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  幸せのかたち


朝起きて談話室に行くとリドルがいて、挨拶をしてから大広間へと向かう。他に人がいないのにわざわざ離れて食べるのも不自然なので一緒に朝食をとる。食後は城を気ままに散策して、飽きたら図書館でリドルと過ごすのがすっかり当たり前の流れになった。
夜は必要の部屋か談話室で勉強する事が増えたし、口数は少ないながらも、課題の合間にぽつぽつと会話は続いた。

ゆっくりと染み入るように、お互いの存在が日常に馴染んでいく。  
そんなクリスマス休暇も、じきに終わろうとしていた。
 
「雪、止んだね」
 
先程まで深々と降り続けていた雪は何時の間にか止んでいた。吹き付ける風は強く、白く曇った硝子を小刻みに震わせる。窓の外には灰白の雪景色が広がっていて、見ているだけで寒くなるなとライムは思った。
 
静謐さに満ちた図書館には人の気配が薄く、まるで貸切のようだった。
 
「……まさかまた雪遊びがしたいなんて言うつもりじゃあないだろうね」
「言わないよ、さすがに」
 
ライムは苦笑した。
あれ以来警戒しているのか、リドルはライムが雪の話題を出すと顔を顰めるようになった。
 
「一人で遊んでもつまらないもの」
 
どうせリドルはもう付き合ってはくれないだろう。一度付き合ってくれただけでも奇跡なのだ。だからもう無理を言うつもりは無かった。

「そうだろうね。また霜焼けを作られたらたまらない」
「……さすがにもう手袋はするよ」

雪遊び自体、しばらくするつもりは無いけれど。そう内心でつぶやいて、ライムは開いていた本を閉じた。閉じた拍子に埃が舞い上がり、リドルが顔を顰めた。

「じゃあ、お先に」

鞄に荷物を詰めて立ち上がったライムに、リドルが首を傾げた。寮に戻るにしても、いつもより時間が早い。

「どこに行くんだい? 」
「夜の散策」
「行き先は? 」
「未定です」
「……一応監督生として言っておくけれど、夜間の外出は校則違反だからね」

消灯時間までもうあまり時間が無いのを確認して、リドルはそう釘を刺した。

 「校則違反の常習者からアドバイスが貰えるなんて、光栄ね」
「僕は真面目に言っているんだけど」
「わかってるよ、大丈夫。門限には間に合うようにするから」

ライムはクスクスと笑ってリドルにそう言った。けれどそれを信じていないのか、直ぐに荷物を纏めて立ち上がったリドルに、ライムは苦笑した。

「何だか保護者みたいだね」
「そう思うなら、少しは反省して欲しいものだね」

飽きれたようにそう言うリドルの表情は、思ったより嫌そうに見えなかった。

 
****
 
 
空から太陽の姿が消えて久しい。
細かく砕いた鏡の破片を撒き散らしたように瞬く無数の星が、遥か頭上に広がっていた。緩く滑らかな曲線を描く天の河。星があまりに多いから、夜空はぼんやりと薄明るい。

「綺麗だね」

ライムは背後に立つリドルにそう話し掛けた。
塔の最上部には勿論他の人影は無く、緩やかに冷たい夜風が吹き抜ける。

この世界に来て知った事。夜空の明るさ、星の数、月光の冴え冴えとした美しさ。
それを、リドルと共有したいと思ったのだ。美しさに微塵も興味を抱かない、この人と。

「星に興味が? 」
「まあ、それなりに。リドルは? 」
「手の届かないものに、興味は持たない」
「……リドルらしい」

吐き出した言葉は震えていた。胸を突き上げた激しい感情に戸惑って、ライムは口を固く引き結ぶ。

────何で、急にこんな気分になるのだろう。

ライムは不意に泣きたくなった。リドルに思いの丈をぶちまけて、何もかも打ち明けて、泣いて縋ってしまいたくなった。リドルがあまりに揺らがないから、あまりにあの日のままだから────リドルならば、こんな荒唐無稽な話でもあるいは受け止めてくれるのではないかと、ほんの一瞬、期待した。

でも、出来ない。そんな事は許されない。

これは自分が選んだ道だ。リドルは何も知らないし、知らない方がきっといい。

それなのに、わかっているのに、自分の感情なのに制御がきかない。上手く扱えない。息が上手く出来なくて、ライムは皺になる程強くネクタイを握った。

沈黙は長くその場を支配した。会話が不自然に途切れても、リドルは何も聞いては来なかった。

「遠いね」

星が。心が。
続く言葉はどちらなのか。ライム自身にもわからなかった。

「よいしょ、っと」

ライムがごろんと床に寝転ぶと、背中に一瞬で鳥肌が立った。氷のように冷たい石畳は固く、寝るには少し都合が悪い。

「寝にくい」
「当たり前だろう、寝る場所じゃあないんだから」
「けど、気持ちいいよ。星が良く見える」
 
夜空は相変わらず綺麗だった。
見上げた先にある数え切れない程の無数の星々。星の海。手を延ばして掻き混ぜたらきっと、さらさらと澄んだ音がするのだろう。そう、思った。
 
