Novel
生者の特権
「エルヴィンと面会するそうだな。何を話すつもりだ」
「お見舞いですよ、お見舞い」
「嘘をつくな」
「……お茶、淹れて来ますね」
腰を上げて部屋を出ようとした次の瞬間、手が伸ばされたかと思うと行き場を塞がれた。後退しようとすれば、そちら側も。
私の身体は壁と兵長の腕で閉じ込められるような形になるが、兵長がそれ以上動くことはなかった。
「――何か?」
落ち着いて訊ねれば、兵長は表情を険しくする。だが少しも怖くない。この人らしくない焦りが感じられるだけだ。
「いいか、リーベ。お前はお前にしか出来ねえことをやりたがっているだけだ」
その言葉に私は首を傾げる。
「それは悪いことですか」
「いいや、違うだろうな。――だが必要ないことだ」
「それを決めるのは今ではありません」
兵長が目を眇めた。
「いつだ。言ってみろ」
「すべてが終わった時ですよ」
断言してまっすぐに視線を返せば、
「……リーベ」
まるで私の言葉を封じるように顔を近づけられたので、指先でそっと押し留める。流されるわけにはいかない。
「唇が少し荒れていますね。身体に良いお茶を持って来ますから待っていて下さい」
私は微笑みながら兵長の腕を抜け、部屋を出た。
紅茶を淹れるために給湯室へ向かえばニファさんがいた。
「あら、リーベさん。お湯なら沸いたところですよ」
にっこりと笑みを向けられて、カップを手にしたニファさんに場所を譲られる。
「ありがとうございます」
棚を見れば目当ての茶葉は切れていた。残念だが仕方ない。今あるものから選んで量っていると、
「そういえば会いましたよ」
「え? 誰にです?」
ニファさんの明るい声に首を傾げれば、
「アルミンですよ。噂には聞いていましたが本当に私とそっくり。性別も髪の色も違うのに。お互いびっくりしましたね。すぐに超大型巨人との交戦になったので話すどころではありませんでしたが」
楽しげな様子で話は進む。
「アルミンは女装とかしたら映えそうじゃないですか? きっと違和感がないと思います」
想像して、私は思わず吹き出した。アルミンには申し訳ないが確かに可憐だろう。
「そうですね、やってくれるかどうかはさて置き」
そう相槌を打つとニファさんは私の顔をじっと見つめて、
「ところでリーベさん、兵長と喧嘩してるって本当ですか」
カップを温めるために入れたお湯を捨てる手が思わず止まった。
「……会う人ごとに訊かれますが、そこまで噂に?」
「まあ、そうですね。こんな状況だからこそ世間話というか身近な話もしたいんですよ皆」
その気持ちはわからなくもない。しかし、自分が話題の中心にいることがどうも落ち着かない。
私は作業を再開してポットを手にする。
「喧嘩ではありませんけれど――そうならないためにはどうすれば良いでしょうか」
決して、兵長と諍いたいわけではないのだ。
私の悩みにニファさんは少し考えて、
「やはりどちらかが折れることでしょう」
「……難しそうですね」
「あとはお互いに譲歩と妥協をすることくらい? 理解と信頼の深さが必要ですね」
「……考えてみます」
さてどうしたものかと思っていると、ニファさんが視線を下へ向ける。
何だろうと思えば、
「綺麗な色のスカートですね。刺繍も素敵でお似合いです」
「…………」
数日前にぺトラの荷物を整理し終えて届けた時、彼女のお父さんから頂いたものだ。
丈を調節して、今着ているものがそれだった。
『裾引っ掛けて破いちゃった。気に入ってたのに』
『破れた跡をうまく隠して、全体的にぐるっと花の刺繍を散りばめるの。ペトラに似合うと思うな』
せっかくの気持ちだからと受け取って身に付けてみたが、私に似合っているとは――
『大丈夫、似合ってるわよ』
思わず振り返る。聞こえた声の持ち主はもちろん、誰もいない。
「リーベさん? どうされました?」
「いえ……何でもありません」
不思議そうな表情のニファさんに私は首を振り、誰にも聞こえないように呟く。
「ありがと、ぺトラ」
二つのカップを手に部屋へ戻り、椅子に座る兵長へ片方を渡して私は切り出す。
「最近、私たちが仲違いしているって噂が流れているみたいですよ。私が命令に従わないからって」
「間違った情報じゃねえだろ。一週間、俺を突っぱねやがって……」
「私の所属先を最終的に判断する団長が目を覚ますまでは二人で話しても堂々巡りになるかと思って。お互い忙しかったですし時間がもったいないじゃないですか」
「改めて聞くがお前、どういうつもりなんだ」
問いかけに私は即答した。
「憲兵団へ転属します。誰かが潜り込むべきです。私なら出来ます」
すると兵長が顔を歪める。
「……何で憲兵なんだよ」
「考えてみればおかしくありませんか?」
兵長の隣に腰を下ろし、一度カップへ口をつけてから続ける。
「私は参加していませんがトロスト区奪還直後の兵法会議で中央、即ち王政――それに近い憲兵団がエレンを手中に入れようとしていましたよね。なぜでしょう?」
「知るか。俺はその場にいたが、連中は最終的にエレンを処分するとか抜かしてやがったぞ」
「『表向きの話』なら何とでも出来ますよ。つまり結局はわからないんです。私たちには向こう側の情報がない」
私は指を一本立てて、それから二本へ増やす。
「次に、女型の巨人だったアニは憲兵団にいました。ベルトルト……超大型巨人と言った方がわかりやすいですか? 彼も元々は憲兵志望だったと記憶しています。彼らが求めるものが、そこにあるはずだったんじゃないですか? 巨人の秘密、とか……。何度も連れ去ろうとした経緯を鑑みるに結局はエレンが『鍵』だったようですが、本来『それ』が中央にあると彼らは見ていたと思うんです」
