夢と現の境界線
こうして意識が戻るのが既に何度目なのかはわからない。名前を呼ばれた気もするし、誰かが言い争う声を聞いた気もする。何度も色々な夢を見て、夢の合間に目を覚ました気もするけれど、記憶は混じって曖昧で 何処までが夢で何処からが現実なのか区別は付かなかった。
ライムが最後に目を覚ました時、部屋は静まり返っていた。既に日は傾いて、ベッドを囲む真っ白なカーテンも白いシーツも何もかもがオレンジがかった赤い色に染まり、それがあの人の瞳を思い起こさせた。
「……リドル?」
小さい声はやけに響いた。
呼び掛けに応える者はいない。
──いるはずが無いのだ。あの日、自ら別れを告げたのだから。
記憶が一気に溢れ出す。青い世界。赤い瞳。真っ黒なローブ。その全てが、今はもう遠い。じわじわと胸に広がる言いようの無い感情を静かに受け止めて、ようやくライムは自分がいる場所があの時代ではないのだと理解した。
深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着かせてから、ライムはゆっくりと首を動かした。見回すと、ここはどうやらホグワーツの医務室のようだった。見覚えのある風景。けれどつい先日訪れた時とは少し雰囲気が変わっていた。
「……っ、く」
眠り続けていた身体は思った以上に体力を失っていたようで、上半身を起こすだけでも一苦労だった。立ち上がってみようかとも思ったのだが、少し体勢を変えただけで起こる眩暈に動きを止める。
そのまましばらく目を瞑りじっとしていると、部屋のドアが開く音がした。
「────目が、覚めたようじゃな」
長いローブを引いて入って来たのはダンブルドアだった。真っ白な長い髭。白い髪。半月形の眼鏡をかけた、老齢の魔法使い。
若くはない、見慣れた姿のダンブルドア。
「君が聞きたい事があるのはわかっている。じゃがそう焦るでない。まずは水を飲みなさい。喉が渇いているじゃろう」
差し出された水差しを受け取ってライムは覚束ない動作で水を飲む。渇いた喉に水は甘く、驚くほどおいしく感じられた。
「少しは落ち着いたかね」
「は、い」
「それは良かった。まだ体を起こすのは辛いじゃろう。無理せず横になっていなさい」
その言葉に促されて躊躇いつつもそっと身体を横たえる。強張っていた全身から力が抜けるのを感じて、ライムはホッと息を吐いた。
「身体は辛く無いかね?」
「ええ。横になっていれば平気みたいです」
「そうか。それは良かった。…さて、質問を受け付けようかの。ワシも幾つか聞かねばならんことがある。時間はある、ゆっくりでよい」
「ここは……今は、何年ですか……?」
「1977年の11月じゃよ」
「嘘……そんなに…」
「……君がいなくなってから、二年以上の時が流れた。君は五日前に、七階の空き教室に倒れている所を発見された」
二年。それは予想を遥かに超える長さだった。確証なんてひとつも無いのに、思っていたのだ。元の、あの時間に帰れると。……けれど違った。
「ライム。君は、今まで1943年にいたのじゃな?」
「……はい」
「やはり……では、君があの編入生のライム・モモカワだったか……」
「そう、です」
幾つか続いた質問に答えて、ライムは唇を噛みしめる。
先ほど水を飲んだばかりだというのに、喉は渇いてからからだった。張り付いて上手く動かない舌を無理矢理に動かして、ライムはずっと 気になっていた事を口にする。
「ダンブルドア……校長」
ゆっくりと、ダンブルドアが瞬いた。その目はライムが何を聞くのか、わかっているようだった。
「リドル、は」
「────ヴォルデモート卿。今はそう、名乗っておる」
その言葉は予想を遥かに超える強さで胸を抉った。
「────そ……です、か……」
そう返すのが、やっとだった。
リドルはもう、いない。
名前を変えただけ?姿が変わっただけ?
でもそれは、同じようで、違う。
あの人は名前と共に過去を捨てたのだ。孤児で半純血のトム・リドルを。ならばあの日のリドルはもう 何処にもいない。飲み込んだ感情が、喉を焼く。
「君は、こうなる事を知っていたのかね? 」
「……っ」
「……いや、……いや、答え無くて良い。責めているわけでは無いのじゃ」
そう言って首を振るダンブルドアは、僅かに疲労の色を滲ませていた。聞きたい事は山ほどあるに違いないのに、それ以上ダンブルドアがライムに質問する事は無かった。
今日はもう休みなさい。そう言ってゆっくりと立ち去ったダンブルドアの背を見送って、ライムはぼんやりと考える。
わかっていた、事じゃないか。
リドルが何者か。リドルが未来で、誰になって何をするのか。
その先に、何が起こるかをも。
(知っていた。知っていた、だけ)
何も出来なかった。否、しなかった。
けれどそれを選んだのは自分自身だ。
わかっている。わかっているのに、どうして、こんな。
「どうしてこんなに、苦しいの……?」
苦しい。虚しい。自分で選んだことなのに、わかっていたことなのに。
自分の無力さを嫌と言うほど痛感させられて、息が出来なくなる程、苦しかった。
[
back]