9  決戦


衛宮士郎は気がつくと家ではないどこかの庭に立っていた。
あたりは一面に霧がでている。次第に目が慣れてくると見知った柳洞寺の庭だと分かり、なぜ自分がいるのか戸惑った。
やがて霧の中から女性が現れた。

「――セイバーのマスター。こんな手に引っかかるなんて本当に甘いのね。」

女性は深くローブをかぶっていて顔が見えない。しかしここが柳洞寺だとすると女性の正体に心当たりがあった。
「お前はキャスター…!」
士郎は身構えようとしたが、糸のようなものがからまって身動きできない。
――なぜ、自分はここに。
その問いを見透かしたようにキャスターは答えた。
「貴方がここまで歩いてきたのですよ。私の糸に導かれてね。ここは私の陣地内、その糸も私が命じないかぎり解けません。」
「っ…」
にらみつける士郎に対してキャスターは微笑んだ。
「あら怖い表情ね。大丈夫、貴方の魂を食べるために呼んだのではないのですから。用があって呼んだのです。」
「用、だと…?」
訝しそうに士郎がキャスターを見つめると、その背後から小柄な女性が現れる。士郎はその女性に見覚えがあった。
確か、学校の図書館にいた……
「ごめんね、衛宮くん。私がキャスターにお願いして貴方を呼んでもらったの」
「君はキャスターとグルだったのか…?」
遠坂はたしか“名字さん”と言っていただろうか。驚いている士郎に、彼女は申し訳なさそうな顔をした。「糸を解いてあげて。彼は女性にとつぜん殴りかかる人じゃないから」
「分かったわ」
キャスターが素直に従うあたり、この女性はただ者ではない。まさか彼女がマスターなのだろうか。糸が急にほどけてふらついた士郎の体を、彼女は支えた。
「ちゃんとした自己紹介がまだでしたね。私は名字名前、貴方の高校で司書をしています。この聖杯戦争のルーラーもしています。」
「ルーラー…?」
聞き慣れない単語に士郎は眉をひそめる。聖杯戦争の関係者には違いないが、ルーラーとは聞いたことがない。名前は他のサーヴァントにもしたように、ルーラーとはどんな役職なのか、どんな役目を負っているのか話した。
彼女――名字名前が、聖杯戦争を競う相手ではないと分かると、士郎はだいぶほっとしたような表情になった。

「名字さんはあの言峰を救うためにルーラーになったのか」
「ええ、でも残念ながら私に宿っている英霊は表に出なくて…だからキャスターに魔力を供給するかわりに協力してもらっているの」

なるほど、と事情を理解した士郎に名前は切り出した。
「……衛宮くん。貴方も私に協力してくれないかしら。」




「そこまでだ、セイバー!」
柳洞寺の山門では剣戟が激しく交わされていた。その応酬が青年の一声によって止む。青銀の鎧に身を包んだ少女は彼を見るなり叫んだ。「シロウ、無事だったのですか!」
「ああ、セイバー。迎えに来てくれてありがとう」
「ご無事で何よりです」
セイバーと呼ばれた少女はホッとした表情で言った。
しかし今度は士郎の背後に立っているキャスターと黒髪の女性に気づいて眉を潜めた。「…後ろのお二人は?事情を話していただけるでしょうか。」
「ああ。」


士郎は連れてこられた理由と名前達の申し出をセイバーに話した。
セイバーはときどき質問を挟み、事情を理解する頃には名前に深く頷くようになっていた。
「監督役の言峰神父が加担していたとは……。にわかに信じがたいですが、そうであればアーチャーの存在にも納得がいきます。私と彼は前回の聖杯戦争で戦っていますから。
それで貴方はこの聖杯戦争の裁定を下す立場として、言峰神父を裁こうと考えているのですね。」
セイバーは真っ直ぐな目で名前を見る。嘘は許さないが、正当な理由なら協力しようという彼女の高潔さがにじみ出ていた。
「ええ…彼らに聖杯を渡してはいけない。」名前は応えた。
「それは私も同感です。」
セイバーは頷きながら言ったあと、ちらりとキャスターをみた。「キャスターとアサシンもそれに同意しているのですか?」
「もちろんよ。聖杯を譲る気はありませんが。」
セイバーとキャスター。女性サーヴァント同士は一瞬鋭い視線を交わした。セイバーは士郎のほうへ向き直った。
「あとは士郎の判断です。私は貴方のサーヴァントですから決定に従います。」
その言葉に士郎は頷くと、名前達に手を差し出した。
「…もちろん決まってる。名字さん、手を結ぼう。」
名前は微笑んで士郎と握手を交わした。



