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  その部屋の名は


「The Chamber of Secrets」
 
低い美声が空気を震わす。
豪奢な調度品に彩られた必要の部屋を、オレンジがかったランプの光が淡く照らし出す。濃く陰影を描き、墨のような影が足元に広がる中で、リドルはそっと語り始めた。

「偉大なるサラザール・スリザリンが遺した部屋」

滑らかに動く唇が、謳うように言葉を紡ぐ。視線は手元の本を辿りながら、その場にいる者達に語りかけるように。

「その存在は多数の文献にも記されているが、実際に部屋が開けられたという記述は残っていない」

リドルはぱたんと軽い音を立てて本を閉じる。分厚いそれを壁際の本棚に向けて放ると、本は空中を滑るように浮遊し、ひとりでに元のスペースへと収まった。

「────この千年近く、ずっとだ。スリザリンの末裔は少なからず存在していたはずなのに、今に至るまで誰一人として部屋には辿り着いていない」

吐息混じりの声を吐き出して、リドルは憂いを帯びた目を伏せる。漆黒の睫毛が白磁の肌に影を落とし、匂い立つような色気を増した。

「力が無かったのか、知識が無かったのか、はたまたその両方か。……今となってはその真偽はわからない」

立ち上がり、数歩歩く。足音は絨毯が呑み込んだ。肘掛け椅子に座る少年の目線がリドルを追う。

「サラザール・スリザリン、ロウェナ・レイブンクロー、ヘルガ・ハッフルパフ、ゴドリック・グリフィンドール────かつてこの城を創り上げた四人の偉大な創設者達。その血統は長い歴史の流れに紛れ、その大半が失われてしまった」

それをどう考える? と問えば、背後に座っていた少年────オリオン・ブラックはピンと背筋を伸ばして明瞭な答えを返す。

「由々しき事態です、我が君」

灰青の瞳には陶酔の色が浮かび、答える声の端々には歓喜が滲んでいた。オリオンは少年特有の一途さで、愚直なまでに真っ直ぐにリドルに付き従う。リドルは満足げに口の端を吊り上げると、肯定するように頷いた。

「そう。“由々しき事態”だ。純血の魔法使いや魔女は年々その数を減らしている。このままではいずれ、貴重な魔法族の血が絶えてしまうだろう。それだけは避けなければならない」

リドルは暖炉前の豪奢な黒革のソファーに腰掛けると、天井を仰ぐ。思案するように目を瞑り、深く長く息を吐いた。

「優秀で希少な血統こそが敬われ、力を持つ世界────それこそが僕の理想だ」

掠れた声でそう言うと、リドルはゆっくりと目蓋を押し上げた。湖面のような瞳の底で揺れる赤が緩やかに静まるのを待ってから、リドルは先程から動かず沈黙を守ったままの男に声をかけた。

「隠し事か? アブラクサス」

リドルはその長い脚を組み替えて、窓辺にもたれて外を眺める男の方へ目を向けた。男────アブラクサス・マルフォイはゆっくりとした動作で振り返り、リドルと向き直ると大仰に肩を竦めて見せた。

「まさか、我が君。私が貴方に隠し事をするとでも? 」
「するだろう。今更それに驚きはしない。貴様はそういう奴だ」
「……それをわかっていながら側に置く貴方も大概、変わった御方だ」

曖昧な笑みを浮かべて、アブラクサスは窓辺に置かれた肘掛け椅子へ座った。絹糸を束ねたような銀髪が滑らかに肩から滑り落ちて揺れる。

「能力のあるものは登用する。忠誠心は大事だが、忠誠心だけでは捨て駒にしかならない。……僕は両方欲しいんだ。捨て駒と、僕の考えに真に賛同出来る優秀な駒との、両方が」
「私は、そのどちらに入るのでしょうね」
「さあ? それはお前自身の働きに掛かっている」

試すようなリドルの言葉に、アブラクサスはゆるりと微笑を返した。余裕を崩さず、肘掛けに頬杖をついてリドルに新たな話題を振る。

「────時に、編入生の様子はどうですか?  良く面倒を見ているようですが」
「含みのある言い方をするな、アブラクサス。優しくするのはそれが役割だからだ。……まあ、特に変わった所は無いさ。少なくとも、見える範囲では」
「……見えない部分では、まだわからない、と」
「さあな」

そう。変わったところは見られない。ライム・モモカワは勉強熱心で控え目なだけの、普通の少女だ。
けれどその言葉や行動の端々に慣れのようなものを感じて────それが妙に気に掛かる。何処がどうおかしい、というわけではない。でも何故だか見過ごせない。違和感は徐々に降り積もり、正体の掴めないそれはリドルの感情を波立たせた。

「少し調べてみましょうか」

アブラクサスは金の瞳を細め、そう提案した。ああ、これは面白い事を思いついた時の表情だ。リドルの内で僅かに警戒心が首をもたげる。

「アブラクサス」

牽制の意を込めて名を呼べば、アブラクサスは居住まいを正して視線を返す。

「余計な事はするなよ」
「勿論ですとも。私がかつて貴方の意にそぐわぬ事をした事がありましたか? 」
「……信じ難いな」
「おやおや、私は余程信用が無いようだ」

気落ちした様子も無く、アブラクサスはなおも笑っている。

「お前の能力は買っている」

そうでなければ傍には置かない。だが完全に信用しているわけでもない。
忠誠心ならばオリオン・ブラックの方が上だ。アブラクサス自身の能力の高さは認めているし、マルフォイ家の影響力は評価している。それを見込んで何かと任せる事もある。

けれどアブラクサスは油断ならない相手だと、リドルは考えている。

それでも重用するのは、組んだ方が何かと有利な事が多いからで、それはお互い様だろう。互いに互いを利用する。利害が一致しているから協力するだけの、後腐れの無い関係。だからこそ上手くいく。

「しかし、貴方がそこまで他人を気にするのも珍しい」

何か理由でも? と目線で問うてくるアブラクサスに背を向け、リドルは吐息と共に吐き出した。

「────理由なんて無いさ」

疑念を拭うのは難しい。一度芽生えた違和感は根深くリドルの心に残る。布に落ちたインクの染みのようにじわじわと広がり、元の色には戻らない。

「そう。理由なんて必要無いんだ」

誰にも聞こえない程小さな声で、自らに言い聞かせるようにつぶやく。

気になる。だから調べる。
それだけで充分だ。何かあってからでは遅いのだから。


「君は一体、何者なんだろうね」


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