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Shalimar
この屋敷では、空に月が昇り始めてから人が動き出す。

煌々と照らされた屋敷の明かりが届かない庭の外れ。生い茂る薔薇の生垣の迷路を抜けた先には広い池がある。昼間は水鳥達が泳ぎ寛ぐ水辺も、真夜中となるとひっそりと静まっている。

池の中央の小島に設けられた東屋。
アーチ状の四本の柱が支える屋根の下。白で統一された椅子とテーブルは一目で高価とわかるほどに繊細なつくりをしていて、そこには二人の人影があった。

一人は華奢な少女。ゆるやかに弧を描く桜色の髪を背に流し、ぱっちりとした瞳はみずみずしいマスカットみたいなグリーングレイ。肌は一つの染みも無い雪の白。レースをふんだんにあしらった白いドレスを身に纏い、お行儀良く椅子に腰掛けている。
もう一人は細身の長身の男性。藍色の華やかな燕尾服を身に付けて、その肩ではゆるく束ねられた白銀の細い髪が身じろぎする度なめらかに揺れる。整った甘い顔立ちに人好きのする笑みを浮かべて、紅茶を飲みながら優雅に寛いでいた。

白磁のティーカップの中で、琥珀色の液体がたぷんと揺れる。やわらかに香り立つ甘い果物にも似た芳香に、イブはそっと目を伏せた。視界の端を掠めて揺れる、男の長い髪を見て まるで星の光を束ねたようだとイヴは思う。

リドルの側近をしているこの男は名をアブラクサス・マルフォイと言い、かつてリドルの学友だったという。以前アブラクサスについて尋ねたところ、リドルは珍しく嫌そうな顔をした。付き合いは長く、ブラック家の現当主であるオリオン・ブラックと共に同じパブリックスクールに通っていたらしい。
物腰は柔らかく、礼儀作法は完璧。口が上手くて何でもそつ無くこなす。女好きだしモテるが自分の立場をよくわかっているから危ない橋は渡らない。食えない男だと苦々しげに吐き捨ててはいたが、リドルは使えない者を重用する男ではないから、何だかんだでアブラクサスには信用を置いているのだとイヴは思う。

「イヴ様、どうしました? 」
「……え? 」
「何か気に掛かっているお顔だ」

つう、と猫のように目を細めて笑うアブラクサスの言葉につい、紅茶を飲む手を止めてしまった。こういうところがわかりやす過ぎる、とリドルに良く指摘されるのだが、ポーカーフェイスは難しい。
イヴは逡巡した後、真っ直ぐにアブラクサスを見つめて重い口を開いた。

「……不躾な質問かもしれません」
「構いません。ここには貴女と私しかいないのですから。リドルにも黙っていてあげましょう」
「本当ですか? 」
「貴女が望むなら。私は嘘など申しません」

大仰な身振り手振りでそう返すアブラクサスに、イヴはほんの少し目元を和らげて微笑んだ。

「ずっと、気になってはいたんです。けれど確信が持てなくて……。誰に聞いたらいいのかもはかりかねていたんです」

ソーサーに置いたカップがカチャリと小さく音を立てる。テーブルの中央に置かれた陶器の入れ物には菫や薔薇の花の砂糖漬けが品良く盛り付けられている。

「……吸血鬼が不死ならば、もっと数が多いものではないんでしょうか」

揺れる紅茶。その水面をじっと見つめてたまま、イヴはぽつぽつと浮かんだ疑問を口にする。

「私はこちらの世界に知り合いと呼べる方はあまりいませんが……話を聞く限りでも、その数が少ないように思えるんです」

貴族と呼ばれる特権階級。一般の吸血鬼。元人間の吸血鬼。
吸血鬼には年寄りと呼ばれる者もいるが、人間と比較すればその大半は若々しい外見をしている。
吸血鬼も年は取る。見た目が成人になるまでは数十年。その後も個人差はあるが変化は起こる。その速度が気が遠くなるほど遅いだけで、永遠に見た目が変化しないわけではない。
けれど不死ならば当然、数は減らない。むしろ年月を重ねるごとにその数は増えてゆくはず。
なのに、その数はあまりに少ない。