セイバーとの同盟を提案したのはキャスターだった。今のままでは綺礼たちに対抗できない。セイバーも放っておけば負ける。高潔な騎士王なら事情を説明すればこちら側につく可能性もあるだろう、と。
彼女の読みは見事に当たった。また、前回の聖杯戦争をセイバーから聞いて分かったことがいくつもある。

1つ、聖杯は5騎の魂を捧げれば召喚できるということ。2つ、聖杯を召喚する際に器となる魔術師が必要だということ。
 1つ目について既に消失したのは3騎だ。あと2騎と考えると、最優のセイバーを倒すより敵は柳洞寺に攻め込んでくる可能性が高い。ここを制圧すればアサシンとキャスターの2騎を捧げられるからだ。
そうなれば柳洞寺は戦場になる。名前は葛木宗一郎に協力してもらい、出来るだけ僧侶たちを外出させたりキャスターと一緒に居住区の防御結界を張ったりした。
 2つ目の聖杯の器になりうる魔術師は冬木に3人いる。凛とイリヤは自己防衛してもらうとして、間桐桜にはキャスターが使い魔を送った。

万全の準備をしても勝てるかは分からない。でも協力してくれるキャスターやアサシン、セイバーと士郎たちの存在がとても心強かった。
そして、その日は突然やってきた。




――夜。あわただしく鳴る携帯を名前はとった。電話の相手は衛宮士郎。向こうの空気は緊迫していて、すぐさまキャスターに表へ出てもらい、名前はスピーカーフォンにして周囲を警戒した。

「衛宮くん、そっちの状況は!」
『セイバーと出かけて、帰ってきたら遠坂が血を流して倒れてたんだ。遠坂はイリヤが言峰に誘拐されたって、柳洞寺に行くだろうって言うと意識を失った』
「何をしに出かけていたの?」
『言峰と話しに教会へ行ったらランサーたちと戦闘になって…』
「そんな……じゃあ、相手は正体がばれて焦ったから聖杯の完成を急いだのね」
名前は状況を把握して歩みを早めた。「衛宮くん、戦う準備をしてすぐ柳洞寺に来て。おそらく私たちがやられたら、すぐ聖杯が現れるから」
『ああ』

襲来の予兆に名前の心臓は気持ち悪いほど大きく打った。士郎たちが来るまでに、アーチャーとランサー、綺礼を食い止めなければならない。まさに山門の前で小競り合いが始まったのを感知した。
でも居るのは……アーチャーだけだ。ランサーと綺礼は一体どこへ?

名前は焦ったが、まずキャスターの幻術で火事と見せかけて僧侶たちを山に避難させた。急いで柳洞寺の中に戻ると同時にアサシンの消失を感じる。名前は歯を食いしばって、アサシンの消失した方向を睨んだ。
寺に入る山門。そこから堂々と入ってくるアーチャーが目に入った。
 
「女……また会ったな。こちらに逃げ込んでいたか。」
アーチャーは黄金に輝く鎧をまとい十全の姿だった。先ほどアサシンと戦闘したのに怪我は一切なく、その強さがうかがい知れる。彼は待ち構えていた名前を怪訝な表情で見た。
「この様に待ち構えているとは……やはり貴様には特殊な能力があるようだ。教会に入ってこられぬよう結界を張ったときも、我とランサーが居ない事を分かっていたな。さしずめサーヴァントの位置を知る能力か。」
「………」
アーチャーは名前の特殊能力を見きわめているようだった。名前は動揺をさとられないよう大きな声で言う。「アーチャー、貴方だけで来たはずがないわ。綺礼とランサーはどこへ?」
「さあ? 答えてやる義理はない。我に傷の一つでも負わせてみれば答えてやろう。」
「……っ」

――落ち着かなくては。
ルーラーの『知覚能力』でランサーは教会にとどまっていることが分かった。だがどう考えてもおかしい。この状況で柳洞寺に来ていないのは。
綺礼を探しに行くべきか迷った。しかし単体のアーチャーは綺礼がいるより倒しやすく、キャスターも名前がいた方が強い。
迷った挙句、名前が身構えると彼は口元をゆがめた。「…ほう、聞き出すつもりか。」
「名前、下がっていなさい!」
アサシンを援護していたキャスターが戻り、アーチャーの間に立ち塞がった。肩に傷を負い血が滲んでいる。
「…女性を誘うにしては無粋ね。いいわ、安い挑発でも乗ってあげましょう。神代の魔術の餌食になりなさい!」

キャスターの背後にいくつもの魔法陣があらわれた。瞬く間に空を覆う。と、その気迫に挑発されたのかアーチャーも宝具を取り出した。
1つではない。3、5、10……無数の剣や槍があらわれ、名前は息をのんだ。どの武器も英雄殺しの力を備えている。

