Novel
消えゆく命は焔となって

 身体が重い。だるい。頭痛もする。全部寝不足のせいだ。――ケニーのせいだ。
 毎晩毎晩、私の仕事が終わるとどこからともなく現れてあちこち連れ回される。おかげで地下街についても詳しくなったし、初日の延長からかナイフ投げも否応なしに上達した。
 しかしそのせいでこの一週間、何も出来ていない。最も重要である調査兵団へ秘密裏の報告さえもだ。
 憲兵の業務中に時間を無理やり作って書こうかとも考えたが危ない橋は渡れなかった。失敗したり露見すれば私だけの問題では済まないからだ。

「ケニーめ……」

 まさか私の目的を知っているから邪魔しているのかと勘ぐりたくもなるけれど、それにしては嫌がらせにしかならない程度だし。

 一体何がしたいのだろう。

「……はあ」

 ため息をつきながら食堂でひとり遅い昼食を取る。悲しいかな、設備のみならず食事も憲兵団は立派だった。肉も出て来る。あまりにも異なる調査兵団との差が切ない。
 食べ終わる頃、向かいから見覚えのある二人が食堂に来た。髪を切り揃えた男の子の名前はマルロだったかと思い出すうちに目が合う。私の胸元にある階級と所属を瞬時に読み取った彼は顔色を変えて敬礼した。

「お久しぶりです、やはり上官の方だったのですね。先日はご助力頂きありがとうございました!」

 あの時に私が身に着けていたのは紋章なしジャケットだったせいか勘違いをしていたが、説明がややこしくなるので訂正はしなかった。
 それよりも、あのストヘス区大混乱の際に助けられたのはこちらなので慌てて首を振る。

「お礼を言うのは私の方だよ。ありがとう、あの時とても助かった。ええと……マルロとヒッチ、だったよね」

 念のために確かめれば二人が敬礼する。

「はっ、104期憲兵団ストヘス区憲兵支部所属マルロ・フロイデンベルク二等兵です!」
「……同じく憲兵支部所属ヒッチ・ドリスでーす」

 溌剌と名乗るマルロとは対照的に気怠げに名乗るヒッチ。私も自己紹介することにした。

「私はリーベ・ファルケ・ゲデヒトニス。憲兵団師団長付補佐兼庶務兼護衛兼――」
「え、ちょっと待った、ゲデヒトニス?」

 役職を最後まで言うより先に、ヒッチが感激したように声を上げた。

「ゲデヒトニスって超富豪の貴族? 東の土地かなり持ってる領主の? 何で兵士とかやってるんですか?」
「口を慎めヒッチ! 失礼だと思わないのか?」

 マルロの怒号に対してヒッチはむっとしたような表情になるだけだった。マルロが私に向き直る。

「先日の少女の件ですが、彼女の親戚が見つかり保護されました。今度お礼がしたいとこちらへ訪問予定がありますので、その際はまた連絡があるかと思います」
「うん、ありがとう」

 二人が立ち去って、食後のお茶を飲みながらポケットに入れていた手配書を眺める。今朝回ってきたものだ。
 内容はリーブス商会の会長とその部下を含め三名の殺人容疑者として調査兵全員の出頭を命じるものだった。手配書にはまだ出頭していない何名かの名前と兵長の似顔絵が載せられている。

「……兵長」

 誰にも聞こえない声で呼んでみる。

 会いたい。こんな下手な似顔絵じゃなくて、本人に。声が聞きたい。名前を呼んでほしい。手を握ってほしい。抱きしめてほしい。
 離れてからまだ一週間しか経っていないのにそう思う。恋しくて仕方なかった。
 でも、これからずっと一緒にいたいから、そのために今はひとりでも頑張りたいし、頑張らなければならないし、頑張れると思う。

 それにしても、一体どうして調査兵団にこんな容疑がかけられているのだろう。適当に罪状を作られていよいよ解散へ追い込まれているのか。――こうして憲兵団にいるのに歯がゆい。無力だ。もっと何か出来ると思ったのに。

 何度目かのため息と共に手配書をポケットにしまえば、市街地見回りの時間になっていた。憲兵になってから外の仕事は今日が初めてだ。用意を済ませてナイルさんとヴァルツさんに合流する。

