Novel
小さな手に出来ること

 一日が終わろうとしていた。黄昏時だ。

「――以上が俺たちの見たすべてです」

 その言葉に、私は静かに深呼吸をしてから口を開く。

「話してくれてありがとう、コニー。疲れたでしょ? これからまた忙しくなるから、今はゆっくり休んでね」
「……ありがとうございます、リーベさん」

 コニーが部屋を出て、私とトーマさんだけが残された。――ミケ班で生き残った二人だ。

「…………」
「…………」

 ミケ分隊長にナナバさん、ゲルガーさんは死んでしまった。ウォール・ローゼ内に出現した多くの巨人との戦いの最中、刃が折れガスも尽きた末に壮絶な死を遂げたとのことだった。
 正確に言えばミケ分隊長が死んだ瞬間は誰も目撃していない。しかし生存が確認されない以上、その見方はあまりにも楽観的に過ぎなかった。

 拳を握ったまま黙っていると、トーマさんが口を開いた。

「ゲルガーの部屋を整理して、色々出てきたよ」
「……大量の酒瓶が、ですか?」
「ああ。――これは俺に遺されていた」

 ラベルには『次のトーマの誕生祝酒!』と乱雑な文字で書かれていた。

「ゲルガーさんらしいですね」
「こっちはお前にだ、リーベ」

 差し出されたものを前に私は言葉を失った。

『いつかリーベと飲む酒!』
 
 どれくらいその文字を眺めていただろう。

「……私がお酒を飲まないようにしていること、知ってるくせに」

 そう呟けば、

『んなこと言ってねえで受け取れ!』
 
 そんな声が聞こえたように思えて、一瞬呼吸が止まった。

「……わかりました」

 私が酒瓶を手に取れば、トーマさんは立ち上がった。

「今後のことだが、俺はある貴族の領地へ潜入調査を行うように命じられた」
「……そうですか」

 私も腰を上げる。ゆっくり、しっかりと足に力を込めた。

「じゃあ、トーマさんにはちゃんとお別れを言っても構いませんか。ミケ分隊長たちには言えなかったから――」
「言うな」

 はっきりとした声に顔を向ければ、

「そんな言葉は聞きたくない。たとえいつかそれを後悔しても、そうならないように俺は努めたいんだ。……リーベ、出来ればお前もそうしてくれ」

 それからトーマさんは私を見下ろす。

「それよりもだな……上官の命令に背くことはどうかと思うぞ」
「……そんなこと、していませんよ」
「兵長から辞令が下りただろう。ちゃんと従え」
「違います。あれは辞令じゃない」

 首を振れば、頭を抱えられた。

「あああ、ここにゲルガーがいれば……ミケ分隊長でもナナバでも……俺ひとりじゃこの子を御しきれんぞ……」

 私は肩をすくめた。

「私の直属はミケ分隊長です。もうそれは適いませんが今後についてまずは団長に従います。――もうすぐ申請した面会時間ですし」

 トーマさんは仕方ないというようにため息をついて、

「わかった。――じゃあな、何にせよ死ぬなよ」
「……ええ、トーマさんも」

 私はミケ分隊長のものだった部屋を出て、通路を歩きながらこれまでのことを回想する。

 あれから一週間が経った。

 多数の巨人が出現したものの、壁に穴は存在しなかったらしい。ならば巨人はどこから来たのか?
 その答えは壁の内側からだった。なぜなら今回出現した巨人の正体はウォール・ローゼ南区、コニーの出身であるラガコ村の住人である可能性が高いと明らかになったからだ。理由としては討伐された巨人とそれ以来行方不明である住人の数が完全に一致したことが大きい。コニーの母親の面影を残した巨人もいたとのことだった。

