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断章2_ある女性騎士の黄昏



 ──叙勲式を終え、私は部隊長としての任務に明け暮れる日々を送っていた。

 隊を率いて魔物と剣を交え、争いに打ち勝ち、侵略された土地を奪還する。負傷をすることもあれば、仲間の死を目の当たりにすることもあった。
 叙勲式前に抱いていた漠然とした不安は剣を振るたびに薄れ、繰り返される争いに身を投じて。ひたすらに、ひたむきに、生き抜くことに心血を注ぐ。

 “彼女の部隊長としての功績は輝かしい、否、異例と言える”。──そんなことを騎士団の間で噂されていることは知っていた。
 だが、私が剣を振るうのは誰かのためではなく答えを探すため。故に、自分のためと言えた。

『──戦いの果てに大切なものの助けになっていたなら、どんな奴でもそいつは、本当の騎士と呼ぶべきなんだろうよ』

 時折、数ヶ月前に団長から授かった言葉を思い出す。その言葉に対する答えは未だ出せずにいる。

 自分にとっての大切なものが何なのか。自分が何のために剣を振るうのか。
 すぐに答えの出るものではないとわかっている。それでもふとした瞬間、その問いは脳裏を過ぎり、愚直に剣を振るう私の頭を疑問符で満たす。

 しかし、一人思索に耽る時間は次第に失われていった。
 各地の魔物の動きが、人々の予想を超えて活発化し始めていたのだ。

 戦線から戻り、訪れたのはハイリア騎士団フィローネ支部、司令室。
 私の報告を耳にした団長は無事の帰還に口元を緩め、一拍置いてその表情を固くした。そして──、

「為す術もなく壊滅、だったそうだ。オルディンの戦線は」

 重苦しい声音が静寂の室内に落ちた。
 返答は出来ず、ごくりと唾を呑み込む音だけが後に残る。

 数日前、フィローネ支部の別部隊がオルディン戦線の増援に向かった。
 これまで魔族が狙っていたのは要地から離れた土地ばかりだった。対し、今回陥落したオルディンはラネール、フィローネと並ぶ三大要地のうち一つ。
 勢力をつけた魔物たちを迎え撃つため、現地の騎士や亜人だけでなく他地方の騎士団からも数隊が投入されたのだ。
 しかし、増援部隊到着の次に入ってきた報告は──軍が一夜にして壊滅したというものだった。

 その結末は騎士団だけでなく、街中の人々に大きな衝撃を与えた。
 普段は快活な口調で部下を導く団長も、今回ばかりはじりじりとした焦燥を隠しきれていない。

「こっちの予想をはるかに上回る勢いで軍力をつけてやがる。野放しにしていれば、世界はあっという間に魔族の手の中だ」

 団長の推測に冷たい汗が伝う。
 魔族──否、魔王軍は着々とその勢力を強めている。人間の生活圏は徐々に脅かされ、避難のため王都に訪れる者も増えてきている。
 街を包む暗澹たる空気。それはまるで、いつしか訪れる大きな災厄の前兆のようだった。

 団長は私に同調するように頷き、やがて机上の地図へと視線を向けた。

「軍の動きを見るに、奴らの次の狙いはラネールだろうな」
「……ラネール」

 海と新緑の土地、ラネール。自然に恵まれたこの地は造船業と採石業がさかんであり、港町は他国と交流する上での重要な拠点となっている。騎士団が使う武器もここで作られ、王都や各支部への輸出が行われている。

 であれば、魔王軍の目的は王都へ供給される物資の断絶だろうか。
 私がそう思い至ったことを察したのか、団長は眉根を寄せて先に答えを告げる。

「恐らく、時の神殿が狙いだ」
「時の神殿……?」

 それは予想もしなかった場所の名前だった。だが彼の答えには腑に落ちない点がある。

「あの技術は、魔物には扱えないはずでは?」

 近年、国が抱える技術者と賢者たちが時空石を用いた研究を進めていたという話は耳にしたことがある。
 女神様の力を借りながら、時を超えるための叡智を結集させ、遂にその技術を完成させた──それが眠るのが、時の神殿だ。