「お待たせしました」

 するとヴァルツさんはじろっと私の全身を眺めて、

「見回りに立体機動装置はいらない」
「え!?」

 確かにどちらもライフル銃を背にしているだけだった。軽装だ。

「すみません、勘違いしていました……。すぐに外して来ます」
「もう時間だ。そのままでいいから行くぞ」

 ナイルさんが時間を確認して歩き始める。
 空中戦が主なので立体機動装置は軽量化されているから荷物ではない。気にしないことにした。

 こうして見回りが始まった。馬でのんびり歩く。特に目に付く光景はない。平和なものだ。少し眠くなる。鞍から落ちれば大変なのでぐっと意識を集中して周囲を観察した。
 約二週間前にエレンとアニが巨人となって戦闘を繰り広げたここストヘス区だが、着々と修復されている。ゲデヒトニス家の屋敷はすでに元通りにされていて権力と財力が垣間見られた。

 やがて先日、アニと再会した通りに入った。エルドさんを待っていた時、あれは一ヶ月近く前のことだ。

「…………」

 ねえ、アニ。
 壁外調査でアルミンや私を殺せたはずなのに殺さなかったのはどうして?
 あなたにとって私たちは敵のはずなのに――

 そこまで考えて思い出す。敵は女型の巨人に限らないことに。
 しかし自分がまだ一度も超大型巨人とも鎧の巨人とも対峙していないせいか、ライナーとベルトルトも敵だと結びつけられていない気がする。ライナーはよく炊事実習の荷運びを手伝ってくれる時に接したけれどベルトルトと話したことはほとんどなかったし。

「…………」

 アニとライナーとベルトルト。もう二度と会えないまま、何も話せないまま、すべてを終わりにはしたくない。
 だけど、互いを否定することしか出来ない今のような現状では不可能だ。

 だって、巨人か否かそれだけしか敵と味方を分かつ理由さえも知らないから。
 そんなことを考えている間に、知ろうとする間もなく、殺されそうになるから。
 殺されてしまうより殺してしまう方がずっといい。こんな風に考えてしまうから。

 互いを否定し合っても互いに歩み寄って、考え合って少しずつでもわかりあえるなんてことは理想論でしかないのだろうか。

 その時、

「!」

 銃声が何発も轟いた。悲鳴とざわめきに、一瞬で睡魔もそれまでの思考も吹き飛ぶ。

 この轟音を私は知っている。聞いたことがある。――対人立体機動装置によるものだ。

 すぐに建物の壁へアンカーを打ち出し、突き刺さると同時に身体を一気に引き上げさせた。

「おい、リーベ……!」

 ナイルさんの声を背に加速する。建物を抜け、銃声のした方角へ向かう。
 屋根よりも高く身体が浮上して視界が開けた。

 眼下には――死体。

 立体機動装置を身に着けた兵士だ。

 すぐ近くに着地して見下ろせば、心臓が凍り付いたような錯覚に陥る。

 顔面が吹き飛んでいて、面影なんかまるでない。――でも、わかる。

「ニファ、さん……?」

 死体はいくつも見たことがある。上半身を食いちぎられたものや、潰されたもの、たくさん、色々ある。
 それでも、茫然としてしまう。

 時間が止まってしまったような感覚の中、吹き抜ける風が冷たかった。

「何してやがる、お前」

 立ち尽くしていると耳に届いたのはこの一週間で聞き慣れた声だった。ケニーだ。
 顔を上げれば、いつも被っている帽子はなぜか後ろに下げられていた。前に私が撃ち飛ばしてからは紐を縫いつけたのが功を奏したらしい。

「……ケニーが殺したの?」

 その手にある対人立体機動装置を見て、わかりきったことを訊ねてしまう。

 互いを否定し合っても互いに歩み寄って少しずつでもわかりあえたらなんて、さっき考えたことはやはり理想論だと思った。少なくとも今は無理だ。顔のないニファさんの前でそんな気持ちは微塵も込み上げない。

 ケニーが答えた。

「そうだ。――そういやお前、元調査兵だったな。知り合いか?」

 調査兵になって、いくらでも仲間を失ってきた。ここ最近はこれまでの比じゃない。
 でも、こんな風にすぐ近くで、目の前で殺されて、私は今まで何をしていたんだろう。――何もしていないし何も出来ていない。何の成果も挙げないうちにこんなことになってしまった。
 笑いたくなる。もちろん楽しいからではなくて、自分を嘲笑するような投げやりな気分になって。しないけど。でも、そう思う。

「…………」

 こんな風に惨く仲間を殺されてまで憲兵側に居続ける必要はあるだろうか?
 これから出来ることはあるかもしれないけれど――ないかもしれない。
 認めよう。私は何も出来なかった。だからニファさんを死なせてしまった。

