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  君が残していったもの


(痛みと、哀しみと、ほんの少しの、愛しさ)


『言葉にしなきゃ、伝わらないこともあるんだよ』

ならば、往く当ての無い想いは、何処に行けばいい?


「……トム、トム? どうしたの? 」

漂っていた思考を現実へ引き戻す声がした。

はっとして リドルは瞬いた。湖の畔の木陰。太い木の幹に背をもたせたまま声がした方を見れば、心配そうに覗き込んでくる少女の姿がある。逆光で顔立ちは良く見えない。ゆるやかに弧を描く髪は長く、その色は陽光を反射する黄金色。

────違う。

「ああ、なんでも無いよ、ミーア」

ほんの一瞬、すうっと細めた目を和らげて、リドルはすぐさま取り繕うように微笑んだ。

危なかった。会話の途中で考えに耽るだなんて、どうかしている。
白昼夢でも見ていたようだ。目蓋の裏に未だに生々しい映像と声がこびり付いている。

こんな所に、いるはずが無いのに。

……確かこの女はスリザリンの六年生で純血だ。記憶を手繰り寄せて瞬時に名前と必要最低限の情報を弾き出して名を呼べば、相手は少し頬を赤らめて言葉を続ける。

「さっきから様子が変だったから、どうかしたのかと思って。何度も名前を呼んでいるのに、貴方気が付かないんですもの」
「ごめん。少し、考え事をしていてね」

誤魔化すように返したその答えに、ミーアの顔がサッと曇った。

「……あの女なの? 」
「何の事だい? 」
「とぼけないで、トム」

一瞬にして声のトーンが変わった。空気がほんの少しだけ張り詰めた。ああ、変なところだけ勘がいい。この様子では、柔らかい言葉と笑顔で煙に巻こうにも無理だろう。真剣な顔で問い詰めてくるミーアに、リドルは面倒な事になりそうだと内心毒づいた。

「あの女……ライム・モモカワが来てから、貴方変わったわ」
「そんなことはないさ」
「いいえ、わかるの。ずっと……ずっと、貴方を見てきたんだから。前の貴方は誰にでも分け隔てなく優しくて、紳士的で、特別な”誰か”なんて作らなかったわ。だからみんな、多くを望まなかった」

引き結んだ唇がわなわなと震える。堪え切れなかった感情が口を伝って溢れ出す。綺麗に整えられた眉が寄り、目元は強張る。その表情はひどく醜くリドルの目に映った。

「けど、あの子にだけは違っていた! 取り乱すトムなんて始めて見たわ。いなくなってからも、ぼんやりしてばかりで、貴方らしくもない! 突然いなくなって、もう一月以上も経つのに」
「ミーア、落ち着いて」
「あんな女の何処がいいの? 東洋人で、編入生だからってだけで目立って、貴方に迷惑ばかり掛けて。貴方と全然釣り合わないのに……! 」

宥める言葉にも耳を貸さず、段々とエスカレートしていく非難の声に、見る間にリドルの瞳の色が褪めてゆく。女はそれに気付かない。

ゆるりと形のよい唇が綺麗に弧を描く。
ふっと吐き出した息が落ちると同時に、その場の温度が低下した。瞳の奥に紅い闇が揺らめく。

「私の方が、貴方の事をわかっているわ! あの女なんかより、ずっと……! 」
「ミーア」

リドルはこの上無く優しい声で、名を呼んだ。
その響きに口を閉じて、笑みと共にリドルの方を見たミーアの顔が固まり、徐々に恐怖に引き攣ってゆく。

────もう遅い。

「ステューピファイ」

閃光が走り、女はドサリと音を立ててその場に崩れ落ちた。見る者を凍り付かせる程醒めた目で見下ろして、リドルは小さく息を吐く。

思い上がりも甚だしい。

「馬鹿な女だ」

それは自分でも驚く程冷たい声だった。嘲笑、侮蔑。倒れた女は力無く地に伏し、綺麗な巻き毛はばらりと散らばり土に塗れている。リドルはその身体に真っ直ぐに杖を向け、唱える。

「オブリビエイト」

銀色の煙が杖の先へと集約する。
記憶の修正は数え切れない程行ってきた。消す事も、書き換える事も。今さらこの行為に抵抗など覚えない。

馬鹿な女だ。自分の立ち位置も知らず、相手の本心など露程も見抜けない。一体、リドルの何を見ていたのだか。見抜けないよう取り繕ったのは、自分だけれど。

一線を、踏み越えた。ならばその記憶ごと、面倒な感情を消し去ってしまえば良い。

「代わりなど、いない。……いらない」

誰も君の代わりなど出来るものか。

ライムだからこそ、僕は────

血色の瞳を瞼で覆い、ややあって、ゆっくりと目を開いた。
広がるのは色褪せた灰色の世界。唯一の色は、失われてしまった。

視界の端にはらはらと、雪が舞い降りてきていた。


もう、手を伸ばしても、届かない。


(ならばもう二度と、求めたりはしない)


「それで、いい」


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