 にわかには信じ難い話だった。女神様の力を借りているとは言え、果たしてそんな技術を使いこなすことが出来るのか。それどころか、魔族がそこを狙うなんて。
 懐疑的な私に団長は顎を引き、答える。

「そのはずだ。そもそもあれが眠る神殿の最奥は、女神様が直接結界を張っている。結界は女神様にしか解けない」
「それでも魔族があの場所を狙うのは……」
「理由はわからない。結界を無理矢理こじ開けてまであれを使いたいのか、他に目的があるのか。……いずれにせよ、魔物どもにあの場所を渡すわけにはいかない」

 団長は渋面をたたえ、地図上の時の神殿を睨みつける。そして、

「……時なんて、本当なら誰にも手を出せねぇ方がいい」

 普段は滅多に聞くことのない気迫を帯びた団長の声音に私は思わず鼻白んだ。
 その様子を見遣り、団長は話を区切るようにフ、と吐息し口角を上げる。

「とにかく、あの土地を落とされるのは何としても避けなきゃならん。ラネールへは俺もお前も向かうことになるだろう。準備しておけ」
「は」

 魔物たちの勢力規模を考えるに、現地の兵だけでは圧倒的な戦力差だと言えるだろう。
 各地の騎士団や亜人たち、そして王都が抱える女神直属の兵隊。それだけの力を結集させても魔族に必ず討ち勝てるという確証はない。
 此度の争いは、オルディン戦線以上に大規模なものになるはずだ。

 腰に携えた鋼に手を添え、私は一度だけ瞑目した。


 * * *


 ラネールへ向かう軍を招集するため、団長と共に拠点を後にする。数十分歩き、踏み入った王都は今が争いの最中であることを忘れさせるほど賑わっていた。
 特にモールの周辺は買い物に来た市民や商人たちの活気に満ちていて、目まぐるしく人々が行き交っている。

 その様子を横目に、団長と共に兵舎への道のりをひた歩いていた、その時。

「おとーさん!」
「ん?」

 弾んだ声音がどこからともなく耳へ飛び込み、前を行く団長がよろめいた。よく見れば、団長の足には小さな女の子が抱きついている。
 さらに少女の背を追うように駆け寄ってくる一人の女性。その姿を目にし、この少女が団長の娘で、あの女性が団長の奥方なのだと理解した。

 少女は顔を上げて、ようやく私の存在を認識したのか大きな瞳をこちらへ向けた。

「このひと、だれ?」
「こら、人を指差しちゃいけませんよ」

 細い指が私を差し、奥方が少女の行動を嗜める。
 不思議そうにぱちぱちと目を瞬かせる少女の頭を団長は愛おしげに撫で、口を開いた。

「ここにいるのは、こわいけどえらーい部隊長さんだぞ」
「団長っ……!」

 突然の軽口に焦る私。しかし少女が怯える素振りを見せることはなかった。
 聞き馴染みのない言葉を小さな頭の中で必死に噛み砕いているのか、少女は栗色の髪を揺らして首を傾げる。

「ぶたいちょー、さん?」
「そうだ。とっても強いんだぞ」
「おとーさんより?」
「はは、そうかもなぁ」

 そんなことを思ったことは一度もない。けれど期待に目を輝かせる少女を見れば、否定の言葉を咄嗟に返すことも出来ない。私の煩悶を見透かしたのか、団長はからかうように笑った。

「それにしてもどうしたんだ? モールから帰ってきたんなら、家は逆方向だろう」
「えーとね、おむかえ!」

 団長の問いかけに少女は薄い胸を張って、「ふふん」と鼻を鳴らす。
 続けて何かに気づいたように、彼女は「あっ」と声を上げて、

「あと、おみやげ! おとーさんと、ぶたいちょーさんにも、あげる!」
「え……」

 少女は肩から下げたポシェットから二輪の花を私たちに差し出す。
 黄色い花弁は咲き誇る瞬間を待ち望むかのように窄まり、俯いている。少女の手からその花を受け取ると、ほのかな甘い香りが鼻を掠めた。

「どこで摘んできたんだ?」
「んとねー、んと……花畑!」
「花畑?そんなところがあったっけな」
「まわりにいっぱいおそらがみえるばしょで、花がいっぱいあって……“しめんそか”ってやつ!」
「おお、難しい言葉を知ってるなあ!」

