お弁当シリーズ

第13話

ソファも壁も全て吹き飛ばすような衝撃がウェイバーを襲った。とっさに体を縮め、風が収まってから顔を上げる。リビングの壁が半壊し、外がわずかに見える。
金色の煌めき。英雄王その人が、ウェイバーの前に立っていた。

「あまりにも煩いので来てやったわ。
 貴様、我を侮辱したな。あとで覚えていろよ」
「英雄王…!」

自分で願ったはずなのに、なぜ来てくれたのか分からずウェイバーは唖然としていた。どの言葉に反応した?臣下?馬鹿? 質問すれば酷い目に遭いそうなので言葉を飲み込んだ。
彼は怪物の前に対峙する。「…この者の願いの形か。醜いな。」
そう呟くギルガメッシュの背丈は怪物より低いのに、まるで見下しているような威圧感だった。
「聖杯によって死ぬ人間が淘汰されるのは良いと思うが、醜いものが君臨するのは好かん。
貴様は聖杯にどんな願いを託したのだ?その姿と同じように醜ければ、王の前での醜態を罪とするぞ」
 怪物はとつぜん現れたギルガメッシュに戸惑ったが、豊富な魔力に目が眩んで唸り声を上げた。強力な魂。自分の器を満たしたい。完成したい。
「その魂を寄越セ…!…満たされない、満たされたい…!」
「ほう、我欲のためというか。おのれの足りぬものを他人から得たいと、秩序なく、美学なく暴欲のみに支配されたのだな。」
 ギルガメッシュはうすら笑いを浮かべると、王の財宝から戦斧を引き出した。「身の丈に合わない願いを抱くのは悪くない。だが、他者から奪おうとする盗人は、この王の財宝の敵だ。」
 そう言うなり戦斧を振り下ろした。肉塊に突き刺さり、怪物が悲鳴をあげる。混乱した怪物はギルガメッシュに手を伸ばし、自分の方へ引き込んだ。彼の肌に侵食の泥が触れる。その泥は触れたものを容赦無く汚染する。
しかし怪物の中で聖杯が…黒い光の塊のようなのものが……拒絶するように、点滅する。
「あいにくと我はそいつに一度飲み込まれ、吐き出されたのだ。二度と取り込めるとは思っていまい!」
 その言葉通り、彼は取り込まれることなく肉塊を引き裂いていく。苦悶の声があがる。ウェイバーはあまりの光景に、怪物の方へ哀れみが向いた。
「英雄王、外に言峰神父と衛宮切嗣がいる。2人が入ってこられるようにすれば、その男と聖杯の処分は引き受けてくれる!」
 ウェイバーの言葉にギルガメッシュは振り返り、頃合いだと思ったのか空に向かって戦斧を振りかざした。鈍い衝撃が走り、外では家を覆っていた結界にひびが生じる。

ずっと外で待機していた2人は結界の亀裂に気づいた。その亀裂に切嗣は起源弾を打ち込み結界を乱す。綺礼はその間に福音を唱え、怪物から黒い泥が溢れ出すのをウェイバーは見た。
そして全て吐き出されると、ゆがんだ黒い聖杯が形になって宙に浮かんだ。
「……っ」
“聖杯”。ゆがんだ塊が、過去にそれを追い求めて戦った3人の前に現れた。
 ウェイバーは純粋な目でその奇跡を焼き付けようとした。切嗣は2回目に見たそれを禍々しく見つめた。綺礼はそれを無言で見た。
 そして綺礼が用意していた箱に聖杯は独りでに入り、蓋は閉じられた。
「……終わりだ。教会の依頼は完了された。」



