Novel
ご主人様はひとりだけ

「104期調査兵団は21名か……」

 昨日、新兵勧誘式へ行ったグンタさんに教えてもらった情報だ。
 誰が入団したのだろうと思いながら洗濯物を干しているとモブリットさんが大きめの箱を届けに旧本部までやって来た。

 ハンジ分隊長はお元気ですかと訊ねれば、ソニーとビーンの名前をまだ寝言で呼んでいるらしい。

 結局、巨人殺しの犯人は見つからなかった。
 ならば兵士の中に敵がいるなんて私の無意味な想像だったのだ。――そう思いたかったけれど、団長が明確に敵を見据えているのならそうもいかないとわかっていた。

 モブリットさんを見送り、ふと自分の手を眺める。もう震えてはいないし寒くもない。大丈夫だ。

「さて」

 一先ずは届けられたこの箱だ。
 何だろうと開けてみれば、中身はいつだったかハンジ分隊長に借りた給仕服だった。

『給仕服じゃなくてメイド服だよ!』

 ハンジ分隊長の明るい声がよみがえる。

 そばにいたぺトラが箱の中を覗き込んだ。

「何これ? リーベの?」
「ハンジ分隊長のものだけど、どうしてまたこれが……しかもデザインが前と違うような……」
「せっかくだし着て見せてよ」

 迷ったものの、要望通りに私は黒のワンピースドレス、細く可憐なリボンで装飾された白のエプロンに着替えた。やはり前に着たものとは違うと思いながら、綺麗なレースが揺れるキャップもつけて部屋を出る。

「あら、似合ってるわね」

 見れば、ペトラ以外にも人が集まっていた。一気に視線が集まる。

「動きづらくはないか、リーベ?」
「内地にはこんな服で働く連中もいるんだな」
「ご……!」

 エルドさん、オルオさんの言葉の後に、グンタさんはなぜか顔を赤くして声を詰まらせた。
 私たちは揃って首を傾げた。

「ご? どうしたんだ、グンタ?」

 エルドさんが訊ねれば、グンタさんが私に言った。

「ご主人様、って言ったりするのか……?」
「ああ、私の仕えていたのはご家族でしたから、お名前に様付けで呼んでいました」

 そう答えれば、グンタさんは赤い顔のまま言った。

「よ、呼んでみてくれないか?」
「ええと、グンタ様? ですか?」
「それも良いんだが、その……ご主人様、って……」

 すると外野が反応を見せる。

「へえ、グンタってそうなんだ」意味深な笑みを見せるぺトラ。
「お前ってそういうやつだったんだな」エルドさんは意外そうな顔をしていた。
「俺はお前のこと、ずっとそうだと思っていたぞ」オルオさんがにやりとして見せた。

 三人の言葉に私は首を傾げながら、グンタさんの要望に応えることにする。

「いいですよ、ご――」

 瞬間、私たちの間を何かが通り抜け、ひゅっと風が鳴った。立体機動で飛んでいるわけでもないのに、だ。
 その直後、ものすごい音がした。見れば、壁に叩きつけられて形の変わったバケツだった。
 どうやら前を通り抜けたものの正体はこれらしい。

 それを見て、さっと血の気が引いた。私だけではなく居合わせた皆も同じだ。が、次の瞬間にはもっと恐ろしい声がした。

「お前たち、楽しそうだな。掃除はもう終わったのか」

 そこにいたのは雑巾を片手に三角頭巾姿のこれ以上ないくらいに不機嫌さを滲ませた兵長がいたのだ。

「へ、へいちょ……!」馬に乗ってもいないのに舌を噛むオルオさん。
「すみませんっ」悲鳴のようなペトラの声。
「すぐに取りかかります!」先ほどまで赤かったグンタさんは青ざめている。
 エルドさんの顔は引きつっていて、それはきっと私も同じだろうと思われた。

 そう、今は朝の掃除時間だったのだ。

 それからは蜘蛛の子を散らすように、私たちはそれぞれ持ち場に戻った。一切の言葉と視線も交わすことなく、全速力で。

 ちなみに私は給仕服のまま掃除に徹することになった。動きづらそうだとエルドさんには言われたけれど昔はこの恰好が常だったので問題ない。そもそも悠長に着替えるどころではなかった。

 持てる力を尽くし、最速で掃除と片付けを終わらせて、私は兵長の元へ報告へ向かった。

「兵長、指示された場所の清掃終わりました……!」
「…………」

 しかし返事がない。彼は背を向けたままだ。棚にハタキをかけている。

「兵長?」

 もう一度、しっかりと呼びかける。やはり返事はなかった。
 おかしい。聞こえているはずなのに――と、そこで脳裏にひらめきにも似た考えが浮かんだ。少し迷ったものの、直感を信じて実行に移すことにした。

 それから私は兵長に近づいて、三度呼びかける。

「……ご主人様?」

 すると口元を覆っていた布を下しながら兵長が振り向き、言った。

「その言葉は使うな。お前はもう、誰の使用人でもねえだろ」
「は、はい……」

 途端に自分が恥ずかしくなる。
 兵長があんな風に呼ばれたいなんて思うはずないのに。

 気分を害しただろうかと様子をうかがえば、兵長の表情は変わっていなかった。
 ただじっと私を眺めている。

「ええと……」

 何だろう、この威圧感。まるで視線に捕らわれているような。
 逃げられない。どうしようと考えて――またひとつ、考えが浮かんだ。さっきは失敗したけれど、今度はどうだろう。

 そう思いながらも勢いに任せて一歩近づき、私は背伸びして軽く兵長の頬へ口づけた。不意打ち作戦だ。
 兵長は軽く目を見張るだけだったが、それでも効果はあって、わずかな隙が生まれた。

「では、他の皆さんの清掃場所へ手伝いに行きますね」
「待て、リーベ」

 ようやく解放された気分になり、背を向けて離れようとすれば呼び止められる。

「もう一度だ」
「ご主人様?」
「そっちじゃねえ」

 兵長は三角頭巾を取ってから私へ近づくと、素早く唇を重ねてきた。

「ん……」

 もう一度、と兵長は言ったけれど、私がキスしたのは頬だ。言葉と行動が噛み合っていない。
 そう思って兵長の胸をそっと押し、顔を離そうとするが、力であっさりと阻止された。それどころか腰を引き寄せられて、互いの身体がさらに密着する。

「ふ、ぅ……」

 唇に触れたかと思うと口内へ入り込む舌に身体が震えてしまう。頬と首筋をなぞる手にぞくぞくとして、恥ずかしくなる。呼吸が乱れる私に対して、兵長の息遣いは変わらない。 

「一部、訂正だ」

 僅かな息継ぎの間に兵長は言った。

「もし仮に口にするとすれば――俺以外は呼ぶな」
「……え」

 それってつまり――。
 私の思考をかき消すように、兵長はまた唇を塞ぐ。

 ふと思い出す。ゲデヒトニス家に仕えていた幼い頃に聞いた話を。
 主人と使用人。身分の異なる二人が許されない恋に落ちた物語を。

 もしも私たちの関係がそれと同じなら、なんてことを考えていると――軽く唇に噛みつかれた。

「何を考えてやがる」

 そして集中しろと言わんばかりに深い口づけに変わった。思わずぎゅっと兵長のシャツを握ってしまう。

 あなたのことしか考えていないのに。

 そう思いながら私はそれに応えた。


(2013/10/22)
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