カシャカシャカシャ…。 部屋に響く金属製のボールと泡立て器の擦れあう音。部屋に広がる甘い香りは幸せのひととき。
しかし。
「…チョコって溶かして型に流し込んで固めるだけじゃないアルか…なんであっためたり冷やしたりするんだヨ」
手に持っているボールの中身を睨み付けるように見ているのはうちの我が侭お嬢さんの神楽。 今年は雪が降るかなと思っているうちに町の色はどんどん変わる。今はもうバレンタイン、ピンク一色だ。テレビでは連日のようにどこぞのデパ地下のチョコやら限定チョコやらが紹介されていて正直目に毒だ。
そして万事屋もそれに倣うようにバレンタインイベントに染まっている真っ最中。
「チョコってのはな奥が深いんだよ。このテンパリングでチョコの口どけとかツヤとか変わるんだよ!マジで。溶かして固めただけのチョコがどんな姿になるか知ってるか?白い粉ふいてよ、カッチカチよカッチカチ。そうあれは真夏に放置してしまった可哀想なチョコ…」
「じゃあお前がやれヨ天パ」
そう言い放たれてしまうとパパちょっと悲しい。こうして教えてるんだからもうちょっと真面目にやってもいいんじゃないの。 そうしてる間にもチョコの温度が上がっていってしまう。またやり直しだなこりゃ。 誰かが言っていたけどチョコは生き物だ。なめてんじゃねーぞ、コノヤロー。
「…っとによ。おめえがやるチョコだろうが。責任もってやりなさい」
「銀ちゃんの言うこと真に受けた私が馬鹿だったアル」
「じゃあ市販のにすればいいじゃねーか」
「手作りの方が効果あるって言ったの銀ちゃんネ。ほんとに奴等釣れるアルか?」
「あーうんそれは大丈夫、3倍は確実だな。あとお前次第で10倍になるかもしれねえよ。いいか、大事なのは相手だ、相手を選べ」
ふとしたことでお返し三倍計画を神楽に話したところ思ったよりも食い付きがよく、今年はバレンタインにチョコを配ると言い出した。ただ市販のは高い。そういう経済的理由から自宅で手っ取り早くチョコ大量生産計画を実行するに至る。
「マジでか」
「マジマジ。ほら固まる前に型に流し込め」
「アイアイサーッッ!」
それ以外の理由はない。うん、なにもない。ちょっと面白そうだとか俺もチョコ喰いたいとかそんなことは思ってない。
テーブルに並べられた大小のハート型。いかにもバレンタインらしいといった感じだ。そこに真剣な表情で先程溶かしたチョコを流し込む。ってあれ?
「おーい神楽ー」
「うるさい、今大事なところだから話しかけるなヨ」
キッと睨まれた。さっきまでのやる気の無さは何処にいったのよ。気合いの入れるところ違うから。
いやそれはどうでもいい。
もう一度テーブルのハート型を見る。やっぱりおかしいだろ。小さいハートが…いち、にー…5個、大きいハートが…いーち、…まさかの本命ッッ?!それ誰、誰にあげるの?!あ、まさか俺…?俺にくれるの?日頃お世話してやってるから?マジでか。可愛い娘だな、素直に育ってくれてお父さんは嬉しいぞー。
「ふー、出来たアル!」
「お、おう後は冷やして出来上がりだな、お父さんは嬉しいぞー」
「は?誰がお父さんアルか。それよりも銀ちゃん、これ固まったらでこれーしょんしたいアル」
…でこれーしょん?ってアレ?今流行りのいろいろケーキやらお菓子やら何でもかんでものっけちゃうヤツか?ダメだろそれは。チョコは純粋にチョコだからうまいんだよ、変なトッピング要らないから!
…まさか!
酢昆布トッピングしようとしてるの?この子も味覚崩壊しちゃってるの?胃袋と満腹中枢以外に味覚まで崩壊したのいうのかッッ。
とりあえず落ちつこう。
そして可愛い娘の言うことだ、少しは聞いてやろうじゃないか。
「デコレーションだと?んなもん要らねえだろ。なに、お前もチャラチャラ着飾りたいわけ?コッテコテにしたいわけ?若いうちからそんなんやってるとな、ロクな大人にならないぞ」
「何いってるアルか、銀ちゃん。これで名前描くだけアル」
な、名前だとォォォォォッ?白やらピンクのチョコが入ったチューブの容器を握って目を輝かせる娘に誰が「駄目だ」なんていえるだろうか。つうかものすごいベタじゃないか。可愛いじゃないか。それくらいならいいだろう、よし許す!
「しゃあねぇなー。固まるまで待て」
きゃっほーいと喜ぶ我が娘。可愛いもんだ。さ、後は片付けて茶でも飲もう。あ、ジャンプも買いに行かなきゃ。
「よかったね、神楽ちゃん。沖田さんも喜んでくれるよ」
…。…。は?
「べ、別にアイツの為じゃないアル」
ちょ。
「そうなの?とりあえずお茶でも飲もうよ。銀さんもどうです?」
差し出された煎れたてのお茶。あー旨そう。やっぱり緑茶だよな。心に沁みるよな。
…じゃなくて!
