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  突き付けられた選択肢


周囲の態度は相変わらずだ。

一部の生徒による嫌がらせは続いている一方で、他の生徒は遠巻きに眺めてひそひそと好き勝手に噂話に勤しむだけ。他人なんて勝手なものだ。自分に関わりの無い事ならば深く考えもしない。噂の当事者の気持ちなどお構い無しに好き勝手引っ掻き回して娯楽として消費する。そこに悪意がない分 余計に性質が悪かった。
まあおかげでレパロの精度は上がったし、盾の呪文の強度ならば他の生徒には負けないだろう。一部の呪文──防御や物を直す類のもの──は著しく上達した。必要に迫られると人は普段以上の力を発揮出来るものらしい。

幸いライムの部屋は一人部屋だから呪文の練習はし放題である。利用者が少ない時間帯を狙って図書館へと足を運び、役立ちそうな本を片っ端から借りると空き時間は部屋に篭って練習三昧。授業には今まで以上に真剣に取り組んだおかげで呪文学と闇の魔術に対する防衛術の成績は順調に上がっている。ガリ勉タイプでは無かったのだが…まあこれは悪い事では無いから良いだろう。


図書館から次の授業の教室へと向かう途中で聞こえてきた クスクス笑いに「ああ またか」とライムは思う。どうせまたワザと此方に聞こえるように嫌味でも言っているのだろうと思って ライムがうんざりしながら声のした方を向くと、数人の女子生徒が廊下の隅で顔を寄せ合ってさざめくように笑い合っているのが目に入った。

「…ん?」

雰囲気がいつもと違う。こういう場合は大抵 相手方はライムの方をチラチラ見ながら聞こえよがしに悪口を囁き合うものだが、どうも違うようだ。微かに聞こえる言葉から誰かの悪口を言っていることはわかるのだが、彼女達はライムの方を見向きもしない。
遠くから見ただけでは年齢はわからないがどの顔も見覚えが無く、制服から判断するに皆レイブンクロー生だった。


****


「ああ、それ、きっとマートルよ」
「マートル?」

呪文学の授業中。先ほどの出来事を何気なく口にしたライムに、ロゼッタは一人の女子生徒の名前を挙げた。
辺りに呪文の詠唱が飛び交っているこの時間は密談をするのにもってこいである。皆呪文の練習に集中しているから盗み聴きされる危険性は低いし、たとえ聞き耳を立てていてもこの喧騒の中で離れた位置にいる他人の会話を正確に聞き取るのは至難の業だ。

「貴方が来る前からよくいじめられている子よ。レイブンクローの子だし学年も違うからあまりよくは知らないけれど」

ロゼッタが杖を振るってクッションを飛ばす。勢い良く飛び出したクッションは狙い通り真っ直ぐ前へと飛んだものの、徐々に失速し 目印の少し手前で力無く地面に落ちた。

「後少しなのに」

眉を寄せるロゼッタの横でライムも自分のクッションを手に取り杖を振るう。やはりクッションは目印に届く前でボスリ と鈍い音を立てて地に落ちた。

「有名なの?」
「一部ではね。よく3階のトイレで泣いているって聞いたことがあるわ」
「マートルが…」

ひゅん、と空気を鳴らしてクッションが飛ぶ。今度はきちんと目印のところまで。やるじゃない、というロゼッタに笑い返して杖を下ろす。手元にあった練習用のクッションはもう残り少ない。ライムは目印の貼ってある壁へと近付き、積み上げられたクッションの山から抱えられるだけ腕に抱えて戻って来た。

途中で背後から飛んで来たクッションが幾つかライムにぶつかる。驚いて振り返ると、同じ寮の男子生徒が慌てて謝りながら近付いてきた。ああ、なんだ 偶然か、とホッと息を吐く。練習中はよく有ることだから仕方が無い。クッションを渡すと男子生徒は自分の練習場所へと戻って行った。
嫌がらせかと思ったがどうやら考え過ぎだったようだ。何だか嫌な慣れ方をしてしまったな と思いつつ、ライムは乱れた髪を手櫛で梳いて整えながらロゼッタのいる壁際へ戻った。

「平気?」
「ええ。クッションだからそんなに痛くないわ」
「良かった。やっぱり練習中は危ないわね。どこから何が飛んでくるかわからないもの」
「うん、十分気を付けなきゃね。……で、さっきの続きは?」
「ああ……えっと、何処まで話したかしら?」
「マートルがよくトイレで泣いているって所までかな」
「他に知っている事ってあまり無いのだけれど…。マートルの場合は貴方に対する嫌がらせとはまた違ったタイプのようだけど、寮内ではずっと虐められているみたいね」
「そっか…」

いじめられているというマートルと、嘆きのマートル。恐らく両者は同じ人物だろう。
ライムはハリー・ポッターの原作は読み込んでいるが、リドルの時代の事となると正直あやふやな部分が多い。大枠は覚えているのだが、細かい年号までは思い出せないので 今が物語のどの辺なのかはよくわからなかったのだ。しかし、マートルが生きているということは、まだ秘密の部屋は開かれていないという事だ。

