれ。詳しいことは歩きながら説明する」
「わかった」

 市街地を歩くと誰もが不安げな表情で、王にすがりつくような視線を向ける。噂の真偽を確かめようとする者や、王がいると聞いて助けを求めようとする者で通りは混雑し、ギルガメッシュは名前の手を握って人混みを突っ切った。
「あの娘は」「王が直接手を」と名前に対する声も聞こえた。

「ギル、手を…」
「あまり時間がないんだ。それに名前のことを民に知られてやましいことは一切ない」
 彼は周りに目もくれず話した。
「もうすぐジッグラトに神が憑依したという女性がやってくる。どんな神か、何のためにやってきたのかも分からない。だが本当に憑依しているなら、神に言われたことは覆せない。
 おそらく議会はおれに何らかの処置を求めるだろう。一番厄介なのは、結婚のことについて話が及んだときだ」
「どうするの?」
 名前はギルガメッシュをみつめた。彼はぎこちなく笑ってみせた。
「そのときは……正直に許しをもとめる。本人たちのいる場で恋人同士を引き裂くなんて、女神もやり辛いはずだ。もしも許しを得たなら、議会は反対できなくなる」

 この瞬間、誰よりも差し迫った立場におかれているのはギルガメッシュだった。それでも彼は互いのことを考えて行動し、大胆にも神を利用しようとしていた。
 名前は彼の豪胆さに感心してほほ笑むと、つないだ手に力を込めた。



 玉座のある広間は礼服を整えた高官たちが並び、物々しい雰囲気に包まれていた。名前はその場にふさわしい服装に着替え、高官たちの列の後ろに立った。この位置ならギルガメッシュと視線を交わすこともできる。
 それにしても神が人間に憑依することは本当にあるのだろうか、と名前は思った。彼は「分からない」と言った。「だが否定はできない」とも。
 名前のいた現代で神はあやふやな存在だったし、故郷では「神を信じていない」と公言しても平気だった。ギルガメッシュと出会ってさすがに神の存在を信じるようになったが、今でも実感は薄かった。
 やがて大勢の足音と衣擦れが聞こえ、ぴたりと広間の話し声が止んだ。大勢の神官を従えて小柄な女性が入ってくる。女性が広間にはいると、名前はつめたい風がすっと顔に当たった気がした。神殿で嗅いだことのある香木の匂いがした。
 ギルガメッシュは女性を見るなり、緊張した面持ちで立ち上がった。そして玉座から降り、入ってきた女性の足元に歩み寄ってひざまずいた。

「ようこそお越しくださいました。女神ニンスンとルガルバンダ王の息子、ギルガメッシュが拝謁します」

 王の言動に続いて人々が波打つようにひざまずく。名前も周りに習って地面に手をついた。だが柱の影になってこっそり盗み見ることができた。
 名前は周りを見て気づいた。…人々は、単純に神を敬っているのではない。恐ろしくて立っていられないのだ。息すら殺していた。この時代の人々にとって神がどんな存在か、ようやく分かった気がした。
 女性が口を開いた。近くで話しているのに、まるで天から降ってくるような響きだった。

「…ギルガメッシュよ。健やかに見目美しく成長したようで何よりだ。そなたの成長を祝福しよう」
「身に余る光栄に存じます」
 ギルガメッシュの声には敬意がこめられ、王者としても堂々とした口調だった。
「どうかこの場にいる我らにあなた様の御尊名をお聞かせください」
「よかろう。…この身体に宿っているのは女神ニンガルだ。我が夫は月の神シンである」
 人々が緊張して息をのむ。ちょうど昨晩、名前が寝物語に聞いた月神の名前だった。
「偉大なる女王よ。その御尊名に我が民すべてが頭(こうべ)を垂れるでしょう。あなた様に許しをいただくまでは誰一人頭を上げません」
 女神は彼の口上に満足したようだった。
「では顔をあげよ、ギルガメッシュ」
 
 ギルガメッシュは顔をあげて女神をあおぎ見た。目の前にいる女神は少女の形をしていたが、透明な別のものが重なり、輪郭が揺らいで視えた。彼は気圧されることのないよう下腹部に力を込めた。
「女神ニンガル、どうかお教えください。なぜ我々の前に姿をお見せになったのですか。我々に何かを求めておいでですか?」
「ああ」
 彼の問いかけに女神は高官の一部を見やった。
「私を喚んだのはそこにいる者たちだ。彼らの訴えを聞き、神々にとっても利益になると考えて来た」
 女神の視線を浴び、長老議会の高官数名が床に這いつくばった。その顔ぶれにギルガメッシュは嫌な予感がした。
「ギルガメッシュ……そなたは成人を迎えたが、婚姻を先伸ばしにしたそうだな。この世界を発展させるため、神の血を引くそなたが後継者を作らぬことは問題である。これは多くの神の母としても見逃せぬことだ」

