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  誰より近くて遠い人


週末のホグズミードは買い物を楽しむ魔女や魔法使いで溢れていた。
 
笑いさざめくローブの波。色とりどりのマフラーを巻いて、幸福な空気を纏った生徒の群れがゆったりと石畳を歩く。その中に溶け込むように、ライムはハニーデュークスでたっぷり買い込んだお菓子を抱えて歩いていた。
 
蛙チョコにグミベアー、ヌガーたっぷりのチョコレート。小さなガラス瓶の中で宝石みたいな飴玉がこつんと音を立てる。欲しいものを片っ端から籠に詰め込んだせいか、その量の多さにレジのおばさんが目を丸くしていたのが何だか可笑しかった。進む度スカートの裾が揺れ、腕に抱えた紙袋がかさりと音を立てた。

ホグズミードに来るのは久しぶりだった。在学中は中々外出許可が下りなかったし、卒業してからも不用意に城からは出られなかったから、実は数える程しか来た事は無いのだ。だからこうして何も気にせずただの学生として歩き回れるのは気分が良い。
 
────しかし、さすがに半日近く歩いていると疲れてくる。そろそろ三本の箒にでも行こうかななんて考えているライムの耳に、ふと遠くからバタバタという足音が聞こえてきた。休日の午後に似つかわしくない慌ただしい空気が通りを吹き抜け、ライムの気を引いた。足音の主を確認しようと足を止め、そちらを見ると。

「────リドル? 」
 
走って来たのはリドルだった。背後に見える人影は皆、手を上げてリドルを呼び止めようとしている。

「一体何事? 」
「っ、ライム? ……ちょっと付き合って! 」
「はっ? えっ、ちょっと!? 」
 
反論する間も無くリドルに手を引かれ、ライムは強制的に走り出す。石畳の道はでこぼことして走りにくく、ライムは転ばぬよう足元を見ながら走るので精一杯だった。
 
揺れる視界に映るのは、石畳の道と前を走るリドルの靴。磨き上げられた黒革。はためくローブが時折視界を遮って、眩暈のように色を変える。息が上がって脇腹が痛む。掴まれた手は、冷えているのに熱かった。

「っ、はぁ……ここまで来れば、平気か」
「はぁ……はぁ……っ」
 
潜り込んだ先は人気の無い細い通路だった。足を止めた途端前かがみになり膝に手を当てて息を整えるライムの横で、リドルは建物の壁に背を預けて周囲を伺っている。 
 
「ちょっと、何なのっ、リドル」
「ああ、ごめん。ちょっと厄介な相手に追いかけられていてね。撒く必要があったんだ」
「それっ、私まで道連れにする必要、あったの? 」
「勿論。撒いた後が問題だからね。鉢合わせした時の理由が必要だろう? 」
「……それって、まさか」
「言っただろう? “ちょっと付き合ってくれ”って」
「承諾なんて、してないんだけど」
「どうせ一人なんだろう? なら別にいいじゃないか。君の買い物にもちゃんと付き合ってあげるんだし」
「一人がいいから、一人で来たのよ! 」
 
失礼な! と憤慨するライムの意見など何処吹く風。リドルは「まずは羊皮紙からだ」と言い放って、ライムの腕を引いて通りへと進んで行った。
 
 
****
 
 
「────ねえ、もういい? 」
 
声には疲れが滲んでいた。道の端で立ち止まり、ライムは隣で買った物を次々と鞄に詰め込むリドルを呆れたように見た。既にホグズミードの店は一通り回り終え、散々買い物した後だ。 
 
「ああ、欲しいものは買えたよ。お陰様で、ね」 
 
案の定途中で何度も女生徒に呼び止められたが、リドルはその誘いを笑顔で断っていた。ライムをダシに。 
 
「拡張呪文、使えたのね」
「ああ、便利だからね。重くて嵩張る荷物を抱えたまま動き回るなんて面倒じゃないか。第一、君のそのバッグにだって掛かっているだろう」
「……便利だからね」 
 
