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Vol de Nuit
噎せ返るような薔薇の芳香。
白い瀟洒な屋敷を取り囲むように群生する花々は色も種類も様々で、そのどれもが美しく、月明かりの下で静かに咲き誇っていた。

黒と赤を基調にした配色の部屋。豪華な調度品に溢れた空間の奥、深紅の重厚な天蓋が包む広いベッドの中央に、一人の男が眠っていた。染み一つ無い肌は陶器のようにすべらかで、人形のように白い。少し長めの髪は墨を流したように黒く、磨いた大理石のように艶やかで、ほっそりとした輪郭をやわらかに縁取っていた。

「おはよう、リドル」

鈴が鳴るように空気を震わせる声。閉じた目蓋が震え、漆黒の長い睫毛の合間から、血色の瞳が覗く。

「おはよう、イヴ」

深みのある低音。掠れ気味の声からこぼれる色気。しなやかな体躯の獣がゆったりと身を起こす。シーツの擦れる音。身動ぎする度ゆるり と薔薇の香りが広がる。

「今日は随分と早いね」

男は何も身につけてはいなかった。彫像の如く滑らかな肌。美しい躰。目を逸らし無言で黒のガウンを差し出すイヴの頬が僅かに赤く染まっているのを見て、クツリと喉を鳴らす。

「まだ慣れないのか?」
「仕方ないでしょう」

忍び笑いを漏らしつつ、男──リドルは受け取ったガウンに袖を通す。ベッドから降りて立ち上がると、ゆっくりと部屋を見回した。
分厚く重いカーテンは引き開けられ、天井まで届く大きな窓の向こうには深い藍色の夜空が広がっている。まだ薄っすらと空が明るいから、日が落ちてそう時間は経っていないようだ。青白い月の光が絨毯に影を落とし、部屋を静かに照らしていた。

「君がこんな早い時間から部屋に来るなんて珍しいね」
「そう?」
「ああ。いつも使用人が起こしに行く迄グッスリ眠っている」
「そ、そんな事無いわ!最近は早く起きられるようになったもの」
「確かに、今日は早い」

そう言って宥めるように髪を撫でると、イヴは心地良さそうに目を細めた。その頬がまだほんのりと赤いのを見ながら、リドルは耳元で囁く。

「────喉が渇いた?」

首筋を晒しながら妖しげに微笑するリドルの様子に思わずイヴの喉が鳴る。白い首筋。透ける血管。触れれば脈打つ振動が指先に直に伝わる。それを良く、知っている。

……そう。欲しいのは、水じゃない。けれどそれを欲しいと言うにはまだ抵抗があって、イヴは自分の中で渦巻く欲を恥じる様に目を伏せて俯いた。

「まだ血に抵抗があるのかい?」
「……うん」
「可笑しな話だ。人間だって生きる為に他の生物を殺すだろう?それと何の違いがある」
「そうだけど、私は……」
「寧ろ僕らの方が、滅多に命を奪わないだけ“優しい”と言えると思うけどね」

嘲るように鼻で笑う。その顔に浮かぶのは侮蔑。されどそんな表情すら、少しもリドルの美貌を損なわない。

「でもまあ、君の戸惑いも理解は出来る。ついこの間まで同胞だった者達に牙を向ける事に抵抗を覚えるのは自然な事だ」

一変して、優しい口調でリドルは言う。
飴と鞭。この男はそれを使い分けるのが上手い。厳しく指摘したかと思えば頭を撫でて慰める。甘い声は心地良く、紡ぐ言葉は甘い毒だ。その度リドルの纏う薔薇の香りが強まって、上手く判断出来無くなる。香りに思考が塗り潰されてゆく。

「私は、もう人間じゃないわ」

それを振り払うようにグッと唇を噛みしめるイヴを 面白い、とばかりに見詰めている。あらがい切る事など不可能なのに、諦めきれずにあらがい続ける。そんなイヴが堪らなく愛おしいのだと、リドルは夜毎笑い混じりに囁く。何て悪趣味な男だろう。最低だ、と思うのに、どうしたって嫌いになれない。だから悔しい。

「そう。君は人間じゃない。人間だった君は死んだ。イヴ・ノアゼットは僕が殺したのだから」

愉しげに、歌うようにリドルは言う。君の命を刈り取ったのは自分だと、この男は何度も主張する。

「それを選んだのは私だわ」
「あの状況まで追い込んだのが僕だとしても?」
「それでも貴方は私に聞いた。選んだのはリドルじゃない」
「君らしい考えだ」

そう言ってリドルはイヴの腰を抱き寄せた。密着した身体には体温なんてほとんど無いはずなのに、熱い。間近でぶつかる視線は強く、蕩ける程甘くて逸らせ無い。

「ねえイヴ。何が欲しいか言ってご覧?」

ゆらりと揺れる 血の色だ。リドルの瞳は何より赤い。

「私は……私が欲しいのは────」

耳元に顔を埋めてそっと囁くと、リドルは満足気に微笑した。

「良く出来ました」

この男は何処も甘い。甘いから幾ら飲んでも渇きが満たされない。だから喉が渇くのだ。

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【香水名】Vol de Nuit ヴォル・ドゥ・ニュイ (夜間飛行)
【ブランド】Guerlain(ゲラン)
【発売年】1933年
【香調】オリエンタルウッディ
【備考】1931年に発売されたサン=テグジュペリの作品にインスパイアされたオマージュ作品。


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