 ――やはりか。
 彼らの訴えるさまがギルガメッシュの脳裏に瞬時に視えた。民のため、と言って私利私欲を隠したつもりだろう。だが神の側も、自分たちにとって都合の良い相手を娶らせようとしているのだ。

「お心を煩わせてしまい、大変申し訳ありません」
 ギルガメッシュは謝罪の言葉を口にしたが、動揺ではなく決意がこもっていた。
「恐れ多くも私には理由がございます」
「申せ」
 ギルガメッシュはゆっくりと体を起こし、名前と目を合わせた。こちらへ来るよう合図する。名前は覚悟を決めて頭を垂れたまま彼の隣まで歩み寄り、深々とひざまづいた。
「女神ニンガルよ、この娘はどの都市の姫でも高官の娘でもありません。しかし私にとっては唯一無二の存在です。ずっと昔から彼女を妻にしようと決めていました。そこで人々を説得するため婚姻を先延ばしにしました。
 どうか私の判断をお許しになり、私たちに祝福をあたえてください」

 二人は床に手をつき、深々と頭を下げた。名前は緊張していたが、ギルガメッシュが堂々と言ってくれたおかげで、胸の中は不安より喜びがあった。周りにいる高官たちも固唾を呑んで女神の返事を待っている。
「ふむ」女神は名前に声をかけた。「顔をあげよ、娘」
「はい」
 名前は眉のあたりに力をこめて顔を上げる。女神と目があった。
 その瞬間、身体がばらばらになるような衝撃が走り抜けた。

「なるほど」

 声が聞こえたと同時に、名前は力が抜けて床にくずれ落ちた。意識が追いつかない。私は今、床に横たわっているのだろうか…?
「名前!」
 ギルガメッシュの顔がうっすらと見えた、しかし遠い。引き剥がされるような感覚。
「女神ニンスンの息子ギルガメッシュよ」
 女神の声だけはっきりと聞こえていた。
「ただの娘であれば、泣いて諦めさせる程度にしてやろうと思っていた。だが、この娘だけはならぬ。

「この者はずっと遠くから来た。魂はこの時代のものではなく、どの神の加護も受けていない。神の管理下にないということだ。
 娘をずっと側に置いていたのだな。おそらくそなたが本来の力に目覚めていないのは、この者のせいだ」

 彼が女神に何かを言っている。でも、聞こえない。
 ――私のせいでギルが本来の力に目覚めていないとは、どういうことだろう。

「そなたの器のうち2/3には神が宿っている。しからば神に並ばずとも、相応の力を発現しているはず。ところがなぜ神の力が発現していないのか私は訝しんでいた。
 だが、分かったぞ。…原因はこの者だ。こやつが人間側にそなたを引き込み、神と引き離したのだ。むすめが特別な力を持っているわけではない。だが異なる時代の、異なる考え方を持った者はこの世界の秩序を乱す。――私は神々を代表してこの娘を拒絶する」
 女神は鋭い目で名前を指差し、言い放った。

「お前はギルガメッシュの側に居てはならぬ。お前はこの世界に居てはならぬ。
 すぐに世界から消え失せよ。
 でなければ私が排除する。」

「っ……」
 少しずつ手足に感覚が戻り、周りの人々のざわめきが聞こえた。頭がずきずき痛み、名前はようやく周りの様子を見ることができた。
 ――人々の、冷たい視線。拒絶する空気。
 ギルガメッシュが私を守るように抱きしめている。彼の体は熱い。震えている? 泣いてはいない?

「女神よ、どうかお許しを」
 ギルガメッシュは言った。
「ならぬ」
「どうかお許しを」
「私は対立に来たのではない。ふさわしい相手を定めてやろうと思って来たのだ。この身体の娘はどうだ?一時的であれ、私が宿ったのだ。じゅうぶんに権威を持つだろう」
「どうかお許しを」
 ギルガメッシュはただ繰り返した。唇を噛み締め、血が滲んでいた。
 女神はため息をついた。

「では、猶予をあたえてやろう」
「ありがとうございます」

 騒然とした広間で、ギルガメッシュは名前を抱きあげて自分の寝室に向かった。腕の中で力を失った体はぐらぐらと揺れた。
 柔らかい寝台に横たえ、ギルガメッシュは名前に話しかけた。

「名前」
 ぼうっと彼女は彼を見上げた。ギルガメッシュは額の前で手を握り、固く目を閉じた。まるで祈っているようだった。神に、世界に……だろうか。
「名前、なんとかして女神を説得してみせる。だから諦めないでくれ。そばを離れるなんて言わないでくれ」
「………」

