星の器 | ナノ


▽ 6

6、できること

 その夜、ギルガメッシュは家に来なかった。きっとジッグラトで女神をもてなすために忙しいのだろう。それでいいと思った。女神が現れたことで街中が困惑しているのだ。彼には王としての役目がある。

 朝になると畑に行った。目の前にやらなければいけない仕事があるだけで気持ちがマシになる。いつも通りに動いていると不安が和らいだ。
 昼どきにシャシャさんが食べ物を持ってきてくれた。少し緊張したが、彼が明るい表情で手を振ってくれたのでホッとする。
「シャシャさんありがとう」
「ああ」
 パンとチーズ。こんなときだからこそ普段通りに接してくれているのが有り難かった。
「祭祀長さんは家に帰ってきましたか?」
 女神が現れたのだ。神官をまとめる立場の彼女は大変だろう。
「しばらく帰れないと思う」
「そうですか…。もしお家のことで手伝えることがあったらやります」
 そう言うと渡りに船といった感じで、シャシャさんの眉が上がったが、同時に申し訳なさそうな顔をした。
「すごく助かるが……いいのか?」
「もちろんです。いつもお世話になっていますから」
 私は笑顔で頷いた。


 祭祀長さんの家に行くと、掃除や洗濯物などたくさん仕事があった。気合いを入れて片付け始め、シャシャさんが仕事から帰ってくるまでに夕食も準備した。
「いただきます」
 テーブルに座って食べ始める。祭祀長さんの腕前には程遠いが、作り慣れてきて安定した味になっていた。
「すごいな名前。掃除に洗濯、料理まで……昨日やろうとしたができなかった。男所帯だと全然だめだな」
「そんなことありません。私もようやく慣れてきたところで」
 一つ一つ挙げて感謝してくれるシャシャさんはやっぱり良い人だ。嬉しくなりながらパンを頬張っていると、シャシャさんは「きのう街で聞いたんだが」と切り出した。
「王が、女性の手を引いてジッグラトに向かっていたと聞いた。あれは名前か?」
「はい…」
「そうか。やはりそんな仲だったんだな」
 率直な物言いだったが、怒っている感じはなかった。
「はい。でも黙っていたのではなく、シャシャさんに聞かれた時は本当にそういう仲ではありませんでした」
 正直に答えると彼はにやりと笑った。「…そうか。おれは名前たちに貢献したんだな」
「はい」
 そう言うと、シャシャさんは声を出して笑った。持っていたパンからくずが落ちるほど笑ってから彼は言った。
「こうやって話してみると、名前は全然印象が違うな」
「嫌いになりましたか?」
 心配になって聞くと、彼はビールを一口含んだ。
「いや。正直で思いやりがあって良いよ。
 自分の考えを相手への思いやりも忘れずに話すのって難しいだろ。名前はそれがきちんとできる。でも、自分の気持ちに素直になるのは苦手なんだな」
「………」
「なんというか、臆病だ。自分の考えや行動で相手を変えるのが怖いって感じかな。…大丈夫だ。自分に芯を持っている人なら何を言われても変わらない。名前が言ったことを正面から受け止めて、自分で責任を持って行動するさ。
 相手を不快にしないことも大事だけど、話すのは気持ちを伝えるためじゃないか。お互いが心地よく過ごせるように話す。安心して気持ちを言えるような人が、本当に合う相手だ」

 おれはまだまだだった、ってことだな。
 彼は独白のあと杯を飲み干し、指でぐっと自分の口元をぬぐった。自分が話したことに恥ずかしくなってしまったようだった。
「すまない、酔っているようだ。だが……名前にとって王はそんな存在なのか?」
 シャシャさんは真面目な表情だった。私は困ったけれどちゃんと言葉にした。
「ギ、ルは……私の言葉を無視しないけれど、自分の気持ちを先において行動するんです。私を含めて周りのことを考えて、自分の力に責任を持って行動します。
 確かに彼なら安心して気持ちを話せます」
「付き合いが長いんだな」

 私はシャシャさんにギルガメッシュと出会ってどう過ごしてきたか話した。王をすごく尊敬しているから、不敬と言われないか緊張した。でも彼は表情を崩さずに最後まで聞いてくれた。

「ここに来てようやく関係が変わったんだな」
「はい」
 でも、と私は言った。
「ふつうの恋愛とは違う気がします。私は彼を家族のように思っていた時間が長いので、まだ違和感があって…」
「もったいないな」
 シャシャさんは自分の杯に新しいものを注ぎ、私の杯にもビールを注いだ。
「想いの形は人それぞれだ。どれが正しくて、どれが尊いわけではないだろう。名前たちは長い時間かけて一緒になることを決意したんだ。愛おしく想う気持ちをわざわざ区別しなくて良いさ」

