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  理解出来ぬゆえの


招かれた部屋には先客がいた。促され、扉を開けた先にあったのは二脚の椅子と小さなテーブルだけで、豪奢なカーテンや絨毯に反して絵画や調度品といった無駄なものは何一つとして置かれてはいなかった。予想より部屋は広かったが薄暗く、テーブルの上にある燭台の明かりが唯一の光源のようだった。

躊躇して、足を止めたオリオンの背後でアブラクサスが小さく笑う気配がした。

「お連れしましたよ」

呼びかける声が中へと吸い込まれてゆく。どろりと濁った闇のように暗い室内に目が慣れない。動いた人影を見極めようと瞬きをすると、ぼやけた輪郭が少しだけはっきりとした。
オレンジがかった炎の色に照らされた背の高い人物が、オリオンを招き入れるためにゆっくりと立ち上がる。

「やあ、君が今年の“ブラック”か」

不躾とも言えるその言葉に、オリオンは反射的に眼光を鋭くした。一瞬で胸に沸き上がった反感は、しかし男の顔を見た瞬間に消え失せた。

暗がりに溶け込むようにして立つその人は、見知った人物だった。

「トム・リドル……? 」

自然と開いた口から、呆然とした声が滑り落ちる。目が合った瞬間、悪寒を伴った衝撃が電撃のように背筋を走った。
濡れたような艶を放つ黒髪が、青白い陶器のような肌を縁取っている。すっと一筋通った鼻梁が目を引き形の良い唇が親しげに弧を描く。その他大勢の生徒と同じに決められた揃いの制服に身を包んでいながら、その端正さには隙が無かった。
ただオリオンを見据える目ばかりがぎらぎらと鋭く光っていて、獣のようだと思った。

知っている。この人を。けれど違う。これは、誰だ?
着ているものも、髪形も、姿かたちは全て同じ。いつも見かけるトム・リドルそのものだ。スリザリンの上級生で、誰より優れた才能の持ち主で、この城にその名を知らない者などいない程有名な人。
何一つとして変わらないはずなのに、受ける印象は全く違った。

「ああ。僕のこと、知っているんだね」

嬉しそうに、笑みを含んだ声音でそう言った。

知っている。――――知っていたと、思っていた。だが既にその認識は過去のものだった。

いつ、扉を閉めたのか。どうやって椅子に座ったのか、覚えていなかった。気が付いたらリドルは再び椅子に腰かけていて、オリオンも向かい合うようにして座っていた。

未だかつて、こんなにも緊張したことがあっただろうか。両親の前でも客人の前でも、オリオンはあまり緊張しない性質だった。幼い頃からほとんど泣かず感情を表に出さない冷静な子供だと、そう称されることばかりだったし、自分でもそう思っていた。

けれど、どうだろう。

蛇に睨まれた蛙のように、竦み上がって身動き一つとれない。リドルは笑っているだけなのに、言い知れぬ恐怖を感じた。くつろいだ様子で紅茶を口にするリドルとは対照的に、目の前のティーカップに手を伸ばすことすらオリオンはできなかった。自分に決定権など無いのだと、本能的に悟っていた。

「飲まないのかい? 紅茶が冷めてしまうよ」
「っ……僕、は」

喉につかえて言葉が出ない。何か言おうとして頭の中でぐるぐると言葉がまわるけれど、そのどれもが稚拙で不十分で、この場で口にするには相応しくないもののように思えた。

「君の話は聴いているよ。口が固く冷静で、物怖じしない。大層優秀で分別があり、将来的にはブラック家の家督を継ぐ話も出ているとか」
「いえ……そんな、ことは」
「謙遜する必要は無い。ここで心にも無い御世辞を述べるつもりは無いさ。僕はそれが事実だと思ったから、君に興味を持ったんだ」

