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長編3-5_砂海攻防戦終局



「──しぃッ!!」

 赤い炎を纏った刃が一直線に叩き下され、魔物の体が真っ二つに分かたれた。
 即座に長柄は引き戻され、大きな円を描いた後に深々と地面へ突き立てられる。集約された魔力が砂漠の熱をも呑み込み──瞬間、いくつもの炎の柱が立ち、ボコブリンたちの体を灰に変えた。

「────」

 追っ手の魔物を一掃し終え、インパは背後の岩陰に身を隠す少女の元へと駆け寄る。
 少女は赤茶けた瓦礫へ華奢な手をつき、地面にへたり込んでいた。

「ゼルダ様……!」
「……ごめんなさい、大丈夫よ」

 少女──ゼルダは桜色の頬をほのかに青ざめさせながらも気丈に言い切る。ここまでの道中でひどく体力を消耗したのだろう。
 しかし白い肌に汗を浮かべながらも、蒼色の瞳が宿す光は一欠片も失われていなかった。

 インパに手を借り立ち上がったゼルダの耳には、更なる追っ手の唸り声と彼方で轟く争いの音が届く。
 おそらく、砂漠の至るところで激しい戦闘が起こっているのだろう。そしてそれを繰り広げている者たちが他でもない自身を追い求めているという自覚も、彼女は持っていた。

 ゼルダは砂漠の彼方へ蒼色の視線を注ぎ、脳裏に二つの姿を思い描く。
 一つは女神の剣を手にし、自分の身を案じているであろう幼馴染の姿。
 もう一つは、様々な感情を押し殺した目で剣を向ける旧友の姿。

 巫女としての役割を全て理解した今、彼らに課された運命と、彼らに歩んで欲しい未来が胸中で相反し、交錯する。
 ゼルダは今にも胸の内から溢れそうになる本心を抑え付けるように、ゆっくりと瞼を伏せた。

「……迷っている場合じゃないもの」

 紡がれた鈴の声音は決然とした意志をたたえていて、蒼色の瞳は彼女の行く末──時の神殿へと移される。

 インパは少女の細い体を支えながら、痛みすら感じる決意を想い、薄く唇を噛んだ。


 * * *


 ラネールが操る時空石の力により色鮮やかな緑色へと塗り変わった砂漠の戦場。
 同時に現代へと復元されたロボットは、リザルフォスたちの急襲に翻弄されていた。

 私は彼らを率いる頭──リザルの元へと駆け寄り、労をねぎらう。

「リザル、何故かすっごくかっこいい……!」
「何故かは余計だお嬢。それより、なンで時の神殿で巫女を待ち伏せするハズが三龍なンかと戦ってンだよ。行きずりで相手すンには獲物がデカすぎンだろーが」
「全くする予定じゃなかったけど捕まっちゃったんです……! でも、トカゲ族の子たちこそ何でこっちに来てくれたの?」

 もともと彼らトカゲ族は他の魔物たちと共に時の神殿に至るまでの渓谷や錬石場付近へ配置される予定だった。時の神殿内部に入ることは叶わないため、合流の指示もなかったはず。
 私のその問いかけに対し、リザルはやや呆れを滲ませた表情で肩を竦めた。

「やべェ魔力感じたし、そもそもあンだけ派手にやり合ってて見過ごす程能天気でもねェよ」

 続けて彼は隊の半分を錬石場周辺に残してきたため元々の任務に支障はないと付け加える。
 抜かりの無い大先輩に感嘆の眼差しを送っていると、唐突に背後から首根っこを掴まれ私の両足が地面から離れた。

「良いところに来たね、リザル。この鈍足を極めた荷物、背中に乗せておけ」
「わざわざわかりづらい表現で私のこと言い換えないでくださ、っひぃ!!?」

 私を捕縛したギラヒム様が容赦なく体を振り回し、半ば放り投げられる形でリザルの背に乗せられる。
 私一人であの雷を避けることは不可能なため、俊敏なリザルフォスの足に頼れということなのだろう。そう理解しつつもぞんざいすぎる扱いの主人を軽く睨み、私はリザルの冷たい背にしがみつく。

 配下のリザルフォスたちはラネールが指揮するロボットの相手をしている。彼らの助力により窮地を脱することは出来たが、依然時間の猶予はないままだ。
 巫女が時の神殿にたどり着く前にここを逃げ切るか、ラネールを倒さなければならない。が、その方法は未だ見つかっていない。

 せめて、ギラヒム様だけでも時の神殿に向かうことが出来れば良いのだけれど──、

「しゃらくさいッ!!」
「!!」

 巡らせていた思考は突如空気を引き裂いた怒号によって断たれ、同時に視界が真っ白に明転した。
 反射的に両腕で顔を覆っていると、その衝撃から無理矢理引き戻されるように体が揺さぶられる。

