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断章1_ある女性騎士の生涯



 ──振りあげられた鋼に陽光が乱反射し、刹那、私はその光に魅入られた。

 極限にまで研がれた刃は無骨な見た目をしているというのに、何故空へと掲げられた時にはあれほどまでに燦然とした輝きを放つのか。
 その光を分かつ自身の剣も、同じような光を宿してくれているだろうか。

 いつまでも見ていたいと思ってしまう無限の輝き。そこに鋼を交わすことに、微かな罪悪感すら抱いてしまう。

 しかし二度、目を奪われることはしない。
 けたたましい金属音を何度も散らしながら、徐々に間合いを奪い、相手の打つ手を狭めていく。
 手を抜くことはせず、たった一振りに重みを、力を、全てを乗せる。

 次にその剣が煌めきを見せた時、私の鋼は相手の懐にまで入り込んでいた。
 姿勢を低くとり、極限にまで間合いを詰める。相手のひくついた呼吸音が聞こえる距離にまで攻め込み、私はさらに一歩踏み込む。

 そして訪れた瞬刻の間。
 放たれた一閃は相手の剣を柄ごと弾き飛ばし──天高く舞い上がった鋼が、光を纏って煌めいた。

「────」

 誰であっても、鋼は等しく輝きを持つ。
 勝敗に限らず、強い意志を持って剣を振るう者全てに。

 あの光は何なのだろう。
 私の剣にも宿っているのだろうか。

 ──私には、それが何なのかまだわからなかった。


「そこまで!!」
「……!」

 耳に鋭い声音が飛び込み、私はようやく目の前の光景を認識する。

 ──所は騎士学校、屋外演習場。
 打ち合いをしていた私たちを囲む観衆。地面には無念な表情を浮かべて倒れ伏している男。その横には男の手元から離れた銀色の剣が横たわっていた。

 鋼を交えていた時には一切目に入らなかった衆目の存在を認識し、私は首を巡らせる。
 四方を囲っていた観衆は見えない拘束が緩んだようにざわめきを取り戻していき、そのうちの一人──おそらく教師である男が解散の指示を出していた。

 私は手の中の剣を振って砂埃を払い、鞘に収める。
 肩の力が抜けて音のない吐息をこぼすと、背後から自身の名を呼ぶ声が耳に届いた。

「よう、お疲れさん」

 私はゆっくりと振り返り、声の主を探す。
 模擬戦という名の関心事が終わり、思い思いに散らばりかけている群衆。その中で一際体格が良く大柄な男がこちらに向かって片手を上げていた。
 騎士甲冑を纏わず、簡素な隊服に帯刀をしたその人物。彼が誰なのか数瞬判断に迷ったが、すぐ正体に思い至る。

「……団長殿」

 彼は他でもない、所属する騎士団の上官だった。私は背筋を正し、恭しく低頭をする。
 彼のおどけた表情から察するに、先程の模擬戦の一部始終を見られていたらしい。

「騎士学校長殿がお前に剣技の披露を頼んだと聞いてな」
「……申し訳ありません。勝手な真似を」

 頼まれた身とは言え、野良試合を見られたことに据わりの悪さを覚えて、反射的に苦い顔をする。しかし団長は人のいい笑みを浮かべ、穏やかに諭した。

「構わんさ、校長殿も喜んでおられた。何より現役の騎士の剣技を見られて生徒たちも熱が入ることだろうさ」
「……身に余るお言葉です」

 歯切れの悪い言葉を何とか返し、私は校舎へ戻る生徒たちの後ろ姿を見遣った。
 歳の程は自身とそう大きくは変わらない。差があるのはどちらかというと──初めて剣を手にしてから経た時間の長さだろう。
 未来の騎士のために実戦に近いものを見せたいとの申し出だったが、それに見合う戦い方が出来たのか否かは定かでない。

 傍らの団長は生徒たちへ慈しみを滲ませた視線を送った後、こちらに向き直った。

「とは言え、明日の叙勲式の主役に任せきってしまって悪かったな」
「問題ありません。……校長殿も騎士の家系の剣技が見たいと仰せでしたので」
「……なるほどな」

 校長の申し出のうちもう一つを口にすると、団長が苦笑をこぼした。

 ──騎士の家系。
 それは私の血筋に与えられた呼び名であり、私が剣を持つ理由そのものだった。
 今でこそ騎士学校の設立により、騎士の存在は公のものとなりつつある。が、長い間大きな争いから遠ざかっていた人々にとっては未だ馴染みの無い響きなのだろう。

