2 最弱の裁定者
放課後の学校は暗かった。いつもは部活動など賑やかな声が聞こえる時間帯だが、用事のない生徒は即時に下校しているからだった。
「他に気配は?」
「いや、ほとんど…」
凛と士郎の声が人気のない廊下に響いた。
「まあこれだけやれば十分でしょう。相手もここまでの呪刻を1日に破壊されると思ってないでしょうから、きっと何かアクションを起こすわ」
学校に張られた巨大な結界。サーヴァントの正体は分からない。しかし完成すれば内部の魂を溶解する悪質なもので、2人はひとまず休戦協定を結んで結界の呪刻を破壊して回っていた。
「正体はキャスターかしら?いずれにしても魂喰いなんて、まともなマスターじゃないわね」
「ああ」
仕事を終えた2人は帰っていく。
その背中を見送る一人の女性。
「・・・ありがとう。おかげで残業が減りました。」
ここ数日、名字名前は呪刻潰しに追われていた。呪刻は潰しても潰しても復活するので全く嫌気が差す仕事だった。
「……遠坂さんの言うとおり、まともなマスターじゃないわね」
名前は鬱陶しげに呟き、背中に宿った令呪を重く感じた。
――サーヴァント、ルーラー。
あの夜、名前の身に宿った英霊のクラスだ。
裁定者(ルーラー)は正確に言えば聖杯戦争の参加者では無い。その存在は部外者を巻き込むなど規定に反したサーヴァントを罰するためにある。
裁定基準は召喚された英霊に任されるため、名前は出来るだけ部外者の被害を減らそうとしていた。
(本当はこんなことをしているマスターと
サーヴァントにお仕置きしたいけれど…)
それが出来ない理由は明白だ。
名字名前に憑依した英霊は…なんと裁定の仕事を任せ、引っ込んでしまったのである。ルーラーの『真名看破』『神明裁決』『知覚能力』、その英霊の能力『気配遮断』を彼女に譲渡して。
また英霊は「マスターとサーヴァントの組み合わせ」と「聖杯戦争で死ぬ人物」を“予言”した。だが予言の能力自体は名前に与えず、2つを告げると沈黙してしまった。
( これで聖杯戦争の被害を減らせなんて )
戦闘能力がない名前はサーヴァントと戦えば瞬殺されるだろう。彼女が生きてルーラーの役目を果たすには、できる限り存在を隠して地道に工作するしかない。
こちらの強みはルーラーの存在を知られていないこと、聖杯戦争の組み合わせと結末を知っていること、そして本好きの名前が持つ知識。
( それでも“あの人”を救う方法が見つかるなら… )
引き受けた理由を思いおこして気持ちを奮い立たせる。呪刻潰しを2人がやってくれるなら他の方法も探そう。
名前は図書館に戻ると本を開いた。
「ギリシア神話……メドゥーサの弱点は“鏡”か。」
ライダーの真名はメドゥーサだと告げられていた。
髪は生きた蛇で目は見たものを石にしてしまう怪物。戦ったら一瞬で終わりだ。英雄ペルセウスは輝く楯に映ったメドゥーサの姿を見ながら、その首を切り落とした。
「鏡をたくさん用意するのは難しいけど……」
――学校の中なら。
彼女は掃除用具の入ったロッカーから雑巾と薬剤を取り出した。「…また残業だ……っ」
……キュッキュッキュ。
名前は自分の顔が映るほど綺麗になったガラスに向かって真顔で作業を続ける。
鏡は用意できないが、学校にはたくさんの窓がある。ここに姿が反射することで、ライダーの能力を下げられるかもしれない。
「はあ・・・」
名前は発想の乏しさと無力さにため息をついた。
――くだらないことかもしれない。
でも、私はやれることを精一杯やる。
数日後の昼休み。恐れていた結界が起動する。
名前は司書として図書館にいた。『知覚能力』でサーヴァントの居場所が分かったが、うかつに動いて気づかれたら結界を止める前に殺されてしまう。
唇を噛みしめながら、図書館内だけ結界を妨害して中にいる生徒の被害を最小限にした。
(ごめんね。私が止められる時はなんとかするから……)
最弱のルーラーは両手を重ねて奇跡を願う。
その一時間後。さいわい結界はすぐ収まり、被害も少なかった。
事態の収集に駆けつけた監督役の言峰綺礼は、全体の被害状況の少なさと一部の建物内のみ被害がなかったことに首を傾げた。
「図書館棟……?」
ここだけ結界が薄かったのだろうか。だがそんなことを検討している余裕はない。
「……偶然か。」
綺礼は一瞬だけ図書館のある方向を睨むと、聖杯戦争の隠蔽工作に頭をなやませた。