Novel
ゴルディアスの結び目
ケニーがロッド・レイスと何かやり取りをしてからどこかへ消えたタイミングを見計らい、アルト様に確認を取ることにした。
「私の身体検査をしたのは誰です?」
「もちろんヒストリアだよ。ケニーが上着を脱がそうとした時に僕は止めたから」
「そうですか」
その情報で推測する。
『武器も預かってます。銃が二挺にナイフが三十七本』
ならばヒストリアの把握していた情報には信憑性がある。
「…………」
私がハンジ班から受け取ったナイフ一式は何度か手元からなくなっても、その都度に予備を補充していた。つまり常に三十九本。
だから――あと二本、私の身体のどこかに奪われず済んだナイフがあるということだ。父親に心を奪われている姿を見るに、きっとヒストリアが残してくれたわけじゃなくて単に見つけられなかった二本が。
そのうちロッド・レイスが何かを『試す』ためにヒストリアと二人でエレンの背中に触れた。それからヒストリアの様子が何やらおかしい。
「何で……今まで忘れてたんだろう……私は一人じゃなかった。あのお姉さんがいた」
茫然としている彼女にロッド・レイスが、
「その子が長い黒髪の若い女性であれば……恐らく彼女はフリーダ・レイス。お前の腹違いの姉だ」
フリーダ。確かにその人は彼と正妻の娘の名前だったはず。ヒストリアとは異母姉妹。
密かに会って交流を重ねていたらしいその記憶をヒストリアが思い出したのはエレンに触れたからなのか、一体どういうことなんだろう。そういえばエレンの様子も妙だ。
一方でロッド・レイスは納得したように、
「お前の安全のために記憶を消していたのだろう」
「記憶を消す?」
一体どういうことなのか同じことをヒストリアも疑問に思ったようで、父親に訊ねていた。
そしてロッド・レイスが語り始めた。
ウォール・マリア陥落の夜、自分を除いた家族がこの場で殺されたこと。それがグリシャ・イェーガーによるものだということ。
「…………」
グリシャ?
その名前を前にどこかで聞いた気がする。どこでだっけ。イェーガーということは恐らくエレンの父親。隠れ家でのやり取りがよみがえる。
『あ、僕もイェーガー先生からそれ聞いたことあるよ』
『先生ってことはエレンのお父さんって教師の人なんだね。すごい』
『いえ、教師ではなく――』
先生と呼ばれる、教師以外の職業はいくつかある。例えば――
「グリシャは『巨人の力』を持つ者だった」
ロッド・レイスの話は続く。考えるのを後回しにして私は意識を集中させた。
「彼が何者かはわからないがここに来た目的はレイス家が持つ『力』を奪うこと――フリーダの中に宿る巨人の力だった」
そして彼女はグリシャに敗れ、生き残ったのはロッド・レイス一人だったらしい。
「…………」
その情報とヒストリアから隠れ家で聞いた話を思い返したらどうも引っかかる。そんなことが起きた数日後にロッド・レイスがヒストリアを迎えに行ったのは家族が他にいなくなったからに過ぎないのではないかと穿った見方をしてしまう。突然父性に目覚めたからとは思えない。でもだからといってなぜ家族――血縁関係者が必要なのか。それはわからないけれど。
そこでケニーが戻って来た。ロッド・レイスと軽口を交わしていたかと思えば、ここに対人制圧部隊がいてはならないような口ぶりでさっさと追い払われていた。
「ケニー、君を信用しているぞ」
「俺もだよ、王様」
また立ち去るのかと思ったら、ケニーが私を見下ろした。
「無様だな」
「おかげさまで。――行ったり来たり忙しそうだね」
「おう。もうすぐ『お客様』が来るからな。『歓迎会』をしてやろうって準備中だ。お前は寝転がってるのに忙しそうだな」
すると徐に手が伸ばされる。身構えれば――頭を撫でられた。ちょっと乱雑だけど痛いわけじゃない。戸惑っているとアルト様も興味深そうにしていた。
私は身を捩って、
「ちょっと、ケニー?」
「見てろよ、お前なんかに頼らなくたって俺はやってやるからな」
相変わらずこの人が私をどうしたいのかまるでわからない。
今度こそケニーが立ち去り、ロッド・レイスは話を再開させる。
この場所――洞窟や三重の壁が造られたのはある巨人の力によるものだということ。その巨人が他の巨人から人類を守り、平和を願ってその記憶を改竄したということ。つまりヒストリアからフリーダの記憶が消えていたのも、この力が使用されたことによるのだろうと推測出来る。
そんな風に忘れ去られた世界の真実とその経緯はフリーダと、ロッド・レイスの弟、つまりレイス家に代々受け継がれていたらしい。その継承者たちは世界の謎を世へ広めるのも自由、誰にも口外しないのも自由とされていた。――誰もが後者を選択したみたいだけれど。
「壁が破壊され人類の多くの命が奪われ、人同士で争う愚かな状況……それらもフリーダが巨人の力を使えば何も問題はなかったのだ。この世の巨人を駆逐することもできたであろうな」
それは違う。どう考えてもおかしい。
だって、そうだとしたら――どうして今までの継承者たちは何もしなかったんだろう?
