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  掻き傷から綻ぶ日常


カリカリと、ペン先が紙を掻く音がする。羽ペンの動きをなぞるように継ぎ足されたインクが染み込み、流れるような曲線を描くアルファベットの羅列が羊皮紙を埋めてゆく。

ライムがそっと目線を上げるとすぐに、向かい側に座るリドルの整った顔が視界に入った。伏し目がちな目元には長い睫毛が陰影を描き、その視線は真剣に手元の羊皮紙へと注がれている。


リドルと休日の図書館でばったり行き合い、話の流れでこうして一緒に課題をする事になった。周りの目が気にはなったが断る理由も無かったし、何よりこうしてリドルと二人で過ごす時間というのは貴重だったので、ライムは二つ返事で了承した。

リドルの書く文字は綺麗だ。書きにくい羽ペンを使っているとは思えない程すらすらと手を動かした後には、飾り文字のような文章が記されている。それを見る度、流麗とはこういう文字を指すのだろうとライムは思う。
 
「どうかしたのかい? 」
 
ふと、目線を上げたリドルがライムに声をかける。ライムは自分がじっとリドルを見つめていた事に気付いて、慌てて口を開いた。
 
「えっと、レポート書き終わったんだけど、何だかしっくり来なくて……」
「見ても構わないかな? 」
「うん、勿論」
 
手元の羊皮紙を手渡すと、リドルは慣れた様子でそれに目を通す。伏せった目元に長い睫毛が影を落とす様が美しく、目を引いた。

「そうだな……内容自体はとても良くまとまっていると思うよ。あえて言うなら、ここの部分の論理が少し弱いかな。説得力を持たせるためにももう少し強い根拠が欲しい。この文献は読んだかい? 」

リドルは手元の小さな羊皮紙にある本のタイトルを書き付けると、ライムに示して見せた。見覚えの無いタイトルにライムは首を振る。

「そう。ならオススメするよ。確かこの本の第五章に詳しい記述があったはずだ。よければ参考にして欲しい」
「ありがとう、助かるわ。早速探してみるね」

ライムに羊皮紙を返してから、リドルはチラと時計に目を向けた。その様子にピンと来て、ライムは訪ねた。

「もしかして、何か用事? 」
「えっ? ……ああ、実はスラグホーン教授のところへちょっと行かなければならないんだ」
「そうなんだ。引き止めちゃってごめんね。本は戻しておくから、気にせず行ってきて」
「けど」
「課題もあと少しだし、平気よ。リドルのお陰で早目に終わりそうだし、本当に気にしないで」
「ありがとう。じゃあお言葉に甘えて、そうさせてもらうよ」

立ち上がり、机に広げてあった本を閉じると、リドルはすまなそうに眉尻を下げてライムを見た。

「僕の方から声をかけたのにすまないね。また何か聞きたいことがあったら、遠慮せず声をかけて欲しい」
「ええ、そうさせてもらうわ。今日はありがとう、リドル。またね」
「ああ、また」

そうして手早く荷物を纏めると、リドルは足早に出口の方へと去っていった。

その背を見送りながら────律儀なものだとライムは思う。
編入して一ヶ月ちょっと。リドルは与えられた“世話係”という役目をしっかりと果たしている。何かに付けて声をかけてはライムを気遣い、相談に乗り、こうして合間を見つけては勉強まで見てくれる。

トム・リドルは優しい。優し過ぎる程に。

「ふぅ……」

大きく伸びをし、気を取り直して課題を仕上げようと椅子の位置を直した所で、コツンと何かが爪先に当たった。絨毯ではない硬い感触に違和感を覚えて机の下を覗き込むと、絨毯に埋もれるようにして足元に一本の羽ペンが落ちていた。

「もしかして、リドルの? 」

拾い上げ、しげしげとそれを眺める。羽根の部分が少々黄ばんだそれは、年季こそ入っているようだが手入れが行き届いていて一目で上等なものだとわかる。
念のため数を確認してみたがライムの羽ペンは全て揃っている。ならばこれは恐らくリドルのものだろう。

「どうしよう、リドルとは夕飯まで会わないし……」

羽ペンの一本くらい後でもいいか、とも思ったが、人前で渡せばやはり目立つだろう。今はまだ平和に過ごせているが、ただでさえ反感を買いがちな立場にいるライムとしては他の生徒の前ではあまりリドルと接触はしたくなかった。今ならばまだ追いつけるかもしれない。そう判断して、ライムは思い切ってリドルを追いかけることにした。


****


思ったよりリドルの足は速かったようで、急いで図書館を出てもその後ろ姿は既に何処にも無かった。丁度そこに偶然通りかかったスリザリン生に声をかけリドルの行方を知らないか尋ねると、先程上階に向かう姿を見たと教えられたのでライムも直に階段を登った。

探し人の声が聞こえてきたのは、ライムが人気の無い廊下に差し掛かった時だった。

曲がり角の先でリドルと向き合う男子生徒の姿を見つけて────ライムは声をかけようと開いた口を即座に閉じた。

「……どういう事だ? マルシベール」

冷ややかな声。何時ものそれとは違う不穏な気配を感じて、ライムは咄嗟に甲冑の影に身を隠す。ぼそぼそと抑えたトーンの会話は聴き取りにくく、この距離では内容までは把握できない。けれどそっと覗き込んだ先に見えるリドルの表情がいつになく厳しくて、ライムは眉を潜めた。

