Novel
終幕-meine Liebe-

 木にもたれて本を読んでいると少し強く風が吹いた。ページを捲る手を止めて、そこで時間の経過に気づく。

「そろそろ戻らないと」

 本を閉じた時、誰かがこちらへ向かってくる気配がした。顔を向ければ兵長で、私は木の幹につかまりながら立ち上がる。
 そして走った。手に取った松葉杖を駆使して、可能な限り全速力で。

 あと少し、というところで松葉杖を放り出して自力で歩く。最後は少し倒れかけたところを抱き留められる。その勢いで腰を軽く持ち上げられてその場で一周くるりと回ってから、そっと地面へ降ろされた。

「ありがとうございます」
「無茶するな、まだ杖は必要だろう」
「歩く程度なら大丈夫ですよ」

 そんなやり取りをしてからどちらともなく顔を近づけて、鼻の先が触れ合う。私は目を閉じた。やさしい吐息を感じながら、唇を重ねる。

 ゆっくりと離れた時、そこで視線を感じた。顔を向けると、孤児院の子どもたちがいた。敷地内だからここにいるのはおかしくないけれど、一体いつからそこにいたんだろう。そう思っていたら、子どもたちの背後からヒストリアが現れて、

「何を見てるの?」

 まさに私が聞きたいことを訊いてくれた。

 すると子供たちは私と兵長をびしっと指差して、

「くるくるまわってたー!」
「いっぱいちゅーしてたー!」
「ちょ、ちょっと! そ、それなら邪魔しちゃだめでしょ、あっちに行くよ……!」

 ヒストリアが子どもたちを連れて行ってくれて、私たち二人が残される。ものすごく、居たたまれない。

「しばらく眠っていたせいか、人の視線に鈍感になってしまった気がします」

 でも、兵長はあの子たちがいたことにちゃんと気づいていたはずだ。視線で問えば、

「別に隠すようなことじゃねえだろ」
「…………」

 今後は私が気をつけよう、と思うことにして息をつく。

 私が目覚めるまで、多くの出来事があった。大きく挙げれば三つ。ヒストリアが正式な王座へ就いたこと、超大型巨人を仕留めたこと、そしてウォール・マリアを奪還したことだ。

 そう、ウォール・マリアの奪還。

 ついに845年からの悲願が成された。

 調査兵としてそれに参戦出来なかったことは無念に尽きるけれど、終わってしまったことは仕方ない。

 そして、シガンシナにあるエレンの生家で手に入れることになった壁の外の真実――。

「どうなるんでしょうね、これから」
「お前のことだけを考える日が一日くらいあればいい」
「私も、あなたのことだけ考える一日を過ごしてみたい」

 だけど、それは、無理だ。

「私、明日からリーベ・レイスになるんですね」

 私の血筋は誰にも証明出来ないはずだった。ロッド・レイスだって認めなかったんだから。
 でも、証拠は残されていた。レイス家からの出生と血筋を示す証明書がゲデヒトニス家に眠っていた。
 なぜその文書がこれまで公にされなかったのかについては、王家である父方の血筋よりも、死を以て力を得るとされる母方の血筋をゲデヒトニス家が有効に利用したかったのだろう。

 ため息をつけば、

「リーベ?」
「今でもウーリおじ様の子供だったなんて信じられませんし……ヒストリアと家族になれるのは嬉しいですけれど、だからといって私たちの関係が大きく変わるとは思いませんし」

 何より私の心に重く圧し掛かっているのは、

「変わるのは、私の立場。王家の人間になってしまうと――」

 もう、戦えない。
 兵士ではいられない。
 王家の人間にならなくたって、この身体じゃ兵士ではいられないけれど。

 でも、それはつまり――

「大丈夫だ」

 そっと頬へ触れられた感覚に、沈んでいた意識を取り戻す。兵長の手だった。強くて優しい手のひらに包まれる。

「……はい」

 うなずいて、顔を上げる。今さら立ち止まっても仕方ない。私にはもうどうすることも出来ない話だから。

 二人で沈む夕陽を眺めた翌日、ついに式典が行われる日となった。ウォール・マリア奪還作戦を成功させた兵士たちへの勲章授与式の後に続けて、私が王家へ加わる式典が開かれる。