 その事実を受け入れて、これから出来ることを考えよう。

 次の瞬間、私はケニーへ銃口を向け、そのまま一気に引き金を引いた。
 それと同時に飛んできたナイフが私の右腕を掠める。私が撃つよりもケニーがナイフを投げる方がわずかに速かった。

 この一週間で体格も技術も経験も全部私が劣っているのはわかってる。だからケニーに勝つためにはただ真正面から戦うだけでは駄目だ。

 落ち着け。見極めろ。
 窮地から活路を見出す力を研ぎ澄ませ。

「おいおい――てめえ、何の真似だ」
「わからない?」
「…………」

 ケニーは後ろに下がっていた帽子を頭に乗せて、目深に被った。

 そこですぐそばに脱ぎ捨てられていた外套が目に入る。ニファさんは身に着けたままなので別の誰かの誰のものだろう。ニファさん以外にもう一人、ここにいたのだ。その誰かはまだ生きている。そしてここから離脱した。
 瞬時にそこまで推測を終え、それが今一番正解に近い選択だと判断した時、いくらか離れた場所から連続する発砲音が耳に届いた。
 そのタイミングで後ろへ倒れるように屋根から落ちてケニーの視界から姿をくらませる。

「っ、待ちやがれ……!」

 待つわけがない。私は立体機動の速度を上げた。

 ニファさんがいたということは今この区域にいるのはハンジ班? それとも――

 とにかく合流することが先決だとガスを強く吹かせた時、付近に対人立体機動装置を身に着けた二人組を見つけた。相手も私に気づいて顔を向ける。

「ただの憲兵ごときが邪魔をするな!」
「待て。こいつ――《硝煙の悪魔》だ!」

 私を知っていたのか一人が銃口を向けて来た。それよりも先に、正確には二人が話し終えるより前に私は彼らの両手ごと銃を撃ち落して破壊する。
 絶叫を聞きながら立体機動のレバーに持ち替え、周囲の状況を把握しようとした矢先、後ろに気配を感じた。背後へアンカーを射出すれば相手の腹部へ命中した。巨人の肉に刺さるものだから人間も同様に刺さるのは当然かと納得しながらブレードを接続し、そのまま下から上へ振り上げる。
 のけぞった相手の顔面を踏み台に上空へと離れた直後には散弾の嵐が眼下を通り過ぎた。後方に三人が並んで銃を構えていて、全員がすでに両手にあった二発を撃ち尽くしている。彼らが装填を終えるまで待つ理由はないのであとはこちらの独壇場だった。

 屋根に着地して斜面を滑り降り、そのまま立体機動に移った。すぐに地面に降りてから誰かの馬を一頭借りて跨がる。無断だが今はこれしかない。下手に飛ぶより地面を駆けた方がしばらく周囲に紛れて移動出来る。

「《悪魔》が出たのか? どこにいやがるんだ」
「探せ! 一週間前といい、よくも俺たちを……!」
「待て、今の俺たちの目的は――」

 上空で交わされる声を聞きながら手綱を操り、何か違和感があると思ったら馬だった。反応が遅い。壁外を走る馬とは全然違う。

「お願い、もう少しだけでいいから速く……!」

 すると言葉が通じたのか応えてくれた。一気に加速する。最高速度だと感じた瞬間、いくらも離れていない場所からまた銃声が聞こえた。即座に鞍を蹴る。

「ありがとう!」

 馬へお礼を言ってから手綱を離し、再び立体機動を操作する。

 調査兵の誰かが追われているはずだ。早く合流しなければ。銃声の音から見当をつけて接近しても建物に阻まれてまだ姿を捉えられない。
 合流ではなく追っ手を分散させることを重視するべきだろうか。

「《悪魔》がいたぞ! こっちだ!」

 背後からの声に屋根を走る。縁まで速度を落とさず、そのまま宙へ躍り出た。
 落下しながら仰向けになって発砲すれば覗き込もうとしていた対人制圧部隊の顔が引っ込んだ。そのまま引き金を引き続ける。命中させることが目的じゃない。牽制だからこれでいい。

 銃を戻して立体機動装置のレバーから新しくアンカーを打ち出そうとした矢先、

「リーベ!」

 後ろから名前を呼ばれた。
 誰の声なのか考えるまでもなかった。

「そのまま牽制を続けろ!」

 このまま落ち続けたら地面に激突する。でも、信じられた。他の誰でもない、あの人の声だったから。
 レバーへ持ち替えることなく上空へ引き金を引き続ければ、すぐに抱き留められた。

