星の器 | ナノ


▽ 11

「この騒ぎは何?今すぐやめさせなさい!」
神殿で最も地位の高い女性が叫んだ。神殿の関係者たちは全員が慌てふためく。
「貴方はもう祭祀長ではない。」
ギルガメッシュ王ははっきりと言った。
「昼間、イシュタルの加護を受けた娘を勝手に生贄として捧げたこと。貴方が彼女をさらったということ。すべてわかっている。それでも指図するというなら、この場に集う神官、女官、群衆の前で貴方を断罪させてもらう。」
 祭祀長は唇を噛んで彼を睨んだ。だがそれが彼女に出来る最大の抵抗だった。
突然のことにどうすればいいか戸惑う女官たちに付き添われて、祭祀長…元というべきか、彼女は神殿の奥に下がっていく。
「王として判断は下した。あとは長老議会の判断が下るまで、部屋で謹慎を命じる。
 他の神官を儀式の責任者に。…ニンスン神の神官長、貴方が祭祀長を勤めて下さい。」


民衆のざわめきが落ち着くと、名前はギルガメッシュに向き合った。微笑んだが、それ以上はどうしたらいいのか分からずに間があく。
「…名前は、僕に会えて嬉しくないの?」
彼が沈黙を破った。名前は慌てて答えた。
「そんなわけないよ。もちろん会えて嬉しい!ただ…こんな風に、すごく王様なんだな、と思って…。」
もちろん彼のそばに行きたいと思っていた。それこそ命がけだった。でも、今この瞬間の彼は、幼い男の子ではなく“立派な王”の姿だった。
 すごく王様、という言葉に彼は笑った。
「名前だって、女神様じゃないか。
 違って見えるのは、僕を見る“君の目”が変わったからだ。僕は君がどんな立場でも大事だ。むしろ出会ったときより、今の僕には君は必要だよ。君と離れてよく分かったんだ。」
その言葉に名前の不安は解けていく。彼にとっても”私が必要だ”と言ってくれた。
「…ギルって口説くのが上手なんだね。知らなかった」
名前は彼の手をとった。
「王様でも。ただの小さな男の子でも。私はずっと貴方のそばにいるよ。」



日が巡る。
8日目の儀式、神々の会議でマルドゥク神に王権が授与される。
9日目、マルドゥク神の凱旋行進と祝宴。
10日目、マルドゥク神と豊饒の女神との結婚を模し、王と女神役の巫女が儀式を行う。
王の果たす最後の儀式だ。これが終われば王宮に戻る。その前に、ギルガメッシュはある人物に会いに行った。

その人物――アルマは椅子に座って窓の外を眺めていた。もう誰も祭祀長とは呼ばない。だが気品を失わず、堂々とした態度で彼女は過ごしていた。王が部屋に入ってくると、ひざまづいて頭を垂れる。
「…アルマ。名前の件で思い違いがあれば聞こう。」
彼が口火を切る。
「いいえ、陛下。あれを計画し実行したのは私です。他の者は指示に従っただけのこと。」
彼女の肩はわずかに震え、王を恐れているのが分かった。しかし言葉は静かだった。「わたしは、釈明致しません。ギルガメッシュ王を思って行ったことだからです。」
王は彼女をじっと見つめた。
「どうして、名前を消すことが僕のためになるんだ」
「それは…彼女が貴方の力を間違った方向に使わせると思ったからです。」王を見上げた眼差しには、母親役として責務を負ってきた彼女の思いがあった。
「あなたは神の力を持っています。でも同時に人間としての心があり、その不安定さや弱さがいつか命取りになると考えてきました。私は母親役として、貴方が神の力に飲み込まれないように育てなければならない。そう思って貴方に接してきたのです。
 ところが貴方は、未来の視えないあの娘を特別にあつかって『大切にしたい』とおっしゃった。あの子には神の力が働かないばかりか、常識も知らず、未熟な娘です。貴方のために、そんな娘をそばに置くわけにはいかなかったのです。」

……貴方のために。
そう言われてもギルガメッシュにとっては自分勝手な考えで、怒りが湧いた。だがその言葉が、彼女の果たしてきた祭祀長という立場から生まれた事も理解できた。

