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  憎しみの行き着く場所


嵐だ、とライムは思った。

クィディッチ競技場は暴風雨の中にあった。試合開始から既に二時間近くが経っている。途中激しく降り出した雨に視界は奪われ、地上からは上空の様子がほとんどわからなくなった。屋根のない観客席の端っこで、ライムは傘もなくずぶ濡れになりながら空へ目を凝らした。

『ジョーンズがゴールを決めた! グリフィンドールリード! 』

実況の声を頼りにライムはゴールポストの方を仰ぎ見る。霞む視界に微かにゴールポストの輪郭が見えるだけで、びゅんびゅんと飛び回る選手の顔まで判別はつかなかった。かろうじてユニフォームの色でどちらのチームかわかるくらいだ。
状況把握に四苦八苦する観客席にはお構いなしに試合は進行していく。こんなにも酷い天気の中でも、選手達は見事な箒捌きでフィールド上を縦横無尽に飛び回っていた。

『バインズ選手にブラッジャーが直撃! さあスリザリン、後が無い! 』

試合開始と共に勢い良くゴールを決め先制していたスリザリンチームも、天候の悪化と共に徐々に失速していった。スピードに特化し電光石火の勢いで点を繋げるスリザリンは短期決戦向きだ。好天時ならばスリザリンの勝率が高いざ、この悪天候は持久力のあるグリフィンドールに優位に働いた。

土砂降りの雨を吸ったユニフォームは重さを増し、横殴りの風は箒の軌道を阻害する。寒さと視界の悪さに体力は徐々に削られていき、折角つけた点差は着実に縮まっていった。スリザリンの速さに翻弄されていたグリフィンドールも、徐々に追い上げていった。

グリフィンドールの衰える事ないスピードに、今度はスリザリンが窮地に追い込まれていく。不明瞭な視界。死角から放たれるブラッジャー。スリザリンも必死に喰い下がったが点差は広がる。実況で試合経過を把握する応援席はじりじりと追い詰められる状況に声を張り上げながらも苛立ちを募らせていった。

『グリフィンドールがスニッチを見つけるのが先か! スリザリンが追いつくのが先か!? 両者一歩も譲りません!』

空は更にどす黒く染まり、鉛のように重い雨粒が観客席にも容赦無く打ち付けてきた。傘なんてもうとっくに吹き飛ばされて何処かへ行ってしまった。あったとしてもこの天候では役には立たないだろう。雷が鳴っていないのが不思議なくらいだ。マグルの世界ならばすぐに試合中止になるのに、クィディッチは決着がつくまで何日でも続く。

これ以上長引くと危ないーー選手も、観客も。ライムがそう、思った時だった。

『スニッチだ! ポッター選手がスニッチを見つけました! 』

興奮気味に叫ぶ実況者の声に、観客席が湧く。ピッチの興奮と緊張が一気に高まった。

『遅れてブラック選手が追いかける!! 』

頭上を高速で吹き抜ける風。箒の軌跡が空間を切り裂いて、チカチカと瞬くように赤と緑が絡み合って翻る。

チャールズとオリオンが何処にいるのかわからずライムは空を仰ぐ。無意識に手を祈りの形に組んでいた。必死に目を凝らした先、遥か頭上に微かに二人の人影が見えた。

『ブラック速い!! ポッター間に合うか!?』

ライムの目に、スニッチは見えなかった。実況者の声を合図に、シーカー同士がもつれ合いながら稲妻のように落ちて来る。箒にぴったりと身を伏せて、弾丸のように飛ぶ二筋の閃光。地上に煌めくのは、金色のスニッチ。

熱狂、興奮。観客席が生き物のようにうねる。二つの影が重なって、弾けるように別れた。

口々に叫ぶ声援は雨音をも掻き消して、試合終了の声と共に爆発した。


****


ーーーー試合はグリフィンドールの勝利で終わった。

コツン、コツン。ひと気のない廊下に足音が反響する。
ライムはぼんやりとした足取りで廊下を歩いていた。轟音のような雨音と歓声がまだ耳の奥に残っている。

降り出した雨と共にかけた防水呪文はいつの間にか切れていた。試合に夢中なライムが気付いた時にはもうすっかりびしょ濡れになっていて、かけ直す事は諦めた。
城に戻った時に服は魔法で簡単に乾かしたが、雨水のせいかごわごわとして少し気持ち悪い。髪はまだ少し湿っていて冷たかった。早くに戻って着替たいが、ライムはまだ談話室には行きたくなかった。