 用意された服――ヒストリアと同じデザインの白いドレスへ着替えるのを手伝ってもらいながら、サシャがふと思いついたように口を開いた。

「ヒストリアとリーベさん、あんまり似てないですよね。共通点って背が低いくらいじゃないですか?」
「当然だよ。血縁関係としては『いとこ』だし……私は母親似らしいし」
「なるほどー。ところでこの箱は何ですか?」
「今日届いた贈り物の一つだけど、食べ物じゃないから開けないで。――あとは一人で大丈夫だよ。ありがと、サシャ」

 着替えと準備を終えて鏡の前へ立つ。ドレスのデザインの問題で、肩の傷がどうしても目立った。

 その傷へ触れながら思い出す。

 ねえ、アニ。
 あれから色んなことがあったよ。多くのことを知ることになった。あなたがどんな境遇で海を越えてこの壁の中まで来たのか、少し想像が出来るようになった。
 壁の外のこと。海の向こう、あなたの故郷のこと。話したいことも聞きたいこともたくさんある。だからいつかもう一度、向き合いたい。

 そこで扉をノックされて返事をすれば、

「ストールあるけどどうする?」

 そう提案してくれたのはハンジ分隊長――いや、今はハンジ団長だった。

 私は少し考えて首を振る。

「見られることに関しては気にしません」
「君が気にしなくても、気にする男がいるんだよね。まあ、傷云々というよりも『むやみやたら自分以外の男に肌を見せるな』って意味で」

 時間になって、広間へ向かう。まずはハンジ団長を始めとした九人の調査兵へ、ヒストリアから紋章入りのループタイが贈られる。そう、九人。他の調査兵は全員、命を落とした。それだけ壮絶な戦いだったということだ。
 目を閉じて、この世にいない彼らのことを思い出していると授与式が終わる。今度は私の番。正式に王家へ迎えられる言葉をヒストリアから贈られる手順だった。

「――こちらへ」
「……はい」

 促されるまま、玉座の前へ向かう。ゆっくり歩くなら杖なしでも問題ない。広間へ入っていくつもの視線を感じながら進む。そしてヒストリアの前へそっと膝をついた。

「…………」

 もう、壁の外へ出ることはない。
 大空の下を自由に駆けることも。
 刃を振るって戦うことも、ない。
 銃を構えて引き金を引くことも。

 壁の中で大人しく、静かに過ごす。
 自分では戦うことなく、守られて。

 戦うことが好きだったわけじゃない。

 出来るなら誰も傷付けたくないし、殺したくない。

 でも、私は望んでいた。

 この世界と対等に在ることを。

 何も出来ないけれど。何も、出来なかったけれど。

 それでも、私は――

「……ん?」

 そういえば、始まらない。口上が述べられることもなく沈黙が続いているのはなぜだろう。
 いや、沈黙は破られていた。なぜか周りに静かな動揺が広がっていた。

 一体どうしたんだろう。私、何か変なことをしたのかな。普通に歩いて跪いただけだけど。
 前にいるヒストリアをこっそり窺えば、私の後ろを驚いたように見ていた。大きくて綺麗な青の瞳が見開かれている。

 それを見ると振り返らないわけにはいかなくて、そっと顔を向ければ――

「……兵長?」

 兵長が立っていた。広間の入り口から玉座へ至る通路の中心で。

 兵団用コートは脱いで、いつものジャケット姿。腕には緑のマントをかけていた。

 正装ですらなくなっているし、立っている場所が場所だし、その場に居続けられては私の式典も進めるわけにはいかないという周りの戸惑いをやっと理解していると、

「女王陛下、先ほどの勲章をお返しする」

 兵長がヒストリアへ言葉を投げかけた。手には授与されたばかりのループタイが握られている。

 当然ヒストリアは戸惑って、

「なぜです。そんなことが出来ると思いますか」
「出来る。そもそも俺は受け取ってない」
「手の甲へ唇を当てなかったことを言っているんですか? 形式だけだからと触れないことを気にしませんでしたが」

 戸惑いつつ呆れたように言った。

「リヴァイ兵士長。あなたは勲章ではなく、何を求めるのですか?」

 そこで兵長は一呼吸置いて、改めて口を開く。

「彼女を――リーベ・ファルケ・レイスを」

 そして断言した。

「彼女の降嫁を願う」

 広間は静かだった。誰も、何も言わない。

 少ししてから、

「コウカって何です?」
「オレ、村の学校でよく歌ったぜ」

 サシャが囁くように周りへ訊ねて、コニーも小声で応えたけれど、沈黙の中ではよく聞こえた。そしてジャンが、

「それは『校歌』だ! 兵長が言ったのは『降嫁』! 王家の人間が民間の人間と結婚することだ!」

 その声を皮切りに周囲が一斉にざわめいた。

 その中で落ち着いているのは兵長だけだった。

「リーベ」

 私へ向かって、兵長が手を差し伸べる。

「一緒になろう。そうすれば、お前はレイス家に縛られない」
「何を、言って……」

 首を振って後ろへ下がるしかない私の前へ出たのがヒストリアだった。 

「ちょっと待って下さい、どうしてそんなこと――!」
「女王陛下、ウォール・マリア奪還作戦後にお前は言ったな。『私は壁の真ん中で南の空を見てただけ』だと」
「……はい、そうです」
「お前はそれでいい。それが役目だ」