「さっさと捕まれお嬢ッ!」
「わ……!」

 背中の私に叫んだリザルが大きく飛び退くと、間髪入れず雷槌が熱を感じられる距離で地面を穿った。激昂したラネールが複数の雷を一斉に落としたようだ。
 顔を上げて主人の姿を探すと彼は瞬間移動でそれらを避け切っており、他のリザルフォスたちも一旦散開し安全な距離を取っていた。周囲の気配に敏感なトカゲ族にとって雷を避けることは容易いようだ。

 しかし雷は勢いを増し、鼓膜が破れそうなほどの轟音が鳴り続けている。魔族の反撃から持ち直したラネールがさらなる魔力を解放させたのだろう。
 雷は避けられるものの、このままではラネールに近づくことすら叶わない。時空石の力で蘇ったロボットたちも一向に数が減らず、魔族の進軍を押し留めてくる。

「チッ、この機械ども、相変わらず邪魔くせェな……!」

 左右に体を振り回して雷から逃げ続けるリザル。その進路にも数体のロボットが立ちふさがる。
 すかさず方向転換をしたリザルに別方向から新たなロボットが追い縋り──背後に複数体がまとまったと判断したリザルは肺を膨らませ、それらに灼熱の炎を吹き付けた。

 壁となり襲い掛かる炎に反応し、戸惑うように身を寄せ合うロボットたち。そのままリザルは筒状の何かを防具の裏から取り出し、勢い良く投げつける。

「──ッッ!!」

 炎の中へ投げ込まれた筒は一拍置き、凄まじい破裂音を立て爆発する。
 そして土煙が巻き上がると同時にロボットの足元にある地面が崩れ、機械の体は抵抗虚しく奈落へと転がり落ちていった。

「あ、穴が空いた……!?」
「ここの地面の下にでっけェ空間があるらしーな。地下遺跡か……もしくは地下墓地か。ワラワラ湧いてきてやがる機械どももおそらくそこにいた奴らだ」

 リザルが冷静な考察を返してくれたが、ここで派手に暴れたら地面が抜けて漏れなく全員地下墓地行きになるのではないかという戦慄が背筋に走る。

 ──と、嫌な予想に身を震わせた時。激しい金属音を耳にした私は弾かれたように身を捻る。
 視線の先ではギラヒム様の魔剣とラネールの大剣が鍔迫り合い、互いの剣勢を殺し合っていた。

「いい加減ウザ……、鬱陶しいッ!」

 止まないラネールの攻勢に苛立ちが募ってきたのか、主人の素の口調が出かけている。
 対するラネールは振り下ろされる魔剣の刀身を確実に受け止め、獰猛な唸り声を上げて彼を体ごと押し返していた。

「その老体、斬り刻んで砂漠の肥やしにしてやるッ……!!」
「はんっ、大精霊の身には老いなんざ関係ねぇよ!!」

 微妙に論点のズレた応酬をしながらもギラヒム様の猛撃は完全に往なし切られ、刹那の隙をついたラネールが開いた間合いを一瞬にして掻い潜る。
 息を呑む間もなく詰められた距離に主人の防御は間に合わず──、

「させないッ……!!」

 すかさず部下が放った魔銃の弾丸は大剣の元へと一直線に向かい、咄嗟に反応したラネールに呆気なく叩き落とされる。
 その隙に体勢を立て直した主人は瞬間移動を使ってその場から消失。彼の姿を探そうと振り返ったラネールの視界には、緑色の地面を疾走する大トカゲの姿が映り込んだ。

「うるァッ!!」
「!!」

 駆けた勢いを殺さず、リザルは片手に持っていた爆弾をラネールに向けて投擲する。
 空中に放り投げられた爆弾は地に着く前に酸素を食らって破裂し、破片と灰色の煙を撒き散らした。

「……チッ」

 舌打ちをこぼして距離を取ったギラヒム様の元へ、魔族部下ズも一旦引き下がる。
 傍らに並び一瞥した主人は単純に気が立っているだけのように見えて、実際はかなりの魔力を消耗しているようだった。

 私は主人の姿を目に映したまま唇を結び、小さく手を握る。

「……マスター」

 主人の敬称を口にすると、視線だけがこちらへ寄越された。
 私は彼の目を正面から捉え、一度唇を濡らして続ける。

「ここは私……とリザルがなんとかします」
「……ンあ?」

 私が告げた提案に、不意打ちで名前を入れられたリザルが目を剥いた。
 だが彼の声に主従のどちらも反応を示すことはなく、私は表情の変わらないギラヒム様と黙ったまま視線を交わす。

 数秒の沈黙を経た後、主人は「フッ」と短く笑みをこぼした。

「まさか、飛び道具自ら足止めを買って出るなんてね」
「その呼び方ナシです。少しだけ隙をつくるので、そのうちに時の神殿に向かってください。……上手くいくかどうかは五分ですけど」

