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  夢の銀河を渡る


列車の揺れか、それとも船をこいだのか。

かくんと大きく揺れた拍子に、こつりと小さく音を立てて硝子と頭がぶつかった。遅れてきた痛みに手を伸ばして側頭部をさすると、目の前から忍び笑いが聞こえた。

「痛そうだね」
「え?」
「良く眠っていた」

低く穏やかな声だった。 顔の近さに思わず息を詰めて固まる。のぞき込むように顔を寄せていたリドルは、その反応を楽しむようにふっと息を吐いてから、ゆっくりと離れていった。

「りど、る?」
「寝ぼけているのかい?」

信じられない思いで名前を繰り返したライムを物珍しそうに見つめると、リドルは驚くほど柔らかい声でそう問いかけた。
慌てて辺りを見回せば、随分と見慣れない景色が広がっていた。
タタン、タタン。規則的に続く揺れと音は、一体いつから続いていたのだろう。人気のない車内は、決して静かとは言い難い。絶え間なく聞こえる走行音は耳にうるさく、揺れも穏やかとはほど遠い。けれど不思議と人の眠気を誘うのが列車という乗り物の不思議だ。
そう、列車だ。電車と呼ぶにはいささかレトロすぎる内装。革張りの椅子の背は硬く、あまり長旅向きではないように思える。窓枠も金属ではなく木製で、硝子は張り詰めたように薄く、振動に合わせてガタガタと揺れる。
窓の外はしんと静かな暗闇で、今が一体何時なのかも、一体どこを走っているのかもわからなかったが、少なくとも列車が走り始めてから随分と経っているのだろうということだけはわかった。

「……本当に、リドルなの?」
「別人に見えるかい?」
「いいえ」

硬い革張りの椅子もまるで王座であるかのように座るその尊大さ。私が良く知るトム・リドルそのものだ。傲岸不遜な態度と裏腹に神経質そうな表情も。かつて過ごしたホグワーツでの穏やかな日々の中で、幾度も目にした、どこか気を許した風な態度も。
ーーけど、けれど。私と今のリドルは、こんな関係ではないはずだ。
そもそも、ここは一体どこなのだろうか。いつのまに列車になんて乗ったのだろうか。泡のように浮かび上がる幾多もの疑問。どれから口にするべきか、とライムが考え倦ねていると、そんな胸の内を見透かすようにリドルは笑って「これは夢だよ」と言った。
その言葉にああやっぱり、と思うと同時に、なぜだか言葉にならないほど、胸が詰まった。

「外を見たかい?」
「外?」

窓の外は 真っ暗で何も見えないけど。そう返したライムを、リドルは小馬鹿にするように笑って、もう一度見るようにクイと顎で窓を指した。
渋々とライムは再び車窓へと目を向けて、目を凝らした。初めはやはり何も見えなくて、揶揄われたのかと思って声を上げようとした。その時、視界の端を何かがよぎった。
おや、と思い身体を窓により近づけてよくよく目を凝らして見れば、窓の向こう側で、青白く光る水面が揺れていた。いや、あれは水面ではない。銀色の空のすすきが一面に広がり、涼やかに吹き渡る夜風にさらさらと音を立てて揺れて波立っているのだ。明るく光るその光源は月だろうかと、天を仰いで見たけれど、見慣れた月はどこにもなく、すすきは冴え冴えと光っていた。

「……これは、夢なのね」

何かの本で読んだ、夢のように美しい風景。夢でしか、ありえない風景だ。
ああ、これは夢だ。だからこそこんなにも非現実的で美しく、悲しいまでに全てが儚い。
規則的に響く列車の走行音。目の前に座るリドルはいつの間にか少年から青年の姿に変わっていて、先ほどに比べると髪もやや伸びたようだった。面差しが、随分と大人びた。
ライムの知らない、リドルの姿だ。

「これが夢なら、今のリドルは私の理想の姿なのかな」
「おや、こういうのが好みなのかい?」
「どうだろう」

リドルが好きだ。それは今も昔も変わらない。でも、好きだけではどうにもならないこともある。

「ーー会いたかった?」
「全然」
「嘘が下手だね」

唇を噛み締める。そう。嘘だ。嘘だよ。望んでも叶わない夢などもう見ないと、あの日誓ったのだから。

「嘘が下手になったね。僕の知っている君は、もっと嘘が上手かった。いや、嘘しかなかったとも言える」

言葉とは裏腹にその声には責める色は微塵も無かった。ただ淡々と事実を述べるだけのリドルの瞳は凪いでいた。

「……わたしが、あのままあそこに留まれたら。何かが変わった?」
「さあね。変わったかもしれないし、変わらなかったかもしれない。どちらにせよ、もう誰に知ることはできないことだ」
「そう」

ライムは目を瞑って、座席に深く腰掛けた。
さらさらと、音が鳴る。涼やかで硬質な細かく散らばる無数の水晶がぶつかり合って砕ける音だ。列車の外の音なのに、やけによく聞こえた。

「叶えたい願いがあるの」
「そのために君はここに来たと?」
「ええ」
「それは、君の今までの全てを捨ててまで、叶えたいもの?」

じっと、黒い黒曜石のような瞳が見つめる。暗い夜の澄んだ湖面。底にあるものを見透かそうとのぞき込めば、忽ち無数の手が伸びてきて、こちらを闇に引き込もうとする。 そんな瞳でリドルはこちらを覗き込んでいた。