「では、この先もあなたは名前を邪魔に思うのか。」
彼はゆっくりと自分の思いを語り始めた。
「――貴方は勘違いしている。僕は名前に会う前、人が怖かった。それ以上に自分の中にある神の力が怖かったんだ。
 名前に会う前、僕は周りの人間を見ようとはしなかった。神の力は、僕に命の終わりを見せる。そばにいる人も、好きになる人も、その努力も、願いも、最後は無くなることが最初から分かっている。僕は怖かったし、悲しかった。無乾燥だった。」
 神の子として表面をとりつくろい、周りの人間と距離をとった。内面は神の力を恐れ、人間の心の弱さを嫌う。なぜ自分は中途半端に生まれたのか。孤独な問いかけに誰も答えてはくれなかった。
「でも、未来が視えない名前は、僕に生きている今そのままの姿を見せてくれた。最後の見えない彼女の物語は変化に満ちていた。そして彼女を通して色々な人と関わりが生まれて、僕は最後に死んでしまう命の価値をはじめて知ったんだ。
 最後に死んでしまうとしても、その人たちがどんな一生を送るのか知りたい。そう思うようになった。」

それだけではない。名前は『神の子』として扱われてきた自分を“一人の子ども”として励ましてくれた。弱くみじかい命をかけて、自分を支えようとしてくれた。
アルマが恐れるような間違った使い方をするとしたら、それは自分の弱さのせいなのだ。

「僕が人間に背を向けたまま成長したら、命の価値を知らず、無意味に奪うようになっただろう。
 名前と出会って、自分の1/3がなぜ人間なのか分かったんだ。なぜ完璧な神が人間を作ったのかも。なぜ神が人間の王にならないのかも。
 僕は、人間を残したまま王になりたい。半神半人のギルガメッシュとして僕は生きたいんだ。」

彼が言ったあと、アルマは黙ったままだった。やがて、堰(せき)を切ったように涙が溢れ出した。彼はしゃがんで彼女の手を取った。最後の言葉をかけるために。
「貴方には、祭祀長の地位を降りてもらう。反対があっても」
「いいえ、ありません」
 涙を拭い、長いあいだギルガメッシュの母親役を努めた女性は立ち上がった。
「…なぜか分かりました。女神ニンスンから貴方を託されて、最も神を理解しているはずの立場である私に、あなたが心を開かなかった理由を。
 私は自分の祭祀長という役目のために、貴方を縛り付けていただけだったのですね…。」





春の祭典の10日目。
夜の帳が降り、マルドゥク神と豊饒の女神との結婚を模した聖婚の儀式が始まった。まだ正式ではないが、次の祭祀長になる女神ニンスンの神官長が女神役を務める。マルドゥク神の役は……歴代の王が務めるのだが、今年も王の若さを理由に代役が務めた。

「ねえ、今年はギルがマルドゥク神の役をするんじゃなかったの?」
名前は女官たちから教えてもらっていた。
「君だって女神役にうってつけなのに、やらなかったじゃないか」
彼は冗談めいて言った。「それに名前……聖婚って何か知ってるのかい?」
彼女は少し赤くなったが「儀式でしょ。」とごまかす。
「数年後、僕が成長して儀式に出るようになったら。女神役はもう決まってるからね。」

名前が何かを言いかけたとき、儀式がはじまった。
松明のあかりで部屋が照らされ、女神は婚礼のヴェールを深々とかぶり、ゆっくりとマルドゥク神のそばに歩み寄る。神官が祝詞をとなえ、結婚の誓いと豊作、多産が願われる。
そのあと二人は手を取り、寝所へ向かう。

「…名前。」
ギルガメッシュは彼女を見つめた。松明の火のせいか、いつもより顔色に朱がさしているように見えた。
「これから、僕は自分の中にある人間の部分に向き合おうと思うんだ。これまで以上に人間らしく……我が儘とか、怒りとか、良くない部分も出しちゃうかもしれないんだけど、そばに居てくれるかい?」
名前は微笑んだ。優しい、でも揺らぎない覚悟があった。
「ギルは今でもけっこう我がままだよ。だからこれ以上増えても、私は変わらないよ。」
彼女は握っていた手にぎゅっと力を込めた。
「……ギル、私も聞いてほしい言葉があるの。これからは、私も自分ができることをやって、貴方のそばにいたいんだ。」
 名前の言葉に彼は頷いた。そして彼女の向こうに、うっすらと未来が視えた。それは成長した自分と共に歩む彼女だった。
 すると安堵だけでなく、彼のなかには不思議な感情が湧いてきた。まるで物語の続きを楽しみにする子どものように。この先は自分が実際に見たい、という思い。強く念じると、ふっと視えた未来が消えたのだった。
「――いいよ。でも、また泉に飛び込むのはやめてね。」

感じたことのない、すっきりとした明るい感情が湧いていた。
儀式の間から出て、松明の灯りが届かない廊下を歩くと、星の光が降り注いでいた。
ギルガメッシュはどこか空虚だった自分の器が満たされているのを感じた。



<おわり>




ここまでお付き合いいただき有り難うございました。
もし気が向いたら、後書きも読んでいただけると嬉しいです。



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