 なぜラガコ村の住人が巨人となったのか、すべての巨人が元は人間であるのか、そしてエレンやアニのような巨人との違いについてはまだ研究と考察を重ねる必要があるのだが。

 判明したことはそれだけではない。

 超大型巨人――104期訓練兵ベルトルト・フーバー。
 鎧の巨人――104期訓練兵ライナー・ブラウン。

 それぞれの正体がローゼの壁上で明らかになった。
 私はその場にいなかったが、彼らの巨人化を目撃した者は数多い。

 そしてライナーとベルトルトは二人で倒して気絶させたエレンと昏睡していたユミル(彼女も巨人だった)をさらい、どこかへ去ってしまったという。

 一度はその逃亡を許したものの、彼らが目的地へ着くまでに三兵団が追いついたことでエレン奪還作戦は成功した。しかし、犠牲は少なくなかった。エレンたちの親代わりでもあったという駐屯兵団のハンネス隊長を始め数多くの兵士、特に憲兵が死んだ。エルヴィン団長は右腕を失い、今朝まで昏睡状態に陥っていた。

「…………」

 わかったことは他にもある。
 ウォール・ローゼ――つまり第二の壁に穴が開いた時、避難先へ逃げたとしても人類が生き永らえるのは一週間だというタイムリミットだ。食糧の備蓄にはそれが限界らしい。一週間より先は限られたそれらを巡って人間同士で殺し合うことは避けられない事実が確認出来た。
 現在はもうウォール・ローゼ内の安全が確認され、避難民も元いた土地へ戻ってはいるのだが、地獄のような世界が一瞬その蓋を開けて見せたのだ。

「……さて」

 私は自室へ戻り、酒瓶を棚へ片付けてから今日の昼に届いた荷物を開けた。

『リーベなら二挺同時に扱えると思うんだ。同じ性能では芸がないから今度は大口径なんてどうだろう』

 思い出して、苦笑する。

「仕事が早いですね、アルト様」

 銃を所持する貴族家は少なくない。だがそれらすべてを束ねても《王の火薬庫》たるゲデヒトニス家に敵うものはないだろう。
 そんなことを考えつつ私は新しい武器の点検を始める。さらに銃の分解と掃除、組み立てを終え、試し撃ちでもしたいので戦闘服に着替えようかと思っていると扉をノックされた。

「リーベ、ちょっと話が――って、何してるの?」
「ハンジ分隊長……」

 私が机の上に置いていた拳銃を見るなり分隊長は感嘆の声を上げる。

「すごいねこれ、流通してないタイプじゃない? ちょっと見せて――ん、あれ? 持ちにくいな……」
「私の手に合うように造られたみたいなので、大抵の人は上手く扱えないと思います」

 今回贈られた大口径は六発の弾丸が撃てる回転式拳銃だ。前にもらった拳銃に比べ弾数こそ劣るものの、威力は段違い。大抵のものは吹き飛ばしてしまえるだろう。有効射程距離も長い。

「ところで分隊長、どうされました?」
「ああ、リヴァイと喧嘩してるんだって? 詳しくはまだ知らないけどさ」
「いえ、喧嘩では……」
「二人が仲違いするなんてリーベが新兵一年目だった時くらいじゃない? いやー、懐かしいねえ」

 私はため息をついて、

「分隊長も私を諭しに来られたんですか?」
「違うよ。何があったかも知らないし。トーマはやきもきしていたけれど――私が聞きたいのはさ、リーベって昔、貴族の家で使用人だったんだよね?」
「はい、ゲデヒトニス家です」

 私が頷けば分隊長が身を乗り出した。

「同じ貴族のレイス家について何か知っていることはない?」

 レイス家。

 あの時ニック司祭が口にした『壁の秘密を握る一族』とはレイス家――ゲデヒトニス家と同じ貴族だった。
 そしてクリスタ・レンズ――本名ヒストリア・レイスはその家の庶子らしい。貴族に珍しい話ではない。ゲデヒトニス家にそのような話はなかったけれど。

