お弁当シリーズ

第12話

女性は意識を失っている。しかし胸が規則正しく上下し、眠っているだけなのが分かった。
ウェイバーは数少ない自分の魔術が役に立つ状況に感謝した。彼の魔術は基礎的な強化や解析。解毒。女性に解毒を試みると、淡い反応とともにうっすらと女性の目が開いた。
「…名前さん…名前さん!」
「……?」
意識が戻ってきているようだ。眠っていたなら、幸いにも男が怪物に変化したところを見ていない。
「あなた…誰…?」
知らない男性が自分の名前を呼んでいて、手足を縄で縛られている状況。
ハッとした表情をして、しっかり衣服を着ている事を確認してから、同じく縛られたウェイバーを見た。明らかに異常事態だ。何があったか思い出そうと顔をしかめる。ウェイバーは彼女が混乱しないよう、落ち着いた声で説明した。
「君は、眠らされていたんだ。
 ぼくたちは今監禁されている。」
「……!」
彼女は「誰に」とは言わなかった。そこまでの記憶はあるらしい。「…どういうことですか?あなたは?」
「僕はウェイバー・ベルベット。……探偵だよ。」
とっさにごまかす。「あの男を調査していたんだ。君のことはその途中で知った。名字名前さんだね。」
「はい」
名前はウェイバーを真っ直ぐ見つめた。
「あの男は犯罪者だ。君が危ないと思って家に入ったんだけど、同じように捕まっちゃったんだ」ウェイバーは力なく笑った。
「そうだったんですね。すみません…」
少しだけ冷静になったようだった。2人縛られて浴槽にいる状況。なんとかして脱出しなければとウェイバーは考えた。立香も周りを見て言う。
「私はこの家のリフォームを担当しているんですけど、ここは2階のシャワールームみたいですね。シャワーの音が1階に響かないようにしてあるので、叫んでも住民の人に気づいてもらえる可能性は低そうです。」
「それって、僕たちの話が男に聞こえにくいってこと?」
「…はい、そうなりますね。」
名前は頷いた。ウェイバーはできるだけ声を落としながら言った。
「実は僕だけで来たんじゃないんだ。外には仲間がいる。その人たちが助けてくれるまで頑張ろう」
外の様子は一切わからない。ウェイバーは彼女に元気を出して欲しくて言った。
 あの怪物と戦わないといけないのか? いつやってくるのか?
 一人身震いしながら、なんとかしようと頭を働かせた。



切嗣は吹き飛ばされ、窓から家の敷地外に叩きつけられた。とっさに受け身を取ったが衝撃に身をよじった。綺礼が彼に駆け寄った。
「っ…聖杯は…!」
「ああ、まずい、起動したようだ…」
綺礼は外から聖杯を感じていた。どうやら宿主の危機に反応したらしい。魔術で切嗣の怪我を直す。強い力で弾かれたらしく、怪我自体を治してもまだ衝撃が体に残っているようだった。いまだに苦しそうな切嗣が話す。
「現状は……最悪の一歩手前だな…。ウェイバーが中に残っている。おそらく魔力のない名字名前は栄養にして、彼を核に聖杯を復活させるつもりだろう。」
「彼が抵抗できる可能性は?」
「厳しい。僕の不意打ちですら対抗できなかった。彼はあきらかに戦闘向きじゃない。」
切嗣は家に向かって消音銃を打った。銃弾はまるで見えない壁があるように跳ね返された。結界が張られてしまっている。
「再侵入も難しいか…」
綺礼はため息混じりに言った。「対抗できそうなアーチャーは、この件から手を引くと宣言してしまっている。」
「名字名前が『危険な状態にある』というのは知っているが…」
2人は無言になった。
だが切嗣は、同じ状況下でも緊張感が違うことを敏感に察知した。
「…こんな状況なのにあんたは落ち着いているな。まるで危機感を感じていないようだ。」
「いや、感じている。焦って事を仕損じないように振る舞っているだけだ。」
静かな火花が2人の間で散った。




狭い浴槽のなかで出来るだけ楽な姿勢をとろうとして、ウェイバーは天井を仰いだ。
自分が捕まってから20分は過ぎている。おかしい、なぜ2人は助けに来ないんだろう。最悪の事態を想像した。もしあの2人が怪物にやられていたら……。
硬い表情をしていると、名前と目があった。彼女を守るって決めたんだ。僕の不安を移してはいけない。
 ウェイバーは状況を確認した。場所は2階のシャワールーム。声は外に届かない。おそらく名前がまだ意識を失っていると思ってこの場を離れたのだろう。お金目的でないなら、被害者がもがく姿を楽しむタイプの殺人犯だ。
そうであれば離れた理由がつく。意識を戻す時間まで来ないつもりなら、その時間が勝負だ。
でも何の妙案も思いつかなかった。
「名前さんはリフォームの会社に勤めて長いの?」
ウェイバーはせめて彼女の緊張をほぐそうと話しかけた。
「いいえ、今年の4月から働き始めたばかりです。ウェイバーさんは日本に住まれて長いんですか?」
「いいや、去年の冬にロンドンから来たんだ」
すると名前が「どうして日本に?」と聞いた。以前のウェイバーならごまかしたくても話題がなく、答えに窮しただろう。
「…げ、ゲーム。日本のゲームが好きで来たんだ。」
口からスルッと出た言葉に、こんなときばかりはアイツが置いていった荷物のことを有り難く思った。いや、彼が残していったものは物だけじゃない。今こうやって殺人犯と対峙しながら名字名前とのん気に話しているのもアイツのせいだ。良くも悪くも。
 ウェイバーの意外な答えは名前の表情をやわらげてくれた。彼はずっと気になっていた英霊のことを聞いた。
「実は前に名前さんとは会っているんだ。僕のアルバイトしていたカフェで。そのとき、男の子と一緒じゃなかったかい?」
「……はい。」
名前は静かにうつむく。少し寂しそうで、聞いてはいけないことだったかと心配になった。
「カフェで食べたオムライスとパフェ、すごく美味しかったです。一緒に食べた男の子はもういないんですけど。」
アーチャーのことだ。本当に会わなくなったのだろう。どんな関係だったか知らないが、会えなくて残念に思っていることが伝わってきた。
「どんな男の子だったんだ?」
「不思議な男の子でしたよ。」
名前は思い出すために少し遠くを見た。
「ある日突然現れて、一緒にお弁当を食べるようになったんです。週に一回。私のお弁当を美味しいと言ってくれて、ただ、それだけの関係でした。」
「どこから来たとかそういうのも知らなかった?」
ウェイバーは彼女のきれいな横顔を見ていた。

