Novel
研ぎ澄ますべき凶器

 お茶を口にして、私は一息をついた。
 向かいに座る兵長も静かにカップを傾けている。

 何か話題を考えた結果、

「リーベ」
「兵長」

 同時にお互いへ呼びかけることになった。

「何でしょう?」
「お前が先に話せ」
「いえ、お先にどうぞ」
「……大した話じゃねえ」

 兵長が珍しく言葉を濁していると扉が開かれた。ジャンだ。

「失礼します。リーベさん、射撃で教えて欲しいことが……」
「わかった、ちょっと待ってね」

 一気に残りを飲み干して、私は席を立つ。

「では兵長、失礼します」

 部屋を出るまで兵長の視線を感じつつも、扉を閉める。ジャンは気まずそうに、

「すみません、お邪魔して……」
「大丈夫だよ。大した話じゃないって言ってたから」
「さっきも驚いてお二人の関係を話してすみませんでした」
「良いよ、別に。大っぴらにすることじゃなかったけれど隠すことでもなかったと思うし。兵長の相手が私じゃ大抵の人に納得されないだろうけれど」

 何せ男女問わず敬愛される兵長である。

 するとジャンが大きく首を振った。

「そんなことはありません! リーベさんも魅力的です、強くて女性らしくて髪も綺麗だし……もちろん髪だけではなくて!」
「ミカサの髪って綺麗だよね」
「いつ見ても惚れ惚れします――って、俺は何を……!」

 頭を抱えたジャンの姿に、三年前から変わらずミカサが好きなんだなと思っているとタイミング良く本部へ戻るハンジ班を見送ることが出来た。
 そして先ほどサシャと勝負した場所に着けばアルミンがいた。先ほど私が使用したライフルを手にしている。

「どうかしたの、アルミン?」
「リーベさん……あの、今になって気になることがあって。大したことではないんですけれど」
「何かな?」
「三年前、どうして僕たちに教えられたのは射撃訓練ではなく炊事実習だったのでしょう? よく考えるとそれが不思議で。兵士の本分は、その、戦うことにありますし」

 その疑問はジャンも納得したようで、

「確かに。そもそも炊事実習とか最初は何なんだって戸惑ったよな――あ、いや、決してあの実習を否定するわけではなくて!」
「最初は射撃訓練の予定だったよ」

 ジャンの必死な様子に微笑んでから、私は続けた。

「キース教官が調査兵団本部へ来た時にばったり会って、その時に打診されたの。私はキース教官に指導されたわけじゃないけれど、訓練兵団の教官は《山の覇者》を誰が討ち取ったか全員知っていたみたい」
「でも、それなら何で……」
「有り難い話だったけれど辞退したんだよ。そうしたらエルヴィン団長が通りがかって――」

 そこで三年前を思い出す。

『ああ、エルヴィンか。実は今、彼女の腕前を見込んで訓練兵団の教官に来てもらえないかと勧めていてな』
『教官に? ――ええ、彼女の腕は確かですよ。何を作っても美味しく無駄がない、一種の技術かと』

 エルヴィン団長は後にも先にもないほど珍しく、盛大に勘違いをされたのだ。

「料理の腕の方を評価して下さったんだよね。キース教官は戸惑ってたけれど『それならそれで』って改めて打診されたの」

 こうして『射撃訓練』が『炊事実習』へ変貌を遂げた。

 そして847年の炊事実習初日。

『おい、リーベ。どこへ行くんだ』
『「104期訓練兵に炊事を教えに来るように」とキース教官より要請がありました。それで私、今日から時々夕飯前は訓練兵団へ通うことになったんですよ』

 兵長に伝えた言葉は嘘じゃない。

『夕食を食べそびれて自分で作った時、たまたまエルヴィン団長が来られまして。その時に料理の腕を誉めて頂いたことがきっかけですかね。それで団長から前団長――つまりキース教官へ打診が』

 嘘じゃないけれど、真実でもなかった。

「でも、今になって思うと炊事実習より射撃訓練の方が良かったかな?」
「そんなこと……僕は座学と同じくらい楽しかったですよ」
「俺は、その、真面目にやってませんでしたが美味いものが食べられるのは嬉しかったです」
「……ありがとう、二人とも。それじゃあ――基礎的なことは出来ると思うから、それを踏まえた応用編をやろうか」

 私は太腿のホルスターから拳銃を抜いた。
 そんな機会はないに越したことはないが、今は備えるに越したことはないのだ。

 命中させるために考えなければならない風の向き、気温や高度、重力による弾丸の落下量、諸々の計算やその読み方を説明する。

「――そして飛ぶだけの『最大射程距離』と、最も損傷を与える『有効射程距離』。同じ口径でも銃によって射程距離が全然違うから自分が扱う武器は何か把握しておくことも大事だよ」