 何にせよ、どこにでもいるような貴族家のひとつであるレイス家がなぜ壁の秘密を握るのかわからないので、ハンジ分隊長は少しでも情報を集めているのだろう。ラガコ村に関する調査だけではなく、その方面に関しても調べを進めているらしい。

『俺はある貴族の領地へ潜入調査を行うように命じられた』

 もしかしたらトーマさんはレイス領へ向かったのかもしれないと思いながら、私は記憶を探る。

「レイス家といえば……北に多く領地を持っていた貴族ってくらいしか……」
「うん。他にはないかな」
「ゲデヒトニス家が東に領地を持っているので、ご近所さんという認識しかありません」

 そこでハンジ分隊長が、

「リーベが教えてくれたようにゲデヒトニス家が《王の火薬庫》という異名があるならレイス家だって王家やウォール教と何らかの繋がりや役割があってもおかしくないと考えられるんだけど、どう思う? 《王の番人》とか《壁の守人》とか」
「……どうでしょう。銃器蒐集は初代から続く歴代当主様の趣味が高じた結果から現在のような立場が与えられたそうですし……」
「それに、これも推測だけれど火薬庫――即ち武器庫。それを調達、管理するのがゲデヒトニス家なら、武力を奮う家もあるんじゃないかな」
「分隊長、私がゲデヒトニス家を出たのは十二歳の時ですよ? 大した情報は――」

 レイス家に関して思い出していると、ふいに記憶が刺激された。

 そうだ、あの家にはご令嬢がいた。美しくて、着飾らない、やさしい人だった。

『良い名前だね、リーベって何度でも呼びたくなるよ』

 そう言ってくれた彼女の名前は何だっただろう。

 記憶が曖昧だ。

「特にありません」

 中途半端なことを話しても仕方がないのでそう言えば、分隊長は考え込むように唸る。

「弱ったな。ニックはあれ以上の情報を教えてくれないし……」
「そういえば司祭はどちらに?」
「兵舎にいるよ。身分は隠して、私の友人ということにしている」

 分隊長は深くため息をついた。疲れているのだろう。それがよくわかる。そもそも対超大型巨人戦で重傷を負っていながらこれだけ動くことがどうかしている。

「少しはお休みになって下さい。治るものも治りません」
「そうだね。……後でもう一度、ニックと話してみるよ」

 まるで休む気のない様子にモブリットさんの苦労が偲ばれる。するとそこで分隊長が懐中時計を見た。

「もうこんな時間か。慌ただしくて悪いけど行くよ。班会議なんだけど全員ちゃんと揃うかな――あ、ごめん……」
「え?」

 ぽかんとしてから何を謝罪されたのか気づく。

「――いえ、大丈夫です。悲しむよりもやるべきことがあります」

 ならばいつか悲しむことしかなくなった時、私はどうするのだろう?

 そんな考えが頭を過ぎったが、すぐに打ち消す。栓のないことだ。

 分隊長はそっと目を閉じてから、また開く。

「そうだね。――じゃあリーベ、また」
「はい」

 資料を手に分隊長が部屋を出て行った。

 私は深呼吸をして、前を見据える。

「…………」

 私のような人間に何かを変えることは出来ないかもしれない。いや、出来ないだろう。私は思い上がってなどいない。だからたとえ私がウトガルド城にいたとしても今ある結果は変わらなかったと思う。

 でも、それでも――『何も変わらない』ことや『何も出来ない』ことを理由に『何もやらない』という選択は出来ない。

 私は強く自分の手を握りしめる。

「だから、このままじゃ駄目」

 深呼吸をして、

「今までと同じではいけない」

 その時、扉がまた叩かれた。
 団長との面会時間が早まったのかと思いながら応じれば扉が開く。

「俺の新しい班の副長がいつまで経っても来ねえから迎えに来てやったぞ」
「――何度も言いましたが、その副長という人はあなたの班に必要ありません」

 私は腕を組んで立っている兵長を仰いだ。


(2015/01/29)
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