 そして兵長は私へ視線を向ける。

「だが、リーベ。お前にそれは似合わねえよ。お前は壁を出て飛び回っている方が合ってる」

 その言葉に――私は首を振ることしか出来ない。

「そ、そんなこと……違います。だって、無理です、それは。……私はもう、私の生き方を選べません。だから、これからはこの場所で生きるんです」

 それに、と続ける。震える手をぎゅっと握りしめて抑え込んだ。

 後悔する時間もないだろうからとした選択を、生きている今、悔やんでいる。

「私は兵士失格です。大事な局面で、結局は私情を優先してしまうような人間なんです」

 巨人の正体は人間であり、同じ祖先を持つ民族『ユミルの民』であること。100年前に王が壁を築き、巨人の力で民の記憶を改竄することで壁の外の民族は滅亡したのだと思い込ませたこと。だが壁の外の人類は滅んでおらず、『悪魔の末裔』と呼ばれる私たちのいるこの土地を資源獲得を口実に攻め込もうとしていること――あの時に私が話していれば、奪還作戦の結末は、その過程は、変わっていたかもしれないのに。

「だから私が兵士で居続ける資格は、ありません」
「……それを言われたら俺は兵士で居られなくなるんだがな」

 兵長は肩を竦めた。

「開き直るわけじゃねえが――固く決意しても、どれだけ覚悟しても、人間の意思や感情は揺らぐし変わる。理解していても納得出来ねえことがあるように」

 この場にいる全員が兵長の声を聞いていた。反応や表情は様々だけれど、静かに耳を傾けている。

「兵士とは戦うものだ。命を懸けて、心臓を捧げる立場にある。だがその生き方、心臓の使い道は各々が自分で決めればいい。生産者を守る義務があるように、後悔のない選択をする義務がある。命令に従うか否かについてもだ」
「兵士が命令系統に従わない、そんな組織は破綻します」
「いいや、破綻しない。少なくとも壁内兵士の目的は同じ敵を倒す点で一致しているからだ」

 私へ向けて手を差し出した。

「壁の外へ行くぞ。一緒に」
「…………」
「俺はお前を守れない。今までもずっとそうだった。これからはわからない。だが、そうだといってお前を籠の中へ閉じ込めたいとは思わない」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 ヒストリアが憤ったように声を荒げる。

「そんなの、それって、リーベさんを死なせに行かせるつもりですか!?」
「死ぬ覚悟のあるヤツだけが行く場所ではあるが、誰も最初から死ぬつもりで行くヤツはいねえだろ」
「それは確かにそうですけれど……!」

 兵長が私を見る。まっすぐに。

「リーベ。お前を壁の中で守り続けることが出来たらと思うこともあった。そのために尽力することも選択の一つだろう。壁の外へ連れ出すことは、お前を危険に晒すことになる。だから正しいことではないかもしれない。だが、間違ってはいないと断言出来る」
「…………」

 私は――

「わからない。自分のことなのに、自分がどうすればいいのか」
「どうすればいいかじゃない、『どうしたいのか』はわかっているはずだ。ただ怖がっているだけだ。自分にそれが出来るのか、不安になっているだけだ」
「違う、本当にわからないんです」
「答えは壁の外にある。お前もそれはわかっているはずだ」

 何があるのかわからなかったその場所に世界が広がっているとわかった今。

 兵長が一歩、こちらへ近づいた。

「だから行こう、壁の外へ。俺が連れて行ってやる」
「……だめです、私は行けない」

 震えて、崩れてしまいそうになる足にぐっと力を入れる。

「……この身体じゃ、戦えない。この身体は前のように動かない。もう、立体機動装置は――」
「立体機動装置を発明したヤツは有能でな。調整すれば問題ねえよ。エルヴィンも片腕で壁の上まで50m悠々飛んでやがったしな」

