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Plorogue
両親が死んだ。
それは受け入れ難い現実だった。

当たり前の日常が今はもうどこにも無い。当たり前だからといってそれに甘えたり、蔑ろにしてきたわけでは無い。いつだってみんな、大好きで、自分なりに大切にしてきたつもりだ。なのに壊れるのはこんなに容易い。

あたたかな記憶はそのまま私の心を抉る刃になった。記憶があまりに甘いから、どこまでも優しいから、それを失った今はひたすらに私を苦しめる。苦しめるのは記憶なのに、記憶しか残されたものが無いから捨てられなくて、大事に握りしめて抱え続けるしか無いのだ。だから何時までも血が止まらない。

「ねぇ」

暗闇に落ちかけた意識を繋ぎ止めたのは 若い男の声だった。聞き覚えの無いそれは低く甘く、するりと耳に滑りこむ。何処からか 薔薇の香りがする。

「君は死にたいの? 」

問う声は静かだった。慰めも非難も憐憫も、そこには何の感情も無かった。だからすんなり言葉に出来た。

「わからない」

口にして 確信した。わからない。わからないのだ。何もかも。どうでもよくなってしまった。全てを投げ出してこのまま冷たい地面に身を投げ出して頬をひたりと地面に付けて、そのまま眠ってしまいたかった。少し前まで気持ちはぐちゃぐちゃで、悲しくて苦しくて辛くって、喪失への痛みとか理不尽なものに対する怒りだとか、そういった数えきれない程の感情が入り混じっていたはずなのに、もうその感情に翻弄されるのに疲れてしまった。ただ何もかもが嫌だった。どうでもよかった。

だからきっと、魅入られたのだ。

「君に生きる理由をあげようか」

甘い声は余裕に満ちて愉しげで、けれど何処か抑えきれない歓喜に震えていた。
それは打ち捨てられた人間を前にして出す声では無かったから、私は少し驚いて、ほとんど下瞼とくっつきそうになっていた上瞼をゆるゆると押し上げた。

それは不思議な光景だった。

地べたに臥せた私の前に 男が片膝をついて跪いている。かっちりとした詰襟の服に長い漆黒のマントを纏った姿は古めかしく非現実的で、なのに男に不思議と似合っていた。ルビーの様に赤い 不気味な程に巨大な月が 男の背後に浮かんでいる。美しい手を差し伸べる男は白く 今まで見たどんな人間よりも美しかった。月明かりに照らされて美しく浮かび上がる その姿を見て。

何故だか彼が死神に思えた。

「あなたは、死神? 」
「どうしてそう思うの」
「……あまりに綺麗だから」

フッ と抜けるように 口元から空気が漏れる。男は僅かに笑ったようだった。吐息と共に薔薇の香りが強くなる。

「死神、か。……大して違わないかもしれない」

伏せた目元に陰が落ち 長い睫毛が煙る。その瞳は赤く、血色に光っていた。

「君にとっては、死よりも酷だ」

運命なんて信じていなかった。前世も来世も非現実な夢物語も、死後の世界すら無いと 絶望しきった私は、その全てを馬鹿げていると否定していた。

「選んで、イヴ。永遠に此処で眠るか、永久に僕と共に生きるか」

そう問われた、あの日が来るまで。

「────名前を」

何故、そう言ったのかはわからない。聞きたい事は山ほどあった。
けれど口は勝手に問いかけた。ただ無性に男の名前が知りたかった。

「名前を教えて」
「トム・リドル」

答える声には僅かに笑みが混じっていた。薔薇の香りは強く、今や噎せ返る程濃厚だった。

「────私は、」

言葉の続きを聴いたリドルはその形の良い唇を ゆるりと三日月型に吊り上げ嗤った。開いた口から僅かに覗く白い牙は鋭く 慈しむように頬に触れたてのひらには温度が無かった。

「いい子だ」

白い指がくちびるをなぞる。
抱き起こされた躯が震える。頬が熱い。男が────リドルが 私の髪を払う。首すじに薄いくちびるが触れる。頭を抱き込むてのひらが優しく私の髪を梳く。
躯が震える。こわい。こわい。こわい。なのに、あらがえない。

「さようなら、イヴ・ノアゼット」

血のように昏く光る深紅の瞳の前で、私は私の運命を選んだ。


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