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Complice
狩りをするなら新月の夜の方が良いのではないの? と聞いたイヴに、リドルは薄く笑んで首を横に振った。

「月明かりが無ければ、人は僕らの姿を見る事が出来ないだろう? 」

美しい吸血鬼。人から血を奪う為にその美貌を武器にする生き物。
花を喰らい、香りを生み出す。その香りは麻薬のように人を惹きつける。

「姿を隠す必要は無いんだよ」

捕食者の目で、リドルはそう言った。

暗い路地から一人の男が音も無く滑り出した。
男の数十歩先には若い女性がヒールを鳴らして早足に歩いていた。月影が照らす石畳に影が長く伸びる。
男が一歩進むたび、薔薇の香りが緩やかに辺りを包んでゆく。ゆっくりと、確実に 濃度を増してゆく芳香に気付いた女がふと、足を止めた。

「こんばんは」

すかさず背後から甘い声が響く。唐突に掛けられた声にビクリと身体を震わせ振り向いた女に、男が微笑みかける。警戒するように後退りした女に向けて、男は一歩踏み出した。

「君にお願いがあるんだ」

纏う薔薇の芳香が女を包むと、その瞳に浮かんでいた警戒心が消えてゆく。

女の表情が、とろりととろけた。

それが合図だった。
男の顔から愛想のある笑顔が抜け落ちる。瞬きの一瞬に、人の良い笑顔から能面のような無表情へと、男は仮面を脱ぎ捨てた。
思考力を奪われた女はぼんやりと立ったままで、男が近付いても最早逃げようともしなかった。男──リドルは距離を縮めて女の手を引き抱き寄せた。

「その血を、僕に」

徐々に薔薇の香りが強くなる。その度少しずつ恍惚の表情を浮かべてゆく女の輪郭をリドルの白い指が撫でて仰向かせる。露わになった首筋に薄い唇を寄せ、一気に牙を穿つ。一瞬にして女の身体が強張るが、リドルはそれに構わない。鋭い牙は柔らかい肉を喰い破り薄い皮膚の下を流れる血脈を探り当てると、静かに血を啜り始める。抵抗する力を失った獲物はぶるりと小さく震えると、そのまま力を失った。

「……不味いな」

女のだらりと投げ出された腕の白さが、月光の下で不気味に浮かび上がる。リドルはそれを、興味無さげに見下ろした。
弱い人間。抗う術も無く、目を付けられたら逃げられない、搾取されるだけの存在。その血に依存せねばならない吸血鬼。血が無ければ生きられない。それがたまらなく、嫌だった。

「────イヴ、もう平気だ。出ておいで」

やや間を置いて、呼び掛けに応えるように軽い靴音が路地に反響する。建物の陰から滑り出したのは、人形じみた容姿の少女だった。
シックなデザインのワンピースを着て、足元は石畳に不釣り合いな高いヒールを履いてゆっくり歩く。若葉色の瞳は夜の闇の中でエメラルドのように深みを増し、長い桜色の髪は緩く編み込まれ、磨いたプラチナのごとく光っていた。

「どうした? 顔色が悪い」
「……平気よ」

ぎゅっと下唇を噛み締めてそう返すイヴに、リドルは近付き手を伸ばす。

「……震えている」

リドルがそっと、頬に触れた。

「────っ! 」

ぱしん、と乾いた音が響く。反射的にはたき落としたてのひらを びっくりしたようにイヴは見つめる。

「ご、めんなさ……」

リドルは何も言わずゆるやかに微笑んでいた。仕方が無いな、とでも言うように。その表情を見ると余計に罪悪感が募る。

「僕が恐い? 」
「いいえ。────いいえ」

血を喰らうリドルは美しい。
その美しさが時折恐ろしくはあるけれど、リドル自身が恐いわけでは無い。吸血鬼を恐れるのは人間の本能だという。ならばイヴは未だにそれを捨てきれていないのだ。早く、馴染まなくてはならないのに。

「無理をする必要は無い。……少なくとも、僕の前では」
「貴方が恐いわけじゃあないの。ただ、慣れるのに時間がかかっているだけで……ごめんなさい」

申し訳ないという思いがイヴを苛む。リドルは優しい。こうして忙しい曖昧を縫って、触れたくもない人間に触れてまでイヴに狩りの仕方を教えてくれているのに。
リドルはあまり人間の血を好まない。神経質で潔癖性な彼は必要最低限の狩りしかしない。イヴが屋敷に来てからはその狩りもぱったりとしなくなった。

「無理はしなくていい。時間はある。文字通り無限に」
「……そうね」
「自分の牙の使い方くらい、覚えておいて損は無いだろう? 」
「ええ。…吸血鬼はみんな、こうして狩りを覚えるの? 」
「ああ。初めは皆、誰かの狩りを見て学ぶ」
「私も狩りをした方がいいの? 」
「いや。やり方さえ理解出来ればそれでいい。君は僕以外の血を飲む必要なんて無い」

口直しだ、と言って手を引くリドルに導かれて、イヴはその身体を寄せる。

「リドル……」

仰向いた先には月があった。白く冴え冴えと光る、夜の月。
外気に晒された無防備な喉が震える。寒さと、これから来るであろう痛みに。

「吸血鬼は血を糧に生きる。人間の命を削り取って、己の命に継ぎ足す」

言葉は明朗で淀みない。演説のようにすらすらと紡がれるそれを聞きながら、イヴはただ、月を見ていた。

「生き物はそれ単体では生きられない。生きるということは、奪うということだ。死という運命から逃れても、その枠組みからは逃れられない」
「生きる為に命を奪い、血を奪う為に花を喰らう。花は吸血鬼の行き着く先なのだから、結局は共食いだ。僕達はそれを繰り返すことで永遠にも近い時間を生き永らえる。────それを“生きている”というべきかは、わからないけれど」

自嘲するように薄く笑んだ。

「その枠から、唯一外れる方法は、君だ」

瞳は奇妙な熱を孕み、イヴをその場に貼り付けた。身動きできず、瞬きすら忘れてただ、リドルを真っ直ぐに見つめ返した。

「吸血鬼は愛する者の血を飲んだ時のみ、真に満たされる。他の人間の血を必要としなくなる。互いの血で、老いること無く永遠に生き永らえることが可能になる」
「私の血で、リドルは満たされるの? 」
「ああ」
「貴方は誰も愛さないのだと思っていた」
「……これが愛かはわからない」

間近で見上げた先にある瞳は、複雑な色をしていた。黒と赤とが入り混じる、深みのある宝石の双眸。

「けれど、僕を満たす存在があるとすれば、それは君以外にあり得ない」

トム・リドル。この男がイヴを殺した。人ではない、化け物へと変えた男。イヴはどうしても、この男を嫌いにはなれなかった。遠ざけようとしても離れられず、拒もうとしても抗い切れない。

「僕を満たしてくれ、イヴ」

その顔は、まるで道に迷った子どものように見えた。この人は飢えている。自分でもその飢えに気付かぬまま、ただひたすらに求めているのだ。

唇をなぞる指。白くしなやかなそれに身を委ねて、イヴは静かに目蓋を下ろした。

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【香水名】complice コンプリス(愛の罪人)
【ブランド】Coty(コティ)
【発売年】1973年
【香調】フローラルアルデヒド
【備考】直訳の意味は「共犯者」
香りはアイリスの強いフローラルアルデヒド。トップが過ぎるとすぐにアイリスが出てくる落ち着いた品の良い香り。香りはアイリスから次第にムスクへと変化し、パウダリーなムスクとなって肌の上に広がっていく。
ボトルはルネ・ラリックがデザイン 。


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