「兵長……!」

 会いたかった、その喜びに今は浸るどころではない。状況を確認するよりも状況を切り抜ける方が先決だ。

「左後方から四人来ています。速度と角度を三秒固定して下さい。撃ち落とします。合わせますので合図を」
「了解した」

 私は兵長の首へ左腕を回し、

「リーベ、秒読み開始」

 その声に右手で背後へ銃口を向けた。四人の位置を見定めてからそのうちの一人へ。一撃で、一発の弾丸で全員の動きを封じるために。

 3

 腕へ力を込めた。

 2

 照準を定め、

 1

 今だ!

 引き金を引いて発射された弾丸は狙い通りに命中し、機能しなくなった一人に残りの三人が見事に巻き込まれて次々墜落した。
 しかしすぐに新手が現れる。

「掴まれ!」
「はいっ」

 立体機動の操作に集中してもらうために落ちないよう両腕でしがみつけば、兵長は入り口を壊す勢いでどこかの店に飛び込んだ。酒場だ。二人してカウンターに着地した。

 店内は静寂に包まれている。中にいた人たちは突然のことにぽかんと口を開けていた。
 そこで離れてようやく兵長の顔を見れば血だらけだった。巨人の返り血を浴びることはあっても兵長自身が血を流すことなんて稀で、思わず息を呑む。

「兵長、血が――」
「かすり傷だ。それよりお前、腕」

 指摘に目を向ければジャケットもシャツどころか肌も裂けて血が滲んでいた。さっきケニーのナイフが掠めた箇所だ。

「かすり傷ですよ」

 互いに自分の怪我に構うどころではなかったので、次の瞬間にはカウンターの下へ同時に潜り込んだ。

 ほとんど同時に追っ手の声が耳に届く。ケニーだ。

 ここ一週間で聞き慣れたふざけた文句を聞きながら私は目の前の棚に並んだお酒を一つ失敬してハンカチを濡らし、左上腕に巻いた。右手と歯で両端をぐっと引っ張って結ぶ。動きに支障が出ないよう確認して、

「何だ? いねぇのか?」
「ここだケニー。久しぶりだな」
「おう、懐かしいな。ちょっと面を見せろよ」

 私は兵長の横顔を見た。ケニーと知り合い? どういうこと?

「まだ生きてるとは思わなかったぜ……ケニー、憲兵を殺しまくったあんたが憲兵やってんのか?」

 顔見知りらしいことに戸惑いつつ、カウンターの下で周囲を確認する。こういった店には必ずあるものを探す。

「ガキには大人の事情なんてわかんねえもんさ」

 そういえばケニーが憲兵を殺していたのは一族の事情からだったっけ?

「おっとすまねぇ、お前はチビなだけで歳はそれなりに取ってたな。――お前の活躍を楽しみにしてたよ。俺が教えた処世術がこんな形で役に立ったとはな」

 見つけた。ライフル銃だ。酒場は護身のために銃の所持が認められているので置いてあるのが常だった。装填しようとすれば俺が撃つとばかりに兵長に取られた。仕方ないので自分の銃を使おう。左右の拳銃からそれぞれ弾倉を振り出して残弾を確認する。
 そこでこの酒場のマスターらしき人物がひっと短い悲鳴を上げたので、私たちは静かにするよう指を立てて合図する。マスターは目に涙を浮かべて震えていたので申し訳ない気持ちになった。

 そうしている間にもケニーの言葉は続く。

「しかし……俺ならこんな酒場に逃げ込むマネはしねぇ。袋のネズミって言葉を俺は教えなかったか? これじゃあお前らがどっから逃げようと上からズドンだぜ?」

 中央憲兵対人制圧部隊の約100名のうち50人は一週間前に戦力外に出来た。さっきの戦闘で何人か無力化したとはいえまだ40人以上は残っているだろう。
 ここを突破するにはまずケニーを退ける必要があると装填しながら考えれば、

「それにしても――なあ、リヴァイ。お前は知ってるのか? その隣にいる女のことだ」

 思わぬ方向に話が飛んで、嫌な動悸がした。

「この一週間でよくわかった。欺瞞に秀でた女だな。呼吸するみてえに嘘をついて、本当の意味で信じているのは自分だけ。憲兵になったのもお前ら調査兵が頼りにならねえから一人で乗り込んで来たわけだろ? らしくねえ作戦だからどうせそいつが勝手に進めたんじゃねえか? そりゃ随分と傲慢な話だ」

