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  その心に触れられたなら


「だから言ったのに」

寮に向かう道すがら、リドルは唐突にそう言った。
話の文脈がわからずライムはリドルの背を見上げたが、リドルはこちらを向いてはいなかった。

「何のこと? 」
「クィディッチの試合さ。散々な目に遭っただろう? 観に行かなければ、そんな面倒事に巻き込まれたりしなかっただろうに」
「ああ……」

さっきの事か、とライムはようやく納得した。
一体リドルはいつから聞いていたのだろう。たまたまあの場に居合わせたなんて、リドルに限ってはあり得ない。ライムを探していたというのは本当だとしても、恐らく隠れて立ち聞きしていたのだろう。相変わらず、喰えないなとライムは思った。

前を向いたままのリドルの背が規則的に揺れる。二つの靴音がばらばらに反響する廊下を、時折走る稲妻の閃光が眩しく照らす。曇った窓硝子を激しい雨が叩いて震わせる。雨音と雷鳴は耳に痛い程聴こえるのに、不思議と静まりかえっているように感じた。

「……でも、いずれはこうなったよ、きっと。オリオンの不満が爆発するきっかけを作っただけで」

ぽつりと、つぶやく。そう。あれはきっかけに過ぎない。原因は別にある。それはよくわかっていたし、ライムにはどうしようもないことだった。

「きっかけを作らず、かわし続ける道もあっただろう」
「そうかもね。……でも、それじゃあ変わらない」

関係も、行く先も。
楽な方に逃げるのは簡単だ。どんなに気持ちを律していても、ふと気が緩んだ隙に楽な道へと足が向く。
衝突を避けて上手くやっていく方法もあるのだろう。特にこのスリザリンではそういった処世術が必要だ。それはライムもよく理解していた。

「君は何かを変えたいのかい? 」

変えたい。変えたいに決まっている。
そのためにここにいるのだから。
けれどそれに、上手く答えられなかった。

一定の速度で歩くリドルの背中は、廊下を進み階段を登っていく。……寮へ向かうのではなかったのかと訝しみ、少しだけライムの歩みが遅くなった。

「君の今日の目的はチャールズ・ポッター? 」
「違うよ」
「その割りに、親しいようだったけれど」
「チャールズは知り合いだもの。貴方だって、他寮の知り合いは沢山いるでしょう」
「……まあね」

友達という表現は相応しくないように思えて避けた。チャールズとは知り合って日が浅いから友達と言うには早い気がするし、リドルの知り合いに関しては友達と呼んでいいのかわからなかった。あちらはリドルを友達以上に思っているとしても、リドルはきっとそうじゃないだろう。リドルに友達なんていない。

「だが、君がわざわざこの悪天候の中で応援に行ったんだ。不思議に思う方が自然だろう? 」

遠回しな質問。核心を突かないそれに焦れて、ライムはつい刺々しい口調になった。

「目的が無いと、クィディッチの試合も見ちゃいけないの? 」

リドルの足が、止まる。
一段上へ踏み出したまま、手摺に手を掛ける。

「……行動の裏には理由があるものだ」

声は落ち着いていた。けれどその奥に潜む不穏な気配にライムの心がざわりと波立つ。

「リドルの場合は、そうなんだろうね」
「君は違う、と? 」
「違うよ。理由がないことだって沢山ある。全てに理由を求めるのは、リドルが私を疑っているからじゃあないの」

ライムは努めて落ち着いた声で話した。感情に昂ぶりを悟られないように。ぐっと手のひらを握りしめて、浅い呼吸を繰り返す。
ぽたぽたと、髪の先から雫が落ちる。それはライムの足元を濡らし、じわじわと黒い染みを広げていった。今の自分の心みたいだとライムは思った。

「疑われる心当たりがあるのかい? 」
「……ひとつも隠し事が無いなんて言えない。リドルだって、そうでしょう」

心当たりなんて無くても、きっとリドルは誰も信じない。わかっていた事じゃないか。理解者や賛同者を集めても、崇め心酔されても同じ感情は返さない。初めから自分を真実理解できる者などいないと決め付けている。そういう人だ。そういう人だとわかっていた。
なのに今更なんで、こんなに胸が苦しくなる。

「隠し事、ね」

リドルが振り返る。見下ろす視線はいつもより鋭く、暗く陰った瞳が冷やかな侮蔑を孕んでライムの全身を貫いた。

「僕の隠し事を、君は知っていると? 」

ライムは僅かに奥歯を噛みしめ、掠れる声で答えた。

「……ええ」
「それを信じているの? 」
「さあ」
「どうしてそこではぐらかすんだい? 中途半端に答えて、僕に揺さぶりでもかけるつもり? 」
「……そうでもしないと、貴方は本心なんて見せてくれないでしょう」

とん、と。一歩、踏み込んだ。
すうっとリドルの目が獣のように細まるのを、覚悟を決めて、瞬きせずにライムは見つめた。

「本心? 」
「リドルは誰も信じていない。誰にも心を許さない。利用できるものだけ利用して、不要になったらあっさり捨ててしまうのに、それに微塵も心を痛めない」

声が震える。口にすることで、リドルの機嫌を損なうことはわかりきっていた。

「目的の為になら、何だって利用する。人の心も、命だって。きっと」

口にした言葉が自分の胸に刺さる。そういう人だと知っている。なのに嫌えない。憎み切れない。

耳をつんざくような轟音と共に、窓硝子が揺れた。落雷だ。心臓の音がいやにうるさい。閃光が辺り一面を青白く染め、一瞬で光が散った。

「君は」

空気が張り詰める。手摺を握るライムの手に力がこもる。雨音と雷鳴が、耳に痛いほど鳴り響いている。なのにそのリドルの声が、嫌によく聴こえた。

「僕の何を知っている」

低い声だった。地を這うような、怒りを抑えたような、低い声。

俯いたリドルの顔を乱れた前髪が覆い隠す。リドルより下の段に立つライムからもその表情は見えなかった。

「リドル」

そのただならぬ様子にライムは眉を顰める。呼びかけても反応がなく、戸惑いながら一歩近付いた瞬間、リドルが動いた。

「リド」
「ーーーー黙れ」
「いっ……! うっ……」

一瞬で間合いを詰められ、ぐいっと容赦無く強い力でネクタイを引かれてライムはリドルの方に倒れ込んだ。膝を強かに打ちつけて、締まったネクタイが気道を圧迫し息が詰まる。止めようと反射的にリドルの手を掴むと、はっとするほど冷たかった。