黒い泥が消え去った跡に男が横たわっていた。意識が戻ってくると周りを見渡す。半壊した家。自分を見下ろす青年と2人の男。
状況を察した男は起き上がろうとした。
「行かせない」
綺礼は動こうとした男を押さえ込む。男は振り払おうとする。その手に彼の武器である黒鍵が握られそうな気がして、切嗣は声を発した。
「やめておけ、この男が裁かれるべきなのは警察だ。」
「魔術の秘匿に関わった。それに、ここで処分されても仕方のない男だろう?」
「違う。…処分されて当然の男だが、彼を裁きたい者は大勢いる。その人たちの目の前で裁かせるんだ。」
 切嗣は聖杯に取り憑かれた男を悲しげな目で見た。男が聖杯を求めた理由はわからない。しかし、自分も過去に聖杯へすがりたくなるような望みがあったのだ。
 男は自分を警察につきだそうとしている彼らに激高して叫んだ。
「離せ!何の権利があって捕まえるんだ!自分の欲望を満たして何が悪い!」
「…お前が静かにして抵抗しないなら、命は奪わない。」
切嗣は言った。綺礼がぐっと力を込めて地面に押さえつけると、男はようやく静かになった。今度は両手を差し出し、あっさり恭順の意を伝える。綺礼が手を縛ろうと両手を男から離した。
「言峰!」
次の瞬間、男は隠し持っていたナイフを振りかざした。綺礼の血が地面に散る。だがナイフがもう一度閃くより早く、切嗣は男に向かって銃を撃った。
 ドンッ。
ウェイバーは男の血が飛び散るところを想像して目をつぶった。風が煙の匂いを運ぶ。……ゆっくりと開いたが、血は飛んでおらず男が唖然として腰を抜かしているだけだった。
「そんなものは、正義じゃない。人の上に振りかざすものじゃない。」
切嗣が撃ったのは空砲だった。男は撃たれていない。
彼は再び、銃を男に向ける。
「また逃げようとしてみろ。どこまでも追って、お前の心臓に風穴を開けてやる…!」


警察に電話をする切嗣を見ながら、ウェイバーは彼がなぜ男を撃たなかったのか考えた。
もちろん男は殺すべきではない。しかし魔術師殺しと呼ばれた彼が“一般人だから殺さない”という基準でそうしたのではないと思ったからだ。
「あと10分程度で来るそうだ。」
電話が終わってウェイバーが質問しようとしたとき、綺礼が口を開いた。
「……それで、名字名前だが。
 彼女の処分をどうするか決めるべきだ。」



『彼女の処分をどうするか決めるべきだ』
その言葉に3人の視線が合った。しばらくの無音。
一番初めに声を発したのは綺礼だった。
「やはり教会で保護すべきだ。それが一番確実だろう。」
「…お前の言う“保護”とは、操作をするということだな?」
切嗣は鋭く言った。「保護とは“この間の記憶を消す”ことだろう。」
「ああ」
綺礼は顔色一つ変えずに言った。切嗣はその冷たい顔を憎らしく思った。
この数ヶ月、英霊や聖杯と関わったことに魔術の秘匿という理不尽な理由を押し付けるのだ。巻き込まれて犠牲者になった側の名前に。
切嗣は唇を噛み締めた。理不尽で納得がいかないが、それ以外の方法が思いつかなかった。
 すると2人のやりとりを見ていたウェイバーが、突然思いついたように手を挙げた。
「ちょっと待って。僕に考えがあるんだ。
 彼女の記憶を消す必要はないかもしれない。」


「僕は捕まっている間に名字名前と話したんだ。」
ウェイバーは話した。
 彼女はアーチャーを亡くなった恋人だと思い込んでいること。自分の周りで起きた数々の怪事件を、亡くなった恋人が救ってくれたと勘違いしていること。そしてアーチャーが会いに行かなくなって、『もう彼はいなくなってしまった』と思っていることを。
 また名前は男が怪物になる前に意識を失い、怪物の姿を見ていない。自分も怪物のことを話していない。聖杯など知らず、ただの誘拐事件だと思っている。


「…だから、わざわざ記憶を消さなくても“こちら側”に気付いていないんだ。」
「なぜ、“こちら側”に疑問を持たないと言える?」
綺礼は反論した。まったく理解ができないという表情だ。
ウェイバーは綺礼を納得させられるか分からないが、自分のなかでぴったりの言葉を見つけた。
 大切な人の記憶。それは、“不可能を実現可能だと思わせる力”を持っている。
「それは……亡くなった恋人を、その記憶を大事にしたいから。彼が救ってくれたと思うことで、前向きに生きていく決心がついたんだから、疑ったりしないよ。」