指は三本目へ。
「訓練兵卒業成績が十番以内でもない私に憲兵団への入団許可が降りたことも改めて考えれば妙です。射撃に秀でた人間を集めて何をしたいのでしょう? ――兵長、壁の外だけではなく内側も、私たちは目を向けるべきです。中央には『何か』あるんじゃないでしょうか? 憲兵になることで『そこ』へ近づけるはずです。いつまでも不可侵領域を守って傍観していることが得策とは思えません」
そこまで話し終えれば、呆れたような顔をされた。
「何もかも推測じゃねえか。異動してまで探るなんざどうかしている。時間の無駄だ。俺たちが優先すべきはウォール・マリアにある穴を塞いで――」
「でも、兵長。私のすることがどうして間違いだとわかるんですか」
兵長はカップを置いて、こちらを見据える。
「さあな、わからねえよ。ただわかるのは……何があるかわからねえ領域だということだ。――お前、死ぬ気か?」
「死ぬのは嫌ですよ。でも、847年に104期と知り合っていなかったら第57回壁外調査で私はアニに殺されていたでしょうし、その時に負傷していなければミケ班の任務に参加、ウトガルド城で殉死していました。……産まれる前から殺されようとしていたんですから命の綱渡りなんて今に始まった話ではありません」
私がそう話すと、兵長はとても哀しそうだった。
表情には出てはいないが、わかる。
どうすればいいだろう。
私はこの人を哀しませたくないのに。
「大丈夫ですよ、巨人よりも人間を相手取る方が得意ですから。私――《硝煙の悪魔》は単身で巨人1体を倒せなくても、2000人の憲兵団なら敵なしです」
笑って宥めても兵長の様子は変わらない。
「兵長」
だから私はゆっくりと話す。
「巨人を倒すために兵士になったわけじゃない、そんな私は間違っているとわかっています。だから嬉しかった。――『生きていることが正しいんだ』と言ってくれたこと」
きっと私にしかわからない、あの喜び。
他にはもう何もいらないと思える程に。
「私は……本当の自分を、都合の悪いことを隠して黙っているような、狡い、どうしようもない人間なのに」
私はずっと怖かった。私へ向けられる、あなたの心を喪うことが怖かった。
求めるに値しない、死んでしまった方が良い人間だと思われたくなかった。
「産まれる前からずっと、本当は殺されて然るべきだった人間なのに、それでもあなたは私を――こんなに大切に想ってくれるから」
愛して、慈しんでくれるから。
生きることを望んでくれるから。
「だから胸を張って、堂々と顔を上げていたい。これからも続く世界で未来を生きるために、今の最善を尽くしたい。自分に出来ることを信じたい。そのために、私は戦いたい」
そこまで話して、目を伏せる。
私は変わっていないのかもしれない。自分のためだけではなく戦うとエルミハ区で言ったのに――結局、自分勝手に生きている。
でも、それは私に限らないはずだ。
誰かのために、何かのために行動すること。それはつまり自分の意思で動くことなのだから。
「お前は間違っていない」
私の心を見透かすように、聞こえたのは少し疲れたような声だった。
「正しいんだ。信じた結果がわからないから悔いのない選択をすることも、希望へ繋がる可能性が低くても行動を起こすことも。――ただ、俺がお前にそうしてほしくないだけで……俺が悔いを残したくないだけなんだ」
兵長が私の手をそっと握る。
そのままゆっくり引き寄せて、私の首筋に顔を埋めた。
「俺のそばにいるだけで……それだけでいいのに……」
「兵長……」
簡単に振りほどいてしまえるくらいに弱い力だったから、私は抱きしめられたまま動くことが出来なかった。
しばしの沈黙の後、
「旧本部で俺は言ったな。『お前を離さない』と」
「…………」
「だが、その時お前は言ったんだ。自分の意思で離せと望めばどうするのかと。――あの時から俺はわかっていたのかもしれねえな。お前がいつかいなくなることを。ただ、それを認めたくはなかったんだ」
兵長は私の肩へ手を置き、身体を少し離した。そしてまっすぐに私を見下ろす。
「――リーベ、好きな方を選べ。ただしお前が憲兵になるなら『条件』がある」
「え?」
そして兵長は『条件』を口にした。理解するのに時間がかかった。
「……何ですか、それ」
「…………」
「どうしてそんなこと……必要ありません。出来ません」
私が首を振って拒めば、
「なあ、お前は俺に死んでほしいか」
そんなことを切り出された。
「何を言って――」
「答えろ」
「生きて下さい」
即答すれば、
「ならお前もそうしろ。そのために必要なものだ」
「そんな……」
「リーベ」
私が何も言えずにいると兵長の顔が近づいてきた。そして宥めるように額と額が軽く触れ合う。胸が高鳴って、苦しかった。
その時、扉がノックされる。はっとして私は兵長から離れた。
「リーベ、君が申請した団長との面会時間だ」
「はい、すぐに行きます」
扉越しに聞こえるモブリットさんの声に応じて部屋を出ようとすれば、兵長に腕を掴まれて止められた。
「返答しろ、リーベ」
そこで先ほど聞いたニファさんの言葉を思い出す。
譲歩と妥協。
理解と信頼。
「……わかりました。『条件』に従います」
その言葉を最後に私は扉を開けた。
通路にいたモブリットさんは部屋に兵長がいて驚いたようだが、すぐに普段通りの顔つきになる。
「十五分だ。それ以上は団長の身体の障る」
「わかりました。充分です」
私は一人で少し歩いて、目的の扉をノックした。
「リーベ・ファルケです。お話があります、エルヴィン団長」
(2015/02/26)