スリザリンが大敗したことでスリザリン生は恐らく相当荒れているだろう。とばっちりを喰らうのはごめんだったし、ライム自身も自分の寮が負けたことに少なからずショックを受けていた。まだ所属して一年も経っていないのにショックを受けている自分でもびっくりしたが、これも馴染んできた証拠なのだろう。それがまた、複雑だった。

少しだけ、遠回りして帰ろう。そう思っていつもとは違う道へ足を向けてゆっくりと城を巡っていた。

「あなた、は」

声に驚きライムが振り返ると、先ほどまでピッチを飛び回っていたオリオンがそこに立っていた。

クィディッチローブもセーターもずぶ濡れで、足元の床の色が変わるほど水がしたたっている。まるで服のまま湖を泳いだかのようだ。力なく掴んだ箒からも水滴が零れていて、目は虚ろだった。
着替えもせず一人佇むその様子は明らかに異常だった。そのあまりの姿に、ライムはかける言葉が出てこなかった。

「……どうして」

抑揚のない声がオリオンの唇から漏れた。小さな声なのに耳に届いた。何時にも増して暗い瞳が、濡れたままのライムの髪をじっと見据えた。

「どうして、観に来たんですか」

決して近くはない距離だ。なのにその声は、鋭くライムに刺さった。今まで聞いたことの無い程に強く、敵意を剥き出しにした声だった。

「どうして、って……その、応援に」
「応、援」

焦点がぶれていたオリオンの瞳が急激に力を帯びる。瞳孔が収縮し、濡れて張り付いた前髪の下から、ぎらぎらと憎しみのこもった目がライムを射抜く。

「……応援? 今更、貴女が? 」

オリオンは鼻で笑った。何がおかしいのか、そのまま肩を揺らして笑い出す。

「応援、応援……今まで全く興味もなさそうだった貴女が? 笑わせないでください。……どうせ寮杯にも興味なんてないでしょう。周りにだって、誰にも」

声が激しさを増していく。叩きつけるように、強く。嵐のように。

「なのに今更、応援! 一体誰を応援するって言うんです? どうせ、冷やかしでしょう」
「ちが、っ」
「誇り高きスリザリンの名を汚す振る舞いばかりして、好き勝手に引っ掻き回して、貴女はいつも邪魔ばかりする!! 」

向けられたのは見下す目だった。
心臓が鷲掴みにされたように跳ねる。息が苦しい。
酷い言葉を言われているのはライムの方なのに、何故だか言葉にしたオリオンの方が傷付いているように見えた。

「オリ、オン」
「気安く呼ぶな、穢れた血」

踏み出した足が止まった。投げつけられた言葉に息を飲む。込められた憎しみと怒りにライムはたじろいだ。

「貴女は……お前なんかが、どうしてスリザリンにいるんだ……! 」

吐き出した言葉はそこで途絶えた。
オリオンは何も言わず、ライムは何も言えず、長く重苦しい沈黙が落ちた。

「ーーーー見苦しいね、ブラック」

その場の空気を打ち破ったのは、飄々とした声だった。
弾かれたように顔を上げたオリオンの視線が、ライムの背後に向けられる。その瞳に驚愕が浮かび、直様それは憎しみに変わった。

「曲がりなりにもお貴族様ともあろうお方が、随分と汚い言葉を使われるんですねえ、びっくりだ。育ちが知れますよ。……それとも元々、そういう育ちだったとか? 」

ライムはゆっくりと振り返る。
廊下の真ん中を堂々と歩いて来たのは、先ほどまで試合に出場していたチャールズ・ポッターだった。ずぶ濡れなのはオリオンと同じ。なのにその態度は正反対で、不敵な笑みを浮かべたまま肩に箒を担いで悠々とこちらに歩み寄ってくる。

「お前と話す事なんか無い、ポッター。下がれ」
「おや、さすが。命令するのは板についてますねえ。けれど残念。僕は生憎君の家名に微塵も興味が無いんだ。従う道理がない」
「うるさい。お前と話すと品性が下がる」
「おや、口でも勝てないからって試合放棄とは。負けを重ねたくないからって情けないね、本当」
「何だと……? 」
「負けるのは試合だけで充分だろう? 負け犬ブラック」
「ポッター!! 」

