Novel
Anfang

【むかしむかし、あるところに神様がいました。
 遠いところに悪魔もいました。
 神様は悪魔と仲良しではありませんでした。】




『――グリシャ、これは何の真似? 何をするつもり?
 ……あたしを、殺すの?
 ……なるほど、子供を産むまで待ってたわけね。
 …………冗談じゃないわよ。
 結局、あなたもろくでもない『あいつら』と同じだったのね。
 一緒にするな? いいえ、同じよ。
 正しいと思うことだけを貫いて、それ以外の世界や土地や人間を正しくないと痛めつけ虐げ殺すことの何が正しいの?
 カルラって男を見る目がなかったのね。その点でちょっと安心したわ。彼女、ただの人間にしては出来過ぎていたもの。やっぱりこれくらいの過ちがないと人間らしくないし。
 そうそう、カルラのおかげであなたの計画は間違いなく破綻するから感謝しなきゃ。
 だってこの子を殺すには早すぎるからしばらくカルラが育てるでしょ? 彼女は絶対に子供を死なせない。必ず子供を守る。カルラはそういう人間だわ。あたしともあなたとも違う。
 ……へえ、歩けるようにまで育ったら別の場所へ移す? あのゲデヒトニス家? 無力な理想主義者に一体何が出来るのかしら。あの家にいた小娘にちょっと色々教えてあげただけで萎れてたわよ。そのうち身投げでもするんじゃないかしら。
 最後の言葉? 遺言を届けてやるって?
 そう言ってあたしが王都や北で誰と会っていたか知りたいだけでしょ? 教えてやるもんですか。
 ……こうなるなら、あの人に殺されて、その夢を叶える死に方をすれば良かった。……そっか、こんな時のためにああいう「力」が必要なのね。やっとわかったわ。
 だから――お前が死ね、グリシャ・イェーガー!』




【ある日、悪魔が神様の知らない場所で、とても悪いことをしました。
 神様は全能でしたが、全知ではなかったのです。】




『リーベ。君には難しい話だとわかっている。聞かせるには早すぎる話だということも。そしてこの話をやがて君に忘れさせることになっても、それでも聞いてほしい。
 いい返事だね、ありがとう。
 ――この世界は遠くない未来、必ず滅ぶ。
 滅ぶとは、消えてなくなってしまうことだよ。
 どうして滅ぶのか? そうだね、それはきっと、この景色と同じ理由だ。
 そう、夕焼け空、黄昏。
 太陽が昇れば沈むことが道理なんだ。
 ――滅びと終焉、或いはその始まり、君のお母さんは《神々の黄昏》と呼んでいた。神たちがいなくなる、或いはすでにもういないからだと話していた。
 …………リーベ。君のお母さんはとても強い人だったよ。多くの男たちにどれだけ虐げられても屈することはなかった。
 彼らは彼女の子供がたくさん欲しいばかりで大切なことは何も知らなかったんだ。やっとそれを理解した時、彼女を一人の男と永遠に結ぶことにして、その時に彼女は逃げ出した。武力を持たなくても彼女の心は強かった。知識もあった。だからこの壁の中までたどり着けた。
 そんな彼女からなぜ君が生まれたのか? 彼女は愛する人を見つけたんだよ。だから君は生まれた。
 君の父親は彼女が愛した彼ではないが、その人のために君は生まれたんだ。
 いや、だからといって君がそのために生きる必要はない。君の生き方は君が決めるといい。
 リーベ。私が聞きたいことは――彼と、会ってみたいと思うかい?』