 一通り話し終えた時、アルミンが唸った。

「理論がわかってもそれを実際に行うことが難しくて……」
「実践あるのみ。さあ、構えて」

 指示すればアルミンがライフルを構えながら眉間に皺を作る。私は力が入っている彼の肘の位置を直した。

「ライフルも悪くないけどアルミンは拳銃の方が扱いやすいかもしれないね」

 私は用意されている銃器の中からアルミンに合うものを見繕う。

「これを試しに持ってみて」
「拳銃はライフルと違って片手でも撃てる構造ですよね?」
「基本的にそうだけれど両手で撃つのが駄目ってわけじゃないし、私は時と場合によって使い分けるよ」
「僕が片手で持っても可笑しくありませんか」
「大丈夫、胸を張って」

 銃声が漏れないように調整してから的へ撃たせてみた。
 見立てとアドバイスが功を奏したのか片手で撃っても精度はそれなり。悪くない。さらに抜き撃ちのコツを話していると、ジャンが気難しい顔をしていた。

「俺が知りたかったのは……」
「ん?」
「殺さずに倒す方法です」

 私が視線を返すと、ジャンは目を伏せた。

「俺は……人を殺すのは御免です。だから……」
「……そっか。でもね、私はジャンに死なないでいてほしいよ」

 素直な気持ちを伝えれば、

「リーベさんは……人殺しが正しいと思うんですか?」

 その問いかけに、一度ゆっくりと呼吸してから答えた。

「私は生き残ることが正しいと思う」

 誰かを殺すくらいなら自分が死のうとする人もいるだろう。でも、私はそうじゃない。
 殴られ蹴られ、尊厳も価値も貶められた冬の夜に痛感した。
 私は人を殺すことが出来る。兵士になって力もつけた。
 胸を張って言えることではないから少しでも悟られることのないように、私は何度も『嘘ではないけれど真実でもない』ことで人を欺いていた。

 知られることが怖かった。

 そうでなくても自分の在り方に否定と肯定が綯い交ぜになって生きている、どうしようもない人間だったから。

 でも、

『生きていることが、正しい』

 他ならぬあの人がそう言ってくれたから。

 私は生きよう。

 たとえどれだけ――汚れ、血に染まり、醜くなったとしても。

 それが、私だから。

 その場にいる全員が黙り込んでいると、

「ちょっとジャンー、この時間は私たちが見張りだそうですよー、私あっち見てますからそっち見て下さいねー」

 遠くからサシャの声がした。

「ああ、わかった。――じゃあ、俺は行きます」
「うん、見張りよろしくね」

 うつむくジャンの背中を見送ってからアルミンへ顔を向ければ、彼も複雑そうな表情だった。

「例えばこの銃で相手の腕とか狙ったら――」
「頭、顔、首、急所を狙いなさい」

 私は即座に言った。

「この口径だと腕や肩に当てでも致命傷にならない。そうでなくても拳銃はライフルと比べて基本的に威力が欠けるから」
「でも、そうすると……」

 言い淀むアルミンに私は問うた。

「巨人と戦う人間か戦わない人間、壁外ではどちらが生き残れると思う?」
「…………」
「それと同じ。今後は壁の内側も戦場になる。巨人と違って殺さずに相手を戦闘不能にすることも出来るかもしれない。でも、それは簡単なことじゃないしどうしても賭けになる。失敗すれば――わかるでしょう?」

 目の前にいる少年は何も言わない。

「アルミン」
「……何ですか」
「一番大切なのは躊躇わないことだよ。銃を持っているのに倒すつもりがなければ、それは凶器にならない」

 戦いに勝利するため何より必要なのは道具でも技術でもない。

 十二歳だったあの夜――生き残れたのは、あの悪魔が私を侮ったことと、私にその意思があったからだ。

 あの男の足を止めるために向けた銃口。狙いがずれて急所に当たった弾丸。
 とはいえこの世から消し去るつもりがなかったかと言えば嘘になる。
 だからその意思が突き動かす力を知っている。

「それを忘れずにいてほしい」

 ひどいことを口にしているとわかっている。
 でも、言わなければならないことだと思う。
 目を背けたくても、そうするべきではない。

 争いのない世界、誰も殺す必要のない世界なら話は別だ。
 でも、この世界は、そんな夢のような世界ではないから。

 しばらくしてアルミンが言った。

「壁外調査でわかったことがあります。――『何かを変えることが出来る人は大切なものを捨てることが出来る人だ』」
「アルミン……」
「『何も捨てることが出来ない人に何も変えることは出来ないだろう』と思いました」

 青い瞳がこちらを見据える。

「リーベさんはそれが出来る人ですね」

 その言葉に対し、私は考えてからゆっくりと口を開いた。




 話し終えた頃には日が暮れようとしていた。

「――夕食にしようか」

 おいしいものを作ろう。


(2015/05/01)
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