「確か、次は空き時間よね?」


****


ぴとん…と水が床を打つ。

女子トイレには人気が無かった。元の時代でライムがここのトイレを訪れた事は無い。マートルが住み着いている事は知っていたし、ここのトイレはいつも何処かが壊れている上彼女の癇癪で床が水浸しになる事はしょっちゅうだったから わざわざ使おうとも思わなかった。

ひんやりとした冷たい空気と石の匂い。
小さな嗚咽が水音に混じって響く。水たまりにローブの裾が濡れないよう気を付けながら奥へ進むと、一番奥の個室のドアだけが不自然に閉まっているのが目に入った。ライムはサッと背後の廊下に目を走らせて 当分誰も来そうに無い事を確認すると、その個室の方へと向かった。

「ねぇ、ここで何をしているの?」

個室の中で蹲って泣いている少女にそっと話し掛ける。途端に勢い良く顔を上げた少女はライムの姿を見ると、分厚い眼鏡の奥の瞳を見開いた。

「何って、泣いてるのよ……!見てわかんないの?!」
「えーと、そうよね。ごめんなさい」

強い口調でそう返されて ライムは咄嗟に謝ってしまった。いきなり声を掛けた事で驚かせてしまったらしい。声を荒げたマートルは じろじろと遠慮無しにライムを上から下まで眺めると、眉を寄せて疑問を口にした。

「アンタ……編入生?」
「ええ、そうよ。知っているの?」
「そりゃあね。有名人だもの。色んなところでアンタの話を聞くわ」
「……あまりいい話では無いでしょうね」

自嘲混じりにそう言うと、ライムは軽く息を吐いた。マートルは立ち上がり、警戒しながらもライムと向き合った。きっちり編まれた三つ編みに、分厚いビン底眼鏡。纏うローブに縫い付けられた寮章は蒼とブロンズのレイブンクロー。

「……アンタもいじめられてるの?」
「いじめというか……嫌がらせならあるわ。最近はやり返しているけれど」
「へぇ……見た目によらないのね。アンタ結構大人しそうなのに」

ライムを自分と近い境遇の人間だと思ったのか、マートルはほんの少しだけ態度を和らげてそう言った。警戒は解けていないながらも話を聞く姿勢を見せてくれた事で、ライムは少し安堵した。

「そういえば、アンタここに何しに来たの?」

何と切り出すべきか迷って、何度か息を深くすると ライムはゆっくりと言葉を紡いだ。

「ねぇ、マートル。上手く言えないんだけど……あまりここにいない方がいいわ」
「え……?どういう事よ」
「一人になるのは良くないわ」

その一言でマートルの目の色が変わった。眦はつり上がり怒りに顔が燃え上がったかと思えば一転して、すぐに口を歪めて悲壮な表情を浮かべてヒステリックに叫ぶ。

「ひどい!アンタまで私をいじめるの!?」
「違うわ、マートル。落ち着いて」
「違う?どこが?アンタだって同じじゃない!」
「ねえ聴いて、ここは人が寄り付かない場所だし、何かあったら危ないわ。せめて自分の部屋か談話室にいた方がいい」

今なら、まだ間に合う。まだ秘密の部屋がリドルに見つかっていない今なら。物語が始まる前に、止められるもしれない。なのに、それなのに、上手くいかない。

「どこにも行くところなんて無いわ!部屋も談話室もどこに行っても人はいるし、みんなあたしをバカにして笑うのよ!アンタだって嫌がらせされてるんでしょ?ならわかるはずよ!」
「それは……」

わからなくも無いけれど。
まだライムには少ないながらも友人と呼べる者達がいるが、マートルにはそれが居ないのだろう。それならばきっと他人がいる場所というのは近寄りたくない
に違いない。

けれどここはダメなのだ。
ああ、何と言ったらいいのだろう。まさかバジリスクの事を言う訳にもいかないし。初対面の相手にこんな事を言われて不審に思わないわけが無い。けれど放っておく訳にもいかない。

ライムが何と言うべきか迷っている内にマートルのキンキン響く泣き声は激しさを増し、ついにはワッと顔を覆って泣き出した。

「出てってよ!アンタもどうせ私をいじめるんでしょう?惨めなマートル!意気地なしのマートル!みんなみんな、私をいじめるんだわ!」

ヒステリックにそう叫ぶとマートルは勢い良く個室のドアを閉め、より一層大きな声で泣き出した。
幾ら声をかけて宥めてみても泣き声が酷くなるばかりでどうにもならず、結局ライムはその場を去るしか無かった。

「どうしよう……」

危険から遠ざけるつもりが、逆に煽る結果になってしまった。こうなったら後日また出直すしか無い。
果たしてその時マートルがまともに話を聴いてくれるのか……。

ライムの胸に 重苦しい不安が残った。


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