「神代と言ったな」アーチャーは不敵に笑った。
「我は神という言葉が嫌いでな。…神代の魔術と人の作った武器、どちらが強いか一興ではないか!」


その言葉を皮切りに、魔術と武器の激しい応酬がはじまった。名前は流れ弾にあたらないように背後へ下がって援護する。
アーチャーの攻撃は強力だった。しかし名前が令呪を魔力に変換して与え、膨大な魔力がキャスターの防御と攻撃を加速させる。強力な攻撃と尽きることない魔術の勝負。
 勝負は長引くように思えたが、首元を狙った攻撃をアーチャーが避けた瞬間、金の鎧に傷がついた。すると彼はぴたりと攻撃をやめ、傷をつけられたにも関わらず笑んだ。

「ふん……約束だったな。さあ女、貴様の能力でランサーの場所をさぐってみろ」
「………」

アーチャーはこちらを伺っている。きっと慌てたら相手の思う壺だ。そう思いながらも、名前は無言でランサーがいる場所を確認した。
先ほどまでランサーは教会にいた。
今は――……反応自体が無い。
は、と気付いた表情をした名前を、アーチャーは蔑む様に見下ろした。
「昼間、教会に雑種とセイバーが来たのだ。綺礼は雑種の始末を命じたが、あの狗はこちらに噛み付いてきてな。ちょうど聖杯にそそぐ魂が足りなかったゆえ始末した。ただし先ほどまで虫の息で生かしてあった」
アーチャーは笑っていたが、ぞっとするほど冷たい表情だった。
「我がアサシンを倒し、キャスターと交戦している頃に自害するよう綺礼が命じたのだ。貴様のサーヴァントの位置を知る力を妨害するためにな。
 小賢しい能力だ。だが、そのせいで貴様は選択を誤った。」
「っ…最初からアーチャーを殺すつもりで…」

名前はランサーの事を思い出して胸が苦しくなった。あのとき、契約を切ってあげていたら。でも綺礼を殺させないためには仕方なかったのだ。後悔しても仕方がない。
――では、綺礼はどこに…?
アーチャーとアサシンの魂が聖杯に捧げられたならば。聖杯の出現に必要な5騎の魂が……


「ちょうど良いタイミングだったようだ」
背後に迫っていた影に気づかず、名前の柔らかい首元に黒鍵が突きつけられていた。両腕は片手で押さえられ、少しでも身動きすれば刃が喉に突き刺さる。
「聖杯の召喚には成功した。どうやらお前の負けのようだ、名前」
「き、れい…」
振り返る必要はなかった。綺礼は耳元でささやいた。「キャスターに攻撃を止めるよう指示しろ」
名前は叫んだ。
「私のことは気にしないで、キャスターは戦って!」
「無駄な抵抗はよせ。諦めて命乞いをしたほうが良いと思うが?」
名前は叫んだが、キャスターは背後の魔法陣を消した。彼女は名前の悔しそうな表情から目を逸らす。
アーチャーはその様を、ふん、と鼻でいなした。
「もう終わりか……まあ、令呪で援助されてもこの程度だ。そろそろ決着をつけるとするか。」
彼は背後から大きな剣を取り出した。
「それで、女よ。どうやって綺礼を救うつもりだったのだ?」



名前は首に冷たい金属を突きつけられながら、アーチャーの鋭い眼差しに射抜かれていた。こんな状況で私にどうするか聞くとは。
――英雄王は、楽しんでいるのだ。
私が涙を流しながら命乞いするところを見たいのだろうか。彼の赤い目に名前の無様な姿が映っていた。
「ほお……お前は我がかけた情けを裏切るというのだな。貴様が綺礼を救うとほざいたから見逃してやったというのに。」
「……っ」
命を救いたいと思った相手に剣を突きつけられ、目の前はさらに強大な敵。恐怖に染まる名前の表情を英雄王は楽しんでいる。
「ではその不敬、死をもって償うがよい。
 綺礼よ、日頃の忠義に報いてこの女を殺させてやろう。救いたいと願った相手に殺されるとは……無様な羽虫でも、慟哭の涙は甘いやもしれぬ。」

高い笑い声が夜闇に響いた。




綺礼は深く頷いた。女を締め付ける腕の力がさらに強くなる。
――想像しうる最高の状況だ。
醜く歪んだ男を知りつつも、救うつもりでやってきた女。絶望にゆがむ彼女をこの手で殺す。希望が失われ、命が奪われる瞬間をこの目に焼き付けよう。
それは最高に愉悦を感じさせる瞬間に違いない――…

「綺礼」
名前が口を開く。たぶん救ってくれと懇願するのだろう。
「私が死んだら貴方は救われるの?」

思わずのぞき込んだ顔は、亡き妻クラウディアと重なって見えた。







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