Novel
アーベントエッセンだけでも
「では、本部へ戻りましょうか」
ハンジ班に向けて私が切り出せば、
「だ、だ、だめえええええっ!」
立ち上がって叫んだのはサシャだった。
「だめです! 話がまとまったみたいになってますけどやっぱりだめ! 嫌です! 行かないで下さい……!」
「そ、そう言われても……」
私が戸惑っていると、
「だから勝負をしましょう、リーベさん!」
「勝負?」
ポニーテールを揺らしてばたばたとサシャが部屋を出た。そうかと思えば弓矢を持って戻って来る。それを見てサシャが今でも狩猟を主に暮らすダウパー村出身だったことを思い出した。
「そうです、勝負ですっ。私が勝ったらリヴァイ班に残って下さい! 飛び道具同士なら平等ですっ」
「……サシャ、使う得物が違うなら勝負にならねえだろ。一体どうやって競うんだよ」
「考えてないのでアルミンでも決めて下さい、何であろうと私は勝ちます! 狩猟民族を甘く見ないで下さいっ」
ジャンの言葉を一蹴して、サシャが言った。
アルミンがため息をつく。
「リーベさんは鳥や猪じゃないよ。……あの、どうされますか?」
訊ねられたところで一体どうすればいいというのか。
困惑していれば、何とかしろと兵長に視線で命じられたので私は応じるしかない。
「――いいよ、サシャ。やろう」
とはいえ、もちろんここで銃声を轟かせるわけにはいかない。
私はスカートの裾を軽く上げ、太腿に巻いたベルトからライフル用のサプレッサーを抜いた。
「言われた通りに丸太置いてきたぞ、アルミン」
「ありがとう、エレン。――それでは勝負の条件を確認します。得物はサシャが弓、リーベさんは単発式ライフル銃のサプレッサー付きで火薬は通常より減らして頂きました。これで銃声が遠方まで轟くことはありません。五十メートル先にある丸太を倒した方が勝ちです。動ける範囲はそれぞれ決められた半径一メートル内のみ。ないとは思いますが、互いの身体に矢尻、もしくは銃口を向けることは禁止です」
全員が外に出ていた。
勝負内容とルールを設定したのはアルミンだ。その隣に立つ審判は単眼鏡を持つニファさん。並んでいる姿を見ると前々から思っていた通り、やはりよく似た二人だった。
私は気になったことをミカサに訊ねる。
「あの丸太ってミカサが薪割りした余り分だって聞いたけど本当? この前の作戦で肋骨を痛めたんじゃなかったっけ?」
「はい。でも、動いていないと身体が鈍るので」
「……完治を優先した方が良いんじゃないかな」
「もう治りました」
「え、もう? 本当?」
回復力に驚いていると、エレンが深くため息をついていた。ヒストリアの表情は変わらない。
「始めます。位置について下さい」
ニファさんの言葉で指定された場所に立てば、サシャとの距離は約二十メートル。丸太を頂点にすれば私たちは二等辺三角形の底辺を結ぶ位置になる。
「それでは――勝負開始!」
私が装填を終えた時には、サシャはすでに矢をつがえ弓を引いていた。そして素早く手を離して矢を飛ばす。
「リーベさん、覚悟! ――うぇっ!?」
飛んでいた矢が宙で真っ二つに折れた。私が撃ち落としたのだ。
「あああああああっ!?」
絶叫するサシャはすぐに次の矢を構えるが、その時点で私はボルトを操作し薬莢の排出と次弾の装填、狙いを定め引き金を引いていた。丸太が吹っ飛ぶように倒れる。
単眼鏡で標的物を見ていたニファさんが素早く手を挙げた。
「勝負あり! ……丸太が木っ端微塵にされたのでリーベさんの勝ちです」
「まあ、予想通りだよな」
ジャンが呟いた。
私はライフルに安全装置をかけてから背へ回し、ぺたりと座り込んだサシャに近づいた。
「私が勝ったのはサシャが弓の名手だからだよ」
「……どういうことですか」
「丸太を倒すために矢を当てるんだから、最も負荷のかかる場所を狙うことが推測出来た。腕が立つサシャだから命中する確信もあった。後はタイミングの問題。それだけだよ」
「それだけって……簡単に言わないで下さいよ……」
サシャが弓矢をぎゅっと握る。その手は震えていた。
「リーベさんはずるいです……兵長以外は同期で気安いですけど心細いのに……何もしてくれなくたって、一緒にいてくれるだけで良いのに……」
