▼ 待てと言われて待つと思うな
「リーベ。お前にはいい加減、躾が必要だと思っていたところだ」
現在、私は書庫の床で兵長に組み敷かれていた。
一体なぜこんなことになったのか。前回同様、過去を振り返ろう。
数分前、私がハンジ分隊長から指定された書物を取りに書庫へ向かえば、そこに兵長がいた。
『お疲れ様です、兵長』
『ああ』
それから私は梯子に上って目的の本を取り出そうとしていた。ところが、ぎっちり詰まっているせいかなかなか抜けない。
『ぬぬぬぬぬ……!』
『おい、無理するな』
『も、もうちょっとで取れそうですから……!』
渾身の力を込めて、引っこ抜く。
『やった!』
しかし喜べたのは一瞬だった。
力いっぱい本を抜いた反動でぐらりと身体が梯子ごと揺れたのだ。
『わわわわ!』
掛けていた梯子が本棚から離れ、身体が宙に浮く。次の瞬間には落ちていた。
『う……』
痛い――そう思いそうになって、気づく。
あれ? 痛くない?
『おい、リーベ』
低い低い声が下から聞こえて気づく。何と私は兵長の上に落ちたらしい。
『兵長! お怪我はありませんか?』
人類最強に何かあれば一大事だ。慌ててそう訊ねれば――兵長に腕をつかまれて、ころりと身体が反転する。
兵長の上から、兵長の下へ。
『あれ?』
そして私は兵長の下敷きになっていた。
『リーベ。お前にはいい加減、躾が必要だと思っていたところだ』
それが事のあらましだった。
私はごくりと唾を呑み込む。
「し、躾?」
「ああ、そうすればお前の抜けた性格も少しはマシになるだろう」
兵長のまなざしから逃げるように私は言った。
「お叱りも処分も受けます。本当にすみませんでした。でも、あの、兵長は潔癖症なんですからそろそろ床から手を離すべきではないかと……」
恐る恐るそう口にしても効果はないようで、兵長の指先が私の首筋をなぞる。
「その危機感のなさが『失敗』を招く。いい機会だ。どうなるか教えてやる」
そして兵長は今まで触れていた首もとへ、今度は顔を埋めた。その唇が、私の肌に触れる。
「んっ」
さすがの私でもこれがどのような状況かわかりつつあった。
「兵長、あの……」
「大人しくしていればすぐ済む」
「あ、だめですっ。待って……!」
「待てと言われて待つと思うな」
「ひ、あ……!」
私の抵抗なんて、兵長には戯れみたいなものだろう。
それでも、大人しくなんて出来るはずがなかった。
躾なんて冗談じゃないという気持ちと――初めて知る、首筋をくすぐるような感覚が恥ずかしくて仕方なかったから。
「ふ、う……」
今度は舌まで肌を這い、ぞくりと身体が震えた、その時。
じっとしていられない足が、何かを蹴っ飛ばした。
ブーツを履いた足の裏に強く手応えがあったその直後――大地が割れでもしたんじゃないかと思うくらい、ものすごい音が連続して起きた。
「!」
「わっ」
同時に、凄まじい埃が舞う。
「…………」
「…………」
少しして、もう何も起きないことを確かめてから兵長が起き上がった。
「無事か」
「は、い」
無事に決まっている。突然起きたことにもかかわらず、兵長は私の全身に覆い被さって守ってくれたのだから。
「一体何が……」
身を起こして周囲の状況を確認し、私は言葉を失う。
書庫はすさまじいことになっていた。本棚はいくつも倒れ、書物が散乱している。ここまで荒れることがあるのだろうかと思うくらいだ。
まさかまた超大型巨人が現れたのかと考えて――ようやく私は先ほど自分の足で蹴っ飛ばしたものの正体と引き起こした惨事を気づいた。
「う、そ……」
本棚だ。
私の蹴ったそれがドミノ倒しの如く順番に書庫の中を倒れていったのだ。
有り得ない。信じられない。けれど確信があった。間違い、ない。
「…………」
いやいやいや!
本棚が蹴っただけで簡単に倒れちゃ駄目でしょ!
兵士の脚力をここで発揮したくなかった!
ああ、でも、やらかしたことに変わりはない。どうしよう。
「おい、リーベ」
低い声にびくりとする。よく見れば、全身白い埃まみれの兵長がいた。どうやら彼も何があったかすべて理解したらしい。
「あ、あの……」
これって私だけのせいですか?
そんな思考は確かに頭を過ぎったけれど。
騒音を聞きつけて続々と書庫へ集まって来たたくさんの兵士たちを前に、私に出来ることはひとつだけだった。
「すみませんごめんなさい申し訳ありませんー!」
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