「な、にすっ……! 」
「黙れ!! 」

激昂してリドルは叫ぶ。触れ合う程近く寄せられたリドルの顔にライムは絶句した。その瞳に浮かぶのは、紛れもない憎悪と苛立ちだった。

「君に何がわかる」

低く憎しみを押し殺した声。赤く染まった瞳からはぐつぐつと煮えたぎる感情が透かし見える。これ程間近でリドルの顔を見ることは稀なのに、その肌の青白さや造形の美しさを気にする余裕も今のライムには無かった。

ぐいっと更にネクタイを締められて、押し潰された気道が悲鳴を上げる。酸素が足りない。苦しい。ぶつけられた感情の激しさに目が、逸らせない。息が出来なくて、リドルの手から逃れたいのに、少しも身動きできなかった。

「君に一体何がわかる」

それは鈍い絶望だった。
気を抜けばすぐ、侵食する闇に何もかも飲み込まれそうな程暗く粘度のある絶望が、リドルの瞳の奥に沈殿していた。

「リドル」

唇が震える。絞り出したそれは縋るような声で、ライムはその情けなさに内心笑った。偉そうな事を言っておきながら、情けないほどに無力だった。

──こわい。この人が離れてゆくのが。
リドルの抱えるものは重過ぎて、一人で抱えていればいずれ必ず無理が来る。
たった一人で沈んでゆくこの人を、私は止められるのだろうか。この人は止められる事を、少しも望んでもいないのに。

『望んでいないと、どうして言える? 』

────わかりますよ、ダンブルドア。こんなに近くで見ていれば。考えの全てはわからないけれど、望んでいないことくらい、嫌でも。
リドルは歪んでいるけれど、その感情の向かい方は哀しいくらいに真っ直ぐだ。怒りや悲しみや、そういった鬱屈した感情を全て負の方向へと向けてしまった人。
ライムとは向かう道が正反対で、そんな人に……そんな人を、どうして止められるというの。止めて、いいの?
この人は人並みのものに価値を見出さない。この人は他人と同じものを嫌悪している。この人は凡庸さを憎んでさえいる。私は、私ごときに一体何ができるというのだろう。

「何も知らない癖に、知った風な口ばかりきいて! 突然来て、踏み込んで引っ掻き回して……! 君を見ていると、無性に苛々する! 」
「っ……」

勢いよく背中から手摺に叩きつけられてライムは呻いた。
足から力が抜けてずるずると座り込む。荒い息の合間に瞬きして滲んだ視界を払う。胸が熱くて、鼻の奥がつんとした。

リドルの言う通りだった。
他人の本心なんてわからない。自分の気持ちさえわからなくなるのに、どうして他人のそれがわかるというのだろう。踏み込んで、引っ掻き回して。拒絶されて当然だった。

「僕の中に誰を見ている」

その一言に、ライムは凍り付いた。ひゅっと喉が鳴る。肯定したも同然だった。

「不快だ。不愉快だ。気に障るんだよ、本当に」

憎しみを込めた目で、リドルは睨む。

「君の存在自体が気に食わない。突然現れて、何もかもわかったような顔をして。なのに肝心なことは一つも口にしない」

苛々と髪を掻き上げて、言葉にならない感情にまた苛立つ。

「なのに! 」

荒い息を繰り返すリドルは何かと葛藤しているようだった。ぎり、と歯を食いしばって端正な顔を歪めて唸る。

「こんなこと……認められるものか!」

吐き捨てるようにリドルは叫んだ。

「君さえ来なければ! 君さえいなければ! 何もかも上手くいったのに!何もかもが順調だったのに! どうして今更、こんな……っ! 」

剥き出しの感情をぶつけられて、揺らぐ姿を見せられて、ライムは胸が握りつぶされるような思いだった。

言ってしまおうか。全て。今までのこと、何もかもを、ここで。
ぐっと、抑えきれない感情が喉元へとせり上がってくる。思わずリドルの方へと手を伸ばしかけて、ぎゅっと手のひらを握りしめた。

だめだ。まだ、だめ。
手持ちのカードが少ないのに、今ここで切り札を切るわけにはいかない。ただでさえ勝ち目の少ないリドル相手に。
リドルにずっと会いたかった。できることならあの最期を変えたかった。けど、変えたいのはリドルの最後だけじゃない。生きていてほしい人たちがいる。変えるためには、動くのは今じゃない。だから。

ぐっと言葉を飲み込んで、ライムは「それでも」と、囁くような掠れた声をふり絞る。

「それでも私は、貴方に会いたかった。……どうしても」

弾かれたように身を引くリドルの顔は驚愕に染まっていた。理解ができないものを前にして、その瞳には僅かだが怯えの色が浮かんでいた。

ライムはリドルが離れた隙に立ち上がって、一気に階段を駆け下りた。後ろは振り返れなかった。
乱れたネクタイとローブもそのままに、ただひたすらに駆けた。呼び止める声は、終ぞ聞こえてこなかった。


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