くすくすと、リドルは軽やかな笑い声をもらしてオリオンの顔をじっと見た。楽しくてたまらないと言うように。

「君ならば、僕の話を理解してくれると期待して」

空気が重く張り詰めた室内で、リドルだけが愉しげだった。リドルの周囲だけ時間の流れが違うようにゆるやかで、何もかもが異常だった。

恐ろしかった。この男の全てが。
けれど同時に、どうしようもなく惹かれた。それは抗い難い魅力だった。

「────いや、理解できる者ならば他にもいる。それに価値が無いわけではない。けれどそれ以上の、共感者が、僕は欲しいんだ」

リドルは目を細めると、口元を緩ませてその手を差し出した。

「会えて嬉しいよ、オリオン・ブラック。君を歓迎しよう」

そう言って美しく微笑んだその人を、僕は生涯忘れない。



****


休暇が明けたばかりの週末を図書館で過ごす奇特な生徒は少ないようで、広いその空間にはいつも以上に静謐な空気が満ちていた。吹き抜けのように高い天井。無数に聳え立つ重厚な本棚。分厚い本の数々が埃を被って静かに沈黙している様は荘厳でさえあった。
普段なら聞こえる小声のさざめきや本のページを捲る音も聞こえず、まるで世界にはオリオン一人しかいないような錯覚に陥る。

この場所は嫌いではない。ただ、飲み込まれそうで少しだけ恐ろしい。

小さく身震いをして、オリオンは目当ての本を探すべく、図書館の奥へと足を進めた。


まだ日が高いためか、図書館の中は思ったより明るかった。高い天井に相応しく高い窓からは柔らかな光が射し込み、ゆったりとした速度で舞い踊る埃が金粉のようにきらきらと光っていた。

「……? 」

ふと、人の気配がした気がして立ち止まる。背後を振り返るも変化は無く、そこにはただ狭い通路と等間隔に並ぶ本棚の壁が見えるだけだ。気のせいか、と再び歩き始めたオリオンの視界の端で、黒い何かが蠢いた。

誰かいたのか。知らぬうちに油断していたのか、少しだけ心臓が跳ねる。特にやましい気持ちも無いのだが、何となく身を隠すようにして様子をうかがった。

髪の長さから女だとわかる。ローブの裏地の色はグリーンで、背丈はオリオンよりあるから歳上のスリザリン生だろう。
オリオンからは背中しか見えない。けれど本を取り出して、本ではなく本棚の奥をじっと見ているその様子は少し不自然で、ただ本を探しているようには見えなかった。

「ライム・モモカワ……? 」

身動きした拍子に顔が見え、思わず小さく名を呼んで慌てて口を噤む。意外な人物の姿に、オリオンは戸惑った。

話しかけるべきか、気付かれぬようにやり過ごすべきか。
あの御方が傍に置く以上無碍にも出来ず、かと言って積極的に関わりたいかというと、そうでもない。正直、よくわからないのだ。ライム・モモカワはオリオンの周りにはいないタイプだったし、正直に言えば苦手なタイプだった。

性格は悪くない。むしろ、世間一般では好まれるタイプだと思う。勉強熱心で成績も良好、教師からの受けもいい。愛想はいい。スリザリン生らしい強かさもある。けれど、何かが引っかかる。一度覚えた違和感はそう簡単には拭えない。

────正直、見なかったふりをしたい。そんな欲望がむくりと頭を擡げたが、それを無理矢理押し込めて、オリオンは渋々声を掛けることにした。

「そこで、何をしているんですか」
「っ!? 」

鋭い声に、ライムの肩がびくりと跳ねた。振り返りざまにバランスを崩し、ぐらりと体が後ろに倒れる。見開かれた互いの瞳がぶつかって、オリオンは思わず引き止めるように手を伸ばした。

「危な――――」
「ちょっ、待っ、ストップ! 」
「えっ? ──うわっ!? 」

伸ばした手がライムの手首を掴む。その瞬間に、がこんと何かがはまる音がした。足元が沈み、バランスを崩した身体を支えようとオリオンが手を伸ばした先には、あるはずの壁が無かった。指先が空を掻いて、視界が傾く。

ライムの背後の棚が奥に沈み込み、二人は壁に開いた穴に吸い込まれるように倒れ込んでいった。

「いっ……た……」
「うっ……」

叩きつけられる音。くぐもった声。
冷たい床に倒れ込んだまま、暫しの沈黙が落ちる。打ち付けた膝が痛み、倒れまいと咄嗟に着いた手のひらが擦れて疼く。しばらく痛みに呻いた後で、オリオンはのろのろとした動きで身体を起こした。

「うっ……」
「いたた……あー、オリオン、大丈夫? 」
「……平気です。貴方は? 」
「たぶん大丈夫」
 
その返答にオリオンはそっと安堵の息を吐いた。ライムは一応女性ではあるし、あの御方が気にかけている人だ。怪我でもされたら困る。
気付かれぬ程度に抑えて再び息を吐き、オリオンはそっと自分の体に異常がないかを確かめた。次いで周囲を見回したが、辺りは真っ暗で何の明かりも無かった。