私はサシャの前に膝をついた。
「ありがとう、頼りにしてもらえて嬉しい」
「じゃあ……」
「でも、行かなきゃ」
私は手を伸ばし、サシャの頭を胸に抱きしめる。抵抗はされなかった。
「出来ることがあるのならやりたいと思う。たとえ出来なくても、何もしないままでいたくない」
「調査兵団にいても出来ることはあるじゃないですか……!」
「うん、そうだね。でも私に出来ることはきっと他の誰かにも出来る。私にしか出来ないことなんてないよ。だから大丈夫」
サシャが首を振る。
「じゃあ憲兵の役割だって他の誰かが出来るかもしれないじゃないですか。それなのにどうして行っちゃうんですか」
「決めるのは『何が自分に出来るか』じゃない。『自分が何をするか』だよ。――そういうことなんだと思う」
私は腕に力を込めた。
「大丈夫、心細く思わないで。皆がいるし、私もサシャを想ってるから」
「……リーベさん」
私は空を見る。
そろそろここを出発しなければ調査兵団本部へ着く前に夜になってしまう。暗い山道を馬で歩けるわけがないし、行き同様に隠れ家の場所を知られないため松明を使用することも出来ないのだ。
「じゃあ、行くね。サシャ、ありが――」
「あああああああああ!」
サシャがまた突然叫んだ。私は慌てて彼女から離れた。
「そ、そういえば今日って!」
「な、何? 一体どうしたの?」
アルミンが問えば彼女は答える。
「私の誕生日です!」
「……え?」
風が木々を揺らす音しか聞こえない沈黙の中で、私は後ろにいる104期面々の顔を見た。
「…………」
私と彼らは知っている。今日がサシャの誕生日ではないことを。
「サシャ、お前何言って――」
コニーが全員の言いたいことを代弁して口にしようとすれば、サシャがぶんぶんと首を振る。
「誕生日ったら誕生日です! そして誕生日とは! 美味しいものを食べなきゃいけない日なんですよ! だから! ――だから!」
そこで座り込んだままのサシャが私を仰ぎ見た。え? 私?
「今日はリーベさんのご飯を食べなきゃいけない日なんですっ!」
「あの、サシャ……」
なぜ突然そんな嘘を口にするのかがわからない。
「それに! 借り人競争の時に約束してくれたじゃないですか! 『今度ご飯でもお菓子でも何でも作るよ』って! 忘れてしまったんですかっ?」
「お、覚えてるけど……」
声の勢いと眼差しの強さに私がたじろいでいると、
「そっかそっか、今日は誕生日なのか」
サシャに味方が現れた。ハンジ分隊長だ。
「リーベ、憲兵として召集されているのはいつから?」
「え? 憲兵団本部へ呼ばれているのは明日の昼過ぎからですけれど……」
「じゃあ明日の朝にここを出発しても間に合うね。今日は泊まらせてもらいな」
「よっしゃあああっ!」
サシャがガッツポーズする中で、私は困惑するしかない。
「ええと、分隊長……」
口を開こうとすると、
「君はこの班の副長になるべきだった。必要とされていたんだよ。それを蹴って中央へ乗り込むなら一晩くらい役目を果たすべきだ」
鋭い瞳が私を見据えた。
「選択を否定するわけじゃない。必要なことで、選ぶべきことだったとは思う。理解はした」
そこで分隊長はうつむいて、眼鏡を指で押し上げる。
「でも、納得はしていない。――大人気ないかもしれないけれど、それが正直な感情だ」
「分隊長……」
「だから必ず帰って来るんだよ、リーベ」
ぽんと最後に優しく私の頭へ手を置いて、ハンジ分隊長は行ってしまった。
周りへ目を向ければモブリットさんやニファさんたちが額を寄せて話し合っていて、跳ね回るサシャを眺めるヒストリア、エレンとコニーは何やら説明しているアルミンに相づちを打っていて、それを黙って見ているミカサをジャンが見つめていた。
そして離れた場所にいる兵長と目が合う。
兵長は軽く肩をすくめて、
「お前の茶が飲めるなら俺は何でもいい」
さっさと隠れ家へ戻ってしまった。
私は慌てて追いかける。
「あ、はい、じゃあお茶を淹れますね」
そんなわけで。
今日はリヴァイ班の隠れ家に泊まることになった。
アーベントエッセン…夕食、晩餐
(2015/04/16)
(2015/04/16)