Novel
切り裂くは愚行の螺旋

「ばーん」

 ケニーが手を下ろした。

「ほら、これでお前は死んだ。死んじまったな。ざまあみやがれ。気分はどうだ」
「…………」

 やっと、わかった。
 でも、本当はずっと、わかっていたような気がする。

 初めて憲兵団本部で会った時、突きつけられたナイフに反応出来なかったこと。ケニーを狙った銃口は、いつも思うように定まらなかったこと。他にもたくさん、思い当たることがあったから。

 そして、今も。

「……ずっと、私を、殺すつもりなんてなかったくせに」

 この人は、私を殺そうとしなかった。

 だから、私はこの人を殺せなかった。

「どうして……? 私を殺したら何が出来るか知ってるなら……『夢』のためなら、何でもやるんじゃなかったの?」

 するとケニーは鼻で笑って呟くように、

「お前は――俺の、無力の証だ」
「…………」
「俺に、ちゃんと力があれば……あいつはお前を産もうと考えなかっただろうしな……」

 話す声は弱々しい。この人らしくない。

「何言ってるのか全然わからないよ」
「お前を殺して『力』が手に入るのは癪だってことだ」
「どうして? 何が気に障るの?」
「お前なあ、訊いたら何でも全部教えてもらえると思ったら大間違いだからな」

 俺が教えてやってもいいと思えるのは、とケニーが続ける。

「確かにあいつは、お前の母親はお前の死を見据えてお前を産んだ。だが、惚れてもねえ男のガキを産んだからって殺そうとしたわけじゃねえ。ウーリのことも気に入ってたしな。お前を苛んでいたのは何も知らねえ連中の思い込みと嘘だ。……本当のお前とは何の関係もねえんだよ」
「…………」
「少なくとも父親の方はお前が生き続けることを望んでいた」
「……本当に、ウーリおじ様が私の父様?」
「ああ、そうだ」
「ケニーじゃなくて?」
「俺はあいつと寝てねえよ」

 そう言って、困ったように笑った。

「だが、父親も母親も関係ねえだろ。お前は好きに生きたらいいじゃねえか。今までずっとそうしてただろ。訓練兵になって、調査兵団に入って、調査兵団を飛び出して。……お前はずっと好きに生きてたじゃねえか。これからも、それで、いい……」

 そこでケニーがうつむいたかと思うと大量の血を吐いた。当たり前のように話し続けるから、負傷の度合を忘れかけていた。
 どうしよう。このままじゃだめだ。煙弾でもあれば救助を求められるけれどそんなものはない。

「待ってて。助け、呼んで来るから……」

 そうは言っても私の足はまともに動かないから腕を使うしかない。匍匐前進。全く速度が出ないけれど、これしかない。移動しないとどうにもならない。
 私が自分の体勢を変えようとするとケニーが呆れ声で、

「あんまり動くなよ、傷が開くぞ。――ああ、そうだ」

 左手を動かして、小箱を見せた。注射器と、小瓶に入った液体だ。一体何だろう。

「さっき、ロッドの鞄からくすねた……巨人になる薬だ」
「……薬で巨人に? これで……巨人になれるの?」
「ああ……そうらしい……」

 ロッド・レイスが突然どうして巨人になったのか、理解した。あの時、床に零れていた液体がこの瓶の中身と同じなのだろう。

「どうする? 巨人になるか? お前にもレイスの血は流れてる。……首尾よく事が運べば、エレンを食って――」
「ケニーが、使おうとは思わないの? レイスの血が流れていなくても、巨人にはなれるでしょ?」
「……ああ、そうだ」
「どうして?」

 するとケニーは億劫そうに血だらけの腕を持ち上げて、私の顔の輪郭を指先でなぞる。

「出来損ないの、馬鹿な巨人になったら――何もわからなくなって、ここでお前を食っちまいそうだからな」
「…………」

 言葉が浮かばない。何も、言えない。

 疲れたように、ケニーは話し続ける。

「今まで何度も試したんだぜ、お前を殺せるか……適当な人間巻き込んで殺したりもしながら……最初は訓練兵団兵舎の狭い廊下ですれ違って、本の山抱えたお前にわざとぶつかってやった時だ。――俺は、何も出来なかった」

 覚えている。散らばった本を集めるのを手伝ってくれた。帽子を目深にかぶって顔を見せなかった、誰か。私を殺そうとする気配なんて、やっぱり微塵も感じなかった。

「ウーリはお前を守るために、俺と会わせなかったんだろうが……そんな必要なかったんだ」

 その言葉で、さっきよみがえった記憶が呼び起こされる。

「それは、ウーリおじ様もわかったみたい」
「……どういう意味だ」
「ウーリおじ様が『ケニーと会っておいで』って……だから私、子供の頃に地下街へ行ったんだよ。地下商人の荷に紛れて、何度もあなたを探しに」

 憲兵になった日の夜、地下街へ連れて行かれた時――初めて足を運んだはずなのに既視感があった理由がやっとわかった。記憶操作は、たとえ忘れても失われることはないらしい。

「『誰にも見つからないように』って……地図とたくさんの目印で……ケニーの住んでる場所を探しに……」
「あいつ、ガキを地下へ送り込んでたのか? 狂ってやがるな。何がしてえのかわかったもんじゃねえ」
「結局、ケニーと会えなかったけれど……でも、だから私――」

 そこでケニーの身体が倒れるように傾いた。慌てて支えながら呼びかける。

「死なないで、まだやってもらうことも、話してもらうことも、たくさんあるんだから……!」
「……俺がやったこと、忘れたか?」
「忘れてないよ、でも死ぬのはだめ……!」