 エルヴィン団長。

 もう、いない。死んでしまったから。

 あの人のいない調査兵団がこれからどうなるのか、見当もつかない。

 それなのに、私なんかが生きている。

 たくさんの兵士が命を捧げた結果、今日という日がある。そんな日に私は――

「……今まで、たくさんの兵士が、心臓を捧げて来ました。だから今日があります」
「そうだ。だがそれは、生き続けるお前が不幸になる理由にならない」
「私だけが幸せにはなれません」
「傲慢だな。お前以外が不幸だと決めつけるなよ」
「違います、そんなことは」

 息が苦しい。この時間をもう終わりにしてほしい。

「私と一緒になったら、あなたは幸せになんてなれない」
「幸せになれなくても、俺は後悔しない」
「どうしてそんなこと言うんですか」
「それで充分だからだ」

 兵長がまた一歩近づいた。もうわずかな段差だけが私たちの距離だ。

「誰も、こんなこと許さない」
「今までだって『嫌われ者の調査兵』やってきただろうが、それくらいどうした」

 鼻を鳴らした。

「そりゃあ、許さねえヤツはいるだろうし認めねえヤツもいるだろうよ」
「その通り! 異議ありだ!」

 通路へ出てきたのはナイルさんだった。顔を真っ赤にして怒鳴っている。

「俺はリーベ・ファルケの親代わりとして『守ってやる』の一言も言えねえ男に嫁はやらん!」
「――親代わりとは異なるが、かつてその身を預かった者として私も口を挟ませてもらおうか」

 続けて今度は知らない声がした。いや、私は知っているはずなのに、最初は誰なのかわからなかった。入り口に立つその人は、記憶の中にあるよりも別人のようだったから。

 茫然としていたら、

「ゲデヒトニス家の前当主――とはいえ当主を明け渡した息子はもういない。だから再びその座へ就いたんだったが」
「いかにも」

 ハンジ団長の言葉に彼は鷹揚に頷く。

 私はうまく呼吸が出来なくなっていた。あの夜以来、この人と会うことは初めてで、

「どうして、あなた様が……」
「貴様に言いたいことがある」

 そう話すと同時に、その手にはどこからともなく取り出した拳銃があった。次の瞬間、こちらへ銃口を向けられて――

 銃声が轟いた。ヒストリアや何人かが短い悲鳴を上げた。ナイルさんが即座に伏せた。動こうとした兵長は私を見て動きを止めた。

 そして誰も動かなくなる。誰も何も言わない。

 何が起きたのか理解した人間は、少ないだろう。

「――まず一つ。貴様は戦える」
「…………」
「敵は巨人ではなく人間だと明らかとなった今、それだけのことが出来れば当面は充分だろう」
「…………」
「貴様がそう思わずとも周りは納得する。躊躇なく引き金を引いた。それも狙いを正確に。最も適切に私の武器を破壊した。この場にいる誰も出来なかったことだ」

 私は構えていた銃を下ろす。ドレスの後ろの腰へ、外套に隠れる場所へ吊っていたそれを。

「――私を殺せば完璧だった。なぜ殺さなかった? 貴様へ偽りを刷り込み苛んだ人間の一人だぞ」
「……それは、私があなたを殺す理由になりません」

 私は一つ、息をつく。

「正気ですか、女王の前でこの行い。下手をすれば死罪です。いえ、それ以前になぜ私に殺されるつもりでこんな……」

 違う。聞きたいことは、そうじゃない。

「どうして、あの夜のように、私へ何も言わないのですか。だって、アルト様は……あなたの息子は――」
「妻も息子も、命を落としたのは遠い過去からの呪縛によるものだ。私はそこから救うことをしなかった。役割を果たさせることが二人の望みだと思っていたからだ。だが、今となってはそれを後悔している。せめて我が家の『切り札』だった貴様の存在を尊重することが、当主として最後の選択だ。つまり……私も歳を取ったということだ」

 私が破壊した銃を拾い上げ、それを眺めながら、

「話を戻す。貴様の今後について。――この城にはすでに女王がいる。そこへ貴様が加わったところで単なる予備だ。不要とまでは言わんが、果たして必要か?」
「ひ、必要だ! 女王の身に何かあった時、リーベがその役割を担う!」

 起き上がったナイルさんの言葉に鼻で笑う。

「あれが『予備』に収まる器か? 求められることがなければ腐るだけの存在に?」
「無事でいることが大事なんだ! こいつは守られる理由がある!」
「それは単なる飾りだ。同じ飾りなら兵を率いて力量を示し、士気を高め、戦果を挙げる方が有用だ」
「お前はこの子を死なせたいのか……!」