 その血筋に言葉以上の特別性はない。
 騎士の家系に生まれた者は男女問わず剣の道へと足を進め、早くから佩剣の儀を経て騎士となる。
 騎士の在り方そのものが家訓であり、女神のために生き、女神のために死ぬことを定められていた。

 数百年もの間、脈々と継がれた習わし。私がその生き方に何の疑問も抱かずに生きてきたのは、騎士以外の道に進む者をそう多く見てこなかったからなのか、もしくはただ騎士の生き方に固執していただけなのかはわからない。

 どちらにせよ、明日の叙勲式は剣と共に生きる道筋の通過点にすぎない。与えられる地位によって変わるものは何もない。

 ──そう思っていた、はずだった。

「叙勲式の主役が、ずいぶん浮かない顔をしているな」
「────」

 抱いた思考の内をそのまま読まれ、私は閉口する。
 表情には出していなかったはずなのに、この老獪な騎士団長には手に取るようにわかってしまうのだろう。

「……申し訳ございません」
「怒っているのではないさ。……まあ、明日はもう少し口の端を引いておいた方が、上のお偉いさん方から文句を言われずに済むだろうがな」

 互いに苦笑を交わし、やがて沈黙が訪れる。
 上官から与えられた無の時間は胸の内を口にするか、もしくは話題を逸らして語らぬままにするか、私に選択を委ねるためのものだった。
 彼が私に聞かせてくれと言えばそれは命令という殻を被ってしまうから。自身の上官は、そういう人だった。

 私は数秒の逡巡の時間を受け取り、静かに唇を震わせる。

「私めに務まるか、案じているだけです。……部隊長、など」

 それは明日の叙勲式を経て正式に与えられる、私の新しい階級だった。
 実感は未だ湧かない。だが、漠然とした焦りはある。
 剣だけに生きた私が部下を率いることが出来るのかという不安と──それ以上に。

「務まると評価されたからその役割を与えられたんだ。それも、家系でなくお前自身を評価して」
「……ありがとうございます」

 団長の言葉に礼を返しながらも、互いに一番気がかりなのはそこではないと理解をしていた。
 彼はおそらく、私の胸中などとっくに見透かしているのだろう。それでも唇を引き結び、部下の言葉を待っている。

  私はその視線に穏やかに促され、再び口を開く。

「──魔物の動きが、徐々に活発化してきたと聞きました」
「…………」

 その事実は、騎士の間では既に周知のものとなっていた。
 それは未だ、些細な小火に過ぎない。しかし決して看過することは出来ない火種だ。

 数年前に比べ、人々の生活圏を脅かす魔物の数は確実に増えてきている。
 数日に一度の出現が、毎晩に。夜にのみ現れていたはずが日の有無など関係なしに。力を持たない小物ばかりだったはずが、生命を奪う凶悪性を持つ怪物ばかりに。──そうしていつか、大きな戦火に。

 日ごとに、確実に。その道を歩んでいる気がしてならなかったのだ。

「私が生きているうち……それどころか、遠くない未来に。大きな争いが起きる予感が、あるのです」

 剣を初めて手に取った日から、戦うことに迷いはない。騎士の役目は魔を討ち、市民を守り、女神に報いること、それのみ。
 そして迷いを戦場まで引き摺れば、待ち受けるのは敗北だ。

 そこまでわかっていても胸の奥底で燻る不安は消えてくれず、ふとした瞬間に鼓膜を揺らす。

 地位に、家名に、剣に。
 ──恥じぬ戦いが出来るのか、と。

「……争いは起きるだろうな。俺らが生きているうちに。規模の程はわからんが、“戦争”と呼ぶべきものが」

 暖かな地に落ちる団長の声音は低く、下げられた肩には憂慮が滲んでいる。
 それは今の私や彼に限ったことではない。騎士たちは皆、同様の懸念を胸の内に抱いている。

 長年の平和に浸りきり、形骸化した剣技の系譜。
 命の懸け方など知らない。慣習と流儀だけを引き継ぎ、形ばかりで剣を持つ騎士たちは、果たして魔の者に対してどれだけ抗えるのか。

