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  覚悟を、この手に


天井に掛かる窓からは無数に瞬く星々が見え、藍色の空は深く高く一面に広がる。壁をぐるりと取り囲むように飾られた歴代校長の肖像画達の視線の先に、二人の人影があった。

一人はこの部屋の主。ゆったりとした裾の長いローブを身に纏い、思慮深い青い瞳でじっと目の前の人物を見据えている。もう一人は小柄な女。向かい合うようにして座るその人は、年齢こそ二十歳を越えているがその外見は未だ少女といっても差し支え無い程若々しい。不自然な、程に。

沈黙の中で魔法の道具が立てる音がゆるやかに響く。コツコツ、チクタク、湯気を上げる銀色の魔法具。微かに聞こえる風の音。部屋の隅にある止まり木で、不死鳥のフォークスは静かに眠っている。

「すまぬ」

頭を下げるダンブルドアを、ライムは微動だにせず見つめた。その姿に、静かに問うた。

「何故、謝るんですか」

心は不思議と凪いでいて、怒りも悲しみも何も浮かんではこなかった。諦めとも違う感情はただ静かに言葉を押し出す。

「君に、全てを話さなかった」
「それは私も同じです。……むしろ私の方が、大切な事をほとんど貴方に話さなかった」

それを決めたのは 自分だけれど。

「砂時計を使えば、君が元の世界へ戻れる可能性がある事を知っていた。だがワシは、その事を君に告げなかった。君が、リドルの変わる切っ掛けになるかもしれぬと……その可能性を、どうしても捨てきれなかった」

そっと目を伏せたダンブルドアにライムは静かに問いかける。

「後悔して、いるんですか?……全てをやり直したいと願う程」
「……いや」

その答えに、ライムの口元が僅かに緩んだ。
そうか。この人は全てを後悔しているわけじゃない。自分がした事を自覚した上で、そこから目を逸らさない。

後悔していないのならば、それでいい。

「顔を上げてください、ダンブルドア。貴方も私も、互いに対して謝るようなことはしていないはずです」

ゆっくりと顔を上げたダンブルドアに、ライムは言う。

「お願いがあります」
「何かね」
「手紙を書いて欲しいんです。過去の、貴方自身に」

凛とした声は良く響いた。

「過去…………ライム、君は……」

言葉を失ったダンブルドアに微笑みかけて、ライムは首元から砂時計を引き出す。触れ合った鎖がサラリと軽やかに音を立てて、砂時計が揺れた。

「“望むところへ導いてくれる”……そう、仰いましたよね」

ガラスで出来た砂時計は小さく、中には細かい金色の光が渦巻いていた。それを手のひらでそっと握り込んでライムは目蓋を下ろした。

「あの時代から戻ってから、ずっと、悩んでいました。いえ、本当は決めかねて、先延ばしにしていただけなのかもしれません。……けれどようやく決めました。私はこれを、私自身ののぞみの為に使います」

良い事だとは思わない。これは身勝手な私の願い。上手く行く保障なんてひとつも無い。今より悪くなるかもしれない。──何より二度と、元の世界には帰れない。


それでも。

諦め切れない。捨てられない。とっくに失くしてしまったものを、私は未だに切望してる。

チャンスが一度だけでもあるのなら、私はそれで、今を変えたい。そのために 過去を変えたい。

平穏な 未来の為に。

「……必ず、望む場所へ行けるかどうかはわからぬよ」
「はい」
「その時計を使って何十年も時を遡った前例は無い。どんな影響があるかは誰にもわからぬ」
「はい」
「一度使えば、壊れてしまうじゃろう」
「わかっています」
「そうすれば……君は、元の世界へも、この時代にも、戻れなくなる」
「──それでも私は、過去へ行きたいんです」

眉根を下げて、ライムは笑う。
それは泣き笑いのような表情だった。

「“確かなことなど一つも無い”と、過去の貴方は仰いました。それでも私は、リスクを犯すことが恐かった。何かが起こってもその責任を取ることが出来ないと、逃げていたんです。……本当は、今でも恐い。けれど、このまま私一人元の世界へ帰って、私だけ平穏に暮らして、ここで起きた事が段々と記憶から薄れていってしまう事の方が、もっと恐い」

何時しか、夢と区別がつかなくなりそうで。確かにあった事なのに。それすらも確信が持てなくなりそうで。
忘れることも忘れられることも、本当はそのどちらも恐いけれど。

ここで元の世界へ帰ったら、きっと一生後悔する。

だから、どちらかを選ぶなら、私はたったひとりになるとしても、覚えている方を選びたい。

「本来なら、一度起きた事は変えられない。どんなに後悔しても時間は不可逆で、理不尽な結果でも それを受け入れようと受け入れまいと、事実は変わらない。……それを覆す可能性があるのなら、私はそれに、全てを賭けたい」

迷いは無かった。穏やかとさえ言える表情で、ライムは言い切った。

「その時計は、君だけが使えるもの。……君のものじゃよ、ライム。だからワシには、君を止める権利も、君を責める気持ちも無い」

ダンブルドアは机に手を付き、深く深く 息を吐く。疲れが浮かぶその顔は年齢相応に年老いて見えた。

「……この歳になっても、未だに迷う。何度も繰り返し自問する。本当に これでよかったのか、と。常に最善を尽くしてきたつもりじゃ。しかし、救えぬものがあまりに多い。失ったものの多さに胸が詰まる。ワシより遥かに若く、前途有望な者達が散ってゆくのを数え切れぬ程見てきた」

過去に思いを馳せるその横顔が抱える痛みは測れない。この人もまた、悩み苦しむただの人なのだと、ライムは強く感じた。

「何よりそれは、君一人が背負うには、重すぎる荷じゃ」

哀れむ瞳。
けれどもう怯まない。

「私はずっと、後悔しない生き方をしたかったんです。今までずっと、後悔しないように考えて考えて、悩んで決めて来た。……けれどそれは無理な事でした。どの道を選んでも、どんなに悩んで決めた事でも、多かれ少なかれ後悔はする。完璧な答えなんて、何処にも無かった」

だから、と。

「重くてもいいんです。自分で望んで その道を選んだのだから。本来なら、全てを投げ打っても選べない道を。そして選んだからにはもう、逃げません」

胸が熱い。痛い程の感情が喉の奥にせり上がってくる。

人はこれを、希望と呼ぶのだろうか。

「ライム・モモカワ」

静かな声に、ライムは視線を返す。

「君はワシが知る中でも、誰より勇気と愛情に溢れた生徒じゃ。強く、勤勉で賢く、同時に己の弱さを知っている、優しい子じゃ。君ののぞみの結末を、ワシ自身が見届けられないのは残念じゃが……それは、別のワシに託そう」

真っ直ぐライムを見つめる 明るいブルーの瞳。そこにはもう哀れむ色は無い。

それを真っ正面から受け止めて、ライムはとても綺麗に笑った。


「幸運を祈る」


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