ウェイバーの言葉を切嗣は黙って聞いていた。
( 亡くなった恋人…か )
切嗣は美しい女性のことを思い出した。アイリスフィール。
彼女は幸せを苦痛と感じる僕を愛してくれた。救いなく、希望なく、未来もない中で、僕を愛してくれた。
『わたしが取りこぼした幸せがあるなら、残りは全部イリヤにあげて。あなたの娘に、私たちの、大切なイリヤに。私が見られなかったものを、全部…』
 久しぶりに銃を撃った手は反動で疲れていた。こんなに銃を重く感じたことはなかった。男に向かって空砲を撃った理由。それは自分の中に生じた“命への執着”だった。
(…アイリ、僕は君を救えなかった。みっともなく生きている僕を君はどう思うだろう。 でも、今の僕は生きたいんだ。士郎とイリヤに、君に見せられなかった美しいものをみせてあげるために。)

そう思うようになった切嗣の中で、同じ命に対する哀れみが生まれていた。
「ウェイバー・ベルベット…。全く根拠のない君の意見だが、僕も賛成する。」
切嗣はしずかに、だが力強く言った。ウェイバーが嬉しそうに顔を上げる。
「わざわざ消す必要はない。記憶は大事なものだ。名字名前が”前向きに生きたい”という気持ちになったなら尚更。
 これで2対1だ、言峰綺礼。お前はまだ反論するか?」
「っ……」


綺礼は思った。まったくウェイバーや切嗣の意見がわからない、と。
亡くなった恋人?
自分なら出来事を冷静に分析し、私情を挟まず合理的に解決するだけだ。記憶を消しても辻褄が合うよう脳が誤認するのだから。死者は死んだら死んだままだ。
 それとは別に、切嗣があの男を空砲で撃ったとき、まるで自分が撃たれたような気持ちになった。
( 自分を満たしたいという欲望。あの2人よりずっと理解できる…! )
空虚な自分を満たしたいと思ったこの男は、あの2人よりもずっと共感を持てた。当然の願いではないか。自分自身も……。
今自分が取り押さえている男を見下ろした。無様な末路。聖杯の力で怪物に成り下がってしまった。
 もし自分が聖杯に取り込まれたら、同じように変化するだろうか。



遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
男を縄で縛って放置し、名字名前が救助されるのを遠目で見守っていると、何か言い忘れたことがあったのかギルガメッシュが現れた。
「……あっけない幕切れだったな。」
ギルガメッシュは全てが終わったと思って呆けている青年に声をかけた。
「おい、貴様。我への侮辱を忘れていないだろうな?
その断罪、死に等しいぞ。」
振り返ったウェイバーは、自分の首がギシギシと音を立てるのを感じた。



「お詫びに……まさかこんな事するなんて…」
数日後。ウェイバーは冬木教会の居住区にあるキッチンに立っていた。目の前には血の滴る鶏肉、赤いトマト、切ると涙が出る玉ねぎ、落とした首みたいなマッシュルーム。おどろどろしい表現になってしまったが、やることはお分かりだろう。
「あんがい、アーチャーも楽しんでたんじゃ…」
ウェイバーはバイト先で数日間、修行をしてきた。チキンライスをパラパラにする方法、卵を綺麗に巻く方法。一応形にはなったと思う。黄色いつやつやした半円にケチャップをかけると、ギルガメッシュの前に置く。
彼は無表情でスプーンをその半円に入れ、口に含んだ。
「……おかしいな。貴様、本当に同じレシピで作ったのか?」
口に合わなかったらしい。
「腕はちがうけど配合は同じだ。」とウェイバー。
「…まったく、味が違うな。」
そう呟いた彼に、どうしてか理由を説明する必要は無いな、とウェイバーは思った。





夏が終わり、涼しい風が吹いてくる。私はいつものようにベンチに座ってお弁当をひろげる。
「…いただきます。」
あのときも同じ状況だったのに、お弁当をひろげたときの気持ちで味はまったく違う。一緒に食べる人がいるかどうかでも違う。


私は昔、好きだった人のためにお弁当を作り始めた。その“お弁当”を通して繋がりが生まれ、たくさんのことを私に教えてくれた。

『お姉さん』
卵焼きを頬張ると、彼の記憶と一緒に、男の子の声が聞こえた気がした。




<おわり>

ここまで読んでいただきありがとうございました。
あとがきで詳しく作品の解説をおこなっています。


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