 力が入らなくて話せなかったが、名前はほほ笑んでみせた。腕に力が入らない。手を伸ばして彼を慰めたいのに。

 ――ギル、私はこの世界に残るって決めているよ。
 私はあなたのそばにいたいよ。

 ――でも。
 この世界は、私を拒絶したのだ。


■□■□■□


 ギルガメッシュは私を寝台に横たえたあと広間に戻った。女神と交渉を続けるのだろうか。
 しばらくすると力が戻ってきたので起き上がり、重たい体を引きずってジッグラトを後にした。ここに居ては彼の邪魔になる。広間で向けられた冷たい視線を覚えていた。
 ウルクの市街地におりると、人々の表情はまだ不安げだったが日常生活に戻りつつあった。なんとか街を通り過ぎ、木陰を見つけて身体を休めた。

「…お姉さん、大丈夫?」
 目を開くと痩せた女の子が立っていた。私がぐったりと木にもたれていたから、心配してくれたらしい。
「ありがとう。…よかったらお水を貰える?」
「うん。おばさんに聞いてみる」

 女の子は近くに住んでいるようで、すぐに女性を連れてきた。目尻に細かいしわのある女性は私を見て気づいたようだった。
「まあ……朝に王様と一緒にいらっしゃった方ですね! シドゥリ、はやく台所の甕(かめ)からお水を汲んできて。一番きれいな器でね」
「はい」
 私は走っていった女の子の服が所々ほつれているのに気づいた。そこで懐から宝石をとりだして女性に握らせた。
「もしよければお嬢さんをお借りできませんか。家まで帰りたいのですが、一人では不安なんです」
「ええ、ええ、もちろんです」

 女の子が戻ってくると、私は同じように家までの付き添いをお願いした。彼女が二つ返事で承諾してくれたので、一緒に家まで来てもらう。「もしよかったらお菓子でも食べない?」と招き入れた。
 貯蔵庫にあった干しナツメヤシや焼き菓子をテーブルいっぱいに並べる。彼女が目を輝かせて食べている間に、使っていない布地を奥から探しだした。
「余り物なの。貰ってくれる?」
「いいの? おばさんに叱られないかな」
「こと書きを添えておくから」
 私はにこりと笑い、口いっぱいにお菓子を頬張る女の子の向かいに座った。「名前はなんて言うの?」
「シドゥリ」
「一緒にいた人は……おばさん?」
「うん。お父さんもお母さんも流行病で死んじゃって、おばさんに引き取られたの」
「そう」
 この時代、孤児は神殿に捧げられて奴隷扱いされることもあった。親族が居るだけでこの子は幸いだっただろう。あの女性と比べて服装が汚れ痩せていて、あまり良い扱いを受けていない感じがした。

「よかったらまた遊びに来て。私はここに一人で暮らしているの」
「ほんとうに?」

 女の子はお菓子を食べ続けていたが、手を止め、きれいに飲み込んでから改めてお礼を言った。
「ありがとう。また遊びにくるね」
 利発そうな灰色の目が輝いていた。私は彼女を気に入って、シドゥリ、と彼女の名前をよんだ。「困ったことがあれば言ってね。他に欲しいものはある?」
「うーん」
 彼女は甘えた声で言った。「……バターケーキ。お母さんが上手だったの」
「今度作るね。よかったら手伝いにきて」
「うん!」

 ふと、シドゥリのお母さんはどんな人だったのだろうと思った。聞いてみたが、はっきりと話してくれなかった。
「どうだったかな。あんまり覚えてないの」
 悲しそうな表情をさせてしまって申し訳なく思った。
「でもバターケーキのことを覚えてるじゃない」
 私は言った。
「すぐ側にいなくても、残るものはたくさんあるの。名前も、記憶も。愛されていたことは変わらない。あなたの中にお母さんはずっと居るよ」
「…うん」
 シドゥリはもう一つだけ焼き菓子を口に含んだ。



 女の子が帰った後、部屋はしんと静まりかえっていた。私は女神の言葉を思い出した。

『本来の力に目覚めていないのは、この者のせいだ』

 言葉はずしんと重くのしかかった。
 ――私のせい。私は彼のそばにいてはいけなかったのだろうか?
 でもきっと彼は「違う」と言うだろう。自分を孤独から救ってくれたのだと。
 私は女神よりも彼の言葉を信じる。女神にきちんと許しを求めてくれた彼のために何かをしたかった。何かを残したかった。

 ……方法はないだろうか?
 祈るように手を合わせる。ぎゅっと握りしめた手は彼の温もりを覚えていた。
 その温もりを彼に返したいと思った。
 


<つづく>


 アニメ『絶対魔獣戦線バビロニア』の20話で、術ギルが藤丸くんに「貴様は異邦人であり、この時代の異物であり、余分なものだった」と語るシーンを覚えていらっしゃいますか。
「だがその余分なものこそが、我らだけでは覆しようのない滅びに対して、最後の行動を起こせるのだ」

 主人公の存在は異質だったからこそ、幼いギルガメッシュを人間の側に引き寄せたのです。それを見抜いた女神はなんとしても彼女を「そばに置いておけない」と判断します。今回のお話はそれを踏まえてでした。
 ようやく日記に掲載させてもらったイラストの場面が来ました。ギルに神の紋章がないのはミスではなく意図的にです。



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