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  甘美なる夢


さわさわと風が吹く。
千切れた葉が飛んで、甘い花の香りが辺りに漂う。辺りは白みがかって明るく、朝なのか昼なのか判断出来ない微妙な色合いに包まれていて、ライムは二三度ゆっくりと瞬きをした。そっと手のひらを握り込んで開く。指先と周囲の境目が曖昧で、緩やかに溶け出していきそうだと思った。

歩いてみても地面を踏みしめる感覚は遠く、柔らかそうな芝生が足元で小さな音を立てるだけ。

こんなにも明るいのに、生き物の気配がしなかった。そよぐ風も青々と茂る植物も存在するのに、辺りは眠るような静けさに包まれている。けれどそれがここでは当たり前のようだった。誰に説明されなくとも、ライムにはそれが良くわかった。

「ライム」

懐かしい声が、耳をくすぐる。
柔らかく真っ直ぐなその音を聞き間違えるはずが無い。

ライムは瞬き、ゆっくりと振り返った。

純白のドレス。繊細なベール。長い睫毛に縁取られた、鮮やかなグリーンの瞳。色素の薄い白い肌。歩む度たっぷりとした赤毛が背中でさらりと揺れる。

「────っ」

懐かしいその姿に、胸が詰まった。

くしゃくしゃに顔を歪ませたライムを見て、目の前の女性は形の良い眉をハの字にして困った様に微笑んだ。


────ああ、そんな表情をさせたいわけじゃないのに。

ごめんなさい。
そう思っても、届かない。私はいつでも、周りを哀しませてばかりいる。

「ライム」

これは、夢だ。
そうでなければおかしい。

失った過去。
奪った人も奪われた人も、どちらも大切過ぎて選べなかった。迷って先延ばしにして、そして結局全てを失った。自分の無力さを嫌という程痛感させられた過去の象徴。それが、彼女だ。

「貴女は自分を責め過ぎるわ」

そっと、やわらかな手つきでライムの頬を撫でる細い指先には温度が無い。俯けていた顔を上げると間近で視線がぶつかった。星を閉じ込めたエメラルドの瞳。瞬く光。慈愛に満ちたその眼差しはまるで、聞き分けの無い子どもを見守る母親のようで。

込み上げた、感情。

「っ、リリー……! 」

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

言葉にならない叫びが胸の内から迸り身体を突き上げる。胸が、喉が、全身が引き絞られるように痛む。
身体を震わせて顔を覆うライムを宥めるように抱きしめて、リリーはゆっくりゆっくりとただ優しく頭を撫でた。何度も何度も、繰り返し。宥めるように。愛おしむように。髪を梳き、触れる手のひらの感覚がやけにリアルで────止まらなかった。

「ご……めん、なさい……っ! 」

優しさに甘えて、苦痛から逃れて、後回しにし続けた結果が、これだ。

全て、失ってしまった。

無力で、遣る瀬なくて歯痒くてたまらない。

“助けたい”だなんて傲慢で、私一人足掻いた所で時代の流れは変わらなかった。小さな波紋が時に大きな変化を引き起こす事もあるけれど、それを制御する事までは出来ないのだ。だってそれは人の範疇を越えている。

私にはただ知識があるだけ。知っているのは事実に過ぎない。それもある一人の人間から見た、ほんの一部の事実だけ。
それなのに、自分の大切なものだけ、失わないように足掻いてる。

ならば見落とされた人達は? 一人の命が散った裏で、知らない命が無数に散っているのに。

全てを救おうなんて傲慢だ。でも、選ぶ事も身勝手だ。

何を選んでも後悔ばかり。後悔しない道を選びたいと願うのに、私はいつでも悔やんでばかりいる。

二者択一。
ふたつは同時に選べない。なのにそのどちらも大切なのだから、失って当然なのかもしれない。

────けど。

「ライム」

甘くて苦い、その微笑み。

これが夢だと知っている。
目覚めた時に訪れる喪失感に私はきっと泣くのだろう。

けれども夢でもいいから逢いたかった。姿を見て声を聞いて、触れて抱き締めたくてたまらなかった。


再び傷を抉る事になろうとも、その痛みすらも、今の私にとっては甘かった。


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