 ナイルさんの強い言葉にも静かな視線を返すだけだった。

「死んだように生き続けるより、ずっとマシだろう。――私が言いたいことは以上だ。失礼する」

 立ち去る前にヒストリアを見て、

「女王陛下。この場での暴挙は、家の取り潰しということで許してもらいたい」

 そしてもう一度私を見る。

「――リーベ、嫁ぐならば我が家の火器一式を持っていけ。《王の火薬庫》の名を返上するに伴い不要となる。息子が作った武具もある。嫁入り道具には物騒だが、それがゲデヒトニス家であり、貴様にも合っているだろう」

 そして彼は去った。

 ナイルさんはその後ろ姿をしばらく睨んでから私を見た。そして思い出したように口を開く。

「なあ、リーベ」
「…………」
「なぜ、今、銃を身に着けていたんだ?」
「…………」

 恐らくこの場にいるほとんどが疑問に思っていることを言った。

 昔と同じだ。この人には痛いところを突かれる。

 でも――これが、答えだ。

 私が黙っていると、ナイルさんは苦しそうな声で、

「お前が戦うことになれば……お前はまた、傷つくのに。誰がお前を守るんだ」
「……『殺されたくない』と思ったことはあっても、『守られたい』と思ったことはありません」
「お前は守られるべき人間だ。大事にされていいんだ」
「ナイルさん」
「何だ」
「ありがとう」

 答えはもう出ていた。

 少なくとも、今日届いた贈り物の山の中からゲデヒトニスの紋章が入った箱を見つけて、それを手に取った時に。

 私は兵長へ身体を向ける。ずっと私を見守っていてくれた人へ。

「……私が、選ぶのですね」
「ああ。お前が、選ぶんだ」
「私は……何も出来ないのに」
「お前なら何もかもが出来る」

 私はゆっくり段差を降りて、振り返る。段差の分だけヒストリアの方が高い場所にいた。美しいその姿を仰いで、口を開く。

「ヒストリア、女王陛下」

 今の私は、戦うことが出来ても戦い続けることは出来ない。

 現にたった一発だけ撃っただけなのに肩が痛い。腕が痺れている。筋力が落ちていることがよくわかった。

 兵士に戻るのは、並大抵のことじゃない。

 この身体は前のようには動かない。鍛え直しても、きっと。

 でも――前に出来なかったことが出来るようになるかもしれない。

「私を、壁の外へ行かせて下さい。そこに『私』という存在の答えと意味があります。それを以て、必ず御身に報います」

 ヒストリアは首を振る。

「でも、そんなの、もしもリーベさんに何かあったら――!」
「あなたが無事でいてくだされば問題ありません。だから、私はあなたを守ります」
「そんな……リーベさん……」

 小さく首を振る彼女に、小声で敬語を解くことにした。

「ヒストリアが女王としてその場所にいるのは、やりたいことを見つけたからだよね」
「……はい」
「私も見つけたよ。迷ってたけど、決めたの。怖いけれど、それでも私はそうしたい」

 ヒストリアは唇を噛み締めて、それでも何かを思い出すように目を閉じてから、また開いた。
 そして困ったように微笑んで、

「……式典は、これでお開きですね。皆さん、本日は――」
「ちょっと待ったー!」

 ハンジ団長だった。目を輝かせて、顔も赤くなっていて、つまりなぜか興奮しているようだった。

「それで? 結局、君たち結婚するの? しないの?」

 その言葉に私は慌てて首を振る。

「いえ、あの、兵長は私の立場を自由にして下さるためにそう言っただけであって、私の都合に兵長を巻き込むわけにはいかないので――」
「リーベ」

 隣から聞こえたのは低い声だった。

「どうせいつかするなら今でも同じだろ」
「え、えええ!? そ、それは、その……!」

 返事に困っていたらハンジ団長が、

「王家へ加わらないとしても、リーベが王の血筋を引いている事実は変わりない。そして、まだ新しい王室典範や法は全く整っていない。可能性が低くても、今後もしかしたら婚姻に関する制約が出来るかもしれない。だから――今が一番滞りなく進むね」