「あー……あのさ、オリオン」
「何でしょう」
「ええと、落ち着いているところ悪いというか……ちょっと言い難いんだけど……退いてもらえないかな? 」
 
ライムの言葉に、オリオンは首を傾げ、視界が悪いながらも手探りで今の状況を確認して────青ざめた。
オリオンは両手両足を床に付き、四つん這いになっている。そしてその両足の間に何か────温かい、ものがある。
そう言えば、先程の声は自分の下から聞こえなかったか。

「……その、そろそろ起き上がりたいなーって」

ぎこちない笑い声が聞こえる。自分の下から。
つまりそれは、オリオンがライムを押し倒している状況だった。

「……っ!? 」
「痛っ! 」

たまらずオリオンは叫んだ。慌てて飛び退いた拍子に足が体に当たったのか、ライムは痛みに呻いた。
 
「えっ、あの、す、すみません……その、大丈夫ですか? 」

焦りと困惑と羞恥で息が上がる。一瞬で頬に朱が差した。跳ね上がった心臓を何とか宥めて、オリオンは恐る恐る声をかけた。

「大丈夫じゃないです」
「……大丈夫ですね」
 
あっ、酷い。そんなライムのつぶやきが聞こえた気がしたが、オリオンはそれを綺麗に無視した。そしてわざとらしくため息を吐く。

ふざける余裕があることがわかって、オリオンは即座に冷静さを取り戻した。むしろそんな態度をとるライムに僅かにだが苛立ちさえ覚えた。

暗闇に目を凝らしながらオリオンはライムを踏まないようゆっくりと立ち上がると、先程から抱いていた疑問をぶつける。

「……で、ここは何処ですか」
「さあ? 」
「さあ、って……」
「私にも良くわからないよ。どこだろうね。図書館の隠し部屋なのは確かだろうけど」

まだ声は下から聞こえたので、ライムはどうやら床に座り込んでいるらしかった。確かにこの暗闇では下手に動くよりその方がいいかもしれないと思い感心したが、先ほどの恥ずかしさがまだ残っているのか自然とその口調は鋭くなる。

「じゃあ、さっきは一体何をしていたんですか? 随分と不審な動きをしていましたが」
「不審な、って……ちょっと調べていただけだよ。本を探していたら不自然な本を見つけたから」
「不自然? 」
「うん。何ていうか……本が一冊だけ変に飛び出してたんだよね。雑に突っ込んだのかなと思って直そうとしたんだけど、奥まで入らなくて。それでよく見てみようとしたところでオリオンが来て、驚いた拍子に何処か変なところを押しちゃったみたい」
 「……なるほど」

突然声をかけたのがまずかったのか。原因の一端が自分にもあったとわかって少し気まずく、オリオンは視線を彷徨わせた。

「ルーモス」

杖に明かりが灯る。
突然ぼうっと浮かび上がったライムの顔に驚いたものの、オリオンもローブのポケットから杖を取り出すと急いでそれに倣った。
 
「まさか、とは思ったけど、隠し部屋への入り口だったんだね。こんな所にまで隠し部屋があるなんて、さすがホグワーツ」
 
そう話すライムは何だかこの状況を楽しんでいるように見えた。それが不思議で、オリオンは浮かんだ言葉をそのまま口にする。
 
「楽しそう、ですね」
「え? 」
「こんな状況なのに、嬉しそうだなと思って」
「ああ……だってワクワクしない? 図書館に隠し部屋なんて」
「しません」
「冒険みたいでウキウキしたりは? 」
「しません」
「……オリオンって冷静だよね」
 
ある意味リドル以上に。と続けたライムの言葉が少し引っかかったものの結局無視して、オリオンは明かりのついた杖を掲げて辺りの様子を確認する。
灯った光は真っ暗だった空間を煌々と照らし出す。背後を振り返っても、扉らしきものは無かった。そこには継ぎ目のない岩肌があるだけで、押しても叩いても何の変化も起こらない。開錠呪文も効果は無く、これでは戻ることはできないだろうと判断した。
 
「随分と、広い空間ですね」
 
声が反響する。その音から天井はさほど高くないことがわかる。僅かに風が吹いているのか、髪がそよいだ。入った場所から戻ることを諦めて背後を振り返ると、目の前にはごつごつとした石壁と、同じく石の床が細く長く続いていた。
 
