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長編4-1_鳥ナシと変な髪型



「……………………でぇと」

 お腹の底から絞り出すようにこぼれたのは、地獄の亡者の呟き。
 その言葉が示す意味とはあまりにもかけ離れた、苦悶に満ちた声音だった。

 所はフィローネの森。歩き慣れた木陰道。
 湿った土の匂いと枝葉から落ちる水滴の音が、昨晩まで嵐が来ていたことを告げる。森が丸ごと掃き清められたように空気が澄んでいて、清涼な心地良さが辺り一体に広がっている。

 しかし、瑞々しい森の空気に意識を向けていられるほど私の心中は穏やかではなかった。
 頭の中でぐるぐると回り続けているのは、嵐が訪れた晩に主人に告げられた言葉。

『──“でぇと”をしようか』

「……うう」

 艶やかな笑みをたたえ、ギラヒム様はそう言った。
 “でぇと”。──つまり、親しい男女が外の世界で連れ添って歩く行為。

 昨晩の主人は頭が真っ白になった私を鼻で笑い、詳細を話すこともせずにとっとと寝床へ入っていった。部下をほったらかしてぐっすり寝入った主人に対し、私は一晩眠ることが出来ず今に至る。

「……一回きりだと思ってたのに」

 ラネール砂漠で時の神殿を共に見に行ったあの時を“でぇと”と言って良いのなら、初めての出来事という訳ではない。
 しかし、何故か今回はあの時以上に悶々と考え込んでしまって、頭を冷やすためにこうして森の中を散策していた次第であった。

 主人曰く、今回の“でぇと”場所は遠方、かつ、数日間の旅程らしい。どこに行くつもりなのか、何をしに行くのか、それ以上は頑なに話してくれなかった。

「……はぁ」

 本日何度目かの嘆息を落とし、とぼとぼと森の中をひた歩く。せっかく体が快復したというのに心はちっとも落ち着いてくれない。素直な気持ちで喜んで、女の子らしくその日を指折り数えて待てたなら良かったのに。
 どうしてこのタイミングで“でぇと”なのか、何か理由があるのか、考えても仕方のないことが次から次へと溢れ出てくるのだ。

 そしてその果てに頭を過るのは、主人から与えられた一つの言葉。

『──背中を、預けさせてくれ』

「────」

 それは、一部下として身に余るほどの言葉だったと思う。これまで以上に彼に尽くしたいと私自身も思う。……そのために、余計な感情を捨てなければならないとしても。
 故に、今回だって本当は喜んではいけないのだとわかっている。いけないからこそ、ラネールの時以上に“でぇと”の真意が気になってしまうのだ。

 煩悶を空気中に逃がすように何度目かのため息をつく。
 気づけば随分と奥地にまでやって来てしまって、そろそろ拠点に戻らなければと足取りが緩やかになり始めた、その時だった。

「……?」

 どすどすと、何かを叩きつける鈍い音が耳に届く。
 あまりに賑やかな騒音に、徒党を組んだモリブリンが歩いてきたのかと一瞬思った。

 けれど、視線を巡らせればそれは違うとすぐに理解する。音の出どころには、木を蹴り飛ばしたり頭を抱えたり、一言で言って“不審者”がいた。

「なんだろ、あの人。……人?」

 自分で言って、自分の言葉に疑問符が浮かぶ。
 ここは大地だ。存在している人間は限られた数のみ。その他の人間はみんな空の世界で生きているはずだ。

 ……となれば、まさかあれは、シーカー族だろうか。
 そうだとするなら主人がいない時に戦うのはあまりにも危険な種族だ。慎重に行動して、相手の情報だけを集めなければならない。

 私は気配を殺して物陰からその人の様子を窺う。第一に目に留まったのは、モリブリンという形容もあながち間違いではないでっかい図体だ。
 しかしモリブリンと違ってその人は武器を手に持っておらず、握った拳を大木に叩きつけて何やら喚いている。
 遠目に見ても奇抜だとわかる赤い立て髪はロフトバードのトサカにも似ていて、少しだけ懐かしい心地に駆られた。
 と言うより、あの立て髪はすごく見覚えがあるような気がして──、

「……へんな、髪、型」

 そう、口にして私はようやく一つの答えにたどり着く。
 でっかい図体に、赤くて変な髪型。鳥乗りで使う風避けケープと、おまけに耳にキンキンと響く大きな声。

「…………まさか」

 そう認識した瞬間、私はフードを目深にかぶって踵を返していた。
 即刻ここから立ち去らなければ、面倒なことになる。脳内で警鐘が鳴り響き、確信が私を突き動かす。何故ここにいるのか、考えるのはこの場を離れてからでいい。
 大丈夫、仲が悪かったのだから万が一後ろ姿を見られても認識はされないはずだ。

