Novel
あの日の少年

「久しぶり、エレン。私のこと憶えてる?」
「お久しぶりです、リーベさん。訓練兵の頃はお世話になりました」

 104期訓練兵の元へ炊事実習指導で通っていたのは最初の一年だけだから、エレンとは二年ぶりの再会だった。
 あの頃よりもさらに背が伸びて、体つきがしっかりしたものの、相変わらず綺麗な瞳の少年だった。

「何だかものすごいことになったね」
「はい、自分でもわからないことだらけなんですけど……」

 そう話しながら、エレンは困ったように眉を下げる。

 ここは旧調査兵団本部。『巨人の力』を持つことが明らかになったエレンを内外から監視、保護するために選ばれた建物だ。
 その役割を担ったのが、兵長を初めとする特別作戦班であるリヴァイ班。そこへ私がなぜ呼ばれたのかと言えば――。

「お願いね、掃除隊長」
「はい、任されました」

 ぺトラから掃除道具一式を受け取る。
 私がここへ来たのは「掃除を手伝え」と命令されたためだ。長らく使われていなかったので荒れている、と。もちろん喜んでここまで来た。ミケ分隊長の許しは得ている。

 埃がすごいので三角巾で口元と髪を覆う。そしてあらゆる道具を駆使し、黙々と作業に取り組んだ。こんなにやりがいのある掃除は久しぶりだった。

「よし、ここはこんなものか。あ、ちょっとこの辺り拭いておこうかな。雑巾雑巾っと」
「あ、の……」
「どうかした、エレン?」

 おずおずと話しかけてきた少年へ顔を向ける。私の担当区域だった清掃が終わり、エレンが兵長にやり直しを命じられた上の階の清掃を手伝っている時のことだった。

「リーベさんはその……オレが怖くないんですか? 気味が悪いと思ったり……」
「うーん……。ちゃんとは見てないからなあ、巨人化エレン。壁外から帰還してすぐ、消滅する直前のはちょっと見たけれど、エレンは出て来てたし」

 だから本音を言えば「本当にそんなことが?」である。目の前にいる少年が巨人となるなんて、信じられない。数多の目撃証言があるので、その事実を疑ってはいないけれど。

 きっと、今回のような事態になる前からエレンという少年のことを知っていたせいだろう。とてもそんな目で見ることは出来なかった。

「私にとって、エレンはエレンだよ。昔から調査兵団を志していた、期待の新人兵士」
「リーベさん……」

 そう告げれば、エレンは嬉しそうで恥ずかしそうな、安堵して泣き出しそうな――様々な感情が混ざったような表情になる。

 思わず頭を撫でてやりたい衝動に駆られて手を伸ばそうとすれば、低い声がした。

「お前たち、ずいぶんと楽しそうだな。手は止まっていないか」

 兵長だった。腕組みをして、こちらを見据えている。

 エレンが慌てたように表情を引き締め、姿勢を正した。一体兵長に何をされたんだろう。私は一兵士でしかないので兵法会議には出ていないものの『躾』は人づてに聞いた。原因はそれだろうか。

 私は兵長に笑いかけた。

「問題ありませんよ。お喋りは楽しい掃除のスパイスです。――いかがですか、この階の清掃は終わりましたけれど」
「……次は調理場だ。そこはお前が使うから任せるぞ、リーベ。それで今日のところは終わりだ」
「了解です」

 そうだ。掃除だけではなく炊事も任されているのだった。今日は何を作ろうかな。
 そんなことを考えている間に兵長が部屋を出て、私はエレンの視線に気づく。賞賛のまなざしだ。

「すげえ、リヴァイ兵長がケチつけないなんて、さすがです、リーベさん…!」

 私は微笑んだ。

「ありがとね、エレン。じゃ、下に行こっか」
「はいっ」

『破滅に導く悪魔』
『希望へと導く救世主』

 他にも様々な呼び名をこれまで聞いてきたけれど。
 私にとって、彼はやはり綺麗な瞳を持つ少年だった。


(2013/09/30)
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