鵜呑みにしている様子のヒストリアとエレンに対して慌てて声を上げようとしたらアルト様に制された。
「君が言いたいことはわかるけれど時間がないから黙っていてくれると助かるよ」
「……あなたがレイス家の味方だからですか?」
その問いかけにアルト様は小さく笑う。
「誰かの味方である人間は必ず誰かの敵になる。――誰の敵でもない人間はきっと誰の味方にもなれないんだろうね」
「……つまり?」
「この壁の中でゲデヒトニス家は孤独なんだよ。ある程度の利害が一致したレイス家のおかげで迫害こそされなかったけれど。……でも、きっと本当の意味で孤独なのは君だね、リーベ」
思いがけない言葉に戸惑ってしまう。
私?
「その意味でも僕は君が愛しくてならない」
「どういうことですか」
「真実が必ずしも人を幸福にするとは限らないことを君は知っているだろう?」
「……そうですね。でも、それが黙っている原因や嘘を伝えていい理由には必ずしもならないのではないでしょうか」
例えば十二歳の夜のことについて、ここ一週間を出来事を思い出す。ケニーが知っている真実とは異なると話を聞いたことを。
『すでにお前はろくでもねえヤツらの話を信じてやがるじゃねえか。それを鞍替えして俺を信じるのか? 今のお前が知ってる話よりも陰惨かもしれねえぞ。そうなれば都合がいい方を信じるのか?』
つまり、あの悪魔の言葉が嘘だったという可能性。信じたものが真実とは限らないということ。
ストヘス区の悪魔は真実だと思い込んでいたとしても、嘘を真実として情報を手に入れただけかもしれない。当時の当主様から聞いた話と言っていたから、いや、元を正せば私を連れてきたという医者だ。名前は何だっけ。アルト様に聞いたはずなのに。あれ? これさっきも考えなかったっけ?
記憶が結び付く直前、
「誰も知るべきではないんだよ。――本当の悪魔の正体を」
「…………」
信じたものが真実とは限らない一方で、受け入れられなくてもそれが真実の時もある。
そうなると真実がわからなくなる。まるでそんなものが存在しないみたいに。
一体どこにあるんだろう。必ずどこかにあるはずなのに、それを手に入れることも、信じることも、受け入れることも――とても難しい。
だけど、
「でも、私はもう十二歳の女の子ではありませんから」
どんな真実だろうと、今の私なら大丈夫だと思える。
私が生まれてきたことは正しくなくても。
人間を殺せる私は絶対に間違っていても。
それでも受け入れてくれる人がいるから。
だから――動こう。
調査兵団へ、帰る。
もちろんエレンと、出来ればヒストリアも連れて戻ろう。
ヒストリアが父親へ問いかけていた。
「この世の巨人を駆逐する、そんな力があるのなら……そんなことが出来るなら、なぜ今こんなことに?」
「フリーダから奪われた巨人の力がエレンの中にあるからだ。この力はレイス王家の血を引く者でないと真の力が発揮されない。エレンがその器であり続ける限り、この地獄は続く」
お前の話はもう充分だ、ロッド・レイス。
エレンは関係ない。だってエレンが巨人になる前からこの世界は地獄だったんだから。
そこで『絶対に解けない紐の解き方』を実行する。簡単だ。膝を曲げて腕を伸ばし、ブーツの裏の隠し底からナイフを一本を取り出して一気に手足の縄を断ち切った。我ながら無駄のない動きだった。
「なっ……!」
声を上げるアルト様を横目に、次の瞬間には身体を起こして駆け出す。
「駄目だっ!」
顔に焦りが浮かんだアルト様が銃を忍ばせているらしい懐へ手を入れたけれど私の方が断然速い。加減なしの手刀を首筋へ叩き込ませてもらう。
昏倒させるまでは出来なかったけれど、これでしばらく動けないはず。転がり出た銃は蹴っ飛ばして遠ざけた。
本調子でなくてもこれくらいは問題ない。
一気にロッド・レイスとの距離を詰めれば、
「やめて! リーベさん!」
ヒストリアが私の前へ立ちはだかる。
「どうしてですか! どんなことでも力になるって私に言ってくれたじゃないですか!」
嘘じゃないよ、ヒストリア。
でも、それが本当にあなたの『望むこと』なのか、確かめる時間が欲しい。
「よっ」
私は速度を緩めずヒストリアの前で踏み切って飛び越え、そこからロッド・レイスの顔面を踏み台にして一気にエレンの前へ跳躍した。エレンの解放が先だ。巨人になってもらってもいいけれどエレンの巨人化を一度も見たことがない身としては安易に選択出来ない。
「エレン、しっかりして! ここを出るから!」
「リーベ! この場所で『それ』に触るな!」
アルト様の鋭い声が聞こえた時、『それ』が何を指すのか考える前にナイフの切っ先を錠口へ差し込んで、エレンの枷を外そうとその身体へ触れていた。
その瞬間――
頭の中に、電撃が走った。
(2016/10/22)