 ──それなのに、焦っていた私は自分が思う以上に物音を立ててしまっていたらしく、

「鳥ナシッ!!?」
「いッ──!?」

 その人はあまりにも呆気なく私の存在に気が付き、かつて空にいた頃の呼び方をそのまま叫ぶ。
 やっぱり、予想した通りの人物だ。けど、なんで、

「おい待て! 逃げんじゃねぇ!!」

 ──なんで、バドが大地にいるんだ。

 私が逃げ出す前にずかずかと大股で近づかれ、容赦なく肩を掴まれる。
 突き合わせた顔は、やっぱり騎士学校の同級生であるバドだった。

 そう認識したのは彼も同じだったようで、鼻息荒く肩をぶんぶん揺すられながら捲し立てられる。

「鳥ナシだろ、おめぇ!!」
「ひ、ヒトチガイ。ワタシ、トリナシ、シラナイ、オマエダレ」
「下手くそかよ! 騙されるわけねぇだろ!!」

 最終手段のしらばっくれ作戦も敢え無く失敗し、被っていたフードも勢いで抜け落ちて、私はついに白旗を上げる。
 リンク君もゼルダちゃんも、フードを被っていた時は私の正体に気づかなかったのに。これが野生の勘というやつなのだろうか。

「なんでわかったの……」
「んあ!? んなもん知るかよ!!」
「知るかよって……ていうか、バドこそなんでここにいるの……?」

 乱れた髪を手櫛で整えながらそもそもの疑問をぶつけた私に、バドはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりにふんぞりがえる。

「オレ様ぁゼルダを追ってはるばるここまでやって来たんだよ!!」
「へ……どうやって?」
「あ? んなのこそこそしてやがるリンクについていってに決まってんだろ!!」
「……うそでしょ?」

 つまり、勢いだけで落ちてきたのか、この男は。得意げに立て髪を後ろへ流して胸を張るバドに、私は驚愕を隠しきれなかった。

 たしかに、リンク君が雲に穴を空けたということは、スカイロフトの住人がそこを通って大地へ降りてきてもおかしくないのかもしれない。
 けれど、どこに繋がってるかもわからない雲の下の世界に飛び込んでくるなんて。ゼルダちゃんへの愛情がそこまで深いのか、単純に考えナシなのか、あるいはその両方なのか。

「しっかしおめぇこそこんなところで生きてたなんてよ! てっきり雲の下に落ちて死んじまってたのかと思ってたぜ!!」
「えーと……いろいろあって、おかげさまで生きてました」

 実際ついこの間まで生死の境を彷徨っていたのだから、その“生きていた”には含蓄の深さが滲んだ。
 警戒心ゼロのバドの様子を見る限り、リンク君は私が魔族であるということを彼に話していないらしい。驚愕と感嘆と安堵が入り混じり、私は複雑な感情で吐息することしか出来なかった。

 そうして得意げな顔を見せていたバドは、不意に何かを思い出したかのように肩を落とす。

「……でもな、でも……でもオレ……、……くっそぉぉッ!!」
「へ、ちょ、バド……!?」

 何事かと目を見張る私を他所に、バドは膝を折って地面を拳で殴りつけ始める。
 ……なんだろう、この慰めないといけない雰囲気は。本当なら早くこの場から去るべきなのに、バドの気分の上がり下がりが激しすぎて放っておくのも気が引けてしまう。

 ひとまず私は大樹の木陰にバドを導き、なんとか落ち着かせた。項垂れるバドは訥々と事情を語り出し、私は流れのまま話を聞くこととなった。

「お前、何日か前にこの辺ででっけぇバケモンみたいなやつが出てきたの、知ってるか?」
「……、……うん。一応」

 でっけぇバケモン。……おそらく、魔王様のことだ。知っているどころか、その当事者のこともわかってしまう。
 バドは私の微妙な表情には気づかず、大きな体を縮こませながら話を続ける。

「オレぁびびっちまって、何も出来ずにいたんだよ。リンクが一人立ち向かっていったのに、腰が抜けちまってよ……」
「……そう、だったんだ」
「最初は特訓して力をつけてやろうと思ったんだ。……けど、あのバケモンのことを思い出したら体が震えちまってよ」

 バドはその時のことを思い出したのか、頭を抱えて身を竦ませた。
 彼の反応は至極当然のものだ。平和に浸った空の世界から降りてきて、最初に遭遇した脅威があれなのだから、誰も彼を責めはしないだろう。

「そうやって悩んでたらよ、そこで出会ったバアさんに言われたんだよ。リンクのヤローがゼルダを救うのは『運命』なんだってな」
「…………」

『運命』。その言葉は私たち魔族にとっても毒である言葉だ。そしてそれをバドに告げたバアさんなる人物が誰なのかおおよその検討はついた。
 神々が見据える『運命』とやらは、聖戦に関係のない人物にまで重くのしかかるというのか。

 わずかに顔をしかめる私に対し、バドは長く息を吐き出してさらに頭を下げた。

「……オレじゃ、ゼルダの力になれねぇんだ」
「バド……」

 肩を落として今にも消えてしまいそうな弱音がこぼれる。彼のそんなところは空にいた頃ですら見たことがない。

 後になって思えば、この時の私はリンク君の情報を聞き出すなんて考えは頭からすっぽり抜けてしまっていた。
 私は両手をぎゅっと握り、地面を見つめながら唇を解く。

「私は、すごいと思うよ。……バドがそうやって、行動を起こしたこと」

 好きな人のためにそれだけ真っ直ぐでいられる。気持ちに嘘をつかず、全力でぶつかっていける。
 今だからこそそれがすごいことなのだと心から感じる。……羨ましいとすら、思ってしまった。しかし、