「そうだね、道も結構先まで続いていそう」
「入口は、こちらからは開かないようです」
「そう……閉じ込められちゃったね」
「……そうなりますね」

まさか、城の中でこんな目に遭うなんて。折角の休日が台無しだ。

「じゃあ、とりあえず進もうか」
「下手に動いては危険では? 」
「待っていたって誰も来ないよ。なら、ひとまずは出口が無いか探った方がいいと思う。体力がある内にね。無ければまた戻ってきて、出る方法を考えよう」

その提案を、オリオンは渋々ながらも承諾した。オリオンが頷いたのを確認して、ライムは壁際に寄った。杖腕とは逆の手を壁に付き、ゆっくりと先へ進んで行く。その背中を、数歩空けてオリオンは追った。
 
 
****
 

それは道とは名ばかりの、広さだけはある洞穴のような通路だった。岩肌をくりぬいたような床は荒く、歩くたびにオリオンの足裏に固い石の感覚が伝わる。道は曲がりくねり、長く続いていたが幸いにも一本道だった。
会話も少なく、ただ黙々と歩いた二人の息が上がってきた頃、ようやく代わり映えのしなかった景色にひとつの変化が現れた。

「ねえ見て、あれ」

ふと足を止め、潜めた声でそう言ったのはライムだった。
ごつごつと荒い地面に躓かぬよう気を配りながら、オリオンはライムの横に立ち、指し示す先に目を凝らした。
 
「ドア……ですか? 」

こんな所に、と驚くオリオンの横でライムは神妙な様子で頷いた。代わり映えのしない石壁に、突如として出現したのは一枚のドアだった。杖明かりを掲げ、ゆっくりと近づく。

「古いね。鍵がかかっている」

木で出来ているそれは見るからに古そうで、長い年月の中で風化したのか随分と痛んでいた。
 
「アロホモーラ」
 
解錠呪文を唱えると、小さな金属音を立てて鍵が解けた。
二人は自然と息を潜めて目配せをし、ゆっくりとそのドアを押し開けた。
 
ドアの向こうに広がる空間は差程広くは無かった。天井は低く圧迫感があり、先程まで歩いていた通路より数段埃っぽい。
 
「何ここ……物置? 」
 
床に、棚に、テーブルに。様々な形状の道具が乱雑に捨て置かれていた。錆びてくすんだゴブレットと埃まみれのガラスのポット、破れた絵画に空っぽの額縁。ガラクタのようなものに埋れた空間が、そこには広がっていた。

「人が立ち入った形跡は無さそうですが……」

歩く度に何かが足にぶつかりガチャガチャと音がする。床に分厚く積もった埃が絨毯みたいになっていて、靴を通して奇妙な柔らかさを伝えてくるのが気持ち悪くて、オリオンは顔を顰めた。
 
「どの本もぼろぼろですね」
 
オリオンはそう言いながら、手近なところにあった本棚に手を掛けたが、想像以上の埃に怯んで手を止めた。指先に付いた埃に顔を顰めてハンカチで拭うと、ハンカチでそっと摘まむようにして本を引き出した。途端に鼻を突く独特の匂いがして、オリオンは思わず息を止めて顔を背けた。
 
「うわー、本当。酷い状態だね」
  
ライムの言葉通り、そこにある本はどれも開いた拍子にばらばらになってしまいそうな程痛んでいた。保存状態が極悪だ。一体どれくらい古い本なのだろうか。こんな状態の本を司書の先生が見たら発狂しそうだな、とオリオンは思った。
 
「読める状態ではないですね」
「うん。……でもさ、気になるよね、内容」
「まさか、読む気ですか? というか読めるんですか、それ」
「それは試してみないとわからない」

そう言うと、ライムは躊躇わず素手で本を掴み、表紙を開いて目を通し始めた。汚れを気にしないことにぎょっとしたものの、その内容が気になって、オリオンは恐る恐る尋ねた。
 
「……何て書いてあるんですか? 」
「えーと、ちょっと待ってね。良く読めないんだよね。部屋は暗いし本は古いし」
 
そこまで言って、ライムは咳き込む。換気なんて何十年もされていないのだろう。明かりで見える範囲だけでもものすごい量の埃が積もっているのが目に付いて、オリオンはローブの袖で口元をしっかりと覆った。
 