「物好きだね」
  
開いた口から白煙が立ち上る。リドルはライムを見下ろしたまま、両手をそっとローブのポケットに仕舞い込んだ。その動作がなんだか少し子供っぽく見えて、ライムは静かに笑った。

寒さはとっくに限界を超えていたけれど不思議と心地良く、室内に戻る気にはなれなかった。まだこの時間を壊したくはなかった。
 
「まあね」
 
触れれば容易く壊れてしまう。踏み込めばきっと崩れてしまう。この関係は雪の結晶のように儚い。
 
「休暇ももうじき終わるね」
「そうだね」
「そうしたらこうして気軽に寮を抜け出したり出来なくなるなあ……」
「……君ならいつでも好き勝手に抜け出しそうなものだけれど」
「さすがにそんな事はしないよ」
「どうだか」
 
呆れたように息を吐くリドルの姿は見慣れたもので、ライムは何故だかそれに安堵した。気付かれていない。大丈夫。それでいい。
 
「ライム」
 
張り詰めた声が、名前を呼ぶ。
ライムは瞬き、寝転んだままリドルを見上げた。

「君にとっての幸せって、何? 」 
 
懐かしい、質問だ。
答えはきっと変わらない。けれど答え方は違う。
 
「……平穏かな」
「平穏? 」
「そう。家族や友達や自分の大切な人達が笑っていられるような、そんな平穏」
「それが君の幸せ? 」
「多分、そう」

曖昧な答え。言葉を探して、ライムはそれをゆっくり繋げる。

「大事なものは沢山あるけど、全部なんて選べない」
 
私にそんな力は無い。
だからただ、生きていてくれればいい。私はそこにいなくても、大事な人が何処かで生きて、幸せに暮らしていてくれたら、それで。
 
「それは本当に、幸せなのかい? 」
「────え? 」
 
思わぬ問いに、振り返る。ライムの視線の先で、リドルは神妙な顔をしていた。
 
「大事なものの、ほんの一部だけしか、君は、選ばないのかい? 」
「……選べないよ。生きていてくれるだけでも、充分だもの」
「本当に? 」

ライムは困惑した。質問の意図をはかりかねて口ごもる。そんなライムには構わずにリドルは尚も続ける。

「死ぬよりはマシなだけだろう。それが幸せとは思えない」

ライムは戸惑って言葉を探した。リドルからそんな答えが返ってくるなんて、思ってもみなかった。

「けど、けど、そんなに多くは望めないよ。だってそんなの、現実的じゃあないし──」
「理想なんて、概ね非現実的なものだろう」
「そうだけど、でも」
「何故そんなに否定するんだい? 望む事は自由だろう。自分で自分の望みを制限する理由なんて無い筈だ」
「だけど、私にそんなことを望む権利なんて無い」
「そんな事を誰が決める」

答えに詰まった。
誰に────誰が、駄目だと言った?
言われていない。そもそも誰も、真実を知らない。けど、だからって、何でもしていい事にはならない筈だ。
 
「だって、そんな……欲張りだよ。全部、なんて」
 
叶わないのに。今ののぞみでさえ、ライムにとっては大き過ぎる。
 
「僕は、君自身がどうしたいのか、どうしたら幸せなのか聞いているんだ」
「私、自身? 」

語気が強い。リドルの声に苛立ちが滲む。けれどそれに、ライムは益々戸惑った。

「他人の事まで背負う必要なんて無いだろう」

リドルは何も知らない。だからそう言える。けれど、けど。

「わからない。……わからなく、なっちゃった」

ははっと、力無く笑う。
一際強く風が吹き、顔の火照りと共に髪を吹き散らした。緩やかに舞い上がり落ちる髪を見つめながら、ライムは小さな声でつぶやいた。

「……何だろうね、幸せって」
 
答えは出ていると思っていた。
のぞみは今でも変わらない。未来を変えたい。大事な人達に生きていて欲しい。平穏こそが幸せだとも思う。
けれど、別に今すぐ答えを出す必要なんて、無いのかもしれない。
 
「リドルって、欲張りだよね」
「理想が高いと言って欲しいな」
「調子いいんだから」
 
リドルの態度に、ライムは笑った。何故だか不思議と気持ちが軽くなっていた。

夜空に瞬く無数の星々。人の手では、到底掴めない筈の存在。ずっとそう思っていた。だから手を伸ばす事もしなかった。

────けれど。

「リドルには、敵わないなあ……」

諦める必要なんて、無いのかもしれない。未来なんて不確かなものを、自分自身で狭めてしまうのは勿体無い事なのかもしれない。

「当然だよ」


いつか。
リドルとなら星にだって、手が届くのかもしれない。


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