「そうだよ」

もう、とっくに選んでしまった。子供じみた願いとだ笑われようと、非現実的な夢物語だと馬鹿にされようと、私の心は変わらない。
夢だ。今のこの時間も、リドルやみんなが死なない未来も。全て夢。 でも、まだ。まだ未来は決まっていない。起きたことは覆せないと言うのなら、起きる前に変えればいい。それがどれほど困難なことでも。チャンスがあるのに手放すなんて、どうしたってできなかった。
どちらを選んだって後悔はついて回る。人生は選択の連続で、選ばなかった方の道の先に何があったかを人は時折夢想して、後悔して、それでも選んだ方の道を歩き続けるしかないのだろう。

「そう」

リドルは意外なことにそれ以上は言及してこなかった。ただどこか寂しそうに、ふっと長く息を吐いて、ほんの少しだけ瞑目した。

「そんな君だからこそ、僕は惹かれたのかもしれないね」

今となってはもう、わからないけれど。言外にそう含ませて、リドルは小さくぽつりとつぶやいた。

「……けど、リドルに勝てる気がしない」

震える唇からこぼれ落ちた、弱音。誰にも言えない。どこにも吐き出せない。ここには全てを知るダンブルドアもいない。真に味方となってくれた友も、全て過去に置いてきた。そんな中で実際どうやってリドルに勝てばいいのか、どうしたらリドルを止められるのかわからなかった。力で勝てる相手だろうか。いくら今のリドルが学生だからと言っても、リドルは既に秘密の部屋へと歩を進めている。

「勝つ必要なんてあるのかい」
「え?」
「君の目的は何?僕を打ち負かし、倒すこと?」

違うだろう、とリドルは笑って言った。

「……違う」

そうだ、違う。リドルに勝つことが目的じゃあ、ない。 なら。それならば。私にだって、選べる道があるのではないか。目の前の霧が晴れていくような感覚に、背筋が震えた。

「僕は僕であって僕ではない。ここはそういう場所だ。誰もがどこかを目指して乗り込んできて、いつかどこかで列車を降りていく。けれど僕は、ずっとここにいる。ここで、いつまでもたどり着かない場所に着くのを待ち続けている」

リドルの瞳の奥で、炎のような紅い光が揺れている。

「ここは全ての狭間のような場所。君が行くはずだった場所と、行かなかった場所と、行こうとしている場所の全てに繋がっている。けれど繋がっているからと言って、そこで必ずしも降りられるわけではない」

歌うように紡ぐ言葉は抽象的で、読み解こうとする前にリドルは言葉を重ねて笑う。

「選択肢は無数にあり、それに伴う未来もまた無数にある。選ばなかった道の先も、この列車は通過する。垣間見ることはできても、選ばなかった駅で降りることは出来ない」

口元に浮かぶ穏やかな微笑み。私の知らない、リドルの表情。

「ーー貴方は誰?」
「トム・リドル」
「どの?」
「さあ?全ては過ぎ去りし過去だ。その砂時計で過去には戻れても、真にあの日には戻れない。あの日の君と今の君は、もう別人だからだ」
「どう、いう」
「君は同じ道を辿るために、過去に戻ったのではないんだろう。ならばやはり、どうしたって二度と、あの時の僕と君が辿るはずだった未来には永遠に辿り着けないんだろうね」

「ここが君の夢ならば、いつまでも辿り着けないこの列車こそが、君の心の内を現している。夢は見るものの深層心理の反映だというだろう?」
「深層心理」
「君は僕を切り捨てることができない。変えるつもりで過去へ渡り、同時にもう戻れないあの日の先をいつまでもこうして夢に見続けている」

頭上で「君は馬鹿だね」とリドルが言う声がした。
反論しようと喉元まででかかった言葉は、漏れそうになった嗚咽と共に無理やりに飲み下した。喉の奥からごつごつとしたものが込み上げて、鼻の奥がつんとする。失礼な物言いだと思うのに、不思議とリドルにそう言われることは嫌じゃなかったなと今更ながらに気がついた。

「夢は覚めればそのほとんどが忘れ去られる。覚えていられる夢など、見た夢の中のほんの一握りでしかないのだから」
「……私は目覚めたら、貴方をまた忘れるの?」
「さあね。でも、僕は君を覚えているよ。この先もずっと。辿り着く先のないこの銀河をめぐる鉄道に一人、揺られ続けたまま」

そんな。それはあまりにも悲しくてさみしい。二の句がつげずに黙り込む私を見て、リドルは目元を和らげる。こんなやさしい表情もできるのかと、見惚れるほどに柔らかい。

「君がいつかの世界で読んだ本の、僕が辿る愚かな結末よりは、よほどマシだろう」
「リドル」
「君も、もう降りる時間だ」

白い手のひらが、ライムの視界を覆う。眠りを誘うような低い声が耳朶を震わせ、身体から力が抜けてゆく。

「おやすみ、僕のライム。いつかまた君がこの夢に辿り着ける日があれば、またひとときの旅をしよう」


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