【それから神様は、世界のすべてを何もかも知りたがるようになりました。
 そしてそれを教えてもらうことにしました。】




『――はい、じゃあ今日のお話はここまで。リーベ、エルディア人がパラディ島へ来た経緯について質問はある?
 ………………ええと、つまり罪人とされるのはエルディアの先人たちであって、現代に生きる私たちが同罪とされるのはなぜかってこと? ……そうだね。ただ生まれただけで罪人とされてしまうのは不条理に思うかもしれない。でも、罪は受け継がれるものだから。そう、血が受け継がれるように。だから本当の意味でもう誰も覚えていない、経験した者がいない神々の時代の出来事であっても人は忘れることが出来ない。
 エルディアの末裔、つまり初代レイス王がこの島へ閉じ籠って牢獄のように壁を築いた理由はそこにある。大衆の記憶を操作して、考えに賛同しない者たちに対しては弾圧したことも。戦いを避けたというよりも、守りたかったんだよ。そうしなければ私たちの多くは過去と外の世界に食われてしまうから。……今の私のように苦しむことになるから。
 どうしようもなかったの、こうする以外には。
 うん、もしかしたら正しくないこともあったかもしれない。エルディア同士で反目したこととかね。それどころか全部間違っていたかもしれない。だけど――選択して生き続けることは人類に欠かせないものだから。そうでしょう?
 …………もう時間だね。そろそろ帰らなきゃ。
 ゲデヒトニス家はどう? 寂しくない?
 そっか。それなら良かった。大事にされてるんだね。もっと大事にされてもいいと思うけど。使用人じゃなくて貴族のお姫様とか。でもそれだと政治に利用されるかな。だったら現状が最善……だとしてももう少し大きくなったらレイス家へおいで。幸せにしてあげる。
 じゃ、帰ろうか。最近日が沈むのが早いね。
 ん? 夕焼けが綺麗? リーベにはそう見える?
 私には……今日まで世界で流された血の色に見えるよ。
 大丈夫。悲しくないよ、今はリーベが一緒にいてくれるから。
 それじゃあ、今日も私のことは忘れてね。
 ん? どうして忘れさせるのにたくさん教えるのかって?
 何も知らずに生きて欲しい気持ちと、すべてを知って強く生きて欲しい気持ち。矛盾していても両方の気持ちがちゃんとあるからだよ。
 それに、あなたの血筋には二つの可能性がある。然るべき時に、然るべき使い方と生き方があるから。
 記憶は忘れても失われることはないものだから、もしもいつか思い出す日が来たら考えて。この壁の内側と、外の世界の行く末を――』




【その相手は死者でした。とある女性の死者でした。
 神様は彼女にたくさんのことを訊き、教えてもらいました。】




 昔、溺れたことがある。訓練兵時代の訓練で。
 すぐに助けられたから意識を失うこともなかったけれど。
 そう、私は意識を失わなかった。
 だから覚えている。
 あの苦しみを。あの痛みを。
 今、私は膨大な記憶の底で溺れていた。
 受け入れる前に、理解する前に、それはひたすら頭の中へ流れ込んで来る。
 どうしよう。
 このままじゃ駄目だ。
 溺れてしまう。意識が落ちる。それはまずい。
 だけど、どうすればいいのか全然わからない。
 最後の意識でもがいた時、新しい記憶がまた流れ込んできた。




『いいか、まず汲みたての水を強い火で沸騰させろ。親指くらいの泡が真ん中から立つのが目安だ。沸騰したてに淹れると茶葉の旨みも香りもねえが、沸騰した後で淹れた紅茶は成分が出て香り高い。約一分経った時の湯を使うのが最適だ。湯が古いと空気が中に含まれねえからやめとけ。二度沸かした湯もな。
 沸騰し始めた頃にその熱湯でポットを素早く洗い流して温めろ。なぜかって? 紅茶の葉から充分に成分を抽出するためには高温に保つ必要がある。だから予め温めておくんだ。
 火にかけ続けることで沸騰したままの状態を保て。ポットを温めた湯を後で漉し入れるカップに移してこっちも温めろ。
 どんな形のポットがいいか? できるだけ丸型がいい。側面が丸くなっているヤツだ。ポットの中の湯が対流する。
 頃合いになったら温めたポットに茶葉を入れて沸騰させた熱湯を少し高めの位置から注ぐ。
 蓋をして一定時間蒸らす。小さい茶葉の場合は二分半、大きな茶葉だと三分だ。同じ葉を使っても蒸らし時間が十秒違うだけでその紅茶の印象はかなり変わるから好みに合わせて試すんだな。重要なのはしっかりと蒸らすこと、そして時間を正確に計ることだ。この手間で味わいが変わる。
 蒸らしている間にカップへ湯を注ぎ、茶漉しを湯通しして温めておけ。理由はさっきポットを温めた時と同じだ。
 時間になったらポットの蓋をあけて緩く字を描くようにスプーンで軽く一掻きするか、ポットを軽くゆする。温めておいたカップへ漉し入れれば、これで均一な濃さの紅茶になる。
 ――出来上がりだ。わかったか?』




 あれ?
 この記憶は――何?




【彼女はそんな神様を嘲りながら、神様の望み通りにすべて答えます。
 こうして神様は、世界の終わりも知ることとなったのです。】


Anfang…初め、発端
【上】(2016/11/14)
【下】(2016/12/15)
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