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導入編7_きおくつあー 出発



「っ……つい、たぁ……」

 ぜぇはぁと喘ぐような呼吸の荒さに自身の体力不足を思い知らされる。が、普段の戦闘以上に疲労する道のりだったというのは誰にでもなく主張したかった。

 ギラヒム様に直談判をし一人向かった地はフィローネの森の奥深く、隠されたような場所にあった。
 私と主人が拠点にしている地もフィローネの森付近のため、奥深いといっても他地方に足を運ぶほどではないと正直高を括っていた。……が、実際には隠された場所というより無理矢理押し込んで隠した、と言えるほどその道のりは険しいものだった。

 まずフィローネの森を抜けるにあたって、生き物のように足を伸ばし道を譲らないという固い意志を持った植物が覆う獣道を抜けてきた。
 ようやく森を抜けた私を待っていたのは一つ一つが壁かと思う程巨大な岩に囲まれた渓谷で、私は今仙人になる修行に出ているのだろうかと思い始めた頃には、滝の裏に隠された薄暗くてぬるぬるして寒すぎる小道を歩いていた。

 ──そうして、目的地に墓地も何もなかったら私自身の墓を建てて眠ってやろうと洒落にならない決意を固めようとしたその時、視界の隅へ目的地の片鱗が映り込み、私は数秒前の呟きを漏らしたのだった。
 おそらく主人なら瞬間移動を使って私の数倍早くここまでたどり着いていただろう。加え一緒にいたなら「子鹿並みの体力の無さだねぇ」と容赦なく部下を嘲笑っていたと思う。そこまで考え若干腹が立ってしまったのはこの道のりのせいだということにした。

 なんにせよ無事到着したのだ。今はそのことを素直に喜ぶべきだ。……のだけれど。

「ついた……のかなぁ?」

 私の視界に入った目的地の片鱗、それは小さな家屋の屋根だった。
 まだその地の全貌が見えるまで数百メートルはあるが、それが屋根であることははっきりわかった。……しかし私が目指していたのは村ではない。シーカー族の墓地のはずだ。

 墓守の小屋でもあるのだろうか、と私はその疑問に無理矢理終止符を打つ。疲れ切った足に鞭を打って、再び目的地へ歩きだした。


「…………これは、」

 先程の屋根を見つけてから数分後、私はたどり着いたその場所で呆然と立ち尽くしていた。

 文献通り、そして地図通りに進んできたのは間違いない、と思う。けれど私を待っていたのは墓地ではなく──寂れた廃村だった。どうやら先ほど見つけたあの屋根は村の家屋の一部だったらしい。

 シーカー族のお墓を探しにきたつもりが集落を見つけてしまった、ということなのだろうか。
 そうであるなら収穫としては予定以上のものになるけれど、村に纏う陰鬱な雰囲気は目的地に辿り着いた達成感にすら影を落とすものだった。

 女神陣営の重責を担う一族と聞いていたため、聖域のような澄んだ地を想像していた。
 が、目の前に広がる村には生気が感じられず、忘れ去られた場所と表現するしかないほどの寂寥感が漂っていた。
 随分昔に廃村になってしまったのだろう。生者の気配が感じられないため薄暗い空気が漂うのは仕方がないことなのかもしれない。だがそれを抜きにしても“嫌な感じ”のする場所だと直感的に思った。

 こうなると、目指していたシーカー族の墓地はどこにあるのだろうか。村の奥にあるのかもしれないし、そもそもこの廃村がシーカー族に関係する場所なのかどうかすらわからない。

「んー……、」

 私は少し悩んだあと、ひとまずこの廃村の探索を開始することにした。


 荒廃した村の家屋の数は決して多くなかった。それでも村と呼べたのは、家屋同士が距離を開けぽつりぽつりと建っており、土地自体にそれなりの広さがあるからだ。だからこそ寂寥感が付き纏う、寒々しい印象が拭えなかった。

