Novel
切り札

 エルヴィン団長との面会から数日後。

 ニック司祭が殺された。身分を偽ってトロスト区の兵舎にいたというのに、だ。
 現場を見たハンジ分隊長によって犯人は中央憲兵のジェル・サネスらだと断定されたが、捜査しているのが当の中央憲兵なので真犯人が捕まるはずがない。

 なぜ司祭が殺されたのか――原因は彼が保持していた情報に他ならないだろう。エレンとヒストリアの居場所や、結局私たちが聞き出せなかった壁の秘密。

 やはりウォール教には何かある。そして憲兵団にも。

「うーん……」
「どうかしたのか?」

 馬を歩かせながら唸っていると、同じく馬で隣に並んだモブリットさんが声をかけてくれた。

「いえ、憲兵と中央憲兵の違いがわからなくて……」
「俺も詳しいわけじゃないが……王都の憲兵が中央憲兵だ。より王に近しく、中枢に身を置く立場にある。普通の憲兵とは大きく異なるらしい」
「そうなんですか?」
「ああ、同じ憲兵団であっても指揮系統も違えば接点もないそうだ」
「もう別の組織ですね……」

 私は十五の時に聞いた言葉を思い出す。

『俺は時間が合わなくて中央憲兵の連中しか視察へ行けなかったんだが――』

 つまりナイルさんは中央憲兵ではない。憲兵団トップとはいえ、あの人は一憲兵に過ぎないのだ。ならばニック司祭が殺害された件も知らないかもしれない。

 そのことに少しほっとする。あの人は敵ではないと思っていたかったから。

 風が吹いた。

 私たちは会話を止めて、周囲へ気配を巡らせる。

 現在、今後の方針を定めるためにリヴァイ班の隠れ家へ向かっていた。ハンジ班のみの予定だったが私も同行させてもらうことにしたのだ。
 追っ手を警戒して二手に分かれたり二重尾行をしている徹底ぶりの中、私は思考する。

 調査兵団は危機に立たされている。
 でも、こんなことは初めてではない。

 このままでは遠くない日、本当に調査兵団はなくなってしまうかもしれない。




「俺たちはこれから本部へ戻るとして――リーベはどうするんだ? ここに残ってリヴァイ班の副長に?」

 山奥にあるリヴァイ班の隠れ家で一通りの話し合いが終わり、モブリットさんがニファさんの隣に置いた椅子へ腰掛ける私に問うた。

 その言葉でこの場にいる全員、リヴァイ班とハンジ班の面々の視線が私へ集まる。
 ちなみにリヴァイ班はエレン、ミカサ、アルミン、ジャン、コニー、サシャ、クリスタ――いや、ヒストリアの104期兵で構成されている。兵長曰く「エレンが死に物狂いになれる環境」だとか。

 ハンジ分隊長も思い出したように頷く。

「そういえば結局どうなったの? 私の班に来てもらうでも構わないよ? こっちとしては助かるし」
「わあ、それは嬉しいですね」
「確かに助かる」

 ニファさんとケイジさんも同意を示してくれたが、私は首を横に振った。

「ありがとうございます、皆さん。でも、お断りさせて頂きます」
「じゃあリヴァイ班に?」
「いいえ。――私は調査兵団から憲兵団へ転属します」

 そう宣言すれば、沈黙が場を支配する。
 ニック司祭の死を告げた時以来の静けさだ。

「憲兵団、に……?」

 しばらくしてエレンが大きな瞳をさらに大きくして呟いた。

 ぽかんとした表情、あるいは無表情の中で私は続けた。

「エレンの兵法会議があった、あの段階で対立していた中央に対して私たちは動くことをしなかった。まあ、当然ですよね。敵は巨人、壁の外にいるものだと思っていたんですから。しかし今となっては失策でした」

 エルヴィン団長が目覚めるまで待った、私のあの選択も間違いだった。もっと早くに行動するべきだったのだ。そうすればニック司祭はまだ生きていたかもしれない。
 ここまで早く相手側が動くとは思わなかった。

 そこで分隊長が慌てたように声を上げる。

「ちょっと待って、急に何言ってるのさリーベ。そんなことは――」
「たった今、今後の方針が決まったばかりじゃないですか。背後から刺される前に外へ行くか、背後から刺す存在を駆除して外へ行くか」
「っ、確かにそうだけれど……!」
「私は背後から刺す存在を駆除する側にしばらく身を置きます」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 そこで立ち上がったのはサシャだった。

「そんなの嫌ですっ。リーベさん、副長になって下さいよ……!」
「サシャ、私はこの班に必要ないよ」

 私はスカート越しに軽く太腿へ手をやる。そこに拳銃を納めたホルスターがあることをひとり確認する。

「もっと相応しい場所があるみたい。今、居るべき場所が。――だから行こうと思う」
「そんなあ……」

 肩を落とすサシャの隣でジャンが言った。

「座れよサシャ。――リーベさん、あの、気になることがあるんですけど」
「何かな?」
「憲兵団なんて簡単に入れるものでしょうか? 経験を積んだ駐屯兵が転属可能だとは知っていますが……ましてや調査兵を憲兵側が受け入れるとは……」