「はい。でも、私はずっと思っていたんです」名前は微笑んだ。
「亡くなった彼が来てくれたんじゃないかって。」




名前なりに考えていた。なぜ自分がピンチにおちいったとき助けてくれる人が現れるのかと。
その男の子は、私のお弁当を「美味しい」と言ってくれた。一番最初に食べるのは卵焼き。どれも美味しそうに食べてくれた。
男の子はピンチの時に不思議と駆けつけてくれた。同じ金髪赤目で、大人のときもあった。
……どれも普通に考えればありえない。でも、亡くなった彼のしわざなのだと思えば納得できる。

――桜の下で泣いていた私。みっともなくて、心配になった彼があの世から来てくれたんじゃないだろうか。

そうでなければ理解できないような出会いだった。




「…もしこのまま死んじゃったら嫌なので、ウェイバーさん、聞いて貰っていいですか。」
名前は言った。
「いつもお弁当を食べながら話すと、彼に会ってるみたいで救われました。彼に前を向いて頑張れ、って言われてるような気持ちになりました。
会えなくなって寂しかったけど、私も“独り立ちして生きていかなきゃ”って決意したんです。
“お弁当”を通して、彼からたくさんの物を貰いました。だから何があっても、私は頑張って生きたいと思います。」

それを、いったい誰に向かって話しているんだろう。
ウェイバーは思った。念じた。
( 英雄王。お前のせいで生きたいって思った女を、アンタは見殺しにするのか。 )
くそっ。諦めてしまえれば、楽だったかもしれないのに。彼女を助ける力があるのに高みの見物をしているアーチャーのことが憎くてしかたがない。
ウェイバーは決心した。
「男がいつ戻ってくるか分からない。でも大丈夫、僕がなんとかするから」
「ウェイバーさん…」
「名前さん、僕を彼とその男の子の代わりだと思ってくれ。信じて待っていて欲しい。」




ウェイバーは前に手をつき、後ろの体を引き寄せ、なんとかシャワールームを這い出た。出る前に名前から、北側は床が軋みやすいこと、反対側に階段があってそちらはカーペットが敷かれていて音が出にくいことを聞いた。
 正直に言って、今の状況を打開する方法は難しかった。これだけ待っても切嗣たちが来ないのは事情があるに違いない。もちろん自分だけ逃げるのは論外。犯人と戦うしか無いが、聖杯の力をもった男に勝てるわけがない。
( 芋虫みたいだな )
彼は自嘲した。ひ弱な芋虫がクモの巣に立ち向かっていく。でも羽化して立派な蝶になれるかは、自分しだいだ。
床にくっつくよう出来るだけ低く体勢をおき、前へ進む。階段に差しさしかかり、落ちないように、音を立てないように一段一段体を這わせた。
目指しているのは名前のバックが置いてあるはずのリビングだ。
彼女からアーチャーが現れたときの状況を聞いた。そして、渡されたという防犯ブザーのことを知ったのだ。
( 英雄王を、ここに呼べれば……! )
本当にただのブザーなのかもしれない。でも、強力な魔力を帯びたものであれば何かが起こせるかもしれない。無力な自分を奮い立たせるため、ウェイバーは期待にしがみついた。

しかしリビングに近づくにつれ、ウェイバーの第六感は最悪の状況を訴えた。あの異様な気配が近づく。
恐る恐るリビングを覗くと、ソファに男のなれ果てが座っていた。しかし反対を向いている。身を低くして、椅子の上に置かれている名前のハンドバッグへ縛られた両手を伸ばした。

「…やあ、大人しく待っていなかったようだね。よく音を立てずに来たなぁ。」
怪物は振り返らずに優しく言った。ウェイバーは震えたが、バッグを掴む。
「残念、そこには携帯は入っていないよ。」

青年が絶望の表情をしているのを期待して、怪物は振り返る。
しかし、ウェイバーが浮かべていたのは未だ折れない勝機の表情。彼は小さなキーホルダーを握りしめ、腕力と魔力を込めた。

( 英雄王・・・! )

念じる。1秒。3秒。5秒。
…何も起きない。何の音も、爆風もしない。ウェイバーは息を吸い込んだ。


「防犯ブザーですらないのか…!
 なーにが英雄王だ!臣下を見殺しにする気か馬鹿っ!!」


次の瞬間、壁を吹き飛ばすような衝撃が彼を襲った。



<つづく>

ようやく彼に伝えたかったことが言えた。
ずっとあなたを想っていました。


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