 そこでヒストリアがうつむいて、言葉を絞り出す。

「せっかく、リーベさんと家族になれると思ったのに」
「ずるいですよヒストリア! あ、間違えた、女王陛下!」

 声を上げたのはサシャだった。

「私だってリーベさんと家族になっておいしいもの作ってもらいたいのに!」
「お前はメシだけか!」
「ジャンだってリーベさんみたいなお姉さん欲しいくせにー! 前にベッドの下でそんな感じの本いっぱいあるの見つけましたよ!」
「お、お前っ、それは違っ……!」
「よくわかんねえけどリーベさんみたいな姉ちゃんならオレだって欲しいな!」

 最終的にコニーの言葉に同意する声がいくつか聞こえて、どうすればいいかわからなくなる。

 だって、私は、そんな風に思ってもらえる人間じゃないのに。

「家族になりたい人はみんな家族でいいじゃないですか!」

 サシャの言葉にアルミンが頷いて、

「うん、確かエレンのお母さんが赤ん坊だったリーベさんをしばらく育てたんだっけ? それなら姉弟みたいなものじゃない?」
「そうなのか?」
「エレンの家族なら、私もリーベさんと家族」

 やがてナイルさんが疲れたように息をついて、

「もう俺から言うことは何もねえよ。……それで? ここで誓うのか? 司祭もいないのに?」

 その言葉にハンジさんが、関係ないと手を軽く振った。

「司祭に誓いを立てるよりもっと相応しい者たちがいるよ。今日は彼らを弔う日でもあるからね」
「それって――」
「ああ、ここに集う英霊たちさ!」

 瞬間、巨大な窓から差し込む光に広間が満たされた。

 眩しいくらいの光の中で、私は兵長に向き合う。

「私は、いつか地獄へ行かなきゃならない人間なのに」
「俺も地獄へ用がある。エルヴィンに一言言ってやらねえと」
「私で、いいの?」
「来い、リーベ」

 足を踏み出す。一歩、二歩、身体がバランスを崩す前に、踏み切って跳ぶ。力強い腕に受け止められて、そのまま抱き締められた。

「……ごめんなさい」
「何を謝る?」
「だって、あなたはいつも、自分ではない誰かのために、道を、選ぶから……」
「それも含めて俺の選択の一つだ」

 腕に力が込められる。

「今だってそうだ。俺は俺自身のために選んだ」
「私は壁の中にいるべきだと考えるんじゃないかと思っていました」
「ああ、そう考えたこともある。今も少しは思ってる。だが、お前が地下街へ来てくれたおかげで俺はお前と出会えた。地上も地下も関係なく行き来したお前だから――壁の中と外を関係なく生きて欲しいと」

 兵長の頬へ自分の頬を寄せると、同じように返してくれた。

「俺はお前の命を守れないかもしれない。だが、せめて、お前の生き方を守りたいと思ったんだ」

 目頭が熱いな、と思ったのが最初だった。

 どうしてだろうと考えるより先に視界がにじんだ。

 あれ?

 慌てて手の甲で目元を拭った。意味がなかった。

 止まらない。

 涙が、止まらない。

『泣いてもいいのよ。あなたは泣いてもいいの』

 母様の声を思い出したら、余計に止まらなくなった。

 どうして?

 どんな悲しみも、ずっと胸の底へ押し込めていたのに。それが出来ていたのに。

 それに今は、私は悲しくないのに。

 どうして私は泣いているの?

 そこで私を抱きしめる腕の力が、強くなる。

「兵長……苦しい……」
「言っただろうが。お前が泣いたら、抱きしめるくらいしてやるって」

 旧本部でのやり取りが、随分遠くに感じる。

「それなら、何度でも……泣けばよかった……」
「そうだ、いくらでも泣けばいいんだ」

 ふわりと肩にかけられたのは調査兵のマントだった。自由の翼、これを身に付けるのはいつぶりだろう。

「っ、……!」

 伝えたい言葉があるのに私は何も言えなくて、また涙を落とすだけだった。

 胸から溢れる想いが、止まらない。止められない。

 ウーリおじ様、フリーダ様、それからケニー、母様にも、伝えたい。

「――ありがとう」
「いいんだ」

 そこで兵長が、

「俺も、謝らねえとな」
「何、を……?」
「お前は自由に生きて良い。だが、壁の中で護られて、慕われる――王家の人間でいた方が良かったと思う日が来るかもしれねえ。その可能性を捨てさせた」
「いいえ。そんなの、いいんです」

 いつか、もしかしたら明日、この選択を後悔するとしても、

「一番欲しいものが、手に入りましたから」

 その先で、私は見てみたい。どんな世界が広がっているのか。


meine Liebe…いとしいきみ
(2017/08/09)
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