 微妙に使いどころが違う気がするが、団長に褒められた少女は華やぐ笑顔を見せて喜んだ。その様子を見るだけで、彼女がどれだけ父親に懐いているのかが伝わる。

 それよりも、と私は内心で首を傾げる。この少女が言う花畑とは一体どこのことなのだろうか。

 王都の周りは魔物の侵入を防ぐため高い城壁に囲まれている。隣接するフィローネの森も魔物に出会す危険性があるため、一般市民の奥地への立ち入りは禁止されているはずだ。
 果たしてこの親子が行ける範囲に、一面の空が見える花畑があっただろうか。

 そうして思考を巡らせ、私は一つの答えにたどり着いた。

「……久遠の花畑、でしょうか」
「そうそれ!」

 たどり着いた答えに、少女が嬉しげに答える。団長もその場所は知っていたようで、「ああ」と声を上げた。

「たしかフィローネの森の高台にあるところだっけか? ちょうど女神像を見下ろせるとかいう」
「うん! まえにね、せんせいがよんでくれたお話のばしょ! それにでてきたお花!」
「なんだそりゃ」

 せんせいとは、騎士学校の教師を指すのだろう。どうやら少女は騎士学校に通う下級生のようだ。
 そして、彼女が話す“お話”には心当たりがあった。

「……それなら、騎士団に回る噂で聞いたことがあります。久遠の花畑で契りを交わす主従の話」
「へえ、お前がそんなものに興味を持つなんて珍しいな。どんな話なんだ?」

 団長に水を向けられ、私は黄色い花弁を見つめながら埋もれた記憶の一片を揺り起こす。
 それはたしか、古の時代から伝わる史実だった。

「私が聞いたのは、女神様さえも存在していなかった時代に、ある従者が異種族の主に誓いを立てたという話です。その時に咲いていたのが、この花だとか」

 女神も、魔王も、血筋という壁も存在しなかった頃。何者でもなかった従者が大切な主の助けになることを誓った。

 その舞台だと語り継がれる久遠の花畑には、地形の関係で夕暮れの時間にだけ陽が当たる。
 俯くこの花が待っているのは宵の時。この世界で唯一、光と闇が共存出来る時間。
 そんな時間に忠誠を誓い合った主従が紡ぐ“マスター”という敬称は、今でも一部の騎士の間で語り継がれている。

「おとーさん、またお仕事にいっちゃうってきいたから、おいのりして来たの。元気でかえってきますよーにって!」

 話し終えた私に、少女は我が意を得たりと告げる。
 その伝承を幼い少女がどこまで理解しているのかはわからない。けれど“大切な誰かへ祈る”ために、彼女は久遠の花畑で花を摘んできたのだろう。
 文字通り命懸けで家族を守ろうとする、父親のために。

「おとーさん、早く帰ってきてね! 絶対!!」
「おう、良い子で待ってろよ」

 父親に花を渡して満足した少女を見送り、手を振る母娘に別れを告げた。
 家族の後ろ姿を最後まで見つめ、団長は「どうだ?」と口を開く。

「可愛いもんだろ、俺の娘は」
「……ええ」

 そう続けた団長の言葉に、自然と頬が緩んだ。同時に思い起こされるのは、彼に教え示された“本当の騎士になるための理由”だ。

「とても、素敵だと思います。──団長の、大切なもの」

 彼女たちが、この人を騎士とするための理由なのだ。
 そうわかったと同時に、気づいた。

 自分にとっての大切なものがないならば、誰かにとっての大切なものを守れればいい。
 そのための剣になることは、決して悪いことではない、と。

「絶対に守り抜く。俺の命に代えても、な」
「御意に」

 これよりハイリア騎士団フィローネ支部中央部隊は、ラネール支部へ加勢に向かう。
 魔王軍を今度こそ撃退し、人々が安寧の時を取り戻せるように。剣に恥じず、剣を振る理由を果たせるように。

 そしてこれは、私の終わりが始まった瞬間。

 これは、人間が魔物と争っていた時代の断片。


 ──これは、天地が隔絶される以前の物語。