「これ……」
 
真剣に本を読んでいたライムが不意に声を上げた。何事かと訝しむオリオンに目を向けて、ライムはやや戸惑いがちに続けた。
 
「────創設者の話だ」
 
紙の上に綴られたサラザール・スリザリンの文字に、ライムの目は自然と引き寄せられる。英国の魔法使いならば誰もが知っているその名前。この学校を創り、スリザリン寮を作った、偉大なる魔法使い。
 
「何か目新しいことでも? 」
「……ううん。特には」
 
ライムが話したあらすじは誰もが知っている話だった。四人の創設者がホグワーツ魔法魔術学校を創り出し、生徒を集め、教え、やがては袂を分かつまでの、伝説に近い昔話。イギリスの魔法使いならば誰もが一度は耳にする話だ。

何の面白みも無いその結果に、オリオンは拍子抜けした。
期待外れもいいところだ。こんな大層な隠し部屋にあるのだから何か特別な内容でも書いてあるのかと思ったが、中身はホグワーツの歴史に書かれているものとほとんど変わらない。オリオンは途端に興味を無くして本棚から目を離す。
けれどライムは違ったのか、先程までの気楽そうな表情とは打って変わって神妙な顔をしていた。

「オリオンはさ」
「はい」
「マグル生まれをどう思う? 」
「どう、とは? 」
 
随分と抽象的な問いかけだった。真意をはかりかねて、オリオンは問い返す。

「言葉の通り。マグル生まれの魔女や魔法使いに関して、どう思うのかってこと」
 
真面目な声に、オリオンは暫し黙り込み、ややあって口を開いた。
 
「不要な存在です」

きっぱりと答えたその言葉には迷いなど少しも無くて、ただ事実をありのままに述べている口ぶりだった。

「血の正統性は保たれなければならない。魔法族の力は魔法族だけのものです」
「オリオンは純血主義を支持しているの? 」
「もちろんです。正しいスリザリン生ならば、皆そうだと思いますが? 」

今更わかり切ったことを聞く。小馬鹿にするようにせせら笑うと、オリオンはすらすらと暗唱するように続けた。

「マグルとの共存なんて不可能ですよ。それはマグルによる差別の歴史を見れば明らかです。僕たちに彼等は必要ではない、と。僕たちは僕たちだけでやっていける。不用意に関われば、悪い結果を招くだけ」

長きに亘る迫害の歴史。火あぶり、拷問、正しい知識も無いままに、ただ疑心暗鬼に走り闇雲に異質なものを排除した。そんなもので僕たちは消せないのに。どこまでも愚かで、弱くて、惨めだ。

「でも、みんな魔法使いや魔女だわ」
「でも、貴女はスリザリンでしょう」
「……そうだけど」
 
口ごもるライムに、オリオンは冷たい目を向ける。
 
「貴女も、穢れた血を擁護するんですか」
「その呼び方は、好きじゃない」
「事実でしょう」
 
オリオンは目線を鋭くして、笑い交じりに吐き捨てた。その言葉は嘲笑うような響きを含んでいた。
 
「純血の魔法使いだけの世界に、未来があると思うの? 」
「もちろんです」
「こんなに純血と呼ばれる魔法使いの数が減ってきているのに? それでもオリオンは、マグル生まれがいない方がいいと思う? 」
「そうあるべきです。それが現状難しいというのなら、そんな現状こそ正すべきだ」
「……マグル生まれや半純血と呼ばれる魔法使いや魔女にだって、優秀な人は沢山いる。それは貴方だって、よく知っているんじゃないの」

じっと、訴えるような瞳を向けてくるライムを、オリオンは冷ややかに見下した。

「現にスリザリンにも半純血やマグル生まれの生徒はいるわ」
「そんな状況を正すために、かのサラザール・スリザリンは動いた。結果的に彼は城を去りましたが、上手くいけば、こんな事態にはなっていなかったでしょう」
「……オリオンは、純血主義者なのね」

そう言うライムはどこか悲しげだった。それは憐れむような目だった。怒ったり、苛立ったりする様子も無い予想外のその反応に、オリオンは勢いを削がれて口を閉じた。
 
「でも、じゃあリドルは――――」
 
小さく漏れたその名前に、オリオンの動きが止まった。
 
信じられない。
今、この人は何を言った。
どうしてその名を挙げる。どうしてそれを知っている。あの御方が話した? いいや、そんなはずは無い。そんな大事なことを漏らすはずが無い。ならば誰かが伝えたのか? それもありえない。こんな、ぽっと出の闖入者に話を漏らすような愚かな人間に、あの御方が事実を明かしているはずが無い。そんなこと、あってはならない。