「争いを経験していない私たちは──果たして本当に、戦うことが出来るのでしょうか」

 騎士の家系として、それ以前に騎士として。あるまじき迷い言。
 耳を撫でる風の音は優しく、柔らかなもののはずなのに、運ばれた静寂は戒めの時間のようにも思える。
 その間団長は瞑目し、思案げに口を結び続けていた。

 数十秒を経た後、彼の瞼はゆっくりと持ち上がる。
 視線の先にあるのは、未来の騎士たちが集う学び舎だった。

「騎士学校の生徒たちは、騎士は公正で寛容、深い忠誠を尽くし、いかなる時も武勇優れたる者であれと教えられるらしいな。……無論、間違っちゃいないし俺らもそうあるべきだ」
「────」
「騎士が未来の争いに恐れを抱くことなんざ、本来あってはならないんだろうよ」

 彼が口にした教えは、伝統として継がれている騎士の在り方だ。
 その教示を胸に抱いて剣を持つ騎士は、今となってはごくわずかだろう。だがその在り方は団長の言葉を介し、真っ直ぐに今の私を否定する。

「ま……そんなもんは、お前も理解しているだろうな」

 団長はそう続け、空気を弛緩させるように小破顔する。
 咎めている訳ではないのだとその口調は伝えていたが、私は目を伏せてささやかな肯定を示すことしか出来なかった。

「……だがな、それ以前の大前提がある」
「……?」

 彼はそこで一つ、区切る。
 その表情に浮かぶ笑みは、どこか不敵なものを感じさせるほど毅然としていた。そして、

「──騎士ってのは見栄っ張りしかいねぇんだ」

 彼の口から紡がれたのは、予想もしていなかった言葉だった。

 私は数度瞬きを繰り返し、傍らの上官に目を向ける。彼は口角を上げ、腰に据えた剣の柄へ傷跡と痣がいくつも残る片手を置いた。

「俺も一番守りたいのは家で待っている嫁や娘だし、一番格好良い姿を見せてぇのも女神様じゃなくて家族だ。佩剣の儀で女神様への忠誠を誓うのに、だ」
「────」
「騎士っていうのはそれでいいと俺は思っている。助けになりたい誰かがいる、人一倍のかっこつけで」

 彼が語る騎士像は、耳で聞くだけならあまりにも凡庸な存在に思える。
 しかしそれは剣を振る根本として誰もが持っている信念であり、強くなるための理由だ。

「見栄を張って、剣を振ることしか知らなくて、自分の願望に忠実で。──それでも、戦いの果てに大切なものの助けになっていたなら、どんな奴でもそいつは、本当の騎士と呼ぶべきなんだろうよ」
「…………、」

 それは、血筋に従い剣を振るい続けてきた私にとって、あまりにも現実味のない理想像だった。
 かつての私に剣を教えた目の前の人物は、部下が胸の内に抱くものを理解しながら、その真理を説く。

 まるで、そこに未来を見ているかのように。

「……私にも、そんなものが出来ますでしょうか。剣を振ることしか知らない、私に」
「さあなぁ。出来るかもしれんし、お前なら出来ても気づかないかもしれんな」

 団長は肩を揺すりながら笑い声を上げる。
 やがて一度だけ瞼を下ろし、開かれた目は真っ直ぐに私を見つめていた。

「しかしこれだけは断言出来る」

 そうして、授けられた彼の言葉は──いつまでも私が剣を振り続けるための、きっかけとなる。

「お前に剣を振る理由が出来たんなら……お前は間違いなく誰にも負けない騎士になる。今は荒削りの獣の牙のような刃も、研がれて磨かれて……そして、お前とお前の大切なもののための鋼になる」

「──鋼」

 雲一つない蒼穹を、一羽の鳥が駆けていく。
 一つの太刀筋のように、ただ、真っ直ぐに。


 誰であっても、鋼は等しく輝きを持つ。
 勝敗に限らず、強い意志を持って剣を振るう者全てに。

 あの光は何なのだろう。
 私の剣にも宿っているのだろうか。

 ──私には、それが何なのかまだわからなかった。