デウス・エクス・マキナ



「この方に長崎を案内して差し上げなさい」
立香が父親によばれて客間に行くと、少年が座っていた。年の頃は十ほど。同じくらいの男の子にある粗暴さをかんじさせない、きれいな顔立ちの男の子だった。
「こちらは益田様のご嫡男で益田四郎様だ。長崎にご遊学されていて、こちらに来られたばかりだそうだ」
「――益田四郎です。どうぞ、四郎とお呼びください」
少年は礼儀正しく頭を下げた。なんという美しい所作をするのだろう。武士の子のならいとして成人前の剃られてない前髪が、こちらに傾けられた。
「せっかく尋ねていただいたのに、商いの途中で大変申し訳ない。私が相手をできない間は娘の立香に相手をさせましょう」
「よろしくお願いいたします、四郎さま」
立香も頭をさげたが、四郎の所作にはおよばなかった。父は立香を少年に引き合わせると、「あとは任せる」と言って客間を立った。客間から出て廊下を渡れば本見世、商いの場になっている。長崎は南蛮貿易の街だ。立香の家は長崎でも十指に入る商家だった。
「四郎さま」
立香は十五になったばかりだった。少女から大人の女性に変わる手前で、少女の面影が消え、凛とした大人の女性に洗練されていくさなか。年下の少年を前にして、立香はどうしたものだろうと彼に問いかけた。
「長崎の街ははじめてでしょうか」
「いいえ、父と共に歩いたことがあります。でもゆっくり見たことはありません」
「では、南蛮の品物がたくさん並ぶ市から行ってみましょう。きっと楽しいと思いますよ」
少年は好奇心旺盛らしく、彼女の提案に目を輝かせた。初々しい反応に立香はにこりと笑った。



長崎の中心にある市はひとで溢れかえっていた。商品よりも人のほうが多いのではないかと思うほどだ。ポルトガルやオランダなど南蛮からもたらされた商品や、毛色の違う人々が行き交い、買い物よりもその珍しい様子がみたくて全国から大勢の人があつまってきていた。
「はぐれないように手を握りましょうか」
畳ほどの広さに八人はいるのではないかと思う混雑ぶりで、立香より頭ひとつ分低い四郎はすぐ埋もれてしまった。立香は彼の手をひきながら、慣れた足取りですいすいと人混みをかきわける。そして、珍しい商品を売っている店を見せ、南蛮人についての噂を聞かせながら市をそぞろ歩いた。
 ふと、四郎がなにかを探すように人を目で追っているのに気づく。南蛮人が珍しいのだろうか。立香は聞いた。
「なにかお探しでしょうか、四郎さま」
「はい。話をしてみたい人々がいるのです」
「話? どのような方と?」
立香が聞くと、四郎は曇りのない瞳で言った。「長崎にいらっしゃるバテレン(宣教師)の方です」
「それは……」
彼女は声をひそめながら答えた。「それは、とても難しいです。以前はたくさんおられましたけれど、お上(将軍)から『バテレンは追放せよ』とお達しがでてから長崎でも見なくなりました。なぜお会いになりたいのですか?」
「デウス様(キリスト教の神)の教えを知りたいんです」
四郎の口からでた言葉に驚いて、立香はおもわず彼の口を手で塞いだ。今の言葉はだれにも聞かれなかっただろうか? 幸いにも、雑踏にかきけされて聞き耳を立てた者はいないようだ。
「……四郎さま。ここには、たくさんの耳があります。うかつに口にしてはなりません」
立香は低い声で言った。というのも、彼女が生まれる二十年も前のことだが、二十六人の宣教師とキリシタンが捕らえられ、民衆の前で槍に刺されて死んだ。その中にはわずか十二歳の少年もいたという。この話を何度もくりかえし聞かされていた立香は、しぜんと体が動いたのだった。
「その教えを信じていると知られたら、一族もろとも役場に目をつけられます。どうかご内密に」
「…わかりました」
四郎は真剣な立香の表情に、状況を理解したようだった。「長崎もほかと同じような状況なのですね。南蛮の方が多いので、もっと緩いと思っていました」
「むしろ多いぶん、厳しいかもしれません。といってもすぐに処罰されてしまうわけではありませんが。でも近いうちに、お上からのお達しが変わるという噂もあります」
「なるほど。ではむやみに探し回るのはやめた方がいいですね…」
四郎が残念そうな顔をしたので立香は言った。「ご心配ありません。父が力になりましょう」
すると彼は緊張した頬をゆるませて、握っていた立香の手をそっと握り直した。
「……ありがとうございます。私の身を案じてくださった立香どのは、たいへんよい方(かた)ですね」
とつぜん作り物のようにきれいな顔立ちをした少年に褒められ、立香の鼓動はすこし早くなった。礼儀正しさのなかにお世辞も含まれるのだろうか。なんにしろ年下の子どもが言うことだ、気にすることはない。そうは思っても手に汗をかいてしまった。
 気を紛らわせるように、立香は雑踏の方へ視線を向けた。
「四郎さまは南蛮の品に興味はありませんか? ここでは日本のどこよりも簡単に手に入りますよ」