 突きつけられた言葉に歯を食いしばれば、手を握られた。兵長だ。振りほどこうと思う以前に、決して離さないというような強い力だった。

「ケニー、お前がこいつを語るな」
「ろくでもねえ女だぞ。忠告してやるからこっちに寄越せ。そいつは調査兵のガラじゃねえ」
「ふざけんな、こいつは俺のだ」

 兵長の言葉に私が焦るうちにケニーは黙り込んだ。何を思っているのだろう。表情から読み取ろうにもカウンターの下にいるので見えない。

「……おいおい、正気かよ。お前の女の趣味がそんなだとは知らなかったぜ、リヴァイ。聞かせてくれよ。そいつのどこに惚れた? 夜の具合が良かったのか? いや、違うな。そいつはまだ――」

 もう出たとこ勝負だと銃を構えて飛び出そうとすればさらに手へ力が込められて押さえられる。痛いくらいだった。

 ケニーが鼻を鳴らした。

「……だが、何でその女が欲しくなったかわかる気がするよ」
「知ったような口を利くんじゃねえよ」
「知っているから言ってやるんだ」

 そして続ける。

「それと同じだ。どうしてお前が調査兵になったかも俺にはわかる」

 突然、椅子が私たちの目の前にある酒棚へ乱暴に投げられ、大量の酒瓶が砕けて割れた。
 怯えるマスターの悲鳴を聞きながら隣を伺えば、兵長はそれを見て何か考えている様子だった。

「俺らはゴミ溜めの中で生きるしかなかった……その日を生きるのに精一杯でよ。世界はどうやら広いらしいって知った日は……そりゃ深く傷ついたもんだ。ちんけな自分とそのちんけな人生には何の意味もねえってことを知っちまった」

 どうやら二人は地下街での知り合いらしいと考えていると、兵長がおもむろに酒棚へ手を伸ばして一本の瓶を半回転させる。何をしているのかと思えば瓶にケニーの影が映って、その目的を理解した。

「だが救いはあった。やりたいことが見つかったんだ。単純だが実際人生を豊かにしてくれるのは『趣味』だな」
「趣味か。俺の部下の頭を吹っ飛ばしたのもあんたの趣味か?」

 酒瓶に映るケニーの影で位置を確かめ、照準に目星をつける。絶対に外さない。

「大いなる目標のためなら殺しまくりだ。俺の部下を半分潰したその女もそうだし、お前だっててめえのために殺すだろ?」
「ああ」

 兵長がライフルをカウンターへ乗せたタイミングで私も拳銃で後ろを狙う。そして同時に引き金を引いた。
 轟音と共にカウンターから顔を出せば店内から外へケニーが吹き飛ばされていた。でも、これくらいで死なないだろう。そう思ってしまうくらいケニー・アッカーマンという男を私は知ってしまった。

「リーベ、ここは分かれて出るぞ。合図しろ。壁を抜けてガキ共と合流だ」
「っ、はい! ――せーのっ!」

 それぞれ一脚ずつ椅子をつかみ、タイミングを合わせて左右の窓へ投げ飛ばした。
 直後、予想通り標的物の確認もなく相手は発砲してきた。二発撃たせればこちらのものだ。粉々になった椅子に続き、私たちも助走をつけてそれぞれ破った左右の窓を飛び出す。
 腕で顔を守ってガラスを突き破れば、相手は慌てて装填している最中だった。動きが遅すぎる。相手にならない。対人制圧部隊と名乗っておきながらこの様はひどい。見かけ倒し、名前負け甚だしい。怒りが込み上げるのはなぜだろう。こんな連中に大事な仲間を殺されたから? 巨人に殺されるのとは違うから? ――巨人も、人間だったのに。

 だめだ、今はそれを考えている場合じゃない。

 一掃してからも迫る追撃に、兵長より先行して壁をくぐる。前を霊柩馬車が走っていた。
 上空から出店の屋根へ着地して再び跳躍する。地面へ降り立てばすぐに一行が来た。

「リーベさん!」

 アルミンから伸ばされた手を取り、牽引していた荷台に飛び乗る。

「良かった、無事だったんですね……!」

 声を潤ませるサシャに応じる間もなく、アルミンが『エレンとヒストリアを囮に最高指導者ロッド・レイスを制圧する作戦実行中』と手短に状況を教えてくれた。彼らもレイス家が正当な王家だと情報を得ていたようだ。
 さらに先ほどの霊柩馬車にエレンとヒストリアが入れられているらしい。どんな状態で拘束されているのか想像するうちに兵長も荷台へ着地した。

