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  水面下の攻防


朝の大広間には、食器の擦れ合う音と軽やかなお喋りの声がぼんやりと漂っている。会話の内容はベールに包まれたように遠く、耳には残らない。早朝という事もあってか人影はまばらで、その光景はライムの目に少し寂しく映った。

魔法で外の天気をそのままに映した天井は薄曇りで、ライムの気分を反映したように物憂げに低く垂れ込めている。そういえばここ一週間はまともに太陽を目にしていない。晴れ間の少ないスコットランドの天気は沈んだ気持ちを更に重くさせる。天気が良ければ外に出て湖の畔で日向ぼっこでもするのになと思いながら、ライムは噛み砕いたベーコンを飲み込んだ。

「フクロウ便だ」
 
誰かのつぶやきに誘われて視線を上げると、丁度開け放たれた窓から色とりどりのフクロウの一団が隊列を組んで飛び込んでくるところだった。見慣れた、けれど少し懐かしい光景にライムは目元を和らげそっと左腕を掲げる。するとその中の一羽、茶色の森フクロウが群れを抜け出しその手に降り立った。
 
「ありがとう、ご苦労様」
 
配達された新聞を受け取り代金を支払うと、森フクロウは一鳴きしてから再び宙へと飛び上がった。その姿をしっかり見送って、ライムは日刊預言者新聞を広げる。一面に載せられた写真の中に写し出されているのは、荒廃したロンドンの光景だ。
 
「第二次世界大戦、か」

The Blitz────ロンドン大空襲。1940年9月7日から1941年5月10日まで行われたという大規模爆撃。一年以上の時が経ってもなお、その爪跡は深く各地に残っているようだ。

歴史上の出来事をまさかこうしてリアルタイムで傍観する事になるなんて、どうして予測出来ただろう。

魔法界にいるとあまり自分のいる時代が気にならない。ここが異世界だと実感する機会は多いけれど、過去だと実感する機会は案外少ない。そもそも魔法界で使われているもの達がマグル出身者からすれば古いものばかりなのだ。羊皮紙に羽ペン、インクにラジオ。真っ暗な夜の灯りはランプや松明で取る事が多いし、暮らす場所は隙間風吹く石造りの古城。普段の生活では縁の無かったものばかりで、それらは却って目新しく思えた。
 
ホグワーツは森深い山中にある上にマグル避け呪文を始めとした様々な防御呪文が施されているから、まず空襲の被害を受ける心配は無い。ここにいる限りは外の世界の戦争に巻き込まれる事は無いのだが、マグル出身の生徒はそう安心してもいられないだろう。自分は安全でも、家族もそうとは限らない。

「これじゃあマグルの評価は落ちる一方だよなぁ……」
 
度重なる戦争。世界中が争っている現状は、誰が見てもいい気持ちのするものではない。
 
リドルの────ヴォルデモートの考えに賛同する者が多かった理由の一端が、ここにあるのかもしれない。
昔はどうしてあんな過激な思想が受け入れられたのかと不思議でならなかったが、こういった時代背景があればマグル排斥の流れが生まれるのも、ある意味仕方の無い事なのかもしれないとライムは思った。

「……だからって、認められるものじゃあ無いけどね」
 
思ったより問題は根深そうだと、ライムは小さなため息を吐いた。


****
 

薄暗い廊下を進み、地下への階段へと踏み込むと周囲は更に暗さを増した。明るいグリフィンドールへの道のりとは真逆にスリザリンへの道のりは暗い。地下という事もあって階段を一段降りる度空気は冷たく澄み渡り、床には重たい冷気の層が堆積していた。

合言葉を合図に、静かに入り口が開いてライムを中へと招き入れる。
談話室を見回しても人の姿は少なく部屋は普段より静かだった。まだ多くの生徒が大広間か自室にいるのだろう。
 
「おはよう、ライム」
 
暖炉の側のソファーにリドルが座っていた。既に食事は終えたのか、一人で優雅に本を読んでいる。その身だしなみには一部の隙も無く、シャツの合間から見えるネクタイは緩む気配も無い。エメラルド色のランプの灯りがリドルの白い肌に冷たい光を投げかけ、その輪郭を曖昧にしている。

「おはようリドル」
「随分と早いんだね」
「珍しく早く目が覚めたの。たまには早起きもいいわね」
 
挨拶を返しながらリドルに近づくと、自然な仕草で向かいに座る事を勧められたので、ライムはほんの少しだけ躊躇ってから黒革のソファーに腰掛けた。暖炉の炎は暖かく、座り心地のいいソファーがライムの緊張を少しだけ和らげた。
 
「ここでの暮らしには慣れたかい? 」
「ええ。おかげさまで」
「なら良かった。少し心配していたんだ」
 
交わすのは他愛ない雑談。授業の事、課題の事、行き交う生徒を横目に些細な話題をぽつぽつと繋げて、特別な事は話さない。
 
「何か変わった事は無いかい? 」
「変わった事? 」
 
脳裏に浮かんだのは先日の光景。普段と違うリドルの顔。
アブラクサスはあの後リドルに報告したのだろうか? 普通ならばするだろう。けれどあの人の考えは……正直、わからない。けれどどちらにしろ、ここで正直に話す必要は無いだろうとライムは判断した。
 
「いいえ、特に無いわ」
「そう」

愛想良く返したライムに応じて、リドルもにっこりと微笑む。食事を終えて戻ってきたのか、談話室にはちらほらと他の生徒の姿も目立ってきた。何となく周りの視線が気になるけれど、リドルに会話をやめる気配が無いため立ち去る事も出来ない。

「そういえば、スラグホーン教授が君を褒めていたよ。君には魔法薬学の才能があると」
「そんな事無いわ。魔法薬学は好きだけど、まだまだ勉強不足だし……教授は優しいのね」
「謙遜しなくていいよ。この件に関しては、僕も教授と同意見さ。君の調合は独特だ。革新的、とさえ言える方法で教科書通りの手順より格段に早く正確に薬を仕上げてしまう。僕も見習いたいくらいだよ」
「ありがとう。でもリドルには敵わないわ」
 
探られているとわかった上での会話程、居心地の悪いものは無い。覚悟していた事とはいえ、やはり精神的に疲れるなとライムは思った。

「君はいつも熱心だね。図書館もよく利用しているみたいだし、将来なりたいものでもあるのかい? 」
「……何となくならね」
「へえ、気になるな」
「でも恥ずかしいから教えられないわ」
「それは残念」

ふふっと声を漏らしたリドルに、ライムは軽い調子で言葉を返す。

「私はリドルの事こそ気になるな。貴方程優秀なら、きっと何にだってなれるわね。教師でも癒者でも魔法大臣でも────何なら、世界征服だってできちゃいそう」

冗談めかした口調は崩れていない。それでも緊張で僅かに口角は震えた。

「……そうだね、それも悪くないかな」

なんてね、と付け足してリドルは笑う。表情は変わらない。空気も纏う雰囲気もそのままに、リドルは仮面を崩さない。

けれどほんの少し、間が空いた。その一瞬にリドルは何を思ったのだろう。


興味を持って。踏み込んで。警戒され過ぎても、興味を無くされても駄目だ。

急いては事を仕損じる。
けれど間に合わなくては意味が無い。時間は限られているのだから。

此方から踏み込む前に、此方に踏み込んでもらわなければならない。だから今度は無理に取り繕う事はしない。薬学の知識、ホグワーツの謎、編入生が決して知り得ないはずのそれらをライムは知っている。口にしなくとも態度に滲むその違和感を、敏いリドルは無視出来ないはず。

────だから。

「ねえ、リドル」


どうか気付いて。


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