長崎で南蛮貿易がはじまったのは五十年ほど前だ。高価な品物が多かったが、めずらし物好きの人を先頭に、南蛮由来の品物がすこしずつ庶民の生活に馴染んでいた。かれが喜びそうなものはなんだろう、と考えながら立香は市を見渡した。
 あ、と声をたてて指を差す。
「こちらはどうでしょう? “びいどろ”(ポルトガル語でガラス)といって、鉛などを溶かして作るそうです。いろんな色や形があって、飾りに好まれるんですよ」
 彼の手をひいて店に行くと、店頭には多彩な飾りが並んでいた。つるりとした表面が光沢を放ち、赤や青の色、幾何学模様、どれもふたつと同じ品はない。かんざしや刀の飾りなど、老若男女問わずうっとりと品物をながめていた。
「きれいですね」四郎は感嘆の声をもらした。「宝石みたいだ」
「ええ。子供なら区別がつかないかもしれないです」
透き通ってかがやくびいどろに四郎は魅入っていた。立香はくすりと笑った。
「子供にとっては、宝石もびいどろも価値はおなじですよ」
わらった立香に彼はそう言いつつ、主人にすすめられるまま品物を手に取り、陽光に透かしてため息をついている。大人っぽいお世辞を言ったかと思えば、子供らしいところもあって、立香は四郎をかわいらしく思った。
 四郎が店内を見回っているあいだ、立香は手頃なびいどろの珠(たま)をみつけた。こっそり懐から財布を取り出す。お土産として買ってあげよう。
 先に店を出て待っていると、四郎が申しわけなさそうに駆け寄ってきた。
「……申し訳ありません。声をかけてくれたらよかったのに」
「いいえ、楽しそうにされていましたから」
 立香は「はい」と手巾を手渡す。四郎が薄い布を開いてみると、びいどろの紅い珠が手のひらに転がった。
「これを…私に?」
「はい、せっかくですから。たいしたものではありませんが、珠なら、飾りでも何でも使っていただけると思って」
 紅い珠をみたときなぜか四郎に似合うと思ったのだ。四郎はうれしそうに珠をかかげて、太陽の光を反射させる。彼の目にひかりが当たって、一瞬、目があかくみえた。
「ありがとう、大切にします」
子供らしい無邪気な笑みだった。薄い布に珠を戻し、大切そうに懐へ入れる。四郎が喜んでくれたのをみて立香は大満足だった。


そのまま一町(109m)ほど歩いたときだった。後ろからどすんと人が立香にぶつかって、立香はよろめいた。みすぼらしい身なりをした子供が駆けていき、あっ、と腰元に手をやると帯につけていた飾りが無くなっていた。
「待て!」
動揺している立香のかわりに、四郎が盗人を追って走る。みすぼらしい盗人は体力があまりなかったのか、しばらく走ると足をもつれさせ、前のめりになって地面に倒れた。なおも這いずって逃げようとする子どもを、四郎が馬乗りになって押さえた。「…諦めなさい。役場に、突き出したりはしないから」


立香が胸をおさえながら駆け寄ると、彼女の帯飾りは四郎の手元にあった。ほっとして声をかけようとしたが、四郎は反対の手で自分の財布を盗人に押しつけていた。子どもはなんの言葉も漏らさないまま財布を握る。四郎が手を離すと、はじかれたように子どもは路地へ逃げていった。
「……四郎さま」
「立香どの。このとおり、無事に取り返しました。どうぞお付け下さい」
「そんな場合ではありません。あの盗人に、財布をくれてやったのですか?」
立香が路地をにらみながら言うと、四郎は立ち上がって彼女の帯にかざりを付けた。驚きながら四郎の顔をみつめると、彼はまるで何もなかったかのように涼しい顔をしていた。
「すこし、あちらで話をしましょうか」
四郎の行動について考えながら、立香は強張った表情で言った。


