×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



  それを運命と呼ぶのなら


久方ぶりに、ライムは深く長く眠った。何だか懐かしい夢を見ていた気がするのに、眠りは深く目覚めた時には夢は欠片も覚えていなかった。ただ枕は濡れて冷たく、涙はしばらく止まらなかった。

まるで導かれるように、ライムの足はあの部屋へ向いた。あの鏡と、今こそ向き合わなければいけない気がした。

早朝のホグワーツには人影も無く、朝日に照らされた明るい廊下もまだしんと静まり返って冷たい。朝特有の澄んだ空気を噛み締めながら、ライムは誰に会うことも無くその部屋の扉を開けた。

「みぞの、鏡……」

待ち構えるように、鏡はそこにあった。ダンブルドアが掛けたのか、真っ黒な分厚い布に覆われて鏡は見えない。ライムは鏡の前に立ち、ローブのポケットからそれを取り出した。

「砂時計……」

ライムの手のひらに乗っているのはダンブルドアから手渡された砂時計。古びたそれは小さく、透き通ったガラスで出来ていて、中には細かな金色の砂が渦巻いていた。

逆転時計に似ているけれど、それとも違う。お伽噺に出てくる魔法の道具。これを使うことが出来るのはあと一度だけ。使えば最も望む場所へ行くことが出来るけれど、それには大きな対価が要る。対価は、払った後にわかるという。

望む場所へと、渡れる時計。

「望む、場所」

それは元の世界か、それとも別の場所なのか。

ここには、大切な人達がいた。失くしたものは多いけれど、まだ全て失くしたわけではない。それを捨てて、戻るのか。
全てを知っていたのに、救えなかった、誰一人。シリウスはまだ生きているのに、それすら助けられないならばライムはどうしてここに来たのか。

ハリーポッターの物語を知るライムがこの世界に来たのには、意味があるのだと思っていた。
でも、流れを変える事が怖かった。原作の道筋を外れる事が恐ろしかった。けれど心の何処かで無意識に、どうにかなると思っていた。奇跡が起きると期待した。────だってここは物語の世界だから。

けれど結局物語のあらすじは変わらない。どんなに抗っても同じ道を辿ってしまう。そうして結局、大切なものを失くしてしまった。ならばここに留まる事に何の意味がある。

────何故、今なのか。
もっと早くに教えてくれれば、きっと迷わず帰ったのに。こんな風に全てを失って、今更ライム一人が平穏な場所に帰るのか。

けれどあちらには、元の世界には両親がいる。友人も家族も、大切なものは何もかもそのまま置いて来てしまった。どちらかを選ぶにはどちらかを捨てなければならない。伸ばし伸ばしにしてきた決断を、今迫られている。


ゆっくりと、足を踏み出す。鏡の前へのほんの数歩が、果てしなく遠く感じた。

「知りたい事が、あるの」

声が震える。唇が、指先が、身体中が震えてる。鏡を覆う布に手を掛け目を閉じ、ライムは深く深呼吸した。目を開けて、勢い良く手を引く。バサッと音を立てて布が落ちる。真っ正面から鏡を見つめて、ライムはグッと息を止めた。

鏡の中に、映った姿は。

「────ああ……」

ゆるゆると、息を吐く。

「リドル」

リドルが、隣に立っていた。

けれど映ったのはリドル一人ではない。ライムとリドルの後ろに、数え切れない程沢山の人の姿がある。

リリー、ジェームズ、シリウス、リーマス、ピーター、レギュラス、セブルス、ロゼッタ、リタ、ジゼル。ダンブルドアをはじめとした教師達。こちらの世界で関わってきた人達が、そこにはいた。

「お……母、さん……お父、さん……」

愛おしい。会いたくて会いたくて堪らない。もう何年も会っていない。写真すらも持っていない。何ひとつとして忘れたくないのに、記憶は徐々に薄れていく。

ああどうして、どうしてこんなに苦しいの。どちらも私には、大切なのに。


会いたい。
会いたい。
会えない。

「ご、めん……なさ……」

戻る、なんて────出来ない。

もう、何も知らなかった頃には戻れない。戻りたいとも思わない。嬉しい事も辛い事も、全てが今に繋がっている。得たものも失ったものも余りに多過ぎて、比べるなんて無理だった。何かひとつでも欠けたらきっと、それは今のライムではないのだ。

「私が、望む場所は……」

────過去、へ。

あの人が、リドルが全ての元凶だと言うのなら、私はリドルとの出会いをやり直したい。

他人を変えるなんて、傲慢かもしれない。出来ないかもしれない。

「それでも、私は」

リドルに、逢いたい。

だって、ただどうしようもなく愛しいの。あんな姿になっても気持ちは変わらなかったし、あんな事をされても結局憎み切れなかった。それが友への裏切りだと思って忘れようとした。憎めたら、恨めたらどんなに楽だっただろう。
ただどうしようもなく好きだった。今でもリドルの事を考えるだけで胸が引き裂かれるように痛む。

ねえリドル、貴方は私がいなくなってからの数十年をどんな想いで過ごしていたの。私は貴方が好きだったけれど、貴方は私を好きだったのかを私は最後まで知ることが出来なかった。貴方が人を好きになるだなんて想像もつかなくて、けれど二人で過ごした日々はあまりに眩しくて優しくて、思い出す度痛みが増す。

残したピアスにほんのひとかけらくらいは貴方の想いが込もっていたのだろうか。ほんの一瞬でも貴方は私を好きだと思ってくれたのだろうか。不確かな未来ででも、私を探そうと思ってくれたのだろうか。

────本当の事はもう、ひとつもわからないけれど。

「ねえ、リドル」

鏡に映る、リドルの姿に呼びかける。ライムの隣に立つリドルは薄く笑んだまま何も答えない。

既視感。デジャヴ。
あの時は、様々な偶然が重なって、偶発的に過去へ翔ばされた。自ら望んだ訳でも、誰かがそうしようとした訳でも無い。すべては偶然。偶然に過ぎないのだ。

───人はそれを、運命と呼ぶのかもしれないけれど。

ぐっと、手のひらを握りしめる。かちゃりと鎖が擦れる音と冷たく固い時計の感触に、そっと笑った。

ライムは鏡に背を向け、ゆっくりと扉へ向かう。歩く度に足を飲み込み沈む毛足の長い絨毯。舞い上がる埃はあの日のようにきらきらと光に踊る。扉の前まで来て、ライムはそっと後ろを振り返った。

何十年経っても変わらない鏡。けれどあの時望んだものと、今の自分が望むものは違う。のぞみは変わる。それは決して、悪い事ではない。

───それに、気付かせてくれた。

「ありがとう」

バタンと音を立てて扉が閉まる。

鏡にはもう、誰も映っていなかった。


prev next

[back]