 尤もなことを言ってくれたので私は頷いて答える。

「《硝煙の悪魔》って呼ばれた訓練兵がいた話、聞いたことある? 実はあれ、私のことなんだけど――」
「え、えええええ!? 雪山踏破訓練で《山の覇者》を討ち取って熊鍋にした猛者ですか!?」
「訓練兵団七不思議! 一発の弾丸で100人の同期を倒した狙撃手! リーベさんすげえ!」

 叫ぶサシャとコニー。ジャンは目を見開いて、ヒストリアは青い瞳を何度も瞬きさせていた。ハンジ班の面々も分隊長を除いて似たような反応だ。エレンとミカサとアルミンにはストヘス区で話したことなので反応は大きくない。兵長は頬杖をついて我関せずだ。

「《硝煙の悪魔》って……確か総合成績が十番に入らなかったにも関わらず憲兵団へ入団が許可された兵士……?」

 ジャンが言って欲しい情報を口にしてくれたので助かった。

 私は頷き、分隊長に向き直る。

「ストヘス区でのアニ捕獲作戦の際にナイル師団長とお会いました。私を覚えていて下さったみたいです。腕も落ちていないので転属は問題ありません。可能です」
「可能だからってそんなこと……。よく考えてよリーベ!」

 眼鏡の奥からの眼差しが鋭いまま、言葉は続く。

「調査兵団は警戒されているんだ。こちらから出向けば君の中にある情報を吐かせようと、連中はニックと同じことをするかもしれない!」
「危害を加えられることがあるなら、むしろ好都合だと思わないと。相手がどこまでこちらへ接触してくるか、それでわかることもあるはずです」
「――いい加減にしろ。何が敵かもわからない現状で行かせられると思うか」

 低い声だった。
 怒るとこの人はとても怖い。でも、それは相手を慮っているからだと知っている。だから怖くない。

 私は冷静に応じる。

「これはもう決まったことです。団長からの許可は降りています」
「く……!」

 分隊長はぐっと唇を噛んだ。そして視線の先を変える。この話題になってから一度も発言していなかった兵長へ。

「リヴァイ! さっきから澄ましてないで何か言えよ! 仲間の前だからって粋がるな! 『行くな』って言葉にしろ!」

 分隊長は拳を握り、続ける。

「わかっているのかっ? この子が何をしようとして、どうなるのかを!」
「……この件に関してはリーベと話した。もう俺が口出しすることはない」
「……は?」

 淡々と応じる兵長に分隊長は呆然として、

「行かせるの? 何でっ? どういうつもりなんだよ、リヴァイもエルヴィンも……!」
「僕は団長たちと同じ考えです」

 アルミンだった。視線が集まって恐縮するようにうつむく。

「すみません、大それたことを言ってしまって……」
「構わねえから続けろ」

 兵長がアルミンを促す。

「《硝煙の悪魔》の話は有名でした。本当なのか疑ってしまうような偉業の数々に――あとは憲兵団2000人を壊滅させる力を持つ兵士とも言われてました」

 それはさすがに買い被り過ぎだと思う。

『私の相手になるなら来い! お前たちが望むなら憲兵団2000人でも受けて立つ!』
『《硝煙の悪魔》は単身で巨人1体を倒せなくても、2000人の憲兵団なら敵なしです』

 私だって憲兵を甘く見た発言は何度もしているけれど、もちろん勢いとハッタリに過ぎない。
 油断と慢心から一瞬で窮地に陥ることはままあるのだ。主に壁外調査がそれを教えてくれた。

 しかしアルミンは現状を好意的に受け入れてくれているらしいので大人しく耳を傾けておくことにする。

「そんな話が出て勧誘までされるくらいに射撃と白兵戦技術が優れていたということでしょう。つまり憲兵団にとって《硝煙の悪魔》は――リーベさんは脅威としても見られていたはずです。実際に出来るかどうかじゃない、出来ると思われていることが重要です。確かに危険へ足を踏み入れることになりますが……そこへ進むことも切り抜けることも出来るのはリーベさんしかいません」
「アルミン……」
「敵対している憲兵側に調査兵団の味方が存在することは、後々必ず有力な一手になります。熟練兵士の大半を失った今、戦力を分散させることになりますが一点突破に賭けるより今後の活路を見出せます」

 ハンジ分隊長が首を振る。

「そうだとしても! そんな都合良く事が運ぶとは思えない。何か罠があってニックのように拷問を受ける可能性だってある。女の子が受ける拷問なんて――」
「凌辱くらいはされるでしょうね」
「リーベ!」

 射抜かんばかりの眼差しが眼鏡の奥から向けられた。さすがに軽率な発言だったと反省しながら口を開く。

「もちろんそんな相手に甘んじるつもりはありません。私はわざわざ殺されに行くのではありませんし」
「君は確かに強いよ! でも、どうにもならないことだってあるんだ!」

 私は頷いた。

「ええ、わかっています」
「わかってない!」
「なので私には三つの切り札があります」

 話しながら、まずは指を一本立てた。

「一つは異名《硝煙の悪魔》――異例の入団許可が降りるだけの価値が私にあることと同時に恐れられていること」

 さらに、もう一本。

「二つ目は、これです」

 そして私は今朝届いた一枚の紙をポケットから取り出し、広げて見せた。

「領主貴族の一角にして《王の火薬庫》ゲデヒトニス――その家の当主と婚約しました」


(2015/03/08)
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