 血が止まらない。早く医療班を呼びに行かないと。

「待ってて。絶対、死なせないから。これで終わりだなんて嫌だから」
「リーベ」

 名前を呼ばれた瞬間、ケニーが片手で私の首を絞めた。全く反応が出来なかった。

「いいか? せっかく俺が殺してやらねえんだから誰にも殺されるな。お前は生きてこの世界をひっくり返せ」
「っ、言ってることと、やってること、が……!」

 まだこんなに力が残っていたなんて信じられなかった。呼吸がままならない。抗っても手を引き剥がせない。

「――わかったな?」

 意識が遠のく直前で解放された。咳き込みながら訴える。

「で、も……そんなこと、どうやって……」

 この世界がどんな風に成り立っているか知らないからそんなことが言えるんだと唇を噛み締めれば、

「あのチビがいるだろ? ……あいつは俺の誇りだ。一緒にいればいい」

 ケニーは笑みを見せてから目を閉じた。ちゃんと呼吸していることを確認してから、私は匍匐前進で移動を開始する。腕にほとんど力が入らないから思うように使えない。

 それでも、行かなきゃ。




『ケニーはどこ?』
『ここにはいねえ』
『どこにいるの?』
『……知らねえよ』

 昔の夢を見た――あれ? 私、寝てた?

 目を覚まして、自分が意識を失っていたことに気づく。眠るというより気絶していた。

「………………………………………………」

 どれくらい経っただろう。わからない。陽が、沈もうとしている。誰にも、会えていない。助けも、呼べないまま。意識が今みたいに途切れ途切れになりながらで大して距離を稼げていない気がする。

 見えてるのに。壁が。恐らくあれはオルブド区の壁。のろのろとしか進めない。全然近づけない。
 身体の状態がどんどん悪化しているのがわかる。一人になった途端酷くなったように思えた。何度も何度も血を吐いて内臓はとんでもないことになっているだろうし、喉や口の中も酷いことになっている。もう、ぼろぼろだ。

 また血を吐いて、怖くなる。どうしよう。こんなに血を吐いたら、身体の中身がなくなってしまう。

 悲鳴をあげているのは身体だけじゃない。――膨大な記憶に、気がおかしくなりそうだった。ウーリおじ様とフリーダ様が私に与えた知識。

 あの頃の私は何もわかっていなかった。

 この世界が広くて、大きくて、強大で、無慈悲で、恐ろしいことを、何ひとつ理解しない子どもだった。

 あの二人はこんな私に何が出来ると信じたのかわからない。

「こんなの――私ひとりじゃ、耐えることも出来ないのに……」

 本当に、何も出来ないのに。
 兵士になろうとした動機も、調査兵を選んだ理由も、どんな敵も倒せる強さを求めた自分のためでしかなかったけれど、エルミハ区で夜明けを迎えたあの日からは兵士として胸を張れる、誇りのある人間になりたくて――そのために、憲兵になって、力を尽くしたかったのに。

「結局……何も、出来なかった……」

 空を見れば一面が暗い血の色だった。哀しい色。恐ろしい色。
 旧本部を離れる日にあの人が抱きしめてくれた時に見た空と似ている。

 絶望に押し潰されそうな心は、かけがえのない宝物のような記憶でやっと保たれていた。

『約束をしよう、リーベ』
『やく、そく?』
『いつか、壁の外をどこでも自由に見に行くことだ。――だからそれまで、死ぬんじゃねえぞ』

 思い出すだけで幸せで、他には何もいらないとさえ思える記憶たち。

「兵長……」

 会いたいの。

 もういちど。

 どうしても。

 あなたに、会いたい。

 あなたがいるなら、壁の外だって怖くない。
 どれだけ世界が残酷でも、顔を上げて向き合える。

 だけど、もう、会えない。

 約束は、守れない。

『必ず戻って来い。俺のいる場所へ。情報がなくていい。何も成し遂げなくても構わない。お前が無事に生きて戻って来るだけで、それだけで俺は……』

 こんなにどうしようもない私でも構わないと受け入れてくれたのに。

「……ご、め……なさ……」

 血と一緒にこぼれる言葉が、声にならない。

 目蓋が重くなって、必死に抗う。

 私がこんな状態なら、ケニーもまだ生きているのか不安になる。
 ケニーが死ぬのは想像出来ないから、大丈夫だとは思うけれど。

「…………」

 でも、関係ない。
 死なんて想像出来ない人たちが、たくさん、たくさん、たくさんいなくなってしまった。みんな、死んでしまった。

「…………」

 死んだら、何もわからなくなるんだっけ。
 それなら、身体中の痛みが段々とわからなくなった理由がわかる。
 それでも、まだわかることがある。――寒い。
 寒くて――

「…………さみしい」

 ふと空を見れば、鳥が飛んでいた。一羽で、力強く。もしかしたら海の向こうから来たのかもしれない。距離はわからないけれど、あの力強い翼ならきっと越えられる気がした。
 届くはずがないとわかっていても何となく手を伸ばそうとしたら、出来なかった。身体が言うことをきかない。もう、頑張れない。

 今すぐ行きたいのに。あの人のいる場所へ。

 だけど――

「私……もう……」

 ごめんなさいと呟いて、目を閉じる。

 風が優しく髪を撫でたような気がした時、

「リーベ!」

 ずっと聞きたかった声がした。幻聴じゃない。

 私は目蓋を押し上げて、霞む視界の中で想う。

『君が生きていることは必要であっても生き続けていることに意味はない。殺されて死んでこそ、君のすべてが意味を持つ』

 よくわからないけれど、私が殺されることになれば、それは相手にとって有用なことになるらしい。

 それなら、もしも誰かが私を殺すなら――この人が、いい。


【上】(2017/04/18)
【中】(2017/05/28)
【下】(2017/06/01)
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