 最後に本音が漏れたけれど、珍しく言い切った部下にギラヒム様が目を見開く。
 続けて、私は思いついた作戦の内容を簡潔に伝える。唇を結びそれを聞き終えた彼はやがて一つ吐息を落とした。

「いいだろう。……ただし、」

 そこで区切り、一歩足を進める。
 そして唐突に伸びてきた手に顎を掬われ、無理矢理彼と向き合わされた。私がリザルに乗っている分、目線の高さはほぼ同じだ。

 ギラヒム様は私の瞳をじっと見つめ、低く続きを口にした。

「……後から追いつかなければ、絶対に許さない。命令違反の時は砂責めだよ」
「────」

 彼の言う砂責めとやらが何なのか想像もつかないが、物騒なお仕置きであることは間違いないだろう。
 不穏な予感を一旦隅に追い遣り、再会を命じる主人へ私は柔らかく笑ってみせる。

「……絶対の絶対、後から追いつきます」

 部下の宣告を聞き、満足げに笑った主人は私の頬を一度だけ撫でて解放する。

 その後空気を読んだリザルが主人から距離を取り、声が聞こえない位置にまで歩くと見慣れた諦め顔で軽く睨まれた。

「今の、お嬢が前に言ってた“しぼうふらぐ”ってヤツだろ」
「……使い方合ってるけど、気づいてほしくなかったなぁそれ」
「気づくに決まってンだろ。自分だけならともかく俺まで道連れ前提で話進めやがッて」
「それはごめん」

 恨みがましい口調でボヤきつつも彼が私の作戦に異論を唱えることはない。死ぬ気はさらさらないが、頼れる先輩魔族が一緒に戦ってくれるというだけで心強かった。

「リザルが言ってくれた通り、昔の地形を頭の中に叩き込んでおいてよかった」
「……せっかく教えてやった知識もこーゆー使い方されッとなると、考えモンだわな」

 盛大にため息をついてみせ、リザルは黄色の両眼で龍を睨め上げた。口を閉ざした彼の背からは普段なかなか出すことのない剣呑な敵意が滲んでいる。
 それは龍に──もしくはラネール個人に向けられた明白な敵愾心のようにも思えた。
 だが私が何かを問う前に、彼はいつもの口調で言葉を継ぐ。

「お嬢はともかく俺ァ道連れにされンのは御免だ。全力でその“ふらぐ”とやら、へし折りに行くぞ」
「うん、使い方完璧。わかった」

 苦笑を落とし、私も彼に倣って正面を見据える。
 視線の先では辺りを覆う黒煙がラネールの大剣によって切り裂かれ、前線に出たギラヒム様と真っ向から対峙をしているところだった。

 魔剣の切っ先を掲げる主人に対し、ラネールは一度大きく鼻を鳴らす。

「……何を企んでんのか知らねぇが、雷龍ラネールの名にかけて、ネズミ一匹通すつもりはねぇ」
「生憎だが、お前の熱烈な期待に応えている時間は無い。──成し遂げなければならない使命があるのでねッ!!」

 主人が再び地を蹴りラネールの元へ飛び込む。けたたましい金属音が空を劈き、刃同士が衝突して生まれた圧力が大気を揺るがせた。

「振り回されても確実に当てろよ、お嬢!!」
「難しいこと言う……!!」

 その打ち合いを見上げていると威勢の良い声を上げたリザルが駆け出し、私は片手で彼の防具を握ったまま魔銃を構える。
 放たれた紫紺の弾丸は主人を襲う雷を弾き、時折自分たちにも降り注ぐ電撃を打ち払っていく。

 私を乗せたリザルはラネールの周囲をぐるりと一周するように緑の大地を疾走する。
 その道筋はリザルフォスたちが相手をしているロボットの軍勢もまとめて囲むように描かれていった。

「ほら、どうした雷龍ッ! 大精霊の実力はその程度なのかなッ!?」
「ぬぐッ……、ほざけ!!」

 荒々しく振るわれた主人の剣がラネールを圧倒し、巨躯が後方へと追い遣られる。
 それに伴い時空石の効果範囲が移動し、新たなロボットが生み出されていく。ロボットたちは赤い双眸を光らせ獲物を追おうとするが、その前に配下のリザルフォスたちによって両断される。