 素直になればあの王も喜ぶだろう、と言うシャシャさんはやっぱり酔っているようだ。
「これはおれからの餞(はなむけ)の一杯だ。飲んでくれ」
「ありがとうございます」

 苦手なビールがいつもよりほんの少し美味しかった。


■□■□■


 ジッグラトでは壮麗な宴が行われていた。ウルクで手に入る東西の豊かさをあつめ、料理はもちろん、音楽、踊り、使用される食器まですべて最高級品だった。
 それにも増して女神が笑うと人々は高揚した。誰もが女神に敬意をはらい、ギルガメッシュも例外ではなかった。

「至らないところがあれば何でも申し付けてください」
「いいや。非常に満足している」
 柔らかな敷物に女神の美しい身体がくつろいでいた。「私が満足がいかないのはあの娘だけだ」
「ええ、私からもお話ししたいと思っていたところです」
 女神は昨日とまったく違う態度でかれの話に興じた。
「昨日は私も結論を急ぎすぎた。これほどの繁栄を都市にもたらしたそなたなら、それなりの理由があって選んだのだろう。
 …だがあの娘には特別な能力も地位もない。なぜこだわる?」
「最初は女神様のおっしゃるとおり、あの娘に何の価値も感じませんでした」

 ギルガメッシュは女神の怒りに触れないよう気をつけながら、名前を大切に思う理由を話した。

「彼女は……私が幼い頃にこの世界に現れました。
 その頃の私は、自分の神の力を恐れる一方で、人間の弱さを嫌っていたのです。なぜ自分が中途半端な存在に生まれたのか分かりませんでした。
 しかし彼女は弱くみじかい命を懸けて、人間が持つ命の輝きと価値を教えてくれました。そのとき初めて、半神半人のギルガメッシュとして生まれたことを嬉しく思ったのです」
「………」
「女神よ、約束しましょう。
 私は授かった神の力と人間の心を活かして、神が望むように人間を支配します。彼女は私の喜びとなっても障害にはなりません」

 女神はギルガメッシュの話を微笑みながら聞いていた。それは熟考しているようであり、あるいは薄ら笑いで嘲っているようにも見えた。どちらかといえば、後者であった。
「人の心なあ」
 女神はわらった。
「おまえはそれほど人間に価値を感じているのか。…人間は弱い。自分を守るために強いものに従い、嘘をついたり欲望に呑まれたりする。しまいには、無価値なものに意味をつけて有難がる。
 …お前はそんなものに価値を感じてはならぬ。自分が何のために作られたか、忘れたのか?」
 ははは、と女神の高笑いがジッグラトに響いた。
「お前は人を神に繋ぎ続けるために作られたのだ。神と比べれば人間の価値など無い。だが人間が自分たちを優れていると勘違いし、神をないがしろにするようになっては困る。
 そなたは愚かではないゆえ、宝石と石ころのどちらに価値があるか分かるな?」

 ギルガメッシュは赤い瞳をゆらした。表情は固まったままだったが、荒々しいものが疾風のように心を満たした。女神の言葉一つ一つが、彼を嘲笑っていた。
「なあ、ギルガメッシュ。この話が冗談であれば笑わせてくれた褒美をやろう。だが本気であるなら」
 女神は笑うのをやめて彼を睨んだ。
「――なおさらあの娘は生かしておけぬ」

 ギルガメッシュはまだ黙っていた。彼の最後のとりでを崩したのは、やはり女神だった。
「そなたが懸命に話している間、あの娘が何をしているか見てやろう。私の夫は月神であるゆえ、月が登っている間はどこでも見通せるのだ。
 …ああ、あの娘は他の男と食事しながら話しているぞ。楽しそうにな。普通の男と過ごしたほうが、娘にとっても幸せなのではないか?」

 ギルガメッシュは立ち上がった。敷物にくつろぐ女神を見下ろすことは不敬極まりない。だが、彼の怒りはもう何者にも止められなかった。

「女神よ。貴方の要求はどれも受け入れられない」
「どれも、とはな。あの娘か、それとも神々の支配か」
「すべてだ」

 王と女神の様子を恐る恐る見ていた人々は、周囲の異変に気づいた。足元が傾き、ゆっくりと床が溶けてくずれていく感覚。食器が割れて壁掛けも落ちる。建物のレンガが小刻みに揺れて、ほこり、かけら、どんどん崩れ始めた。するどい悲鳴が上がった。
「王よ、おやめください!」
 祭祀長が叫んだ。だがおさまらない。女神は口を開いた。
「――愚かなギルガメッシュよ!お前の力はこの程度か?
 お前のせいで大勢のウルクの民が苦しむ。私は義兄弟の冥界神ネルガルの力で疫病をもたらそう。息子シャマシュに命じて太陽を登らせないようにしよう。娘のイシュタルに作物が実らせないよう命じよう」
 女神の言葉を聞いた人々は、恐怖で叫び声をあげた。