 家の中をいくつか見て回ったが最低限生活に必要な家具が置かれているだけで、特にこれといっためぼしいものはない。生活するだけの空間がどの家も据えられているだけで、家屋を回っているはずなのに空っぽの牢屋の見回りをしている気分になる。

「……やっぱりハズレだったかなぁ」

 一人ぼやくと、自身の声がやけに遠くまで響くようで虚しさを感じる。
 同時に、主人を連れてこなくて良かったと内心でため息をつく。修羅の道を潜った先でこんな虚しい場所に連れてきたりしたら飽きたマスターに罵られるか弄られるかのどちらかだ。……このままだと、彼が来てないにしても帰還後のお仕置きは免れなさそうだけど。

 憂鬱な気分を抱えながら、古びた家屋の扉を引く。またしても、牢屋のような寂しい空間だけが広がっていた。


 * * *


「ここで最後かな……」

 数十分後。私が最後に訪れた場所は家屋の群れからやや離れた位置にある、この村の中で一番大きな建物だった。

 ──ここに来るまでにあの殺風景な家屋を全て見回り、気づいたことは二つある。

 一つ目は家屋の扉の取手部分。金属で出来たそこにはよくよく見ると見覚えのある紋章が彫られていた。
 翼を左右に大きく広げた鳥。その真上に掲げられた正三角形。この世界で女神と関わりを持つものなら誰もが知っている──女神の紋章だ。無論、この紋章を象るのは女神側の人間か種族しかありえない。
 つまり、この集落はシーカー族とは限らずとも女神に関係する集落だということ。

 二つ目は……感覚でしかないが、この地の探索を始めてから頭の中に奇妙な既視感がチラついていた。
 ここに訪れるのは初めてだし、牢屋のようなあの殺風景な家屋にも見覚えはない。女神の紋章は何度も見たことがあるけれど、既視感の正体とは異なっている、気がする。

 これら二つの発見があったところで今のところの収穫は全くない。
 故に、何か少しでも手がかりがあってほしいと切実な願いを胸に抱きながら、私はその建物を見上げた。

 ──それは無機質な灰色の、背の高い建物だった。窓や煙突など無駄な装飾はなく、生活するには向いていないと思わせる外観だ。正面の大きな扉には主張するように女神の紋章が彫られている。

 おそらくここは、聖堂という場所なのだろう。
 紋章が示す通り女神のもとで仕えていた一族の村なのだから、祈りを捧げる建物があるのはおかしなことではない。この建物は少し大掛かりな気もするが、今も地上で住む亜人の集落には女神を奉る小さな泉や祠が存在している。

 私は冷たい取手を掴み、重い扉を押し開く。鍵はかかっていなかったが、何年もの間開かれていなかったであろうそれはギシギシと悲鳴のような音を鳴らした。

 暗い室内を覗き込むと、中は外観の印象よりもこじんまりとしている。祈りを捧げる祭壇と簡素な椅子。それ以外に無駄なものが一切ないというのは、これまで見てきた家屋たちと同じだった。

 そうして扉をくぐり屋内を見回していた私は、あるものに目を奪われた。

「────、」

 思わず息を飲むほど、その存在は大きく……否、異様と言えた。

 聖堂に入った真正面、祭壇の向こうの壁一面には──“女神”がいた。
 それは慈愛の微笑みをたたえ、様々な色を身に纏い刻まれている。外からの光を受け、淡い光を宿しながら私を見下ろしていた。
 空にいた頃、あれの名前を聞いたことがある。たしか、ステンドグラスというやつだ。赤、緑、青、と様々な色で象られた女神が壁一面に描かれていた。

 同時に、先ほどまでどことなく抱いていた既視感がさらに強まる。
 私を見下ろす女神と視線を交えると、その正体がわかった。

 ここは──スカイロフトと似ているんだ。
 あの廃村も、この聖堂も、ここに象られている女神も……全て。

 もちろんあの牢屋のような家屋がスカイロフトにあった訳ではない。しかしこの聖堂、つまり女神を讃え造られた土地の空気に懐かしい感覚を抱いてしまっていたようだ。スカイロフトにある巨大な女神像の代わりがあのステンドグラスといったところか。