 一方でひっきりなしに落ち続ける雷は一切威力が緩まず、疾駆するリザルの身を追い立てていく。

「ッてェ……!」
「!!」

 速度と威力を増し、避けきれなかった雷にリザルの尾の先が炙られた。
 音が聞こえるほどの歯軋りをしながらも奔走し続け、リザルは作戦の“準備”を進める。

 そうして各所で混戦が起きている戦場に、魔剣と大剣が奏でる一際甲高い金属音が響き渡った──その瞬間。

「──マスター!」
「────!」

 敬称を叫び、リザルの手を借り上空へ飛び出した私は、ラネールの大剣へと魔剣を振り下ろす。
 大剣に対する細身の魔剣の剣圧はごく軽いもので、呆気なく刃を弾かれた私はそのまま体ごと地面へ吹き飛ばされる。が、寸前で身を翻してなんとか地上へと着地した。

 チラリと後方へ視線を走らせ主人が距離を取ったことを確認した私は、自身の何倍もの体格を持つ龍──ラネールへと首を向けた。

「……水を差すようで申し訳ありませんが、魔族長様はこれから大事な用事があります。ので、ここから先は私たち魔族部下ズがお相手します」

 淡白な口調で言い放ったが、目の前の存在への恐怖心が引き起こす震えを抑え切ることは出来ない。
 それを見透かした龍の双眸は、私をじっくりと見下ろした。

「嬢ちゃん、三龍相手に二度も喧嘩売るたぁ大した度胸じゃあねぇか。震えてる割には良い目をしてやがる」
「……お褒めの言葉をどうも」

 敵意を突き刺しながらも、気の良い雷龍は含みを持たない賞賛を授けてくれる。
 同族にすらなかなかもらったことのない高評価に形だけのお礼を言って、私は体ごとラネールの方へと向き直った。

「……とは言え、真正面から戦うのはさすがに無理なので、珍しく私が考えた作戦でお相手します」
「作戦ん……?」

 そう嘯き魔剣すら腰に収めている私を見て、ラネールが片眉を上げる。
 怪訝な視線を受けながら、私はゆっくりと自身の片腕を持ち上げ──そして、

「名付けて、“即席落とし穴作戦”です」
「──な、」

 主人の真似をしたつもりで鳴らなかった、虚しく指が擦れる音。
 それに続いたのは──複数箇所からの激しい爆発音だった。

「ッ!!?」

 息を呑み、ラネールが周囲を見回せばその身を囲うように炎の壁が燃え盛っていた。
 リザルが駆け回ってラネールの周りに敷いた、油に濡れた麻紐。加え、その道をたどるようにばら撒かれた火薬。
 リザルがそこへ火を吹きかけると瞬時に麻紐へ炎が燃え伝い、そこにばら撒かれた爆弾が一斉に着火し、破裂したのだ。

 先ほどの剣戟で主人に圧倒されたラネールの体は、地下に最も大きな空間が存在している地点のちょうど真上に追い遣られていた。
 爆発により衝撃を与えられたその地は粉塵と砂煙を高く巻き上げ、巨大な亀裂が地表に走る。

 ──そして、煙の幕によって視界を奪われたラネールの元に、

「──はあッ!!」

「──ッ!!」

 一つの影が、時空石の放つ青色の光を目印にして突撃した。

 煙を貫き巨大な体躯へ突っ込んだ部下は魔剣を振り上げ──ラネールの胸元で輝く時空珠を、叩き斬る。

「な、あ……!?」

 高く鋭い破砕音を響かせ、時空珠には大きなヒビが入った。
 完全に砕くことは出来なかったものの、肉体を復元している石へ直接衝撃を受けたラネールの体は制御を失ったかのように地に落ちていく。

 後に続いて私が着地した地上は既にところどころが陥没しており、今にも地面が抜けてしまいそうだった。
 身軽なリザルフォスたちは素早く撤退をしてみせたが、ロボットたちは逃げ出すことが出来ず生じた断層に次々と呑み込まれていく。
 私が今から走って逃げ出そうとしても、この不安定な足場ではかえって危険だろう。

 故に私は、その場に立ち尽くしたままゆっくりと背後へ振り向き──目を見開いた主人と、視線を重ねた。

「────」

 そうしてひび割れた地面が裂ける、最後の最後の時。
 彼の目に映ったのは必死に助けを求める部下の姿ではなくて、

「マスター」

 首に残る傷跡を指差し、心から主人を信頼した笑みを浮かべる部下の姿だった。

「……約束です」

「────」

 瞬間。
 すさまじい地鳴り音を立てながら緑の地面が崩落し、雷龍とロボットたち、そして魔族の少女とトカゲ族の頭が砂と共に下層へと引きずり降ろされていった。


「…………」

 天にまで立ち昇った砂煙は乾いた風に乗り数分で晴れていく。
 時空珠が地下へ沈んだことにより現代に戻されたその場所には、巨大な流砂だけが取り残されていた。

「……馬鹿部下め」

 自身の耳にしか届かない声音でそれだけを呟き、魔族長は一人時の神殿へと駆け出す。

 黄檗色の地には、不気味なほどの静寂が戻ってきていた。