「王よ、どうかお考え直しください!神の要求をお聞きください!」
「そうでなければ我々は王に従えません!」

 民の悲鳴と、王に対する非難。女神は嬉々として話し続けた。
「ほらみろ。お前の大切な民は、おまえ自身の心には価値を感じぬ。お前が強く、自分たちを守ってくれる存在だったから従っていただけだ。
 …かわいそうにな、ギルガメッシュ。神の力を前にした人間はお前を捨てるのだ」

 ひとしきり笑うと女神は「用を終えた」とばかりに宴会場を後にした。残された宴は混乱のるつぼと化していた。


■□■□■


 名前たちが食事を終え片付けようとしたとき、緊迫した表情の兵士が家に駆け込んできた。
 何事かと警戒すると、
「名前どのは至急ジッグラトへ」と息も絶え絶えに兵士が言う。「祭祀長様がすぐお越しいただくようにと」
「何かあったのですか?」
「向かいながら話します」
 外にはロバが繋がれた車輪付きの車があった。乗るべきか迷った名前がシャシャを見ると、彼は「行ってこい」と言った。
「母さんが名前を呼ぶとしたら王に関する事だ」
「……!」
 女神と何かあったのだろうか。嫌な予感がしてすぐさま車に飛び乗った。走り出すと車輪の振動が激しかった。だがそれも気にならないぐらい、名前はギルガメッシュの無事を祈っていた。


 ジッグラトに踏み込んだ瞬間に、空気が重くのしかかった。これは感覚ではない。実際に押さえつけられて、奥に進めば進むほど苦しくなる。足元も揺れて歩くことすら難しかった。
 なんとか広間にたどり着くと、煌びやかな宴会は跡形もなく、食べ物やお酒、レンガや食器の破片が床に散らばって雑然としていた。数名の兵士や侍女が残っていたが、中央にいるギルガメッシュに誰も近寄れない。

「名前さん!」
「祭祀長さん、現状は…」
「女神はジッグラトから出て行きました。伝令兵から何があったか聞いていますか?」
「はい。王が女神と口論になり、手が付けられない状態だと聞きました。王を説得して欲しいと」
 祭祀長はほとんど合っていますが、と付け加えた。
「王は今、誰の言葉も受け入れません。もしかすると名前さんの言葉も届かないかもしれません」
「…それでも、話します…」

 名前はギルガメッシュを見た。荒い呼吸をする彼は苦しそうで、目には何も映っていないようだ。名前が来たことにすら気付いていない。
 一歩近寄れば、そのぶんだけ体に重みが加わる。ほとんど床に這いつくばり、名前は苦しくて涙をこぼしながらギルガメッシュに手を伸ばした。

「ギル」彼の名前を呼ぶ。「ギル、お願い。私を見て」
「………」
「聞きたくないの? 女神様に対して頑張ってくれたんだね」
 髪に手が触れた。震える手つきで髪をなでる。
「ありがとう。…私、あなたに守ってもらってばかりだった。でも二人のことでしょう? ギルだけが苦しむのはだめだよ」
 そして彼の瞳を見つめてささやいた。

「私も貴方を愛している。半神半人の王である貴方を、誰よりも愛している。」

 名前は彼に唇をかさねた。ゆっくりと、慈しむようなキスだった。
 ギルガメッシュはようやく瞳に名前を映した。そして彼女からの口付けに驚いたのか、は、と息を吐く。すると禍々しい力が消え、ゆっくりと地面の揺れも重圧感もおさまった。

「名前……ようやく受け入れてくれるのか」
「うん。貴方を愛している」
「男性として?」
「うん。ちゃんとね」
「じゃあ証拠にもう一度口付けを」

 恥ずかしがりながらも名前はかれの要求を受け入れた。ギルガメッシュに再び唇を重ねる。彼は初めて口付けを味わうようにうっとりと目を閉じ、笑みを浮かべた。
 そしてかけがえのない宝物を離したくないように名前の背中に腕をまわし、頬をすり寄せた。


■□■□■


 広間での混乱が収まると、名前はギルガメッシュに「祭祀長さんと話してくる」と言って腕の中を抜け出した。
 祭祀長さんはほっとした表情だった。目元に疲れがにじんでいた。
「…名前さん。ありがとうございました」
「いいえ、祭祀長さんのおかげです」
 頭を下げたが、名前の目的はお礼を言うだけではなかった。「祭祀長さんに大事な相談があります」
「どうしたのですか?」

 名前は覚悟を決めるために深呼吸した。昨日からずっと女神の要求について考えていた。
 女神との交渉は決裂してしまったが、彼本来の力を引き出すことは、あの女神でなくても出来るかもしれない。
 ――それが彼に、私が残すものだ。

「神を喚ぶ方法を教えて欲しいのです」

 名前はギルガメッシュに聞こえないように、だがはっきりとした声で祭祀長に言った。



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