Novel
包囲網は動き始めた

 朝から大変なことになった。トロスト区掃討戦で捕獲した二体の巨人が殺されたのだ。
 消えゆくソニーとビーンを前にハンジ分隊長は乱心している。

 ざわざわとした喧騒の中で、旧本部から駆けつけて来た私の頭にも当然ながら疑問が過ぎった。

「誰がこんなことを……」

 立体起動装置を使用したそうだから犯人は兵士だろうけれど――と想像して、途端にぞわりと肌が粟立つ。恐怖と嫌悪、不安に満たされた感覚に陥る。

「あ……」

 この感覚は知っている。
 かつて――十二歳だった冬の夜にも感じたものだ。

 安心して過ごしていた寝床に誰かが忍び入って来たような――。
 穏やかに過ごせる居場所はもうないのだと思い知らされるような――。

 身体が震えだした。自分でも抑えられない。

 どうして、今、こんな感覚を思い出すの?

「!」

 思考を遮断しようとしたその時、ふいに感じた近づく『何か』の気配。

 考える前に私は動く。
 何者かから伸ばされた手に対して逃れるように身をひねり、瞬時に距離を置いた。

 格闘術の構えを取り、相手へ鋭く視線を向けて――焦った。

「だ、団長……」

 そこにいたのはエルヴィン団長だった。私の肩を叩こうとしたであろう手が行き場を失っている。
 それを見て、血の気が引いた。自分のしたことを思い出して後悔しながら慌てて頭を下げる。

「失礼致しました!」
「――どうやら君には聞くまでもないようだな」

 謝罪など意に介することなく、団長が言った。

「リーベ、後で私の部屋へ来るように」
「え、あの……」

 力強く歩き去る姿に私は言葉を失って、立ち尽くすしかなかった。




 騒動が一段落して、私は本部内を歩く。その部屋の前に、フードを目深くかぶったエレンが立たされていた。頭を下げられたので私も頷いて応じてから扉をノックした。

「リーベです」
「入りたまえ」
「失礼致します」

 団長の執務室である。
 そこにいたのは部屋の主だけではなかった。兵長だ。エレンが扉の外にいた時からわかっていたことだけれど。彼らは監視する者とされる者――本当は守る者と守られる者として、基本的に離れることを許されない。

「座りなさい」

 その言葉に私は空いていた兵長の隣へ腰を下ろして団長と向かい合う。

 団長が言った。

「リーベ。あの時、君は私の言いたかったことがわかったかい?」

 あの時。
 団長が私へ手を伸ばした瞬間。

 私は、何を考えていた?
 私は、何を感じていた?

 目を伏せて、口を開く。

「……いえ、何も――」
「おい。俺の前で嘘をつくとはいい度胸じゃねえか、リーベ」

 兵長の鋭い声にぎくりとする。横から刺さるような視線に、顔を向けることが出来ない。

「嘘なんて、そんな。私は……」
「じゃあ言え。わかっているんだろ」
「…………」
「あの場所で、なぜお前は周りを警戒していた」
「わ、私は……」

 あの時と似た感覚を、思い出すことさえも恐ろしかった。

 だが、そんな目を背けるような真似は許されるはずもなく。

「リーベ。君はあの時、何を考えていた?」

 団長はまっすぐにこちらを見据える。そのまなざしから、私は逃げられない。

「君には何が見える? 敵は何だと思う?」

 そして畳み掛けるような問いかけに――私は観念してうつむく。

 答えはすぐに出ていた。
 考える以前に、過去を楔にして直感的にわかってしまったのだ。

 安寧が失われ、『敵』がすぐそばにいるあの絶望を。

「敵は……巨人だけではありません」

 この行為には明確な理由と目的があると。
 自由を脅かす存在を認知してしまった。

「壁の中に……人類に……兵士の中に、敵がいます」

 ああ、冬でもないのに寒く感じるのはどうしてだろう。
 身体を押さえつけられ、自由を侵されそうになった恐怖と――。
 冷たい地面にひとり立たされたような、あの孤独を思い出した。

 思わず拳に力を入れていると、その時――頬に何かがやさしく触れた。

「リーベ」

 兵長の手だ。そのぬくもりに、私は自分の冷たさを知った。

「何て顔してやがる」

 私が何も言えずにいると、兵長は団長へ顔を向けて、

「エルヴィン、席を外せ」
「ここは私の部屋だが」
「少しでいい」
「……仕方ない。私はミケを呼んでくる。リーベのことを話さねば」

 そうして団長が部屋を出て、扉が閉められた。

「気分はどうだ」

 頬から一度手を離し、兵長が言った。

「……寒いです」

 私はうつむいたまま、正直に答える。

 すると――兵長が私の腕をそっとつかみ、引き寄せるように力を込めた。らしくもなく、どこか躊躇うような動きだった。

 すぐにその意味を理解する。

 私が少しでも拒んだり、逃げたりすることができるように――必要以上に怯えさせないために、彼はそうしているのだ。

 そんな必要はないのに。
 だって、あなたは――。

 ほんの少し、私は自分から兵長の方へと身を傾ける。そうすればすぐに抱きしめられた。

 兵長の身体に包まれて、私はそれまでずっと自分が震えていたことに気づく。

 私は戦う。自由のために。

 でも、今は――震えて何も出来ないことを許してくれるぬくもりがあった。

「リーベ」

 私を呼ぶ声がする。

 私は独りではない。

 あなたがいるから。

 その安らぎに、私はそっと目を閉じた。


(2013/10/13)
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