「あなた――――貴女は」

唇が震える。確かめなくては。
何を言った。何を知っている。一体何処まで踏み込んだ。害になるならは排除しなければならない。邪魔立てするなら消さなくてはならない。今ここで。
あの御方の邪魔になるものならば、その手を煩わせる前に、僕が、この手で。

杖を、向ける。
その杖先が自分に向けられているのを見て、ライムはどこか寂しげに笑った。
 
「っ……」

戸惑って、オリオンは言葉に詰まった。
何故そんな表情をするのかがわからない。何か言葉をぶつけられる方が楽だった。受け流して切り捨てればいいのだから。いつものように。なのにこの人は――――わからない。何を考えているのかわからない。
どうしたらいいのかも。

「何で、っ」

杖を持つ手が震える。沸き上がった怒りと戸惑いとが入り混じって、ぶつけどころを見失って苛立ちが募る。行き場の無い感情を持て余して、けれどそれを口にすることは出来なくて、オリオンは無意識に唇を噛み締めた。
 
「オリオンは何が知りたいの? 」
 
真っ直ぐに向けられる視線が痛いと思った。声は静かなのに、強い意思を感じた。

「貴女の、ことです」
「……違うよ、それは」
「違いません! 何がわかるんですか、貴女に! 」

噛み付くようにそう言っても、ライムは目を逸らさなかった。

「……オリオンが本当に知りたいのは私のことじゃあない。私に興味があるんじゃない。リドルが私に構う理由を探してる。耳にする噂でもなく、自分自身が求める答えを。だからこうして、関わりを持とうとする。本当は関わりたくないのに」
「何を、言って」
「納得するための答えが欲しいんでしょう? きっと君にとって私は、不可解で不愉快で……理解ができない存在だから」
「違う! そんなんじゃない、僕はただ、あの御方に──」

オリオンは強く頭を振った。思いを上手く言葉にできず、ただ否定したい気持ちばかりが強烈に浮かぶ。けれど何を言えばいいのかわからない。

「違います! 僕は────僕はただ」
「リドルの期待に応えたい? 」
 
言葉に詰まったオリオンに、ライムは微笑みかける。思いがけず優しい声だった。
 
「貴方はすごく、真っ直ぐだね。そういうところ、私は好きだよ」
「なっ、何を言って 」
「でも、リドルは」
 
遮って、躊躇いがちに途切れた言葉。その先を探るようにライムの目線が彷徨う。
 
「……リドルは誰にも、期待なんてしていないのかもしれない」
 
その声に滲むような諦めに、オリオンは言葉を失った。

期待していない? そんなはずは無い。だってあの御方はいつだって僕らに目をかけてくれている。秘密を打ち明け共有し、同じ目的の元に動いている。期待していないなんて、そんな馬鹿なことがあるものか。

────本当に?

あの御方は期待してくれているのだろうか。僕らを信頼してくれているのだろうか。そんな疑問を、今まで微塵も抱かなかったと言えるんだろうか?

「……っ」

何で躊躇う。どうして迷う。
疑う余地なんて無いはずなのに。こんなことを考えること自体が、裏切りじゃないか。

湧き上がった否定の言葉を、オリオンは結局唾と共に飲み込んだ。

ライムは何も追及してこないオリオンに驚いた様子だったが、やがてその意を汲んだのか、いつも通りの口調で「帰り道を探そうか」と言った。
それ以上の会話は無かった。


通路に出たオリオンの頬を、ぬるい微風がそっと撫でる。目の前には、暗い道が延々と続いている。明かりも無く、先も見えない闇の道。
けれどそれに怯まずライムは歩いていく。杖に明かりを灯し、真っ直ぐと風が吹く方へ。


話せば話す程疑念は深まる。わからなくなる。危険だとさえ、思った。

(なのに)

オリオンの胸中には昨日までとは違う感情も生まれていた。それが何なのかはまだ、よくわからない。
理解ができない。したいとさえ思っていなかった。けれど、けど。

(僕は何を迷っているんだろうか)

この人を、恐ろしいと思った。あの御方とは別の意味で。理解が出来ない。踏み込むことが怖い。踏み込めば何かが崩れてしまいそうで、関わるべきではないと本能が告げている。

「あなたは、どうして────」

それに続く問いは、ついに見つからないままだった。


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