過去の残像を
日本からの編入生。学年は五年。編入先はスリザリン。人当たりは悪くないが特別親しい友人はいない。成績は比較的良い方で勉強熱心。実技が得意で教師との仲は概ね良好。
ライム・モモカワについて、現時点でわかっている情報はそれくらいだ。
出自は不明。純血なのかもわからず、調べようにも出身国が違うため確認も取れない。年齢の割に落ち着いた態度やリドルに対する反応から考えるに、何か裏がありそうなのだが一向に尻尾が掴めない。ライムに関しては、決定的に情報が不足していた。
直接近付いた方が何かと探りやすいかと思い近づいたものの、ライムは中々本音を漏らさなかった。かと言って、避けられているわけでもない。
信頼しているには警戒心が強く、リドルを疑っているにしては敵意が弱い。優位に立っているのはこちら側の筈なのに、本当は違うのではないかと思う事さえある。
どちらにしろ、思ったより時間がかかりそうだとリドルは考えた。
「全く、厄介な女だ……」
周囲に聞こえないほど小さな声で吐き捨てつつ、リドルは図書館への扉に手をかけた。
軋んだ音を立てて開いた扉の向こうから、籠った空気が流れだす。
休暇前という事もあってか生徒の数はいつもより少ない。リドルはさっと辺りに視線を走らせ近くに知り合いがいない事を確認すると、図書館の書架の間を滑るように進んだ。
古びた本と埃の匂い。しんとした空気。時折聞こえる囁き声と本のページを捲る乾いた音が、漣のように辺りに広がった。
天井まで続く本棚の群れを縫って、リドルは図書館の最深部へと進んで行く。凡そ生徒の興味を引かないジャンルの文献ばかりが納められている事もあってか、この辺りまで入り込む生徒は滅多にいない。そのせいか少々埃っぽいのだが、人がいないのならさして気にはならない。
向かう先は本棚の奥。誰も知らない、秘密の空間。
────なのに。
「っ、何で」
君が、ここにいるのか。
舌の先まで出かかった言葉をぎりぎりで止めて、リドルは口を引き結んだ。
テーブルに、二脚の椅子。いつも無人のその場所には、ここ最近で見慣れた人の姿があった。
「ああ、リドル」
顔を上げたライムが首を傾げてやわらかに微笑みかける。少しだけ開けられた窓の隙間から、冷たい風が細く吹き込んだ。それはレースのカーテンと一緒にライムの髪を揺らして、甘い香りを吹き散らす。
「リドルも勉強? 」
「……ああ」
「そうなんだ」
ライムは驚いた様子も無くそう言うと、静かに本をテーブルに置いた。その仕草はごく自然なもので、おかしなところは一つも無かった。リドルは柄にも無く動揺した事を恥じたが、それにライムが気付いたのかはわからない。
「ここ、人がいなくて落ち着くね。良かったら座って」
勧められるままにリドルは椅子を引く。かたんと小さく音を立てた椅子に腰掛けると、ライムは開いたままの本にそっと栞を差し込み閉じた。
「もしかして、ここってリドルの指定席だった? 」
何処か申し訳なさそうに、ライムはそう尋ねた。
「……いや、確かによく利用するけれど、僕の席という訳では無いよ」
僅かに湧き上がった不快感を押し込めて「気にする必要は無い」と続けると、ライムは困ったように瞬いた。
「……そうだな、では、あまり他の生徒には教えないでくれると助かるな。図書館の奥にこんな特等席があると知れたら、僕は貴重な息抜きの場所を一つ失ってしまうからね」
「わかったわ」
ホッとしたように頷くライムを見て、今日は随分と大人しいなとリドルは思った。
この前は遠慮無く文句を言ったり意見をぶつけてきたくせに、今日はこうして遠慮しているように見える。未だにリドルとどう接するべきか、悩んでいるのだろうか。
「────そういえば、先日はどうも」
「先日? 」
「ホグズミードさ。君がいたお蔭でスムーズに買い物ができたよ」
「……でしょうね。お陰様でこちらもあれ以来、中々スリリングな毎日を送っているわ。廊下を歩いているだけで、女の子たちの目線が刺さるもの」
ふう、と吐息を吐き出したライムの口調は思ったより明るい。言葉とは裏腹にその響きには棘が無く、それどころか楽しそうですらある。その真意が掴めずリドルは内心首を捻った。
「思ったより嫌そうではないんだね」
「そんな事無いよ。これでも充分嫌がっているつもり」
「その割に、余裕だけれど」
リドルの探る目線にも怯まずに、ライムは口元に意味深な笑みを浮かべた。
「そう見えるなら、そうかもね」
本棚ひとつ隔てただけなのに、喧騒は遠かった。疎らに聞こえる足音とざわざわという息遣い。隔離された空間では時間の流れまでもが緩やかで、不思議と落ち着いた。
始めは警戒していたリドルも、今はライムの向かいで本を読んでいた。沈黙が苦ではない相手というのは案外貴重だ。ライムを信用している訳では無かったが、こうして一緒の時間を過ごすのは嫌いではなかった。
「窓開けていて寒くないのかい? 」
冷たい風が髪を揺らす。窓が少し開いたままだった事を思い出し、リドルはライムに声を掛けた。
「ああ……寒いけど、結構気持ちいいの。ずっと室内にいると何だか息苦しい気がして」
そう答えながらも、口にしたらやはり寒くなってきたのか、ライムは窓を閉めるために席を立った。レースのカーテンを引いて窓枠に手を掛けたライムの動きが止まる。ガラス越しに見えた空に、ふわふわと白い綿が舞っていた。
「あっ、雪だ」
声には喜色が滲み、吐息に窓が白く曇る。広い校庭の地面を斑に白く染める雪は淡く、重さを感じさせずにしんしんと降り積もっていく。
「雪なんて、大して珍しくも無いだろう」
ライムの肩越しにその様子を眺めたリドルが素っ気なく言い放つ。
「……珍しいよ」
それは小さな声だった。少しだけ、泣きそうに聞こえた。けれどリドルがそれを確かめる前に、ライムは一転して明るい声を上げリドルに向き直った。
「ねえリドル、雪合戦しようか」
「は? 何を言い出すのかと思ったらまた……」
この寒いのに、雪合戦だなんて。
下級生ならまだしも、この歳になってまでそんな遊びをしたがる感覚がリドルには理解出来なかった。
「そんなにやりたいのなら、一人でやればいい」
「雪合戦は一人じゃ出来ないよ」
「なら誰か別の人を誘うんだね。僕は御免だ」
「リドルは私の世話係でしょう」
「……僕には君に世話係が必要だとは思えないんだけれど」
「ディペット校長直々の依頼なのに? 」
ライムの瞳が悪戯っぽく輝く。断られるなんて微塵も思っていなそうなその顔が、今はとても憎らしい。
「私、ちゃんとリドルの話し相手になっているでしょう? なら、リドルも私の遊び相手になってくれてもいいと思うんだけどな」
暫しの無言。長い見つめ合いの後で、リドルは観念したように息を吐いた。
「ああ、もう……! ……後で、少しだけだよ」
「やった! ありがとう、リドル」
渋々了承したリドルにライムは飛び上がって喜んだ。再び窓の外を見て、楽しそうに笑う。
「積もったら、外に行こうね」
一体何がそんなに嬉しいのだか。上機嫌なライムとは対照的にリドルは不機嫌そうに眉を寄せて視線を手元の本に落とした。
「約束ね、リドル」
だからその時ライムがどんな顔をしていたかなんて、気にも留めていなかった。
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