市から少し行ったところに松林の美しい海岸があった。灰色の砂浜には波が押し寄せ、ざざん、ざざんと遠くの音を運んできている。立香は四郎を木陰まで案内し、かれを座らせた。
「…ここなら落ち着いて話ができるでしょう。四郎さま、どうして盗人に財布をやってしまったのですか? 子どもだからと同情したのですか」
 年下の少年を諭すつもりで立香は話した。いくら可哀想でも盗みはいけない。こんこんと厳しく話したが、四郎の落ち着いた態度にどうも調子が狂った。用意した言葉をすべて言い尽くすと、四郎はようやく返事をした。
「別に、子どもだからというわけではありません。私は大人でも財布をあたえたでしょう」
「でも盗みは悪いことですよ…」
「はい。あの子だって悪いことだとは分かっていると思います」
かれは正面から向き合いながら言った。「きっとあの子は、日々の糧を得るためにしかたなく悪事に手を染めたのです。あのお金があれば、同じことはしないでしょう」
「だからといって、盗みをしていいというわけではありません…」
四郎の堂々とした態度に、立香は言葉をにごらせてしまった。年下とは思えない物言いだ。立香はいつしか目の前の少年を、年下とは思わなくなっていた。逆に彼の話に聞き入ってしまう。
 四郎は遠くの海をながめながら、こんなことを話し始めた。
「私はさきほど『バテレンの方に会いたい』と言いましたね。教えを知りたいと」
「………」
「今の話も、ここに繋がるのです。私はバテレンから学んだという人にデウス様の教えを聞きました。そのとき聞いたことが、ずっと胸の中にあるのです。
 ……立香どの。貴女は、“愛”とはなんだと思いますか?」
 唐突な少年の質問に、立香は固まった。愛――愛なんて、これまで考えたことがあっただろうか? 少年は自分より色々なことを知っている。恥ずかしいと思いながら、それでも不思議と四郎との対話をつづけたくて、しばらく考えてから返答した。「愛とは……家族など大事な人を思いやることでしょうか」
四郎はこたえた。「ええ。それも愛だと思います。ですが“神の愛”となるとすこし違うのだそうです。その人は、神はどんな人でも同じように愛する、と言っていました」
「………」
 四郎は立香の反応を見ながら言葉をつむいでいるようだった。彼の言った教えは聞いたことがなかった。首をかしげた立香に四郎は言う。
「ええ、私も変だと思いました。世の中には悪人がいて神を信じない人もいる。でも彼は、神は善人にも悪人にも同じように愛をそそぐのだと言いました。
 どうして同じなのでしょう?と聞くと、彼はこう言ったのです。人が愛するから、神は人を愛するのではない。善いことをするから愛すのではない。神は人を愛しているのです。どんな存在であろうと関係なく、神はただ人を愛しているのだ。――そう、かれは教えてくれました」
 とても十歳の子どもが言うことではない。まるで誰かが憑依して語っているようだ、と立香は思った。少しでも言っていることを理解しようと四郎を見つめる。その横顔は、子どもには到底できないおだやかな表情だった。
「そのとき私は思いました。私も、そういう“愛”を他者に向けられるようになりたい。私を慕うから、従うから守るのではなく、どんな人でも助けたい。この世には救いを求めている人がたくさんいるのですから」

立香は彼の話を聞きながら、うっすらと口を開けた。
――四郎さまの言葉は、真剣そのものだ。
彼の理想はとても美しかった。彼自身も、まるでびいどろのように綺麗で澄んでいる。だが同時におとなびた神童は、今にも壊れそうな儚い印象を与えていた。
立香は急に心配になった。四郎のまっすぐな考えは、のちのち彼に禍をもたらすのではないだろうか。
「……すばらしい教えだと思います。でも誰かに聞かれたら危険ですよ。四郎さまは怖くないのですか?」
「はい」
立香の問いに、四郎はきれいに微笑んで答えた。「命を捧げることになっても怖くありません。つかの命を失っても、永遠の命を手に入れられるのですから※」
※キリスト教では『最後の審判』の日、まず信仰ゆえに命を落としたものが復活すると考えられている。