オリオンが吠えた。噛み付くように杖をホルダーから引き抜き至近距離で突きつける。
憎しみのこもった目だった。視線だけで人を射殺す事が出来そうな程、その力は強かった。

一瞬にして杖を取り出し構えた二人に、ライムは驚き立ち竦んだ。

「おや、下級生が僕に勝てるかな? 決闘のやり方はまだ教わってないだろう? 」
「そんなもの、教わらなくとも充分だ! 純血だからって調子に乗るなよ……! 」
「その言葉、そっくりそのままお返しするよ! 」

チャールズの目も本気だった。一触即発の雰囲気になった二人は、そのまましばらく睨み合う。

「血を裏切る者め」
「家名にしか価値が無い君に何を言われても響かないね」

怒りに燃えるオリオンとは対照的に、チャールズはこの状況を楽しんでいるようだった。チャールズの背にさり気なく庇われたライムはどうするべきか迷い、唇を噛み締めた。


「オリオン・ブラック」

その場に割って入った声に、電流が走ったようにオリオンの肩が跳ねた。

「何をしている」

長い銀糸を揺らして悠々と歩み寄って来たのは、アブラクサス・マルフォイだった。

「出場選手は試合後のミーティングの筈だろう。早く戻るべきだと思うがね」
「……っ、ですが! 」
「オリオン・ブラック」

冷たい声に、オリオンはびくりと肩を震わせた。いつになく醒めた瞳に、ライムの背筋が冷える。

「君の役目は何だ? 私闘も結構だが、義務を果たしてからにしろとわざわざ言わなければわからない程、君は愚鈍な人間だったのかな」

薄っすらと笑うアブラクサスの目には少しも優しさが無かった。喘ぐように口を開き、反論の言葉を探したオリオンは、悔しそうに拳を握りしめた。

「君は賢明だ」

満足げにそう言うと、アブラクサスは僅かに微笑んだ。そして意気消沈したように項垂れたオリオンを見つめてから、こちらへと向き直った。

「後輩が失礼したね、ライム」
「いえ……」

金縛りが解けたように力が抜ける。ようやく息ができた気がして、ライムは内心ホッとしていた。続けて話しかけようとしたアブラクサスの言葉を、背後からチャールズが遮る。

「やあ、こんばんは、マルフォイ。僕もいるんだけど、謝罪の言葉は無いのかな? 」
「……目上の者には敬意を払うものだと、君の家では教えないのかな、ポッター」
「敬意を払うべき相手には払うよう、しっかりと教わりましたよ。その見極め方もね」

傲岸不遜。その言葉がぴったりなチャールズの態度に、アブラクサスは呆れたように息を吐いた。

「相変わらず怖いもの知らずだな。それでは命を縮めるぞ」
「ご心配なく。両親含め我が家は皆長寿ですから」
「運がいい。君は、勇気と無謀を履き違えない事だ。と言っても、君にそんな分別が備わってはいないだろうが。……まあいい、今は君の相手をしている程暇ではないのでね。さあオリオン、戻ろう。失礼する」

アブラクサスに窘められてからオリオンは一言も喋らなかった。先程までの勢いが嘘のように黙りこくったオリオンは背を押され、ゆっくりと歩き出す。

二人の姿が曲がり角の向こうに消えるまで、ライムにはその背中を見送る事しかできなかった。

「さて、大丈夫かい? お嬢さん」
「……ゴド」
「おや、種明かしが早いね。折角もう少し楽しめそうだったのに」

肩を竦めるチャールズに、つい溜め息を吐く。

「だって貴方、気付いていたでしょう」

そうでなければこうして助けになんて入らない。ゴドと……チャールズ・ポッターと知り合ったのはあの夜が初めてで、それ以外に接点なんて無かったのだから。

「いつから気付いていたの? 」
「別れ際かな。君って結構目立つから。確信は無かったけど、さっきのやり取りを聞いてわかったよ」
「そう……」
「服、濡れていないね」
「乾かしたの。簡単にだけど」
「へえ、さすがだね」
「……そんなんじゃないよ」