「ちょっと待ったァァァ!新八ッッ!おめーいつから居たよ?何気なく会話に入り込んで重大発言してんじゃねーぞ」
「いや、朝からずっと居ましたけど、溜まってる洗濯物畳んでましたけど」
マジでか。だからさっきからBGMがお通ちゃんの曲だったのかよ。だからなんとなく部屋が綺麗になっているのかよ。小さかったから見えなかったぜ。
「小さいってそれメガネじゃねーかァァ!人が掃除したのをなんとなく綺麗とか言うな!失礼でしょうがッッ!」
「新八おめえ凄いな心の声わかるのかよ…エスパーかよッッ!」
マジかよ。地味だと思っていたのにこんな隠れた能力の持ち主だったなんて。
「違うから、さっきから銀さん心の声だと思ってるもの全部口に出して喋ってますから、はっきりいって煩いです」
な、なんだとぅぅぅぅ!!サトラレ?俺はサトラレだったっていうのか!
「ま、マジでか、か、神楽?」
「銀ちゃん…自分の言ってることがわからないなんてかわいそうネ」
うっそーーん。そんな目で俺を見るなァァ!恥ずかしい、俺恥ずかしいよ。穴があったら入りたい。いやらしい意味じゃなくて。
「誰もそんな事思わないアル。マジキモイ」
こんなことしてる場合じゃねえ、沖田が喜んでくれるとかくれないとか、どういうことなんだ!なぁ、新八!
「どうもこうも、そのまんまですよ」
「だから、違うアル!変な意味はないのヨ」
勝手に話を進めるなッッ。どうもあのガキ神楽の周りをウロチョロしてると思っていたらそんな下心丸出しだったのかよ。いっぺん締めねーとな。
「まぁ、落ち着け神楽、銀さんにもわかるように話してくれ」
「サドがチョコ好きだってこの間話してたから丁度いいと思ったアル」
ベタだろーーーー。絶対好きじゃないよね、チョコ好きとかそんなの聞いたことねえよ。アホ娘は騙せても銀さんは騙されないから!
「誰がアホアルか。ちょっと大きいのあげればお返しもいいもんもらえるネ。米と酢昆布がっぽりネ」
違うだろーーヤツの思惑通りだから、それッッッ!じゃ、じゃぁ、その一番でかいハートはヤツの元に行くのかよ!俺のは俺のは!
「銀ちゃんのはこれネ」
指差されたのはなんか表面がボツボツしてる…って絶対失敗作だろ!つうかなんで型に流し込むのを失敗するんだッッ。
いやいや…そうじゃなくて。あんな腹黒ドSにハートのチョコなんてあげたらだめだろう!なぁ!新八ッッッ!
「…どうでもいいです」
*****
「…つーことだ、慰謝料払えコノヤロー」
『いや、わっかんねえしッ!』
神楽と新八が台所できゃあきゃあ騒ぎながらデコレーションをしているのを眺めながら受話器をとった。なんだか受話器の向こうからマヨネーズ臭がするのは気のせいだろうか。
親として言うことは言わないといかんだろう。モンスターペアレントと言われても構わない、可愛い娘の為だ。
「だーかーらー、てめえんとこのクソガキなんてことしてくれたんだよ」
『あ?総悟のことか?ヤツがどうかしたのか』
「そうごー?あぁそんな名前だったっけ?あのクソガキ。ヤツは甘いものが好きなのか?」
『はぁぁ?!』
「だからヤツはチョコが好きなのかと聞いているんだよ」
『チョコ?さぁ、聞いたことねえけど』
「だよなー甘い物好き設定は俺だよな、勝手にパクってんじゃねえぞッッ」
『俺に言うな、用ないんなら切るぞー』
「まぁそういうことだ、土方君。クソガキに夜道に気をつけろと伝えておけ」
『だから!意味わかんねぇしッッ!』
ガチャン。あーなんかマヨ臭くて憂さ晴らしのつもりが余計に気持ち悪くなるってどうよ。あーやってらんねぇ。
「あーあ神楽ちゃんそれ酷くない?」
「このくらいやったほうがいいアルよ」
台所では相変わらず楽しそうな声が聞こえてきて、うるさいったらありゃしない。どうせ俺のとこには失敗したチョコしか回ってこないし。あのクソガキはムカつくし。新八はメガネだし。
…こうなりゃやってやろうじゃないか。銀さんが愛のキューピッドになってやろうじゃないかッッッ!愛しい娘もいつかは旅立つのだ。どうせだったら金のあるところに旅立ってくれたほうがお父さんもうれしいぞ。
「よし、次はサドの分ネ」
「ちょっと待ったァァァ!神楽!」
「どうしたアルか、クライマックスだから黙っているヨロシ」
あのクソガキがクライマックスってどういうことよ、神楽もやっぱりその気なんじゃねえの。
「どんなデコレーションするんだー?」
「『お返しは酢昆布と米ヨロシクネ(ハート)』アル。描く面積広いからいろいろ描けるネ」
直接的過ぎるだろ!そういうのはなんとなく匂わせるんだよ、アホ!近くにあった紙にとある文字を書いて神楽に見せた。
「神楽、コレなんて書いてあるか読めるか?」
「…漢字読めないの知ってるダロ、この天パ」
「銀さんそれは…」
「新八は黙っとけー。よし、じゃぁコレをそのチョコペンで描け。色はピンクがいいぞ」
「イヤアル、なんで銀ちゃんの言うとおりにしないといけないアルか」
「いいか神楽。これで酢昆布も米も食い放題だぞ」
「マジでか」
「…僕、知りませんから」