覚えるのは大変だが、使えるようになればこれ程役立つ呪文も無い。まるで四次元ポケットだ、とライムは思ったが、リドルに言っても通じないだろうからやめた。

「君の方はもういいのかい? 」
「ええ。もう充分買い物したから、今はとにかく休みたいわ」
「そう。じゃあひとまず三本の箒に──」

言いかけて、リドルはぴたりと口を噤んだ。吹く風が俄かに強まり、熱がすうっと引くように気温が下がる。空を見上げれば、濃い灰色の雲が頭上に迫っていた。雨の前兆だ。この国は本当に雨が多い。

「……降りそうだ」
「本当だ。通り雨かな」
「だろうね」
 
間を置かず、ぱた、と冷たい雫が仰向いた頬を打つ。間を置かずさあさあとやわらかな雨音が一面に広がり、見る間に石畳の色を変えてゆく。湿った水の匂いの後で、辺りには土の匂いが立ち込めた。 

「あっちだ」

二人は急いで目に付いた建物の軒先に駆け込んで、雨宿りしながら天を仰ぐ。空は鉛色に滲み、分厚い雲が一面を覆っていた。
 
「うわー……急に降ってきたね」

雨音は重さを増して叩きつける。ライムが壁に寄りかかって辺りを見渡すと、通りを歩いていた他の生徒も皆雨宿りしに行ったのか、既にその姿は何処にも無かった。人気の絶えた通りは静かで何処かもの悲しい。世界から切り離されたような不思議な感覚が、ライムの全身を緩く包み込む。その陰鬱な雰囲気を振り払うようにライムは口を開いた。
 
「────本当に、逃げちゃって良かったの? 今頃探しているんじゃない? 」
「問題無いさ。どうせ大した用事じゃあない」
「そんなのわからないじゃない」
「わかるさ」
「勝手ね」
「僕だって、たまの休みくらい自由にしたいんだ」
 
なら一人でいればいいのにと思ったが、その一言はそっと飲み込んだ。
 
────相変わらず、リドルの考えは良くわからない。ただの気まぐれなのか何か裏があるのか、取り繕うのが上手いリドルから本音を読み取る事は難しい。危険だとわかっていても、気になってしまう。
 
以前とまるっきり同じ関係なんて築けない。あの時のライムと今のライムは違うし、リドルと交わした会話も過ごした時間も、似ているようで違う。
 
自信なんて無い。いつだってそうだ。
時折、物凄く恐くなる。また同じ結末を辿るのではないかと。あれ以上に悪い未来があるのではないかと。

「何を考えているんだい? 」 
 
間近で見るリドルの瞳は美しく、暗い空の下で黒曜石のように謎めいて見えた。探るように真っ直ぐに向けられる視線を静かに受け止めて、ライムはそっと微笑を返す。
 
「リドルの事を」
 
面食らったように崩れたリドルの表情に、ライムは声を上げて笑った。反対にリドルの表情は曇る。

「リドルも驚くんだね」
「からかうなんて趣味が悪いね」
「リドルには言われたく無いな。いつもの仕返しよ」
 
二人の間に人一人分空いた空間を、雨まじりの風が吹き抜ける。
 
「──君の考えは、良くわからない」
「……そういうものでしょ。私もリドルの考えなんて、わからないもの」
 
ほんの一瞬、間が空いた。
返す言葉がつっかえて、吐息混じりの声でライムは答えた。

「……そう」

抑揚の無い声で、リドルは答えた。
伏せた目元に掛かった影が、より一層リドルの感情を読み取り難くする。
 
少しでも、わかりたいと思ってくれたのだろうか? ────わからない。リドルの考えはいつも。
 
「そうだよ」
 
手を伸ばせば触れられる距離にいる。けれど決して触れられない。触れられる程、気持ちは近くない。
もどかしさと歯痒さが、ライムの胸の内で急激に湧き上がる。

「わからないんだよ」

口にしてしまいたかった。けれどそれは出来なかった。投げ出すなんて、無理だった。


雨は止まず、音は止まず、けれど僅かに雨足は弱まっていた。


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