「うっせえーッ!なんで何年かぶりに会ったお前に諭されねーといけないんだぁ!!」
「ええぇ……」
「もう、オレはこの大地で一人寂しく暮らすんだよ……ゼルダも助けられねぇし、バド・ランドも作れねぇまま……」
「バドランドって何の話……?」

 私の気持ちを他所に、叫び散らして再び項垂れるバド。後半何を言っているのかよくわからなかったけれど、相当思い詰めているのは確かだろう。

 そうしてどうしたものか考えあぐねていると、不意にバドが顔を上げた。

「ていうか、鳥ナシおめぇ」
「……え?」
「空に帰んねぇのかよ?」

 ふとしたバドの言葉に、私は凍りつく。
 そう聞かれることなど予想していたはずなのに、誤魔化しの言葉は喉元につかえてすぐには出てこない。

 おそらく、嘘をつけばこの場は逃れられたはずだった。帰る方法がわからない。大地が気に入ってしまった。そう、適当なことを言えば。でも──、

「……バド、ごめん」

 私の口からこぼれたのはそのどれでもなく、謝罪の言葉。
 バドがその意味を問う前に、私は彼に向かってくるりと振り返る。そして、

「リシャナさんの正体は、悪い人でした」
「…………は?」

 そう、真実を告げた。
 バドは当然、何を言われているのか理解が出来ず、ぽかんと口を開いたままだ。

「何言ってんだお前? 冗談……だとしても意味がわかんねぇぞ……?」
「言葉通りの意味だって」

 そんな彼の表情がなんだかおかしくて、思わず苦笑がこぼれる。後ろ手を組んで、笑みを崩さぬまま私は続ける。

「私は鳥ナシで、魔族で……リンク君の敵だから」
「──な、」

 そこまで言えば、バドにもその意味が伝わったらしい。
 その表情には焦りが浮かび、何度か声を発することに失敗しながら彼は言い返す。

「じょ、冗談言ってる場合かよおめぇ!! ゼルダがあんなことになって、やべぇバケモンもいて……ていうか、生きてたならおめぇも空に帰る方法を探して、」
「──私の帰る場所は、」

 そういきり立ったバドの言葉を断ち切ったのは、一つの風切音だった。
 私とバド。旧友として近くも遠くもない距離を保っていた間合いは一瞬で立ち消えて、

「私の帰る場所は、空じゃない」

 ──鋭く研がれた魔剣の剣先が、バドの喉元に添えられた。

「あ……え……」

 バドは一歩も動くことが出来ず、ぱくぱくと口を開け閉めするのみ。今何が起きているのか、思考が全く追いついていないようだ。

 じり、と地面を踏み締め、黒の刀身には目を細めた自身の表情が映り込む。
 一歩も動けず唖然とするバドに対し、私の表情は無理やり無感情を装っているようにも見えて──、

「がおーっ」
「うおッ!?」

 私の突然の唸り声に、バドはどすんと尻もちをついた。
 両手を上げ、軽く指を曲げて、獣のポーズ。私のそんなふざけた姿勢を映すバドの目はもはや恐怖一色に染まっている。

「な、なん、何を……」
「爪が綺麗に研げなくてイラついてるダイナフォスの真似」
「だ、いな……って、お前、さっきから何の話をして……」

 当然、そんな魔物の名前は空の人間である彼は知らない。魔物の先輩にも似てないと言われた物真似だけれど、きっとバドにはそれすらもわからない。
 爪も牙もない。見た目は同じ人間。けれど私は彼のような人間の生命を脅かす、魔族なのだ。だから、

「次に剣技で私が勝ったら、バドは死んじゃう。……っていう話」
「──!」
「だからごめん。……もう行くね」

 私が口にした“死”という言葉に、バドの恐怖の色がより一層濃いものとなる。それは私が魔剣を鞘に収めても同じことだった。

 そうして恐怖に震える彼を置いて、その場を立ち去ろうとした──その時。

「アウール先生がなッ!!」
「────、」

 バドが口にしたその名前は、私の胸を貫いた。

 足は止まり、平静を装っていたはずの体がびくりと震え、それ以上進むことを許してくれない。
 静かな動揺が私の身に襲い掛かって、諭すように、非難するように彼は告げる。

「……ずっと、心配してんだぞ。お前のこと。……あの日から、ずっとだ」
「──そんなことッ、」

 迫り上がった言葉を唇を噛んで押し留める。久しく耳にしたその名前は、思う以上に私の胸中を掻き乱してしまった。
 考えないようにしていたはずだったのに葛藤は胸奥を蝕んで、鉄の味が口内に広がる。

「……そんなこと、わかってる」

 私はそれだけを呟き、歩き出す。取り残されたバドの表情をもう一度見ることはない。
 それでも、

「なんでそんな顔してんだよ……」

 彼のその声音は、いつまでも私の耳の中に残ってしまっていた。