「霊柩馬車はもう追うな。俺たちの行動は筒抜けだ。一旦エレンとヒストリアを諦める。奴らは二人をエサに残存する調査兵を全員この場で殺すのが目的だ。きっとこの先も敵が待ち伏せしている。同じようにして他の三人は殺された」

 殺されたのはニファさんだけではなかったらしい。私は奥歯を噛みしめながら全弾の装填を済ませた。

 兵長はアルミンへ左側から最短で平地を目指す指示を出し、サシャとコニーに馬の牽引を命じて、

「ジャンとリーベは荷台から銃で応戦しろ」
「……了解!」
「わかりました」

 ミカサは兵長と立体機動で逃走の支援をする運びとなり、アルミンが叫ぶ。

「来ました! 右前方より複数! ――曲がります!」

 拳銃を構えて、気づいた。荷台から撃つとなれば兵長とミカサの尋常でない自在な動きに照準が制限されるのだ。撃てなくはないが思うような効果は狙えない。ジャンも戸惑っているだろうと思えば、

「クソ、また人が死んだ! 何でこんなことに……!」

 それどころではない様子だった。隠れ家で話したように諭している場合ではないのでもう銃の援護は私一人でやるしかない。

「アルミン、私も出るから」
「え、あの、リーベさん……!」

 アルミンの慌てた声を聞きながら、

「ジャン、両手を身体の前で重ねるように組んで構えて」
「え?」
「早く!」

 言われた通りの体勢になったジャンに向かって駆ける。距離がないので一歩目から全速力で。
 ジャンのすぐ目の前で踏み切り、組まれた手を踏み台にして体重をかけ、

「上げて!」

 そこからまたジャンプするタイミングで腕が振り上げられ宙へ躍り出る。

「ミカサ!」
「っ!」

 呼べば上にいた彼女はすかさず応えてくれた。私の手首を掴み、そこからさらに上空へ一気に引き上げてから強く投げる。

 銃を撃ちながら立体機動装置は操れない。宙を自在には動けない。でも、立体機動装置を操らなくてもここまで空高く上がれたなら――場を制するのは私だ。

 向けられる対人立体立体機動装置の銃口を躱すべく身を翻しながら有効射程距離範囲内に撃てるだけ撃ち終えて、銃からレバーに持ち替えようとすれば横から抱えられた。兵長だ。

「てめえは荷台にいろと言っただろうが……!」

 その隙に一人、前へ回り込まれた。後ろに括った髪をなびかせた女性がアルミンへ銃口を向ける。撃ち落とそうとしたら照準へミカサが重なったので慌てて逸らす。ミカサの後ろ蹴りで敵は叩き落とされた。
 ほっとしたのも束の間、敵が落ちたのはジャンのいる荷台だった。
 いくらライフルを向けていてもジャンが撃てないことがわかって、私は今度こそ引き金を引く。右は弾切れなので左で――かちん、と嫌な音が鳴った。

「不発!?」

 そこでジャンが腰を抜かすのが見えた。ライフルは弾き飛ばされていて何も手にしていない。対人立体機動装置の銃口が完全に向けられていた。
 適切な不発処理をしている場合ではないので即座に弾倉を落として新しいものを叩き込んだが――間に合わない!

 心臓が止まったような一瞬、乾いた銃声がした。対人立体機動装置の音ではない。

 撃ったのはアルミンだった。弾丸は敵の側頭部へ命中して、死体となった身体が荷台から落ちる。

「街を抜けるまであと少しだ!」

 あと少し。しかしその距離を長く感じれば、

「リーベ、お前も来い! 正体が割れたからには潜入する意味がねえだろ!」
「――その通りですが今はここにいる全員が平地へ出るまで足止めする必要がありますから残ります。行って下さい」

 対人制圧部隊との交戦は二度目だ。そう思えば少しは憲兵になった意味も見出せる。

「駄目だ、よりによってヤツが憲兵団に――」

 兵長が言い終えるより早く私は行動に移る。

 残弾を確認すると、ここで全滅させる勝算はない。
 でも、ここからリヴァイ班を逃がす成算ならある。

 私は次なる敵を見定めた。


(2016/01/30)
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