 ずっと胸で燻っていたものの正体が理解できたがそこに安堵は抱かない。むしろ、早くここから出たいとすら思った。

「……早く済まそう」

 自身を急かすための呟きを漏らし、ステンドグラスの女神に見下ろされながら聖堂内の探索をする。
 が、他の家屋と同様、収穫と言えるものは何も見つからなかった。

 聖堂の中にいた時間はそれほど長くはなかったと思う。どちらかと言うと逃げるように手早く探索は終えたつもりだ。
 それでも屋内を調べ尽くし、重たい扉の取手を握った私は無意識にも深いため息をついていた。薄い解放感を覚えながら私はその扉を開く。──そして、

「────え?」

 聖堂の重い扉を開き外に出た私の頬を、暖かな風が撫でた。
 寒々とした廃村に相応しくない、生命に力を与える風。私を待っていたかのように、眩しくて柔らかな光が差し込んでくる。

 日差しだ、と直感的に思った。だが、同時に強い違和感が駆け巡る。
 ここは地上なのだ。太陽は女神の封印による分厚い雲が隠している。日の光がこの地に差し込むはずがない──!

 陽光の眩しさに徐々に慣れた私の目が、外の世界の輪郭を捉えていく。
 柔らかな芝生と美しい花々が囲う道にはヒトが行き交っている。少なくない。たくさん。
 連なっている家屋はどれも個性があって、窓の外からでもそこにヒトが住んでいることがわかる。家の敷地には畑があり、美味しそうなカボチャが実っていた。

 行き交うヒトビトはどこへ向かうのかわからない。彼らの顔は笑っているのかいないのか、それすらもわからなかった。顔だけが塗りつぶされたみたく、真っ黒だったからだ。
 ただ、みんな大きいと思った。それだけじゃない。中に入ればあたたかいであろう家屋も、生命の気配を感じる木々も、なにもかもがおおきい。

 しってる場所だ。わたしはそう思った。
 だってここには空がある。わたしと同じ、ひとがいる。たくさんいる。

「ああ……なんだ」

 無意識にも安堵のため息がもれた。ここがどこなのか、わかったからだ。

「──スカイロフトだ」

 自分でみちびきだしたその答えには、不思議な安心感があった。どこをどうみても、わたしの目に見えている景色はその場所だったから。

 いろいろな場所に視線を動かしていたわたしは、行き交うひとのうちの一人が自然な動きでわたしのほうへ歩み寄ってきたことに気づいた。

 そのひとも他のひとと同じ、大きなひとだった。
 顔を見上げたけれど、その顔はぽっかりと空いた穴のような黒い顔で、だれなのかはわからない。

 でも、大人だ と わたしはそう思った。
 そしてその大人から見たわたしの姿は、小さく幼い頃と同じ姿をしているとじぶんでは気づいていなかった。

 歩み寄ってきた大人にたいして、わたしは「こわい」と思った。でもにげられなかった。
 にげたらまたわたしが悪いことをしたみたいだから。あとどうせにげられないとも、思ったから。

 そうしているうちにも大人はわたしの目の前にまでやってくる。
 大人はわたしの目のまえに立って、そのまっくろな口をひらいてわたしにこういった。


「──鳥ナシ」


 またおこられると、わたしはおもった。


 * * *


 気を失った少女がずしゃりと倒れ込んだのは人々の行き交う空の街の中でも、寂れた廃村の中でもない。
 ──女神の紋章が彫られた墓地の群れの真ん中で、その意識を手放していた。

 唯一彼女が目にした中で実在していたのは最も大きな建物、つまり聖堂のみ。それすらも、巨大な爪に抉り取られてしまったように半分が朽ちている。
 女神をたたえるステンドグラスだけが、鈍い光を放ちその地を照らしていた。