リドルの前に立つのは背の高い男子生徒。ネクタイとローブからスリザリン生だとわかる。────恐らくリドルの取り巻きだ。

つまりこれは、いわゆる“見てはいけない”場面なのではないか────直様そう気付いたが時既に遅く、自身のタイミングの悪さにライムは内心舌打ちした。

「ですからモモカワは……」

話題はライムの事らしかった。距離が離れているため良く聞こえないが、名前が漏れ聞こえてきたから確実だろう。……これは不味い。非常に不味い。明らかに居合わせてはならない場面だ。不可抗力とはいえ立ち聞きしている事がバレたら、確実に面倒な事態になる。

どうやってこの場を離れるかと考え始めたところで────ふと、背後から小さな音が聞こえた気がして、ライムは振り返った。

「っ!? 」

思わず声を上げそうになって、既の所で飲み込んだ。振り返った先、並び立つ甲冑の後ろにアブラクサス・マルフォイがいた。
前後を挟まれた状況に、ざっと血の気が引く。

何で、どうして、いつから?

四面楚歌とはこの事か。しかし焦るライムとは対照的に、アブラクサスは落ち着き払っていた。ライムと目が合うと慌てる様子も無くゆるりと微笑を浮かべ、人差し指を立てて唇に寄せた。一体何を、と警戒を強めるライムに向かって、遂には手招きまでしている。

(こっちに来い、って事? )

でも、と廊下の先にいるリドル達を振り返る。アブラクサスはそんなライムを安心させるように頷くと、甲冑の影から抜け出し曲がり角の向こうへと歩いて行ってしまった。

どうする、追う? 残る?
追えば色々と追求されるだろう。だが残ればリドル達に見付かる。どっちにしろ、後が無い。

────ああもう、どうにでもなれ!

腹を括ると、ライムは足音を忍ばせて素早くその場を抜け出した。


****


予想に反して、アブラクサスは何も聞いてはこなかった。それどころか、あの場所を離れて随分経つというのに未だに何も話さない。遅くも速くもない速度を保ち、ただ先導するように黙々と歩くだけ。

「何故、何も聞かないんですか? 」

寮への道すがら、人気の無い廊下に差し掛かった所でライムは前を歩くアブラクサスに疑問をぶつけた。足を止めたライムを振り返って、アブラクサスはゆっくりと首を傾げた。

「聞いて欲しいのかな? 」

どうして。何故そう余裕でいられる。あの状況を見て、何も問い質さないだなんて変だ。

「そういう訳じゃ、ないですけど……」
「その割に、納得いかないという顔だね。……どうやら私より、君の方に聞きたい事があるようだ」

足を止め壁にもたれると、アブラクサスはライムと向き合う。聞く姿勢になったアブラクサスに、恥を捨ててライムは問うた。

「どうして、助けてくれたんですか? 」
「君が困っているように見えたものでね」
「それだけ? 」
「おや、この理由では不満かい? 」
「……そうじゃありません」

不満ではない。ただ、不可解なだけだ。
この人が何を考え、何を目的としているのかがわからない。どんな人なのかも。アブラクサス・マルフォイは原作では名前しか出てこない人物だし、前にライムがここにいた時にもほとんど関わった事が無かった相手だ。

「自寮の後輩を助けるのは当然の事だ」

言っている事は正しい。けれど強烈な違和感を残す。数瞬迷った後、ライムは思い切って斬り込んだ。

「貴方はリドル側の人間でしょう」

流れが変わるのを肌で感じた。
アブラクサスは楽しげにその目を細め、居住まいを正し値踏みするようにライムを見つめた。

「君は面白い事を言う」

猫のようだ。高貴で、プライドの高い美しい猫。一見優しげで親しみやすそうに微笑むけれど、誰にも懐かない。するりと近寄り甘えて鳴くのに、此方から触れる事は許さない。

「私は確かにリドルの才覚に惚れ込んではいるが、誰かと敵対しているわけではない。側という表現は適切ではないと思うよ」

幼子を諭すような柔らかい口調で、アブラクサスは答える。

「────それとも、リドルがそういう人間に見えるかい? 」
「……いいえ」

見えない。少なくとも、ライムに見せる面だけで言えば。けれど知っている。リドルはそういう人間だと。やはりこの話をするなんて迂闊だったか。だがこの機を逃せば真意は問えない。
そんなライムの内心の葛藤をも見越したように、アブラクサスは悠然と微笑む。

「君は随分と素直なようだ」

喉を鳴らして軽く笑う。
油断無く見据える瞳は冬の湖面のように冴えて鋭い。

「これ以上、秘密を嗅ぎ回る事は勧めない。幾らスリザリンの同胞とはいえ、命の保証が出来ないからね。ここはそういう所だ」
「嗅ぎ回る、って」
「ああ、すまない。少々言い方が悪かったようだ。君は運悪くあの場に居合わせただけだったね」

疑っているわけでは無いよと補足するアブラクサスに、ライムは警戒を強めた。諭すような口調はあくまで優しく丁寧だが、纏う空気は何処までも冷たい。

「ただ普通の生徒として暮らしていれば、何も危険は無い。危険に自ら飛び込む者はグリフィンドールだけで充分だ。最もあれは、勇敢ではなくただ無謀なだけだが」

流し目に、ぞくりと背筋が冷える。また、この目だ。黄金色の冷たい瞳。リドルとは違う危険を孕んだそれ。

「君は無謀ではないだろう? 少なくとも私は、そう考えているよ」

だから失望させないでくれと、言外に告げるアブラクサスに、ライムは何も返せなかった。


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