力無く否定するライムを見て、チャールズは表情を引き締めた。

「気にしているの? ブラックの言葉」
「……少し」
「あんなの八つ当たりだよ。お気に入りのご主人を取られたようで気が立っているのさ。気にするまでもないと思うけどねえ」
 
けらけらと笑うチャールズの表情はいつも通り曇りない。迷いがないな、とライムは思った。少しだけ、羨ましいとも。

「そんな年下に喧嘩を売るのも大人気ないと思うけど」
「僕はまだ大人じゃないからね」
「オリオンに比べたら大人よ」
「でもまだ学生さ。その間は子供でいられる」
「本っ当に、調子いいんだから。……貴方って変な人よね」
「それはどうも」

似ている。言葉が、仕草が、表情が。
……違うのに。

「君は、奇妙な表情をするね」
「奇妙……? 」
「そう。何か言いたげだ」
「そんな事ない」
「あと、意外と嘘が下手だね」
「やめて」
「僕が誰かに似てる、とか? 」

ぐっと、言葉に詰まった。

「ほら、やっぱり下手だ」

そう言って、悪戯っ子のように笑う。
ぴょんぴょん無造作に跳ねた黒髪に丸眼鏡。見上げた先にある顔は、残酷なまでにあの友人に似ていた。

「……違う。違うよ。貴方じゃ、ない」
「そうだね。僕は僕だ」

それは穏やかな声だった。

「君は違いをわかっているからこそ、そうして苦しんでいる。混同していたらそんな態度は取らないよ」
「チャールズ……? 」
「違うからこそ、苦しい。違う? 」

そうかもしれない。けど、リドルは違う。ジェームズとチャールズはどんなに似ていても別の人間だ。けれど、リドルは。リドルは、同じだ。

「君の事情は知らない。知らないままの方がきっといいんだろう。ちょっと気になるけどね」

同じ? 本当に?
私は過去をやり直している。過去を変え、未来を変えるために。同じ日に再び戻り、別の日を迎えるために。
変えることで違う結果を得るために。では、もし、変わったら……リドルも変わったら、それは同じリドルと言えるんだろうか?

「それとも、悩んでいるのは別のことかな」

どうしてそんなに鋭いのだろう。リドルとは似ても似つかない。なのにこうして全てを見通すように、踏み込んでくる。リドルとは違うのに、リドルと同じように。リドルとは違うやり方で。

「ーーーー見つけた」

突如割って入った声に、二人の動きが止まった。

「探したよ。クィディッチを観に行くって言っていたのに全然戻って来ないと思ったら……こんなところにいたんだね。戻ろう。もうじき夕食だ」
「リドル……」

ローブの裾を靡かせて歩み寄ってきたのは、リドルだった。

「おやおや、今日はやけにスリザリン生に会う日だな」
「君は確か……チャールズ・ポッター」

リドルは歩みを止めて目の前に立つチャールズを見た。その目に微かに警戒の色が浮かんだが、チャールズがそれに気付いたかはわからない。
チャールズはニコニコと愛想良く笑いかけ、握手を求めるように手を差し出した。

「覚えていてくれたなんて光栄だ、トム・リドル」
「知らないわけがないさ。有名なクィディッチの選手である君を」

リドルは差し出された手を取った。リドルの言葉にチャールズはニヤリと笑う。

「嬉しいね。君はあまりクィディッチに興味が無さそうだと思っていたけれど。応援席で見かけることも滅多にないし」
「……試合中に応援席のことまでわかるのかい? 」
「ああ、もちろん。シーカーは視力が良くなけりゃダメだからね。それに、君は目立つ。君が思っているよりも、ね」
「そう。さすがグリフィンドールのシーカーだね」

先程のアブラクサスの時とは打って変わって友好的な雰囲気だった。チャールズの意外な態度に、ライムは驚いた。

「そういえば、戻らなくていいのかい? この子を迎えに来たんだろう? 」
「ああ、そうだね。そろそろ失礼するよ。じゃあ行こうか、ライム」
「あ、うん……」
「またね、ライム」

呼ばれた名前にびっくりして振り返る。ひらひらと顔の横で手を振るチャールズに、戸惑いながらもライムは手を振り返した。

「またね、チャールズ」


一歩先行くリドルの背を追う。背後は振り返らずに、ただ今は、真っ直ぐに。


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