「……成る程、その疑問は最もだ」

その質問をどこか愉しむように口元に笑みをたたえながら、アブラクサスは言葉を続ける。

「吸血鬼は不死である――――これは、紛れも無い事実です。我らは死なない。けれど何もせずに永遠に生きられるわけでもない。生きるためには血が必要で、これを摂らなければ、いずれ枯れます」
「枯れる……? 」
「そう。花のように枯れるのです。そして枯れた身体は、砂のように脆く崩れ、花の種となる」
「花、に」
「ええ。人間の間では、我々吸血鬼は日の光に当たると灰になるだとか心臓に杭を打ち込めば殺すことが出来るだとか……そう言い伝えられているようですが、実際には違います」

東屋の周囲を取り囲む花々。色鮮やかなそれが、急に存在感を増したような気がした。

「何の花かはその吸血鬼によって違いますが、力の強い者の多くは薔薇の種になります。薔薇は花の中でも香りが強く、美しい花ですから。そして一つとして同じ花の種は無い。全て新種の花となり、庭や墓石の周りに植えられる」

イヴは息を飲み、震える唇を開いた。

「――じゃあ、この庭の花は……」
「元を辿れば、我らの祖先かもしれませんね。得られた種は風に乗り、世界中へと広がる。我々が喰らう花も、元は我々自身」

花を食べる、手が止まった。色とりどりの、砂糖漬けの花びら。その甘さが、口の中に広がったまま消えない。

「恐いのですか? 」
「恐い……? 」

問い返すイヴに、アブラクサスはどこか冷ややかな目を向けた。その温度の無い色に、本能的に身が竦む。

「それは人の感覚だ。早く捨てた方が良い」
「捨てる、って」
「貴女はもう、人ではないのだから」

話が逸れてしまいましたね、と言って長い足を組みかえると、アブラクサスは再び説明を始める。

「血を、飲まなくなった理由はその者によって異なります。単純に血を手に入れられなかった者、生きることに絶望した者、愛する者を失ったり、ただこれといった理由も無く飲まない道を選ぶ者も、少数ですがおります」

色の薄い唇が、甘やかに唄う。

「枯れてなお、花となって命を繋ぐ。無残な骸は曝さない――――美しい最期だとは、思いませんか? 」

瞳の奥がギラリと光る。それは花というより、獣に近い。鋭いそれは捕食者の目だ。

「まあ、イヴ様がそのような最期を迎える日など永久に来ないでしょうがね。貴女には、リドルがいる」

白銀の雪にひとしずくの青を溶かし込んだ、淡い水色の瞳。そこに浮かぶのは陶酔の色。
冷静に見える分、計り知れない狂気を孕んでいるようで、イヴにはそれが恐ろしく思えた。

「花になって、命を繋ぐ……」

それは死では無いのだろうか。
人だって、死ねばやがて土に還る。土は他の生命を育てる。そうして全ては巡ってゆく。
それと吸血鬼とでは、何が違うのだろうか。

「アブラクサス殿は、いつか花になりたいと思うんですか? 」
「……さあ、どうでしょうね。今は全く思いませんが、我等の時間は終わりが無い。永遠を生きる間に、そう願うようにならぬとも限りません」
「そう、ですか……」
「どちらにしろ、リドルが私の協力を求める間は永遠に、この身を尽くしてお仕えするつもりです」

優雅で華やかなこの男が花になるとしたら、薔薇だろうなとイヴは思う。幾重にも重ねられた天鵞絨にも似た花弁。それはどんな色をしているのだろうか。どんな香りがするのだろうか。
知りたいけれど、知りたく無い。

花になる最期を望む。いつか私にも、そんな時が来るのだろうか。

わからない。けれど願わくば、そんな日が永久に来ないようにと、イヴはひそかに祈った。

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【香水名】 Shalimar(シャリマー)
【ブランド】Guerlain(ゲラン)
【発売年】1925年
【備考】オリエンタル系の香水。ベルガモット、ローズ、ジャスミンなどの香りが特徴。
香水の名はシャリマール庭園に由来。サンスクリット語で「愛の殿堂」を意味し、レイモンド・ゲランとバカラ社による香水瓶はムガール帝国のストゥーパをモチーフにしている。


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