「そんな……命は大事なものです。軽々しく言っていいものではありません」
子どもが自分の命を捧げてもよい、という。そう思わせるデウス様の教えに、立香は背筋が寒くなった。




その日の夜、先に食事の膳に箸をつけた父は立香に話しかけた。「四郎様はどうだった。噂通りの賢い少年だったか?」
「はい」
立香は正座をしながら、指を箸にそえた。吸い物に口をつけようとしたが今日のことが思い出され、箸がとまった。
「そうか。バテレンの宗教を信じているという噂はどうだった?」
「はい、噂どおりでした」
立香が答えると、父はすこし考えるように言った。「…やはりか。鉄砲の取引の件は、慎重になった方が良さそうだな。足がつくとこちらの商売まで危うくなってしまう」
おだやかな表情で箸を運びながら、父は頭の中で常にそろばんをはじいているようだった。少年の噂をたしかめた娘に、父はふと箸をとめて言った。「立香、あの少年にあまり世の中のことを教えてやるなよ」
「どうしてですか? あの子は色んなことを知りたがっていましたが」
南蛮の神の教えすら自分のものにしてしまう少年は、そのうち色んなことに興味を持って調べるだろう。けげんな顔をした立香に父は明かした。
「あの子は故郷の天草にもどったら、“神の使い”として牢人(主君をうしなった武士)たちと反乱を起こし、農民を先導する役をするそうだ。あそこは領主に不満をもった人々が多い」
「そんな……」
きっと四郎は真面目に、不満をもった人々を救おうとするだろう。お上に逆らえば無事ではいられない。だが彼の性格からして、止められるものではないのだろう。
「気の毒なのは、彼が“神の使い”の役目を真剣にやろうとしていることだよ。なまじ神童に生まれない方が良かったかもしれない。私は、かれが本気で自分の役目をやりとげようせず、世の中のことをあまり知らないで掲げる信条を盲信できた方が幸せだと思うんだ」
「………」
父は四郎の聡明さをなげいていた。もっと他の家、違う時代に生まれれば才能を発揮できただろうと。
 ふと、立香は四郎にあげたびいどろを思い出した。きらきらと光って綺麗なもの。子供にとっては、宝石もびいどろも価値はおなじだと彼は言っていた。

――世の中のことをたくさん知れば、彼はいつか、宝石と同じ価値に感じたびいどろを見下すようになるのだろうか。




それから数年後。天草と島原でおこった一揆は大きく騒がれ、長崎にいる立香の耳にも入ってきていた。
( …あの少年はどうなったかしら )
反乱は数ヶ月続いており、ついに数日前、知恵伊豆とよばれる松平信綱様が直々に幕府軍の指揮をとりはじめたという。一揆勢に勝ち目はないだろう。
 四郎少年と話したのはあの時だけだった。デウス様の教えに命を捧げると言った少年は、自分と全く違う存在だと思った。だからこそ記憶が鮮明に焼き付き、あの松原で聞いた彼の声が忘れられない。
――彼は、あの“愛”を貫けただろうか。

( たとえ、命は失うとしても。どうか、彼がデウス様の愛を貫けますように。
 人の世に絶望せず、“人を救いたい”という願いを持ち続けられますように… )


立香は作り物のようにきれいだった少年を思い出し、あの海岸でみた安らかな表情をかれが浮かべながら散ることを祈った。




< デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)>

From 名無し様
『生前の天草、海』というリクエストを頂きました。

デウス・エクス・マキナ
……古代ギリシアの演劇において、物語が解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況を解決に導くという演出技法を指した。

タイトルは、神の使いとして困難な状況を解決する役目をあたえられた天草四郎を指します。でも四郎はただの天才少年であり、“作り物の”神の使いです。
作り物が“愛”を知ったとき、なにが起こるのか。
これを考えて書いた作品でした。おそらく四郎は真剣に神の使いを演じ、人を救おうとしたのです。しかし結果はいがみ合い殺しあう人々に絶望し、第三魔法で人を救おうと考えました(Fate Apocryphaでは)。
 主人公は「四郎が理想を抱いたまま幸せに散ってほしい」と願って終わります。ハッピーエンドではありませんが、BAD ENDとも言い切れない作品です。ご期待に添えていないと思いますが、もしお気に召していただければ幸いです。




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