▼ 耳元で言ってやろうか?
「リーベ、お前はドジでどうしようもねえ奴だが、自分の失態に他人を巻き込まない点では良くできた兵士だった」
「ありがとうございます、兵長」
「よく聞け。『だった』と過去形で俺は言ったんだ。最近のお前ときたら――」
「ああ、ですよね。特に今なんて、現在進行形で兵長は巻き込まれてますもんね」
時は数分前に遡る。
発端は私がゲルガーさんの大事にしていたお酒を瓶ごと割って駄目にしてしまったことだ。
鬼の形相で追いかけて来る彼から逃げているうちに隠れることを思いついた。
モップやら箒やらが詰め込まれた、扉付きの掃除道具入れに身を潜めようとしていると、その現場を兵長に見つかったのだ。
『私がここに隠れてること、ゲルガーさんには内緒にして下さいね』
『断る』
『殺生な!』
そうこうするうちにゲルガーさんの怒りを表したような足音が聞こえてきた。
兵長を放っておいたら絶対に告げ口される!
その一心で私は兵長を掃除道具入れに引っ張り込み、一緒になって隠れたのだった。火事場の馬鹿力のためか、人類最強相手でもそれが出来た。
「まさかこんなことになるなんて……」
結果、出られなくなった。
「何かが突っかかっているんですかね。扉が全然動かない……」
蹴破ろうにも、満足に動かせないくらいに狭い。
自分一人が隠れるなら十分だったが、兵長も引っ張り込んでしまったのは考えが足りなかった。
私はドジで抜けていてうっかり屋だけれど、それはつまり『考えなし』であることが原因だなと反省する。
「っ」
そこで私は今さらながら気づいた。現在、ものすごく兵長と身体が密着していることに。
意識した途端に、心臓が跳ねあがる。
「せ、狭いですね」
「誰のせいだ、誰の」
正直に感想を漏らせば、兵長がため息をつく。
その息が頬をかすめて、どきりとした。思わず肩を揺らしてしまう。
するとそんな私の様子を兵長は目ざとく見つけて、
「これくらいで反応してんじゃねえ」
「してません! でも、その、あ、あんまり話さないでください……近すぎます……」
声と吐息の近さに、戸惑ってしまう。
「ほう。だったら――」
うつむいていると、兵長が顔を近づけてきた。私たちの距離が限りなく狭まる。
「もっと近くで……耳元で言ってやろうか?」
言葉通りに囁かれて、身体が震えた。
「ひゃ、あ」
さらに耳朶を軽く噛まれ飛び上がる。
ちょっと待って、何でこんなことになってるの。
「や、だめ、だめ……」
「リーベ」
いつもと違う兵長の声。普段の厳しさや硬さがなくて、とろけるようにやさしい。一体どんな顔をしているのか見てみたいけれど、そんな余裕はない。
そんな声で名前を呼ばないで。
切なくて、苦しくて、おかしくなってしまいそう。
身じろぎして逃げようとしても、この狭い空間に逃げる場所なんて、ない。
ただでさえ近かった兵長との距離がさらに埋まる。
そして私は――。
現在、医務室にいた。そばには呆れ顔の兵長がいる。掃除道具入れの前を通りがかったモブリットさんが中の異変に気づいて私たちを救出してくれたらしい。
「あれくらいで気絶するんじゃねえ」
「……同じことされたら人類の女性は絶対に気を失いますって」
思い出しただけ顔が赤くなりそうだ。
むすっとして私がそう言えば、兵長が手を伸ばしてきた。
そして先ほど噛んだ私の耳に指先で触れながら、囁く。
「だったら慣れるまで付き合ってやろうか」
「ひゃっ?」
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